天元春日 周易古占例 6
本ブログでは、少しずつ周易の古占例を掲載してゆきたいと思います。
【易学・易占界において「2千年来の1人」と称された真勢中州とその一門の占例(6)】
ー真勢中州について
真勢中州(ませ・ちゅうしゅう)は、日本の易学史上、最も有名な人物の一人です。
『浪速人傑談』の伝えるところに依ると、
「真勢中州。名は達富、字は発貴、中州と号し、また復古堂と号す。俗称を彦右衛門という。尾張の人。天性・廉直にして、若くして易学を好み、新井白蛾(あらいはくが)に従いて学び、なお自ら研究して遂に易道に妙を得たり。中年の後は浪花(なにわ)に移り、専ら易学を講ず。また象蓍(しょうし)を作り、爻卦(こうか)を製し、易経の本文を錯綜(さくそう)して『復古易経』と唱え、其の占験の群に秀逸せること、精義入神にして、世・二千年来の一人と称す。文化十四年丁丑二月四日、齢六十四にて終る。歿後、北野寒山寺に墓石を立つ。」
と記されています。
ー真勢中州とその一門の占例
(11)は「養子取り」の成否、(12)は「手代2人のうちどちらを番頭にするか」の占例です。
(11)或商家(あるしょうか)衰(おとろ)えたる所金五十両の持参(じさん)にて養子(ようし)に来るものを媒(なこうど)せんと云。成(なる)か否(いなや)を問う。故に筮して需(じゅ)を得たり。占之曰需(じゅ)は待(まつ)なり。調(ととの)わざるに非ず。然れども今整(ととなう)るに非ず。先天方位(せんてんほうい)にて考るに本巽なり。今坎になり又艮(ごん)に之意(ゆくい)あり。然れば我より進むときは小畜(しょうちく)となり又需(じゅ)となる故に此所にて待(まつ)べし。坎(かん)より艮(ごん)となれば大畜(たいちく)となる。大畜は養子(ようし)来(きた)るの象なり。又乾(けん)の三爻は三貫目(かんめ)の数あり。故に金五十両持来(もちきた)るべしという。果して養子金を持参(じさん)せり。
(12)或商家(あるしょうか)の手代(てだい)番頭(ばんとう)とすべき者二人あり。何(いずれ)を番頭(ばんとう)とすべきや吉凶を問う。これを筮して蒙(もう)の予(よ)に之(ゆく)を得。占之曰、一の手代は蒙(もう)の上爻(じょうこう)に当たる。ニの手代は二爻(こう)に当たる。然るに一の手代蒙昧(もうまい)なり。
故に亢(たかぶ)り誇(ほこ)る者ならん。又二の手代一の手代の艮山(ごんざん)に押(おさ)えられて険(なや)めども、中(ちゅう)を得たる者なり。故に亢(たかぶ)り誇(ほこ)る者ならん。又二の手代一の手代の艮山(ごんざん)に押(おさ)えられて険(なや)めども中(ちゅう)を得たる者なり。かつその爻辞(こうじ)に曰(いわ)く、子(こ)克レ家(いえをよくす)と。故に二を番頭として宜(よろし)からん。又一の手代蒙(もう)をなす者なれば、家内を蒙昧(もうまい)にするものなり。退(しりぞ)けて可(か)ならん。二を番頭としたらば上爻(じょうこう)の一手代暇(いとま)を取(とっ)て退(しりぞ)くべし二の手代一段(だん)上(のぼっ)て予(よ)となさば番頭の正位(せいい)を得て其人出精(しゅっせい)して吉なりと云うに皆中(みなちゅう)す。
※出典 谷川順祐(竜山)『周易本筮指南』