私は機能不全家族育ちで、毒親からの虐待を受けて育ちました。
結果として16歳で摂食障害と双極性障害になり、長い闘病生活を送っていましたが、
今は回復し、二人の息子と夫と幸せに暮らしています。
そして2025年1月に毒親と絶縁して、毒親から解放されて今は新たな第二の人生がスタートしたような気持ちです。
毒親から虐待を受けて育ってきた私は、自分の気持ちを話したり、反抗したりすることは許されませんでした。
その為、反抗期も経験したことはありませんし、殆ど反抗もした事はないまま、大人になりました。
しかし、2歳の時に一度だけ、おそらく日々の虐待に耐えられず、毒親に反抗的な態度をとったことがあります。
その時のお話を今日はしたいと思います。
私が2歳の時に弟が産まれました。
当時は幼稚園や保育園などにも行かず、一日中毒親と過ごす毎日。
おそらく母親は産後で、かなり荒れていたんだと思います。
弟が産まれて、私も不安定だったのかもしれません。
当時はマンションの2階に住んでおり、母親は洗濯物を干していました。
窓は閉まっていたんだと思います。
すると、当時2歳の私がベランダの方にやって来て、「カチャン」とベランダの鍵を閉めたのです。
母親は怒り狂い、ドンドンと窓を叩き、「開けろー!!!」と叫びます。
そんな母親のことを見ながら、一瞬ニヤッと笑みを浮かべると、私は台所の方に消えていきました。
しばらくすると、台所から1本のフランスパンを持って帰って来ました。
母親は激怒して、叫んでいます。
しかし、私はベランダの目の前にある押入れの中に入って、そんな母親の姿を見ながら、一本のフランスパンにそのままかぶりつき、バクバク食べ始めました。
母親がいくら窓を叩こうが、叫ぼうが、お構いなしに、食べ続けます。
母親は諦めて、二階のベランダから下に降りて玄関から入ることにしました。
中には生後間もない弟もいたので、心配だったそうです。
母親は玄関まで来ましたが、玄関には鍵がかかっていました。
「開けろー!!!」と言いますが、私は全く応じません。
仕方なく近所のお友達の家に行って、同じ歳の2歳の子を換気扇の窓から入れて玄関の鍵を開けさせたそうです。
部屋の中に入った母親は、私を見つけて、怒り狂い、その後それはそれはこっぴどく怒られた事は言うまでもありません。
この話は、ところどころ私も覚えているのですが、今までに何十回と毒親から、この「2歳の私のした酷い仕打ち」について言い聞かされて来ました
なぜ私はそんなことをしたのでしょうか?
それはもちろん虐待を受けていたからです。
子供はストレスが溜まると、食べ物でストレス発散をすることが多く見られます。
それは、大人のようにストレス発散する術が他に少ないからとも言えます。
私は、食べることが大好きでした。
いつも、つらい時は食べ物のことを考えて過ごしていました。
朝ご飯、昼ご飯、おやつ、夕ご飯と、常に食べ物のことを考えて乗り越えていたと思います。
友達の家に行っても、お菓子のことが気になって仕方なく、遊ぶことよりもお菓子ばかり食べてしまったりしていました。
お腹いっぱいになっても、食べ続けてしまったり、その結果食べ過ぎて吐いてしまうこともありました。
あればあるだけ食べてしまうこともしばしばでした。
食べている時は、一瞬でもつらさから逃れられるような、そんな気さえしていました。
母親をベランダに締め出して、フランスパンをまるまる一本、そのままむしゃぶりつきたくなるほどに、ストレスが溜まっていたんだと思います。
少し考えればわかることですが、毒親達はそんな事は微塵も考えません。
「私が母に本当に酷い行いをした」という事だけをずっと、言い続けました。
自分達が虐待をしていたせいだという事は全くもって考えません。
これだから毒親は変わらないんですね。
いつだって、自分達が被害者なのです。
考えてみれば、この出来事も、食べることでストレス発散させることも、私が摂食障害になる前兆でもあったのかもしれないと今は感じます。
つらい思いを過食で紛らわしていたのだと思います。
まだたった2歳で、そんな状況下で暮らしていたと思うと、自分の事ながら、
2歳だった自分自身を抱きしめてあげたくなります。
長い長い辛く過酷な日々から、抜け出すことができ、毒親とも絶縁し、
関わることもなくなった今は、本当に幸せです。
毒親との関係は本当に難しいもので、簡単になんとかなる物ではありません。
私のように毒親に苦しんでいる方が、幸せに暮らせる日が来ることを切に願います。