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(271日目)自分への投資。

ワイ「昨日は投資の話をしちゃいましたね。」助手「アナタが儲け話に騙されそうだったけどね。」ワイ「危ないところでした。止めてくれてありがとうございます。」助手「そのまま黙ってようかと思ってたんだけどね。」ワイ「投資と言っても物理的なものもあれば、そうでないものもあります。」助手「どういうこと?」ワイ「例えば何らかのスキルを高めることも投資です。」助手「パソコンスキルとか資格を取るとかね。」ワイ「自分の知識を高めることも投資の一つでしょう。」助手「なるほど。」ワイ「投資とは自分の将来にとって利益になる行動全般と言えるかもしれません。」助手「うん。」ワイ「自分の貴重なお金や時間を投じて、それ以上のリターンを得ることが投資行動と言えますね。」助手「そう聞くと健康維持や趣味にお金を使うことも一種の投資と言えるかもしれないね。」ワイ「そうですね。将来を健康体でいたければトレーニングに励むことも一つですし、趣味にお金を投じて価値観を広げることも一つでしょう。」助手「そう考えると自分への投資ってどんどんすべきだわ。」ワイ「それはどうでしょう。将来のためを考えて自己投資するのはいいですが利用しないスキルを得ても意味ありませんからね。」助手「資格は持っておいた方がいいって聞くよ。」ワイ「それはその資格を使う前提があるから成り立つんですよ。」助手「けれであったらツブシが効くじゃない。」ワイ「その資格を得るためにお金や時間を使うわけですよね。そのコストに見合うリターンを得られないでしょ?」助手「そこまでは考えたことないね。」ワイ「使いもしない資格をとって、そのために掛けたお金と時間があれば他の有効な活
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【気になる夢(4)】

 トイレに行く夢は、「不要な物を捨てる」  「内に秘めた欲求」「金運」「健康状態」  を意味するそうだが、私に関係あるのは、  「不要な物を捨てる」「内に秘めた欲求」  の二つに限定されると言っていいと思う。 ────────────────────  済ぎた過去や人間関係等、私が捨てたい  と思っている物は確かにあるし、それが  何かという見極めもついている。本当に  やりたいことを我慢し続けることが辛く  なってもきている。それは間違いがない。 ────────────────────  今年は、一人で自分と向き合い、自分に  とって大切なものを見極める潜伏期間で  あった。その成果をもって来年は躍動を。 ────────────────────  御閲覧、心より感謝申し上げます。
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自分探しの旅!

最近、自分探しの旅に出ていました。とは言っても、自宅で本を読んでいただけなんですけどね笑どんな本を読んでいたかと言うと、こちらの二冊。どちらもワークまでしっかりやり込んで、一生懸命自分探しをしました。で、分かったこと。私がいきていく中で大切にしていることは、自由!!そう、私は自由に生きたいのだー!!周りを気にせずありのままの自分をもっともっと表現していきたい。自分自身の特徴を短所じゃなくて長所として捉えて、自身を持って生きていきたいな。あと、仕事に求めているのは、お客様に笑顔になってもらったり幸せな気持ちになってもらったりすること。それによって、私も幸せになるの❤だから、そのためにこれからも親切丁寧&愉快な代筆屋さんを続けていこうと思っています^^というところまではなんとなく分かってきたのだけど・・・まだまだ自分探し、掘り下げていかなきゃいけないな、って思っています。自分探しって、楽しいねっ!!
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【本能基準では歩めなくなる時代】

日常的スピリチュアル、安田です。 時代が進むにつれて より厳しさを感じるようになりますが 本能基準では歩めない時代になっていくので 厳しさを感じるのです。 今まで出来ていたことができなくなり より高度なことが求められてくるので 厳しさを感じるのですが 努力ができるようになる 恵まれた時代でもあるのです。 私たちは、追い込まれないと 努力することができないのです。 一度でも強烈に追い込まれることで その追い込まれによって 目覚めることができ 悟ることができます。 その悟りによって 追い込まれる前に 前倒しの歩みが できるようになるのです。 時代の変化に 振り回される感覚ではなく 時代を先回りするような 感覚の歩みができれば 心理的な余裕さを 感じることができます。 本能基準というのは 一時的、一瞬の快楽ばかりを求め 楽をすることばかりを考えてしまう 基準のことをいいます。 時代がより厳しい環境になっていくので 楽することを求めてしまうと 時代に合わせることができなくなります。 楽することを目標にしては 歩めなくなるのです。 私たちの本心基準は 高い基準を目指し より成長することを 目指しています。 この本心基準で歩むことで 今の時代の基準に あわせることができます。 時代の変化が加速的に なっているというのは 同時に、加速的に より厳しさを感じるようになります。 今の時代の厳しさは 高い基準の歩みが求められる 厳しさなのです。 より高度なことが 求められていくので 今までの感覚の歩みでは 時代に合わせることができなくなります。 時代に合わせていくには 合わせられる努力を していく
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【未来を今の感覚で見てはいけない】

日常的スピリチュアル、安田です。 私たちは未来に向かって 歩んでいるのですが 今の感覚で見てはいけないのです。 今の感覚で未来を見てしまうと 悲観的に見えるのです。 これからより 加速的に変化していくので 今までの感覚では 歩めない時代になっていきます。 今まで当たり前に できていたことが できなくなるので 新しい感覚での歩みが 求められてきます。 いくら時代の恩恵が 大きくなったとしても 時代の恩恵に 合わせることができないと 恩恵が仇に 感じてしまうのです。 未来は今よりも 良くなっているのですが その良くなる基準というのは 私たちの感覚が基準ではありません。 本来の基準に 近づいていくので 良くなっていくのです。 時代の転換と共に 私たちも転換できるように なっていくのですが 転換ができるようになる努力は 自己責任なのです。 環境が転換させてくれるのではなく 努力することで転換ができるのです。 時代の恩恵というのは 環境が整うことであり 環境を活かすことで 成長することができ 転換することができます。 時代が進むことで より自由を求めるようになりますが 自由を感じるには 自己責任の全うが必要になります。 自己責任の全うといっても 今できることに 最善を尽くすことしか できないのですが 今の歩みが 未来に連結されていきます。 未来を今の感覚で 見てしまうのは 努力をしていないからです。 努力を積み重ねる 歩みをしていれば 未来を今の感覚では 見れなくなり 長期、超長期視点に なればなるほど 希望と可能性を 感じることができます。 自由に歩むしかない 時代になっていくので 自
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【本音を原動力にする】

日常的スピリチュアル、安田です。 臨機応変に歩むためには 本音と建前が必要なのですが 自分の本音を知ることで 歩む原動力が出てきます。 現実の歩みのほとんどは 建前的に歩むようになるので 自分の本音がよく分からなく なっています。 本音を出すというのは 感情を出すことではなく 深い境地で願っていることや 歩む動機を明確にすることをいいます。 感情を出しているから 本音を出しているとは かぎらないのです。 むしろ、感情を出すことで 本音をごまかしている 場合もあるのです。 自分の本音を知るために 瞑想の習慣が必要なのです。 最初は雑念ばかりに 悩まされますが 雑念が流れていくことで 自分の本音が出てくるようになり 本音を把握することができます。 本音を把握することで 本心基準を芽生えさせることができ 歩む原動力が出てくるのです。 本心基準というのは 理想的な基準なのですが 理想的な基準を 目覚めさせるために ありのままの基準の把握が 必要なのです。 本音の把握は ありのままの感情の把握であり その感情の把握によって 本心基準の把握が できるようになります。 自分の本音は 自分でごまかしては いけないのですが 建前的に歩む体質になっているので 本音をごまかす体質に なってしまっています。 本心基準を目覚めさせ 芽生えさせ、掘り起こすには ありのままの自分の本音を知り 把握することが必要なのです。 そのためには 深い境地に入る努力が 必要なので 瞑想の習慣を 身につけることが 必要なのです。 時代の恩恵によって 本心基準を掘り起こすことができ 本心基準でないと 歩みにくくなっています
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【教育、指導ができるように導く】

