父は「おめでとう」を一週間練習して、本番では「トイレ、どこだ」と言った
父とは、三年、口をきいていなかった。・・・きっかけは、就職だった。父は、地元の信金に入れと言い、僕は、東京で、映像をやると言った。・・・「そんなもので、食えるか」父は、怒鳴った。・・・僕は、言ってはいけない一言を、返した。「あんたみたいな人生は、嫌なんだよ」・・・父は、それきり、黙った。・・・東京に出てからは、盆も正月も、理由をつけて、帰らなかった。母から電話が来ても、「父さんは?」と聞かれると、話をそらした。・・・三年が経って。僕の関わった、小さなドキュメンタリーが、地方の賞を、もらった。・・・深夜に流れる、誰も観ないような番組だ。それでも、僕にとっては、初めての「証明」だった。・・・授賞式の日。会場の隅に、来るはずのない人が、立っていた。・・・父だった。似合わないスーツを着て、両手を前で組んで、所在なげに。・・・三年分の沈黙が、二人の間に、立ちはだかった。何を言えばいいのか、わからなかった。・・・父は、ぎこちなく、近づいてきて。僕の顔も見ずに、ぼそりと、言った。・・・「……トイレ、どこだ」・・・それだけ言って、行ってしまった。・・・ああ、この人は、変わらない。何しに来たんだ。・・・僕は、こみ上げるものを、苦笑いで、押し殺した。式が終わると、父は、もういなかった。・・・その年の暮れ。僕は、三年ぶりに、実家に帰った。なんとなく、帰らなければいけない気が、した。・・・居間のテレビの脇に、見慣れない手帳が、置いてあった。父のものだった。・・・何の気なしに、開いて。僕は、手が、止まった。・・・そこには、同じ言葉が、何度も、何度も、書いては消され、書き直されていた。・・・『おめでとう』
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