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不満を抱えた人に理屈は通用しない

不満を抱えた人には、理屈は一切通用しません。これはあなたも経験があるはず。 見込み客、お客様に関係なく、あなたの話す内容は同じであっても専門家の意見にもなるし、セールス(売り込み)にもなります。その差は紙一重。 そして、その差を分けるのは、「聞き手の状態」によります。専門家にいい話を教えてもらったと思われるか商品を説得されて売り込まれていると感じさせるかは、話す内容には関係なく相手の状態が情報価値を天地に分けるのです。では、不満を抱えた人はどのような心理状態にあるのか?それは、不満を抱えているということは、心に壁が出来ている状態です。その状態でいくら理屈を押し付けても相手には伝わりません。あなたが伝わらないと熱く語れば語るほど、相手は怒り出します。それが、あなたが伝えたい核となる大切な内容だとしても。そして、多くの人が勘違いするのは、言えば伝わると思っていることです。しかしコミュニケーションは、相手が素直に聞き入れる状態になければ、聞き手は他のことを考え、あなたの話が早く終わらないかと願うだけです。ではどうすれば、その内容を素直に聞き入れ価値ある情報として受け取ってもらえるのか?それは、まずはじめに相手の不満の原因(要望)を解消してあげる必要があります。その解消なく、自分の理論を押し付けるのは逆効果となり、最悪、亀裂が入りそれっきりとなります。次に、この言葉をもう一度思い出して下さい。 「感情で物を買い、理屈で正当化する」 人間が消費行動を起こす時には必ず感情と思考が左右すると言われています。そして、購入を仮確定した人は、背中を押すための理屈が自分への言い訳として欲しいのです。
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自分の考えに固執したり一つの価値観しか認められないとその矛盾や衝突に疲れてしまう!【アラフィフ心理カウンセラー「うさぴょん」のココナラ電話相談

人間はそれぞれ異なる経験や背景を持ち、それによって形成される考えや価値観も多岐に渡ります。しかし、時には自分の考えや価値観に固執しすぎてしまい、他者との摩擦や矛盾に疲れてしまうことがあります。そこで、柔軟性を持つことの重要性が浮き彫りになります。 一つの価値観や考え方に固執することは、人間関係や社会においてさまざまな問題を引き起こす可能性があります。例えば、他者との対立や軋轢、または自己成長の阻害などです。人は成長する生き物であり、新たな情報や経験を通じて常に変化していくものです。そのため、柔軟な考え方や価値観を持つことは、新たな視点や理解を得るための重要な手段となります。 価値観や考え方の多様性は、豊かな社会や文化を築く上で不可欠です。異なる視点や意見が交錯し合うことで、より創造的で包括的な解決策が生まれることがあります。また、自分の価値観を柔軟に見つめ直すことで、新たな成長や発見が可能になります。 しかし、価値観の多様性や柔軟性を持つことは簡単なことではありません。特に、自分の考えや信念に強く固執している場合は、他者の意見や異なる価値観を受け入れることが難しいかもしれません。しかし、そうした固定観念にとらわれず、開かれた心と寛容な態度を持つことが大切です。 価値観の多様性と柔軟性を持つことは、他者との良好な関係を築く上でも不可欠です。相手の立場や考え方を尊重し、対話や協力を通じて共通の理解を深めることで、より良い関係を築くことができます。 つまり、自分の考えや価値観に固執せず、柔軟性を持って異なる視点や意見に耳を傾けることが重要です。その上で、自己を確立し、自己成長を促進す
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ことわざ

ああ言えばこう言う(ああいえばこういう)相手の言うことを素直に聞かず、           理屈をつけて反論すること。梅個性(大物):https://coconala.com/blogs/2722005/228651 松個性(城) :https://coconala.com/blogs/2722005/228889 桜個性(人) :https://coconala.com/blogs/2722005/228829 リズム意味 :https://coconala.com/blogs/2722005/215858 1000円クーポン:https://coconala.com/invite/B5QXX3
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(184日目)煙たい存在。