日常的スピリチュアル、安田です。 教育、指導を受けたのであれば 教育、指導をしていくのが 自然の流れなのですが この自然の流れが できていないのです。 教育者、指導者というと 特定の人だけのような 印象があるのですが 成長すれば 誰でも教育者であり 指導者になるのです。 子どもの頃は 受け身でいるのが 当たり前なのですが 成長するにつれて 与える側になるのが 自然なのです。 常に受け身でいる人 受けることしか 考えていない人は 何歳であっても 成長していないのです。 教育者、指導者というのは 与える側であり 与えられるように 導く使命があります。 いつの時代でも 教育、指導する人よりも 受け身でいる人が 多かったのですが 教育、指導ができるように 導けなかったのです。 どんな教育者、指導者であっても 永遠に、この世で歩むことは 絶対にできません。 なので、教育、指導をしながら 次世代につなげる意識をしなければ 本当の意味で使命を全うできないのです。 知識だけを売るような 時代は終わりました。 知識を拡散させて 教育、指導ができるように 導くことが求められてきます。 教育、指導を効率よく 効果的に拡大させられる 環境は整っているので あとは意識だけなのです。 過去の時代の延長線上の意識では 今の時代、これからの時代に 合わせることはできません。 教育、指導を拡大させる意識と 悟れるように導く意識が 求められてきます。 過去の時代の延長線上の教育 指導では、行き詰まりを感じるようになり 本質を求めるようになります。 今や、知識、情報は 民主化されているので 悟りを求めているのです。
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【心理的な自由とは実行力】

日常的スピリチュアル、安田です。 私たちには 時間、空間の制限があるので 完全な自由を感じることは できないのです。 時間、空間の制限は 制限されているとは 感じないのですが 現実的には 一日は24時間であり 今いる場所から 瞬間移動はできません。 そのような制限の中で 自由を求めているのですが 心理的な自由を 求めているのです。 心理的な自由というのは 思うように、願うように 歩めることであり 努力できることをいいます。 歩み、努力というのは 実行力であり、実行することで 心理的な自由が感じられるのです。 自由を感じたい思いは 誰にでもあるのですが 何が自由であるのかが よく分からないのです。 自由を感じたい思いがあっても 実行するとなると 億劫に感じてしまうのですが 実行しなければ 自由を感じることはできません。 自由を感じながら 歩んでいる人というのは 実行するし、努力をしています。 心理的な自由というのは 自分で決めたことができることで 感じることができます。 自由に生きれる環境が 与えられたとしても 自分で何も決めないで 何もしなければ 自由を感じることは できないのです。 実行というのは 義務、強制ですることではなく 自分から主体的にすることであり 主体的に歩むことで 自由を感じることができます。 そして、心理的な自由を 感じながらの歩みなので 発展をもたらすのです。 自由に歩めば歩むほど より成長することができ 建設的な歩みができます。 これからの時代の環境は 自由に歩める環境になりますが いくら環境ができていても 自分から主体的に歩めないと 自由を感じることがで
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【自分で自分を満たせなかった憤り】

日常的スピリチュアル、安田です。 どんな人でも 満たされることを 求めているのですが どうしたら満たされるのかが 分かっていないのです。 大抵は、他の人から 満たされることを 求めてしまうのですが 思うように、願うように 満たすことはできないのです。 満たされなかったことが トラウマになったり 恨みになったりしますが 根底は、自分で自分を 満たせなかった憤りなのです。 自分で自分を 満たせなかったのは 努力をしなかったという 憤りでもあるのです。 努力をすることで 成長欲求を満たすことができ 成長欲求が満たされれば 過去のトラウマや恨みを 小さくすることができ やがて消えていきます。 私たちの根底心理の中で 「満たされなかった」という思いが 最も妨げになるのです。 根底心理というと 何となく複雑さを感じるのですが 最も単純なことでもあるのです。 実際、他の人の心理というのは 分かりようがないのです。 いくら、近い関係であったとしても 分かりようがないので 満たしてあげるには 限界があるのです。 他の人から 満たしてもらおうとするのは 単なる依存であり その依存によって より満たされないことに 憤りを感じてしまうのです。 自分で自分を満たせる人は 常に満たされた状態を 保つことができます。 大抵の恨みというのは 誰かがこうしてくれなかったと 必ず自分以外の他者に対しての 恨みなのですが 実際、今さら どうすることもできないので 自分で自分を満たす努力を していくしかないのです。 受け身体質の人は 願った以上に満たされないと 恨みになることがあるのですが 自分で努力をしなかった憤り
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【克服よりも転換を目指す】

日常的スピリチュアル、安田です。 克服というのは 無理があるので 苦しさを感じ 実際は克服できたか どうかは分からないのです。 無理にやってしまうと 心理的なバランスが崩れてしまい 元の状態に戻ってしまうことがあります。 転換というのは 時間がかかるのですが 転換してしまえば 元に戻ることはありません。 克服しようとすると 大抵は失敗するし その失敗によって 自信を無くしてしまうのです。 一気に克服しようとしないで 長い目で転換することを 目指してください。 転換を目指していくことで 健全な成長ができ 成長欲求を満たすことができます。 最初は意識だけでもいいので 転換することを意識してください。 克服というのは 「こうでないといけない」という 義務、強制があるのですが 転換というのは 「こう転換したい」という 願望になるので 希望が感じられるのです。 どんなことでも 義務、強制では 苦しくなるのです。 今は義務、強制が 通用しない時代なのです。 過去の時代では 通用していた面もありますが 今の時代には通用しません。 なぜなら 成熟した時代だからです。 成熟を目指す時代であれば 強引に歩むことも 可能であったのですが 成熟した時代では 目指す次元が違うので 義務、強制が通用しないのです。 今の時代は 満たされることで 基準高く歩めるのです。 転換も満たされることで 転換したくなるのです。 成長欲求を満たすことで 自然に転換したくなり 転換ができるようになります。 克服するべきことというのは 大抵はマイナス的なことであり 癖のようなことなのですが 何かが満たされていないので 心理的
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【主体的に歩むことで、霊的突破ができる】

日常的スピリチュアル、安田です。 時代の転換期は 混沌とするので 霊的に突破する 感覚が必要なのです。 混沌とする時期は 環境の影響を受けやすく 向かうべき方向や 目指す方向を 見失いやすくなります。 混沌とする原因は 霊的世界からの 影響でもあるのです。 混沌とする時期によって 生みの苦しみを感じるのですが その苦しみの先に 新しい何かが生まれます。 なので 霊的突破の感覚が 必要なのです。 混沌としている時期だからこそ 主体力の発揮ができるのです。 主体的に歩むことで 霊的に突破していることを 感じることができます。 霊的突破といっても 霊的に何かが見える 聞こえる、感じる必要はなく 霊的に鈍感でも 主体的に歩めれば 突破することができます。 自分から主体的に歩むことで 勢い的に歩むことができ 突破感覚で歩めるのです。 主体的に歩むことは 基本的な努力である 学ぶこと、実行すること 瞑想、運動をするということです。 努力というのは 受け身で待っていては できないのです。 自分からやらなければ 努力することはできません。 努力というのは 勝手に決めて 勝手にやることなのです。 他の誰かから 許可をもらう必要はないのです。 同じ目的に向かって 一致団結するには ピラミッド型の組織が 必要なのですが 今の時代は調和された 組織が求められています。 ピラミッド型と円型が 調和されていくことで 理想的な組織ができるのです。 理想的な組織をつくるには 調和された一人一人が必要なのです。 調和された個人は 主体的に歩み、努力をして 成長欲求が満たされた 状態のことをいいます。 主体的に歩
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【運勢の強さを活かす】

