夫が仕事に行けないので、当然私が日中働いています。夫婦二人の生活ですからその間夫は家に一人です。多分そういう時に包丁取り出したりしてたのでしょう。
仕事が終わったら真っ先に夫に『帰るコール』してました。すぐ出てくれることがほとんどでしたが、たまに繋がらない(トイレとか?)時は心の中はパニックです。繋がるまで何度もかけたり、メールしたり大忙しでした。
どうやらそれが、学習効果というか、『自分がいなくなったら妻(私)が悲しむ』という認識に結び付いてくれたようです。
当然、一度や二度ではなかったです。数えきれないくらい言われたし、その度に大泣き→大ゲンカになりました。
そして、『俺は要らない』を言わなくなった、言う回数が減った時期があり、そして更に数年たって、少しずつ『要らないということはない、少なくとも妻にとっては』という認識に変わったようです。
夫の主障害は発達障害ですが、二次障害のうつ病もたまに顔を出します。
ごくごくたまに、『俺は要らない』発言が出てきます。
聞く私のショックや悲しみ、怒りに変化はありません。昔と同じです。
でも、これも慣れなんでしょうか、思考が停止するほどのパニックにはならなくなりました。
『俺は要らない(=死にたい? 生きていたくない?)』という時は、
辛さの度合いがひどい時なのかな、と解釈しています。
もちろん本気で言っているのだと思います。私を脅すとか、そういう意味ではありません。
ただ、『自分は要らない人間だ』と思ってしまうほど、
状態が悪いんだろうな、と。
……と、ここまで書きながら、やっぱり『死にたい』系のことを言われていた時期が一番辛かったな、と思い出しました。
家族としては、生きててくれればどうにかやりようはあるのですから。
夫はODはしないので、そこは心配してなかったです。むしろ飲み忘れが多くて、しょっちゅう薬を余らせてます。
希死念慮がどんなタイミングでどんな表現方法、言葉、行動で現れるかは、その人によるので、これ、という解決策は難しいかもしれません。
家族が出来ることとしたら、「アイメッセージ」で、「私はあなたが死んだら悲しい、死んでほしくない」ということを伝えること、かもしれません。