助手「いつも思うんだけど。」ワイ「なんですか?」助手「アナタって理屈っぽいよね。」ワイ「正論を言っているだけです。」助手「そう言う人って嫌われやすいよ。」ワイ「大丈夫です。私はそう思わせない術を会得していますから。」助手「どう言うこと?」ワイ「さも相手の主張を聞き入れているように見せて、自分の結論に誘導できるスキルを持ち合わせています。」助手「さらにイヤな奴だった。」ワイ「そんなことありませんよ。表面的には物腰柔らかい雰囲気を醸してますから。」助手「近づきたくないタイプね。」ワイ「それはそうとスモーカーの肩身が狭い。」助手「仕方ないじゃない。煙とか周りに迷惑だし。」ワイ「まるで非国民のような取り扱いです。たくさん国に貢献しているのに。」助手「税金払ってるって言いたいんでしょ?それスモーカー主張あるあるだよ。」ワイ「病院のお世話になることもほとんど無いのに。」助手「禁煙すれば胸を張って生きていけるよ。」ワイ「なぜ我々はタバコを求めるのか科学的に考えればシンプルです。」助手「どう言うことよ?」ワイ「タバコに含まれるニコチンが、体内にある受容体に結合することで効果を発揮するのです。」助手「理屈っぽくなってきた。」ワイ「神経には”報酬回路”が存在しています。そこが快感や満足感という作用を起こすのです。」助手「ニコチンが入るとその作用が起動するって感じね。」ワイ「ただ本来は別の物質が結合する受容体なんですが、ニコチンが入ることで満足するハードルが上がってしまうってことです。」助手「難しい話はしないで。」ワイ「簡単にいうと、『これまで付き合ってた彼女以上に相性のいい人と出会ってしまって、彼
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焦ったところで仕方がない。

人間って不思議だなって思うのが、 一生懸命すぎてもダメ。 今まで 親や先生に 一生懸命頑張りなさい。 と言われ 育ってきたのだけれど、 私の場合は 少し手を抜くくらいの加減 と言うと語弊があるのですが 気持ちを落ち着かせていく方が 何事も 良い方向へと 進んでいくように感じます。 何となく がむしゃら という言葉が 今までの私にはぴったりだったのですが ここにきて 少しのほほんとしてもいいんだよ? という神の声が 聞こえてきたように感じます。 何事も ごり押ししてきたところもあるけれど 今のこの環境に来て 何事も 進めるのではなく 進んでいくんだよ こういわれているように感じます。 焦ったところで仕方がない そう思えるように ようやくなった。
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愛を感じるのに💓理由なんて必要だろぅか❓

マスクを着けなければいけないウクライナと言ってはいけないこの二つの共通点に思う事私達の心は 見えない鎖 に繋がれ易い性質を持っているんだろぅな❓既に 過ぎた過去 を、今も尚 現在進行形 として認知したまま生かされ疑問に思う事がなぃ…呪縛💔奪われたのは 自由意志 思考力 判断力 何より heartの感覚マタタビの羅針盤3さん、動画のshareを有難うございます💝もう8年目に入ったウクライナにおける戦いこんな映像はキリが無く、ナチスはエグ過ぎる。でも、いつかは終わる時が来る〆その時まで、平和な世界を願い祈ります。賛否両論分かれるでしょうが、個人的にはアゾフ大隊や、ウクライナ軍に対しても祈る気持ちは変わりません。正直、加害者に対する同情の念の方が大きぃ位です。自責の念に駆られる事を思うと、それ以上に辛い体験は無いと思う。彼等が自分(のした事)を赦せない代わりに神と共に、私も彼等(の罪)を赦し、愛で包みたいと思ってしまぅ。染まれる人は、悪い意味では無く、きっと 弱い心 のせいだと思うんです。いじめる側に入らなければ、自分がいじめられるじゃなぃけど本当は弱くて、その 弱さ からだと思うんです。何か(人)を犠牲にする時、同時に自分の大切な心を犠牲にしていると思う。そして、その事に蓋をして生きるうちに heartの感覚 を忘れてしまぅ。私にとって、マスクを着けたままの人達が視界に入らなぃ(笑)のは恐らく、彼等から 精氣 が感じられないからかも知れません。heartの感覚で生きている人から溢れ出ているenergyが彼等の多くからは感じられなぃ😷heartの感度が鈍る=その人の本質から逆行情報過
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“理屈の正しさ”は状況に応じて変化するもの

突然ですが、果たして、『これはどんな状況においても絶対に正しい』 という理屈は存在するのでしょうか?正しいと思われていることは時代と共に変化していますし、立場によっても何が正しいかは変わるのではないでしょうか。極端な例かもしれませんが、正しさは戦況下ではかなり変わると思います。仕事においては、何か新たな情報が入っただけで、理屈は180度変わることがあります。例えば、A案とB案があって、それを議論しているメンバー全員が、議論を尽くした結果、どう考えても疑いの余地なくA案(の理屈)が正しいと結論づけたとします。そこへ、会議に遅れてきたメンバーが、「社長がB案で進めようと言っています」という新たな情報をインプットしました。既に議論は尽くされ結論も出ています。社長がなぜB案で進めようと言っているのか、それは誰にもわかりません。状況が変わったのは、ただ単に、「社長がB案で進めようと言っている」という情報があるかないかだけです。さて、どれだけの会社で、その新たな情報を無視して絶対に正しいと信じるA案で押し進めるでしょうか。(社長と徹底的に議論することなく、忖度で)A案を覆してB案が正しいという理屈をつくりあげることは一切ないでしょうか。僕は、 “理屈の正しさ”は状況に応じて簡単に変化するもので、“理屈”とは所詮その程度のものだと考えています。最後まで読んでいただきありがとうございます。このことから、少しでも新たな気づきや考える上でのヒントに繋がることがありましたら幸いです。
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全てを理屈で動かすと、組織は病んでいく