日常的スピリチュアル、安田です。 運勢の強さというのは 自分次元のために 与えられたことではなく より大きな目的のために 与えられたことなのです。 自分が願って 運勢が強くなったのではなく 先祖の功労によって 歴史的な功労によって 私たちの運勢が 強くなっています。 運勢の強さというのは 何もかもが上手くいくとか 願いが叶うとかという 次元ではありません。 自分次元の意識では 運勢の強さを 感じることはできないのです。 誰でも運勢を良くしたいし 強くしたいのですが 自分次元の意識ではなく より大きな目的に 活かす意識が必要なのです。 基本的には、現代人は 運勢が強いのです。 見えない境地なので 漠然と信じていればいいのです。 運勢というのは 現実の環境の良し悪しではなく 成長欲求を満たすことができ より大きな目的に 貢献できることでもあるのです。 今の時代の私たちは 自分次元で考えてはいけないのです。 自分次元で考えてしまうと 運勢の理解ができないのです。 自分の運勢の強さを 感じることで 使命を悟ることができ 全うする歩みができます。 現代人は成熟した環境の中で 歩めているので それだけでも運勢が強いのですが 成熟した環境を土台にした 歩みをしていくことで 運勢の強さを活かすことができます。 現実の歩みは 目の前の小さなことしか できないのですが より大きな視点と意識で 目の前のことに投入し 最善を尽くすことで 運勢の強さを 活かすことができます。 今の時代は 自分次元の夢や目標を 優先する時代ではなく 使命を悟って 全うする努力をしていくことで 時代の波動に合わせることがで
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【自己肯定感を維持する方法】

日常的スピリチュアル、安田です。 自己肯定感というのは 自分で自分を認めることであり 認めることで 満たされていることを 感じることができるのです。 私たちは 他の人、周りの人から 認められることを 願ってしまうのですが 人は他人には 興味関心がないので 認められることは 簡単ではないのです。 他の人から 認められることを 基準にしてしまうと 自分のペースで 歩めなくなってしまい 健全な成長ができなくなります。 自己肯定感を 維持することが必要なのは 自分で自分を認めることで 心理的なバランスを 維持することができ 自分のペースで 歩めるようになるからです。 自分のペースというのは マイペースなのですが 人それぞれで マイペースの基準が違います。 自分の基準に合った ペースで歩むことで 健全な成長ができるのです。 自己肯定感を維持するには 決めたことを続けられるように 小さなことから始めて ハードルを下げて 習慣、体質にすることを 目指してください。 ごく小さなことでも 挫折をしなければ 自己肯定感を 維持することができます。 習慣にするまでは 三週間かかり 体質にするまでは 三ヶ月かかります。 体質にしてしまえば 負荷をかけても 挫折できなくなります。 挫折ができなくなる 体質にしてから 歩む基準を上げてください。 歩む基準を上げることで 成長していることを 感じることができ 成長欲求が満たされます。 そして、自分のペースで 歩み続けることで 基準高く歩むことができます。 基準高くというのは 過去の自分 今までの自分の基準よりも 高く歩むということです。 他の人の基準、ペース
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【違和感を快感にする原動力】

日常的スピリチュアル、安田です。 違和感というのは 無意識に、反射的に 避けたいことなのですが 違和感を感じることから 成長ができるのです。 成長には多少の負荷が必要で 簡単にできることだけを 繰り返していても 成長はできないのです。 違和感を感じることは 負荷を感じていることであり 負荷を教えてくれているのです。 ただ、負荷というのは 成長ができることなのですが 避けたくなるのです。 そして、ハードルが高いと できそうもないし できる気がしないのです。 違和感に感じることは できる気がしないのですが 逆に言えば 違和感を感じているので できることでもあるのです。 全く何も感じないことであれば 全くできないことなのですが 違和感を感じることは できる要素があるということです。 違和感を感じることに チャレンジすることで 成長ができるのですが チャレンジをするには 成長欲求を強くすることで 違和感を感じているからこそ チャレンジができるのです。 違和感から成長ができ 成長欲求を満たすことが 快感になるのです。 現実的に、常に違和感に 立ち向かうというのは 簡単ではないので 小さな違和感に 挑戦することで より大きなことに 挑戦したくなります。 私たちの成長には 時間がかかるので 一気に何かをしても 一気に成長はできません。 なので、現実の環境の中で 少しずつ負荷をかけていけば 確実に成長することができ 成長欲求を満たすことができます。 何に違和感を感じているのかを 把握していくことで 違和感を感じていることに チャレンジする準備ができるのです。 より大きなことであれば より大きな
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【基準高く歩むための土台をつくる】

日常的スピリチュアル、安田です。 基準高く歩むためには 土台が必要なのですが 成長欲求を満たす 歩みをしていくことで 土台ができます。 今は基準高く歩むことが 求められているのですが 時代の恩恵によって 歩みやすくなっています。 過去の基準に 捉われることなく 歩める時代になり 新しい基準で 歩める時代なのです。 高い基準で歩むといっても 気合、根性、意志の力では 歩み続けることはできません。 基準高く歩むのも 続かなければ 意味がないのです。 一時的、一定期間だけ 基準高く歩めても 積み上げる歩みができないのです。 なので 基準高く歩むための 土台が必要なのです。 努力をすれば 成長欲求が満たせるのですが 努力ができない人が多いのです。 努力をすることが 苦痛に感じているので 努力ができなくなり 常に楽をすることばかりを 求めてしまうのです。 成長欲求を満たすことが 全ての土台になるのですが その土台が作れないのです。 基準高く歩むための原動力は 成長欲求が満たされていることが 前提になるのです。 成長欲求は 自分で努力をしなければ 満たすことはできません。 基準高く歩むことも 努力ではあるのですが 自分のペースで 努力をしていくことで 成長欲求が満たされるのです。 努力をすることで 満たされるということを 知っている人は少ないのです。 基準高く歩める人を 尊敬する人がいますが 自分を満たすために 歩んでいるにすぎないのです。 時代の恩恵によって ありとあらゆる分野の 基準が上がっています。 その恩恵に合わせていくには 基準高く歩むことが必要なのです。 恩恵というのは 受け身
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【満たされることを求める】

日常的スピリチュアル、安田です。 どんな人でも 満たされていれば 与えることができるし 投入することができます。 私たちの根底の願いは 満たされることであり 満たされていることを 感じることなのです。 満たされていることを 感じることで 歩む原動力が 強くなります。 満たされることを 求めていくのですが 外に求めてはいけないのです。 自分で自分を満たすことを 求めていくことで 常に満たされている状態を 保っていけるのです。 自分で自分を満たせる人は 他の人から満たされることを 求めなくて済むのです。 大抵、人間関係の悪化は 互いに満たされることを 求めてしまうからなのです。 お互いに「くれ、くれ」と 求めているので 関係が悪化するのです。 自分で自分を満たすというのは 成長欲求を満たすことをいいます。 努力をして 成長欲求が満たされていれば それ以上のことを 求めなくなります。 常に受け身でいる人は 自分から主体的に 努力することができないので 満たすことができないのです。 多くの人は 外からの満たしを 求めているのですが 外からの刺激というのは 長くは続かないし 一時的で、一瞬の満たししか 感じられないのです。 自分で自分を満たすことは いつでも、どこでも どんな環境でもできます。 今まで、努力をすることで 満たされるということが 分からなかったのです。 努力をすることは 苦痛だと思い込んできたので 無意識に、反射的に 努力することを避けてきたのです。 私たちの根底の欲求は 成長欲求を満たすことであり 貢献欲求を満たすことなのです。 この欲求を基準にしていくことで 満たすため
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【自己満足の基準を上げる】

