「善意」という名の、逃げ場のない「刃」

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「運動をすればうつ病なんて治るよ」
「少し外に出て、気分転換でもしてきたら?」

 蒼俊がうつ病であることを周囲に打ち明けてから、これまでに何度となく投げかけられてきた言葉です。
 言葉をくれた彼ら彼女らに、悪意がひとかけらもないことは痛いほど分かっています。
 きっと「良かれ」と思ってアドバイスをくれたり、私を励まそうと共感の言葉をかけてくれたりしているのでしょう。

 しかし、とりわけ厄介なのは、これらの言葉が相手にとっては「100%の善意」であるという点にあります。
 受け取る側の私からすれば、それはまさに「ありがた迷惑」そのものです。
 それでも、相手の優しさや思いやりが透けて見えるからこそ、無下に拒むこともできません。私はただ、引きつる心を隠して笑顔で受け流すしかありませんでした。
 そうして相手の善意を傷つけまいと無理を重ねるうちに、心はさらにすり減り、逃げ場のない負のスパイラルへと陥っていくのです。
 言葉をかけた側に、私を軽視するつもりはなかったのだと思います。
 けれど、言われた私の本音は、決して感謝などではありませんでした。「ああ、この人もやっぱり、分かってくれないんだな」胸の奥に広がるのは、分かってもらえないもどかしさと、諦観の笑み。
 それは、とても複雑な感情です。こうした無邪気で一方的な「素人のアドバイス」が、時に患者さんを深く追い詰め、最悪の選択へと向かわせる引き金にすらなり得るという事実を、私たちはもっと心に留めおく必要があるのではないでしょうか。

 ふと、不思議に思うことがあります。他の病気であれば、このような光景はあまり見られないはずです。
 たとえば、風邪を引いて寝込んでいる人がいれば、私たちはただ「ゆっくり休んでね」と言葉をかけるでしょう。
 少なくとも、医学的根拠のない民間療法まがいのアドバイスを、わざわざ熱心に勧めたりはしない気がします。

 では、なぜ「うつ病」に対してだけ、人はこれほどまでにアドバイスをしたくなるのでしょうか。
 うつ病患者に向けられがちな数々のアドバイス、いわゆる「エセ医療」とも呼べる言葉の数々は、その根底に潜む偏見や危険性に、いま静かに警鐘を鳴らしています。

 「話はありがたく承り」「科学を信じて」「自分のペース」で治しますね、とお伝えしましょう。
 また、少し距離を置くのも、解決策の一助となります。

                         沙門蒼俊  合掌
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