リーダーの中には、理屈が全てと言わんばかりに、組織を理屈だけで動かそうとする人がいます。組織を動かすのに理屈は必要ですが、全てを理屈だけで動していくと、組織が病み、やがて崩壊の危機に至ります。なぜでしょうか。それは、理屈だけで動かすと、組織内に次のような病が発生するからです。①現場で起こる理屈では説明のつかない事実とのギャップが生じる。②理屈に長けた人ばかりがいつも高い評価を受け、そうでない人達は内心(仕事が)おもしろくなくなる。③理屈ではなく気持ちで動く潤滑油のようなこと(ちょっとした気遣いなど)が疎かになる。④人の感情や感覚が軽視され、人間関係がギクシャクする。⑤理屈が正しいかどうかを伺い、正しいと言われたことだけをやる人が増える。(答え合わせをすることが目的になり、自分で考えなくなる)人はそもそも理屈優先ではなく、感情優先で動きます。職場では理屈を優先しているように見えますが、内面は違います。そして、仕事は、機械やコンピューターが主体となって行うものではなく、人が主体となって行うものです。だから、理屈だけで組織を動かそうとすること自体、無理があるのです。組織は、共に働く仲間の感情を考えながら、理屈を適度に織り交ぜて動かすものだと考えるくらいが丁度よいのかもしれません。最後まで読んでいただきありがとうございます。このことから、少しでも新たな気づきや考える上でのヒントに繋がることがありましたら幸いです。
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理屈で押すのではなく、本音の言葉で共感を得る

“感情よりも理屈が上である”と信じ込んでいたり、“ビジネスに感情は要らない”と言うリーダーがいます。確かに、ビジネスに理屈は大事で、理屈がなかったらビジネスは成り立たないと思います。しかし、人は理屈だけでは動きませんし、人の行動は理屈よりも感情に左右される場合の方が多いのではないでしょうか。人が相手のビジネス、人がするビジネスである以上、感情=人の心がどう動くか、を考え続けることこそビジネスでもあります。特に、チーム内では、気持ちよく仕事できる状態が最もパーフォーマンスが上がります。逆に、理屈で押され、心から納得できていないことをするときは気分が乗りません。そして、気分が乗らずにする仕事のパーフォーマンスは下がります。そもそも、世の中にはこれが唯一の正解でそれ以外の考えは間違っていると断言できることの方が少ない中、組織内では、立場が上の人の考えが通りやすい性質があります。つまり、正解・不正解の純粋な議論よりも、立場が上の人が言っている考えをうまく理屈づけして正解(=もっともらしい理屈)にしてしまうということことです。組織内でこれを完全になくすことは難しいと思いますが、少なくとも、理屈は伝えつつも、それ以上に、メンバーが心から共感してくれているかどうかを重視し、共感が得られるよう本音の言葉で語る。これを大切にしているチームでは、メンバーがいきいきし、パーフォーマンスも高いような気がします。最後まで読んでいただきありがとうございます。このことから、少しでも新たな気づきや考える上でのヒントに繋がることがありましたら幸いです。
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「何となく違う」が堂々と言える雰囲気をつくる

ビジネスではあらゆる場面で理屈が大事なことは言うまでもありませんが、理屈ばかりを重視し、理屈だけで事を進めていくと、組織が殺伐としてきます。また、理屈を述べるのに長けている特定の人ばかりの意見が通ることになり、それ以外の多くの人達はおもしろくありません。おもしろくないばかりか、あの人には理屈で勝てないと思うと、自分の意見を言わなくなってしまいます。過去、議論で後味の悪い思いをしたことがあれば尚更です。多くの人が「何となく違う」と思っても、理屈に長けている人を論破できるだけの理屈を組み立てられなければ、声が上がらなくなる。「何となく違う」は、人々が感じる感覚であり、多くの人がそう感じるのであれば、うまく理屈にできなくても重視すべきだと僕は思います。人が介在しないビジネスであればともかく、少しでも人が介在するビジネスであれば、「感覚」、つまり、「人々がどう感じるか」は無視できません。人は理屈が正しければ共感し動くわけではないからです。また、新たな気づきや、奇抜なアイデアは、誰かの「何となく違う」から生まれることが多いと思います。『「何となく違う」が堂々と言える雰囲気をつくること』、それを重視する組織が、人々が働きやすく、人々に支持され、長く続く組織ではないでしょうか。最後まで読んでいただきありがとうございます。このことから、少しでも新たな気づきや考える上でのヒントに繋がることがありましたら幸いです。
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【波動を発信する感覚】