日常的スピリチュアル、安田です。 自己満足というと 聞こえが良くないのですが 努力というのは 自己満足にすぎないのです。 自己満足の基準を上げれば 歩む基準が上がっていき 成長欲求を満たすことができます。 基準を上げる歩みをするには 今の基準に満足をしないで 常に高い基準を求めて 行くことが必要なのです。 努力というのは 他の人に頼まれたり 強制されてすることでは ありません。 自分から主体的に 決めたことであり 勝手に決めたことなので 自己満足にすぎないのです。 現実的に、私たちの歩みは 自己満足の歩みしかできないのです。 その自己満足の基準が上がれば 誰も何も文句が言えなくなるのです。 自己満足の基準を 上げようとしないで 維持しようとすると 自己満足が 良くないように 捉えられてしまうのです。 低い基準で満足したり 維持しようとすると それ以上の成長ができなくなり やがて衰退していくのです。 現状維持というのは 維持しているつもりでも 衰退していくのです。 私たちは 成長するか、衰退するかの どちらかだけなのです。 厳しい言い方ではあるのですが 成長していなければ 衰退しているということです。 自己満足の基準を 上げる努力をしていれば 成長ができているのですが 基準を上げようとしないで 現状維持を保とうとしてしまうと 衰退してしまうのです。 成長も、衰退も 一気には訪れないのですが 積み重ねによって ある日突然、感じることがあります。 今日、何かの努力をやっても やらなくても 何も変わらないのですが 積み重ねることによって 成長か、衰退を 感じることができるのです。 誰で
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【霊的に満たす】

日常的スピリチュアル、安田です。 霊的に満たされる歩みをするには 成長欲求、貢献欲求を満たす 努力をしていけばいいのです。 現実的に努力をすることで 霊的に満たすことができます。 時代の恩恵によって 心霊基準が上がることで 霊的に満たされることを 求めるようになり 霊的に満たされることで 基準高く歩むことが できるようになるのです。 外的な環境の満たしには 限度がありますが 霊的な満たしには 限度がないのです。 いくらでも 満たし続けることができ 満たし続けることで より基準高く歩むことが できるようになるのです。 この世の私たちには 時間、空間の制限があるので 無限に基準を上げ続けることは できないのですが まだまだ基準を上げる余白は 残っています。 霊的に満たされることで より投入する歩みができるのです。 霊的に満たされるには 努力が必要なのですが 満たされる努力は 学ぶことなのです。 学ぶことで 心霊が満たされていき 実行する原動力が 強くなるのです。 学ぶというのは 言葉に触れることであり 言葉に触れることで 霊的に満たされるのです。 学びの努力というのは 単に知識を覚えるためではなく 霊的に満たすために必要なのです。 学ぶことで心霊が満たされ 実行することで投入することができ さらに満たされるようになります。 そして 瞑想の習慣、運動の習慣でも 霊的に満たすことができ 霊的に満たされることで 努力の基準を上げることが できるようになります。 多くの人は 努力が続けられる人が すごいように感じていますが 努力というのは 成長欲求を満たしているのに すぎないのです。 霊的
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【努力が快感にならない原因】

日常的スピリチュアル、安田です。 本来、努力というのは 成長欲求を満たせるので 快感になるのです。 努力をすればするほど 満たされていくので 努力がやめられなくなるのです。 努力が続けられている人を やたらと尊敬する人がいますが 単に成長欲求を 満たしているだけなのです。 成長欲求さえ満たされれば 高い基準の努力ができるのです。 努力が快感にならない 満たされないというのは 義務、強制されている感が あるからなのです。 同じ努力をするとしても 義務、強制されてしまうと 満たされないだけでなく 他責にする根性になってしまうのです。 努力というのは 頼まれてすることではないし 無理やりさせられることではなく 主体的に、自発的に したくなることなのです。 成長欲求が満たされない努力は 続けることができないのです。 義務、強制されて 我慢をしながらでは 限度があるのです。 努力をしながら 満たされないというのは 義務、強制させられているという 何かのせい、誰かのせいにする 根性があるからなのです。 「努力をしてあげている」という 犠牲になっているような感覚では 満たされないのです。 今の時代は 義務、強制が通用しないので 自分から主体的に歩めないと 努力ができなくなります。 主体的に歩めるようになれば 誰にも強制されていないので 努力をすることで満たされるのです。 満たされない努力は やらない方がいいのです。 長く続けることができないし やらされている感があると 苦しくなるからです。 決められたことでも 頼まれたことでも 自分から主体的に 歩んでいるのであれば 満たされる歩みができます
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【与えられることの違いを理解する】

日常的スピリチュアル、安田です。 人それぞれで 与えられていることが違うのは 使命の違いであるからです。 使命の違いを理解しないと 無駄に他の人と比べてしまい 自分の使命を全うすることに 集中、投入することができなくなります。 環境、状況というのは 良くも悪くも与えられています。 環境の良し悪しは 私たちの解釈の違い 捉え方の違いなのですが どんな環境であっても 導かれて与えられているのです。 その与えられている環境の中に 使命があるのです。 使命というのは 現実の使命と 未来の使命があります。 現実の使命を全うしながら 未来の使命を全うする準備を することができるのです。 なので どんな環境であったとしても 集中し、投入する歩みをすることで 現実の使命の全うと 未来の準備ができるのです。 現実の歩みというのは 厳しいのですが その厳しさの中で 成長することができるのです。 今の時代の厳しさというのは 恵まれた環境の中での 厳しさなのです。 いくらでも妥協することができ 流されてしまう環境の中で 基準を立てる、上げることで 使命を全うすることができるのです。 生きていくだけであれば 無理して頑張る必要はないし 努力をする必要はありません。 ただ、生きていくだけであれば 何も目指すこともないので 何の生きがいも感じられないので 空しさばかりを感じるようになります。 過去の時代では 「豊かになる」という 何となくでも 目標があったのですが 今の成熟時代では 豊かになることを 目標にすることができないのです。 外的な環境が 成熟しているので 内的な成熟を求める 時代になったのです。
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【霊性教育の本質】

日常的スピリチュアル、安田です。 霊性教育というのは 霊的に何かが見える 聞こえる、感じるようになる という教育ではありません。 霊力を身につける教育であり 強化させる教育であるのです。 なので、霊的に鈍感でも 霊性教育によって 霊力を強化させる ことができるのです。 霊性教育によって この世での歩みを極めることができ 心霊基準を上げることができ 成長欲求を満たすことができます。 そして、努力ができるようになる 続けられる教育でもあるので より霊力を強化させることができます。 霊性教育の本質を 見失ってしまうと 霊能力を身につけることに 走ってしまうのです。 霊性教育を極めて 霊力が強化されて 結果として 霊能力が身につくのはいいのですが 霊能力だけを身につけようとするのは 危険なのです。 なぜなら、心霊基準が低いと 霊的に振り回されてしまうからです。 今の時代に必要なのは 霊能力ではなく霊力なのです。 生まれつき霊能力を持っている人 後天的に霊能力を身につけた人がいますが 特別な使命があって 霊能力を身につけることが できたのですが 大抵の人は その使命を悟れないのです。 霊能力があるからといって 悟れるのではありません。 逆に霊的に鈍感でも 悟ることができるのです。 霊性教育によって 霊力を強化させることで 悟りの境地に至れるのです。 霊性教育というのは 現実的な教育であるのです。 基本的な努力である 学ぶこと、実行すること 瞑想、運動を続けて 極めていくことで 霊力を強化させることができ 霊性教育されるということです。 誰かが、霊性教育を してくれるのではなく 自分から主
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【基準を上げることを躊躇しない】

日常的スピリチュアル、安田です。 基準を上げ続けることを 躊躇しないでください。 いくら、他の人 周りの人よりも 基準高く歩めていても 躊躇してしまうと 成長ができなくなります。 他の人、周りの人の基準が どうであるかはどうでもいいのです。 自分の基準を上げることだけを 考えていけばいいのです。 成長欲求が強い人は 常に基準を上げる 歩みをしていきます。 基準というのは 学ぶ基準、実行する基準 瞑想、運動の基準をいい 負荷をかけていくことが 基準を上げるということです。 負荷というのは 時間を増やしたり 回数を増やすことであり 限界を感じるところまで 負荷をかけることで 基準を上げることができます。 自分の基準を上げることは 自己責任なのです。 自己責任なので いくらでも好きなように 上げることができるのです。 基準をある程度上げることで 満足をしてしまい 躊躇してしまう人もいれば 他の人とのギャップによって 躊躇してしまう人もいます。 基準というのは 高い基準に合わせていくべきであって 低い基準に合わせてはいけないのです。 基準は上げれるところまで 上げていくことで 与えられた使命を 全うすることができます。 基準を上げることを 躊躇しないことで 成長欲求を満たし 続けることができるのです。 基準というのは 上がっていくのが 健全であるのですが 上げ続けることが できなかったのです。 基準を上げるというのは 基本的な努力の基準を 上げるということです。 学び、実行、瞑想、運動の 基準を上げることであり 努力を積み重ねることで どこまでも成長ができるのです。 基準高く歩むことで
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【自分軸の基準を確立する】

日常的スピリチュアル、安田です。 自分軸というのは 自分の基準を決めて 続けることをいいます。 自分の基準というのは 他の人と比べての基準ではなく 今の成長段階での 基準のことをいいます。 成長段階というのは 人それぞれで違い 受けてきた教育 育ってきた環境によって 違いや差がついてしまうのです。 同じ年齢でも 違いや差があり 長く生きていても 成長ができなかった 人もいるのです。 自分軸を確立するには 成長し続けることが 必要なのですが 成長ができなかった 歴史が長かったのです。 成長には 基本的な努力である 学ぶこと、実行すること 瞑想、運動が必要なのです。 今までの歴史は 常に闘いの歴史であり 生きていくだけで 精一杯だったので 成長する歩みが できなかったのです。 今の時代の私たちが 恵まれているというのは 努力ができる環境が できているということです。 今の時代しか知らない 私たちにとっては 当たり前のことなのですが 過去の時代では 当たり前ではなかったのです。 過去の時代と 比べても意味がないのですが 努力ができる環境に 麻痺してしまっていて 時代の恩恵を感じることが できなくなっています。 自分軸の確立というのは 単に自分だけのことではなく 歴史的な願いでもあるのです。 重く捉える必要はないのですが 過去の先人たちが成せなかったことを 今の時代の私たちが 成そうとしているのです。 自分軸を自分次元で考えてしまうと わざわざ確立する努力の必要性を 感じられなくなってしまうのですが より大きな目的を 基準にすることで 貢献する意識から 自分軸の確立ができるのです。 今
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【楽をしようとするとつまらなくなる】

日常的スピリチュアル、安田です。 私たちの本能は 手を抜きたい 楽をしたい サボりたいと思っていて 面倒なことは やりたくないのです。 この本能は誰でも持っていて 性格ではないし 受けてきた教育 育ってきた環境の 影響でもないのです。 多くの人が 「つまらない」と 感じているのは 本能のままに 生きているからなのです。 とくに今の時代は 成長欲求を満たすことが 願われているので 努力をしなければ よりつまらなくなるのです。 楽をしながら 面白さを感じることは できないのです。 いつの時代でも 「お笑い」に人気があるのは 楽に面白さを感じられるからなのですが その場、その瞬間だけの 面白さしか感じられないのです。 「つまらない」という 感情から解放されるには 面倒なことを求めて 自分から主体的に 努力をするしかないのです。 今は、誰も何も 与えてくれない時代なので 自分から主体的に努力をしなければ 満たされないのです。 つまらなくするのも 面白くするのも 自分次第なのです。 本能は守りや生存維持には 必要なのですが 本能を基準にしてしまうと 努力ができなくなり つまらなくなるのです。 本心を基準にして歩むことで 主体的に努力ができ 努力をすることに 面白さを感じるのです。 努力というのは 意図的にすることなので 面倒に感じるのですが 面倒に感じることに 面白さがあるのです。 一人でも努力ができる人は 一人で歩んでいても 面白さを感じることができるのです。 現実的に集まることがリスクになり コストになっているので 一人で歩むしかない 努力をするしかない 環境が与えられています。 な
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【学びたいことを学ぶ】

日常的スピリチュアル、安田です。 何を学んだらいいのかが 分からない人がいますが 学びたいことを学べばいいのです。 学びというのは 義務や強制ではなく 自分から主体的に学ぶことで 身につくのです。 私たちは子どもの頃に 義務教育を受けてきたので 学ぶことが義務的に なってしまっています。 「学びたい」ではなく 「学ばないといけない」という 義務感になっているので 学ぶことに 苦痛を感じてしまうのです。 本来の学びというのは 成長欲求を満たすことであり 学べば学ぶほど 快感になっていくのです。 学びは続けなければ 意味がないので 続けられることを 学んでください。 学びたいことであれば 学び続けたくなるので 自然に続けることができます。 どんな人にも 成長欲求があるので 学びたいことがあるのです。 その学びたいことを 掘り起こしていくには 自分の深い境地を 尋ね求めることが 必要なのです。 本来は自然に分かるように なっていたのですが あまりにも多くの情報に 洗脳されてきたので 自分が何を求めているのかが 分からなくなってしまったのです。 自分で自分が求めていることが 分からないので 他の人が分かるはずがないのです。 なので 何を学んだらいいのかを 他の人に尋ねるというのは おかしなことなのです。 学びたいことが 分からないのであれば 何の情報も入れないで ひたすら自分と 向き合ってください。 敢えて何も探さないで 自分と向き合うことで 何かがしたくなるのです。 そのしたくなることが 自分の答えになります。 答えを外に求めても 答えを得ることはできないので 自分の内に求めるという
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【やったことがないことを勝手に決めない】

日常的スピリチュアル、安田です。何をするにしても やってみなければ 分からないのですが 私たちの思考には やる前に結論を 出してしまう癖があります。 まだ何もやっていないし 決まっていないのに 結論を出してしまうので 実行ができなくなってしまうのです。 この思考の癖を自覚できないと 思考すればするほど 実行ができなくなるのです。 思考をする目的は 結論を出すことではなく 実行ができるように 導くことが目的なのです。 思考は実行することによって 現実化するのであって 思考をしているだけでは 現実化しないのです。 やる前から結論を 出してしまうのは 実行するのが 面倒に感じるからなのです。 実行しなくて済むことを 思考してしまうので 勝手に結論を出してしまうのです。 これからの時代は 人にしかできないことしか できなくなっていくので より実行力が必要なのです。 人にしかできない実行力を 身につけていかないと 時代の波動に合わせることが できなくなってしまうのです。 時代が進むことで テクノロジーが発達するので 効率よく歩めるようになりますが 効率よく歩めるようになっても 人の努力は必要なのです。 効率よく歩めるが故に より努力が必要になるのです。 なぜなら、より高度な知識 技能が求められるからです 知識は学ぶことで 身につきますが 技能は実行することで 身につけることができるのです。 実行することは 面倒なことなのですが 面倒なことをしなければ 成長はできないのです。 成長欲求を満たすためには 実行力が必要であり 実行することでしか 成長することも 貢献することもできないのです。
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【歩む基準を上げる意識】