日常的スピリチュアル、安田です。 波動というのは 受けるだけでなく 発信もしています。 良い波動を出せば 良い波動が返ってくるのですが 悪い波動を出せば 悪い波動が返ってきます。 良い波動を出していくには 良い波動を受けることが 必要なのです。 私たちの無意識は 受けた通りに 発信するようになっています。 何を学んでいるのか どのような情報を入れているのかで 波動の質が出来上がるのです。 高い基準の波動を 出していきたいのであれば 高い基準の学びを していけばいいのです。 なので 波動を上げることは そう難しいことではないのですが 現実の環境の中で 流されている人は 波動を上げる歩みが できないのです。 波動を上げることは 一朝一夕ではできません。 一気に上げることは できないので 地道に積み上げる努力の 歩みが必要なのです。 波動からの影響は 大きいのです。 なぜなら、波動というのは 感じる境地であるからです。 見えない境地なので 感じるしかない境地なので 大きな影響があるのです。 見えない境地 感じる境地が 価値視される時代に なっていくので より波動からの影響が 価値視されるようになります。 感じる境地というのは 嘘、ごまかしができないのです。 「波動」ということを 意識していくだけでも 感じる境地を意識することができ 表面的かどうかが 分かってしまうのです。 なので、必然的に 本物しか通用しない 時代になっていくのです。 理屈というのは ごまかすことができ 嘘をつくこともできるのですが 波動、感じる境地には 嘘、ごまかしが通用しないのです。 時代の恩恵によって 波動が変
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【転換ができていない自覚】

日常的スピリチュアル、安田です。 転換するには 転換ができていない 自覚が必要なのです。 転換ができていないことを 責めるのではなく 自覚して、把握すればいいのです。 転換ができていない状態というのは 元の状態に戻ってしまうことをいいます。 同じようなことを 繰り返してしまい 前に進んでいるように 感じられない状態なのです。 私たちの悩みは 理屈通りに 転換ができないのが 悩みなのです。 理屈では知っていても 知っている通りに できないことで 葛藤しているのです。 例えば ダイエットをする方法は簡単で 「食べる量を減らして、運動をする」 ということを実践すれば 確実にダイエットを 成功させることができます。 しかも、自分でコントロールが できることなので より確実なのです。 理屈は簡単で シンプルなのですが 転換ができていないので 知っている通りに 歩めないのです。 転換するためには できていないことの 自覚が必要なのですが 自覚することは 最も苦しいのです。 他の人から責められて いるのではないのですが 自分で自分を責めてしまい 苦しくなってしまうのです。 ありのままの自分と向き合うのが 最も過酷なのですが ありのままの自分と 向き合うことで 転換ができるのです。 ありのままの自分と 向き合うのが 瞑想の習慣なのです。 瞑想の習慣によって ありのままの自分と 向き合うことができ 転換ができていないことを 自覚することができるのです。 自覚ができるようになれば 転換したくなるのです。 転換したくなれば 転換ができるように 努力することができます。 転換するためには 基本的な努力
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【実行することで情熱が生まれる】

安田です。  何に情熱が持てるのかは 実行してみなければ 分からないのです。 なぜなら 情熱というのは 感じていることなので いくら理屈で考えていても 分からないのです。 情熱があるかどうかを 知るためには 実行が必要なのですが 実行して ハッキリして しまうことを 恐れてしまう人もいます。 誰でも何らかのことに 情熱を持ちたいのですが 実行していくことで 情熱が持てることでは なかったことだった場合の 恐れを感じてしまうのです。 多くの人は理屈で 「自分はこれに情熱がある」と 決めたがるのですが 実行していくことで ハッキリしてしまうので 実行することを ためらってしまうのです。 根底の心理の中に 「これに情熱が持てないと  他のことには情熱が持てない」 という無意識の 恐れがあります。 情熱というのは 感じていることなので どんどん変わってもいいし 成長段階によっても 変化していくのです。 中には一つのことだけに 情熱を持ち続ける人もいますが 情熱は一つでないといけない という決まりはありません。 情熱は実行することで 感じることができるのです。 情熱を感じてから 実行ができるのではありません。 なので 新しいことを 始めていくときは 軽い気持ちで 始めればいいのです。 真面目な人は 「こんな軽い気持ちで  始めてはいけない」と 勝手に思い込んで しまうのですが 軽い気持ちでなければ 最初の第一歩を踏み出せないのです。 実行してみて 情熱を持てそうもなければ やめればいいだけのことなのです。 自分の感情というのは 自分し
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