日常的スピリチュアル、安田です。 基準を上げる意識で 歩んでいくことで より成長欲求を 満たすことができます。 成長欲求には 限界がありません。 外的な欲求には 限度がありますが 内的な欲求である 成長欲求には限度がないのです。 外的な欲求というのは 物欲のことをいい どんなに多くのモノで 満たしたとしても 内的には満たされないのです。 内的に満たされないので より外的なモノを求めてしまい より空しくなってしまうのです。 内的な満たしには 限度がないので より満たすことができます。 限度がないので 限界基準を決めては いけないのです。 基準を上げることで 成長欲求が満たされるので 限界基準を決めないでください。 限界基準を決めないことで より可能性を感じることが できるようになるのです。 人の能力の限界というのは 証明されていないのです。 「もうこれ以上は無理」と 思っていたことでも 記録が更新され続けているのです。 心霊基準が上がることで より能力の基準が上がっているので より努力が必要なのです。 心霊基準を上げることで 能力の基準も上げることが できるようになります。 私たちの土台 根っこになるのは 心霊基準なのです。 心霊基準を上げることができれば 歩む基準も上がっていくのです。 心霊基準は 基本的な努力である 学ぶこと 実行すること 瞑想、運動を 続けていくことで 上げることができます。 基準というのは 一朝一夕では上がりませんが 努力を積み重ねていくことで 確実に上がっていきます。 時代の恩恵によって 心霊基準が上がっていますが その時代の恩恵に合わせるためには より
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【時の運】

日常的スピリチュアル、安田です。 結果というのは 時の運によって 実らせることができます。 もちろん 運だけではなく 努力も必要なのですが 努力は時の運によって 実っていくのです。 時の運というのは 時代的な時の運と 自分の時の運があります。 私たちの願いは 常に良くあり続けたいのですが どんな人にでも バイオリズムがあります。 自分の時の運が上がっているときは 結果を実らせることができ 時の運が下がっているときは 何をやっても上手くいかないのです。 これは努力だけでは どうにもできないので 時の運を待つことも必要なのです。 時の運が上がっているときは 上限なく実らせる意識が必要なのです。 自分次元の基準で満足をしないで 実らせるだけ実らせていくことが 使命でもあるのです。 時の運が下がっているときは 基本的な努力をしながら 充電をする時期なのです。 時の運というのは 分かるようで分からないのですが 直感的に分かるようになれば どのような歩みをしていけばいいのかが 分かるようになります。 運勢のバイオリズムには 様々な観点があるので 公開されていることや 書籍などを参考にしながら 自分の運勢の時を 自分なりに把握してください。 種を蒔く時期は しっかり蒔き 刈り取る時期は しっかり刈り取ることで トータル的にバランスが 取れるようになるのです。 どのような時の運であったとしても 努力は必要なのです。 種を蒔く努力 刈り取る努力をすることで 成長する歩みができるのです。 成長には時の運は 関係ありません。 時の運がどうであっても 努力を続けていけば 成長はできるのです。 時の運が
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【心霊的に学ぶ】

日常的スピリチュアル、安田です。 学びというのは 目で見て学び 耳で聞いて学びます。 あるいは、体験や経験で 実体的に学ぶこともあります。 心霊的に学ぶというのは 深い境地からの学びなのですが 深い境地で学ぶには 現実的な学びを 徹底的にしていくことが 必要なのです。 顕在意識の限界まで 学んでいくことで 潜在意識で 学ぶことができるのです。 心霊を芽生えさせるには 現実の限界が必要なのです。 限界基準まで歩むのは 苦しいことなのですが 心霊的に歩むには 顕在意識の限界が必要なのです。 本来は、自然に 心霊的に歩めたのです。 心霊を軸にした 歩みができたのです。 多くの修道者が 身体を打つ修行を してきたのは 潜在意識よりも顕在意識が 強くなっているので 顕在意識を弱めるために 修行をしてきたのです。 滝に打たれて水行をしたり 断食をしたり 徹夜をしたりというのは 顕在意識の限界に 到達するためなのです。 身体を打って 快感を感じるというのは 危ない人なのです。 身体を打って 限界を感じた先に 快感を感じるのです。 水に打たれれば 冷たいし 食べなければ お腹が空いて 苦しくなるのです。 身体を打つことで 顕在意識が弱くなり 潜在意識が芽生えてくるのですが 現実的には常に続けることは できないのです。 今の時代の私たちは 今さら山に籠って 修行僧のような歩みをする 必要はないのです。 現実の環境の中で 顕在意識の限界まで 歩むことで 潜在意識を 芽生えさせることが できるのです。 基本的な努力である 学ぶこと 実行すること 瞑想、運動を 徹底的にやっていくことで 顕在意識の限界
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【主体的に歩む方法】

日常的スピリチュアル、安田です。 今の時代に必要なのは 主体的に歩むことなのです。 受け身で待っていると やることが無くなり 無能になってしまうのです。 主体的に歩める人が 少ないのですが 受け身教育が 大きな弊害になっています。 主体的に歩めるようになるには 自分でやることを 決めていくのですが やることを決めるには 自分で意味をつくることが 必要なのです。 主体的に歩める人にとっては 決めること、意味をつけることが 無意識にできているのですが 主体的に歩めない人は 決めること、意味をつけることを 意識していかないとできないのです。 主体性というのは 誰でも持っています。 性格的なことではなく 誰でも自分から努力をする 性質を持っているのです。 私たちは決めないと 歩めないし 努力ができないのです。 自分から主体的に決めないと 続けることができないのです。 義務や強制が 通用しない時代なので 主体性が必要なのです。 義務や強制というのは 選択肢が無い環境の中では 通用するのですが 今の時代は 無限の選択肢があるので 義務や強制が通用しないのです。 それだけ自由な時代になったのですが 自由な時代は、主体的に歩めないと 苦しくなっていくのです。 選択肢が無限にあるので 決められない人が多いのですが 今の現実の中で できることを 決めていけばいいのです。 いくら選択肢が 無限にあるといっても 現実の制限があるので その制限の中で 決めるしかないのです。 私たちは無限に 思考ができますが 現実的な制限の中で 歩んでいくしかないのです。 主体的に歩むと言っても 今の環境の中で 歩むしか
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【努力の足りなさを自覚する】

日常的スピリチュアル、安田です。 理想的な歩みは どんなに努力をしても 常に足りなさを感じることで できるのです。 どんな人でも 自分なりには 頑張っているのですが 努力が足りないのです。 自分なりの頑張りというのは いくらでも妥協できるので 限界基準を避けてしまうのです。 頑張りと努力を 分けて考えていくことで 頑張っているのか 努力をしているのかを 把握することができるのです。 頑張りというのは その場限りなのです。 何時から何時まで 頑張るという 時間が基準になっていて 積み重ねることができないのです。 努力というのは 地道なことを積み重ねながら 投入していくことをいいます。 努力は地道なことなのですが 徹底的にしていくことで 本当の意味で 努力をしているということです。 誰よりも学んで 誰よりも実行して 誰よりも 瞑想、運動をしていくことが 本当の意味での努力なのです。 徹底的な基準というのは 人それぞれで違いますが 限界を感じるまで 歩むということです。 徹底的な努力をしている人は 非常に少ないのです。 努力をしていないので 結果を実らせることも 成長することも 貢献することもできないのです。 努力というのは より大きな目的のためでなければ 続けることはできないのです。 心霊基準が上がることで より本質的な時代になり 自分のためだけに 努力をすることが できなくなっています。 より大きな目的のために 歩んでいかないと 心霊が満たされないのです。 徹底的な努力ができない人は 自分の目的のためだけに 歩んでしまうので 歩む原動力が 弱いのです。 大きな目的のために歩むとな
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【転換は自己責任】

日常的スピリチュアル、安田です。 転換は他の誰かが してくれるのではなく 自己責任でしていくのです。 自分で努力することで 転換することができるのです。 自分で努力をするには 主体的に決めて 実行していくのですが 主体的に決めるには 自己責任の自覚が 必要なのです。 人それぞれの自己責任には 誰も干渉することはできないし 干渉してはいけないのです。 どんな人でも 成長欲求を持っているので 自己責任を全うしたい 欲求は持っているのです。 そして 自己責任を全うすることで 転換することができるのです。 自己責任と転換は 一致しているので 自己責任を全うすることだけを 考えていけばいいのです。 自己責任の自覚が できていない人が 多いのですが 自己責任の自覚は 自分で出来ることは 誰にも頼らないことで 自覚することができます。 協力し合うことで より大きなことを 成すことができるのですが 協力し合う前は 誰にも頼らない時期が 必要なのです。 極端に誰にも頼らない歩みが できるようになれば 自己責任を自覚することが できるようになります。 全てを自給自足に する必要はありません。 私たちは、ただ生きているだけでは 責任を全うすることはできないのです。 山に籠って 自給自足の生活をしても 何の発展性もないのです。 現実の環境の中で 葛藤しながら歩むことで 成長することができるのです。 今の転換時代に 葛藤しないことの方が おかしいのです。 葛藤は感じたくない感情なので 無意識に避けたくなるのですが 葛藤することで 転換されていくのです。 転換には生みの苦しみが 必要なので 葛藤することを
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【誰からも採点されることはない】

日常的スピリチュアル、安田です。 他の人の目を気にしてしまう人は 常に誰かに見られていて 採点されているように 錯覚してしまうのです。 人は他人には 興味関心がないので 誰にも見られていないし 誰からも採点されていません。 自分なりの自己採点は できるのですが 他の人から 採点されることはないし 採点することはできません。 私たちは 学校で採点されてきたので 採点されているような 錯覚になっています。 結果というのは 評価であって 評価というのは 表面的なこととして 成されていくのです。 誰からも採点されていないという 事実を知ることで 心理的な自由を感じながら 伸び伸びと歩むことができるのです。 私たちの歩みの 答えというのは 無数にあります。 「これだけが答え」という 一つの答えだけではないのです。 答えが無数にあるので 悩んでしまうのですが 選べることが 答えになります。 そして 導かれること できることが 答えになるのです。 その答えに対しての採点は 誰もつけることはできないのです。 もし、採点されるようなことが あったとしても その採点の基準は 自己の基準で 適当な基準なのです。 学校の勉強のように 一つの答えであれば 誰が採点しても 同じ基準での 採点になりますが 無数の基準の中での採点なので 全く軸がない採点になるのです。 今は自分の答えは 自分で見い出す時代です。 答えが無いので 自分で見い出すしかないので 答えを見い出せる力が 必要なのです。 答えを見い出せる力は 自分の内面を掘り起こすことで 身につけることができます。 誰にも採点されることはないのですが 自
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【報われることよりも貴重なこと】

日常的スピリチュアル、安田です。 「努力が報われたい」というのは 誰もが願うことですが 報いというのは 結果を出すことだけではなく 成長ができたことも 報いになっていきます。 もちろん 結果は必要なのですが 結果というのは 一つの目安に すぎないのです。 結果だけが報いではなく 成長ができたことも 報いになっていきます。 なので 私たちは努力をすれば 必ず報われるのです。 どんな形で 報われるかは 分からないのですが 何らかの形で 報われていることを 感じることで 自然に感謝が できるのです。 成長ができたことと 報いが一致すれば 常に報われていることを 感じることができるのです。 報われていることを 感じることができれば 常に良い状態で 歩むことができ 良い状態で歩むことで さらに報われるという 好循環ができます。 どんな環境であっても 勝手に報われていることを 感じることができます。 結果だけが 報われることだと 考えてしまうと 報われないといけないという プレッシャーに耐えられなくなり 本質的な報いを 見失ってしまうのです。 今の時代の私たちは 十分に報われています。 外的な環境は 不利、有利の違いは 多少ありますが 過去の時代よりは 十分に恵まれています。 恵まれ過ぎているので 麻痺してしまい 何となく 何かが不足しているように 感じてしまうのです。 本質的な報いというのは どれだけの成長ができたかなのです。 なぜなら 今の時代は成長欲求を 満たしていく時代だからです。 成長欲求が満たされることで 報いを感じることができるのです。 結果を出したときの報いというのは 一瞬
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【成長を止めないコツ】

日常的スピリチュアル、安田です。 私たちは 成長するか、衰退するかの どちらかだけなのです。 成長していないのであれば 衰退しているということです。 現状維持を保っている つもりになっていても 成長していないのであれば 現状維持も保てないのです。 誰も衰退しているとは 思いたくはないのですが 確実に歳を取っていくので 何の努力もしなければ 確実に衰退していくのです。 成長というのは 止めてはいけないのです。 一日単位では 大して変わらないのですが 1年、3年、5年、10年となると 大きな差が出てくるのです。 成長というのは 他の人と比べてではなく 過去の自分と比べての 成長なのです。 他の人より 優れている 劣っているというのは どうでもいいことなのです。 人それぞれで 基準が違うので その基準の違いを 嘆く必要はないし 傲慢になる必要もないのです。 成長を止めないためには 努力をし続けるしかないのです。 常に気を張る 必要はありませんが 毎日の習慣の中で 成長ができる歩みを 続けることで 成長ができるのです。 成長というのは 意図的な努力を しなければできません。 私たちは 努力をした分しか 成長はできないのです。 何の努力もしないで 「気がついたら成長していた」 ということはありません。 成長に必要なのは 学ぶこと 実行することであり 瞑想や運動によって 心霊的な成長 身体の力を身につける 成長ができるのです。 学び、実行、瞑想、運動を 続けていければ 確実に成長ができます。 そして、少しずつでも 負荷をかけることも 必要なのです。 時間を増やしたり 数を増やしていくことで
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【長期視点での良いことの基準】

日常的スピリチュアル、安田です。 良いことの基準というのは 人それぞれで違うのですが 表面的な、その場かぎりの 一時的な良いことではなく 長期視点での良いことを 基準にしてください。 長期視点での 良いことというのは 最終的にどうなっていくのかを 基準にするということです。 よく「これから良いことが起こる」と 言う人がいますが その良いことの基準は 曖昧なのです。 何かが導かれたり 願いが叶ったというのは 今までの努力の 結果にすぎないのです。 報われなかった人が 報われるというのも 良いことではあるのですが 表面的なことであり 一時的なことなのです。 私たちが本質的に望んでいる 良いことは何でしょうか? 本質というのは 見えないことなので 分かるようで 分からないのですが 感じる境地なので 表面的ではなく 一時的ではないのです。 では、私たちは 何を感じたいのでしょうか? 感じたい感情を 感じたいのですが 成長していることを 感じたいのです。 今の時代で求められているのは 成長欲求なのです。 外的な環境が満たされれば 内的な境地を求めるように なるのですが その内的な境地 内的な欲求が 成長欲求なのです。 成長欲求というのは その場かぎりで 満たされることではないし 一時的に満たされる ことではないのです。 長期で感じることなので 気がついたら感じているような 境地なのです。 表面的な良いこと 一時的な良いことでは 成長欲求は満たされないのです。 たとえ、厳しい環境 試練のような環境でも 成長欲求が満たされれば 本質的な面では 良いことが起こった ということなのです。 恵まれ
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【学習力を強化させる方法】

日常的スピリチュアル、安田です。 学習力の強化には 脳に負荷をかけることが 必要なのですが 脳に負荷をかけるには 難しいことを学び できそうもないことを学ぶことで 負荷をかけることができます。 負荷というのは 苦しさを感じますが その苦しさによって 力を身につけることができ 鍛えることができます。 分かること できることを学んでも 脳に負荷をかけることが できないので 鍛えることが できないのです。 小学6年生の子が 小学1年生の問題を いくら解いても 勉強にならないように 私たちも 分かること できることだけを いくら学んでも 身にならないのです。 ですが 私たちの脳は 負荷をかけることを 嫌うのです。 なので 無意識に負荷が かからないことを 求めてしまうのです。 脳に負荷をかけるには 意図的に負荷をかける 学びをしていくことが 必要なのです。 敢えて分かりにくい 論理的な本を読んだり できそうもないことを 学び続けることで 意図的に負荷を かけることができ 学習力を強化させることが できるようになります。 これからの時代の学びは 自分に必要なことを 学んでいくのですが その必要なことは 都合が良いことではありません。 必要なことは 学びたくないことを 学ぶことでもあるのです。 自分の得意な分野お 徹底的に学びながら その分野の中の 苦手なことを 学ぶことも必要なのです。 あるいは 使命を悟った人は その使命を全うするための 学びが必要なのです。 負荷をかけた 学びをしていくことで 脳を鍛えることができ 思考力を強
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【良い状態でいることを心がける】

日常的スピリチュアル、安田です。 自己管理というのは 良い状態であることを心がけて 良い状態を保っていく 習慣を身につけることをいいます。 心も身体も バイオリズムがあるので 常に一定を保っていくことは できないのですが 今の瞬間で ベストな状態であればいいのです。 これから、自己管理が 求められるようになりますが 「何々をしてはいけない」という 戒め的な自己管理だけではなく 良い状態であることを 意識していくことで 自己管理ができるようになります。 良い状態というのは 満たされている状態なのです。 自分が満たされていると 自然に他の人も満たしたくなるのです。 満たされている状態を 保っていくことができれば 自己管理ができ 他の人も満たすことができます。 どんな人でも自分で自分を 満たすことができるのです。 つまり、自分の機嫌を 自分で取ることが できるということです。 自分で自分を満たすというのは 成長欲求を満たすことをいいます。 成長欲求を満たせば 自然に貢献したくなるのです。 成長欲求は 学ぶことと 実行すること 努力をすることで 満たすことが できるのです。 ですが 勉強嫌いな人 実行嫌いな人 努力が嫌いな人は 成長欲求が 満たせないのです。 なので 常に何かが満たされていないので 漠然とその何かを求めるようになり 求めても求めても 常に何かが不足しているので 良い状態ならないのです。 モノが不足している時代は モノを求めていたのですが モノが余っている時代は モノを求めるのではなく 自らの成長を求める 時代な
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【自己満足は拡大されていく】

安田です。 「自己満足」というと 何となく聞こえが悪いのですが 努力というのは 自己満足なのです 学ぶことにしても 実行するにしても 自分を満足させているに すぎないのです。 基準高く歩める人は 自己満足の基準が 上がっているということです。 成長欲求というのは 自己満足なのです。 成長欲求には 上限がないので どんなに満たしても 空しくなることはありません。 外的に恵まれている今の時代は 無意識では成長欲求を求めています。 ですが 成長欲求を求めていることを 把握できていない人が多いのです。 成長欲求は根底の欲求なので 感じている境地なので 把握ができるそうで できないのです。 そして 成長欲求を満たすには 努力が必要なのです。 学ぶこと 実行することを 続けていかなければ 成長欲求を 満たすことはできません。 成長欲求 すなわち自己満足を 満たすことで 拡大されていくのです。 その拡大が 影響力でもあるのです。 成長欲求に上限がないように 自己満足にも上限がありません。 いくらでも自己を 満たしたくなるので 基準高く歩むことが できるのです。 努力をしている 続けているというと 何となく偉そうに なってしまいがちですが 努力は自己満足だと 捉えることで どんなに努力をしても 傲慢になることはありません。 自己満足を感じる歩みを していく人が増えていくことで さらに努力をする人が 増えていくのです。 先駆けて歩む使命が ある人は 先駆けて努力することが 求められています。 そして 基準を上げ続けることが 求め
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【学ぶことで生み変えられる】

安田です。 学びというのは 単に知っていることを 増やしていくことではなく 学ぶことで 生み変えられていきます。 私たちの身体の細胞は 常に再生されていて 生み変えられいます。 再生されていくためには 常に動き続けている 循環が必要なのです。 学び続けることで 常に新しい刺激が 与えられていくので 脳が活性化されながら 生み変えられていきます。 学び続ける 学び切ることで 自信を感じることが できるようになり その自信から 新しいことに 挑戦したくなるのです。 常に学び続けていくことで 時代の変化に合わせることができ 時代の波動にも合わせることが できるようになります。 自分で自分を 生み変えていくことが必要なのです。 外からの刺激 影響というのは 良くも悪くも 一時的なので その一時的な刺激 影響だけを期待しても 生み変えられることはありません。 自分から主体的に 学ぶことによって 自分で自分を 生み変えることが できるようになります。 時代の急激の変化に ついていけないのは 変化に対応できるように 準備をしてこなかったからなのです。 学び続けるというのは 常に準備をしていることでもあるので 柔軟に変化に対応することが できるのです。 これからより大きく 変化していくので その変化に対応していくには 常に学び続けることが 必要になっていきます。 実際にどのような時代に なっていくのかは 誰にも分からないのですが 学び続けることで 何となくでも 予測ができるのです。 予測ができるようになれば 前もって準備をすることが
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【貢献欲求から全てが始まる】

安田です。 より大きな目的のために 貢献したいという欲求は 誰でも持っています。 貢献欲求は究極の欲求であり 究極の欲求を満たそうすることで 全てが始まるのです。 全てが始まるというのは 全てを得ることができるということです。 「貢献するために歩む」という意識から 貢献欲求を満たすことができるのです。 ただ、私たちの視野は 意識をしないと 狭くなってしまいます。 より大きな目的を 意図的に意識しないと 狭くなってしまい 狭い視野でしか 考えられなくなってしまうのです。 そして 「貢献する」というのは 理想論。きれいごとなので 机上の空論のように 捉えてしまうのですが 時代が進んでいる方向は 本来あるべき姿を 実現する方向に進んでいるのです。 時代の先を意識している人は 未来に実現される理想を基準にして 今を見ることができます。 より大きな目的に 貢献するといっても 現実的には 目の前のことしか できないので 大したことは できないようなのですが ごく小さなことでも 全てにつながっています。 より小さな貢献しか できなかったとしても その小さな貢献が 宇宙空間の全てに 連結されているのです。 今の時代はどんな形でも 貢献することができます。 誰かに何かを 教えることも 貢献ですし 気づきや悟りを 与えていくのも 貢献になるのです。 貢献をしていくためには 自己確立が必要なのです。 貢献欲求を満たすために 成長欲求を満たすことが 必要なのです。 成長欲求は 学ぶこと 実行すること 努力をすることで 満たすことができます。
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【挑戦することを楽しみにする】

安田です。 どんな人にも 成長欲求があります。 今よりも成長することを願い 成長することで満たされていくのです。 成長するためには 挑戦することが 必要なのですが 挑戦することを 楽しみに待つことができれば 「挑戦したい」という 欲求を満たしたくなります。 主体的に歩むというのは 「歩まなければならない」という 義務感ではなく 「主体的に歩みたい」 という欲求からの 歩みになります。 義務感、強制力が 通用しなくなった 今の時代は 欲求を原動力にすることで 自然に、無意識に 歩めるようになります。 今の時代で受け身でいると 何もやることがなくなり 退屈の地獄を感じます。 学ぶことにしても 実行するにしても 主体的に歩みたいという 欲求を満たそうとすることで 挑戦することができ 成長欲求を満たすことが できるようになります。 私たちの毎日の歩みは 挑戦の連続でもあります。 日々、挑戦していくことを 積み重ねていくことで 1日1ミリの 成長ができるのです。 新しいことに 挑戦していくことも 必要なのですが 新しいことが 考えられない場合は 今できることに より投入していくことを 意識してください。 毎日の歩みを 出し切って やり切って 投入し切ることを 積み重ねていくことも 挑戦なのです。 努力というのは ときとして 面倒に感じることがありますが 面倒に感じることを やらなければ 成長はできないのです。 成長欲求は 楽をしながら 満たすことはできません。 多くの人が いつも何かが 足りないと 空しさを感じているのです
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