【誰からも採点されることはない】

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日常的スピリチュアル、安田です。

他の人の目を気にしてしまう人は
常に誰かに見られていて
採点されているように
錯覚してしまうのです。
人は他人には
興味関心がないので
誰にも見られていないし
誰からも採点されていません。
自分なりの自己採点は
できるのですが
他の人から
採点されることはないし
採点することはできません。
私たちは
学校で採点されてきたので
採点されているような
錯覚になっています。
結果というのは
評価であって
評価というのは
表面的なこととして
成されていくのです。
誰からも採点されていないという
事実を知ることで
心理的な自由を感じながら
伸び伸びと歩むことができるのです。
私たちの歩みの
答えというのは
無数にあります。
「これだけが答え」という
一つの答えだけではないのです。
答えが無数にあるので
悩んでしまうのですが
選べることが
答えになります。
そして
導かれること
できることが
答えになるのです。
その答えに対しての採点は
誰もつけることはできないのです。
もし、採点されるようなことが
あったとしても
その採点の基準は
自己の基準で
適当な基準なのです。
学校の勉強のように
一つの答えであれば
誰が採点しても
同じ基準での
採点になりますが
無数の基準の中での採点なので
全く軸がない採点になるのです。
今は自分の答えは
自分で見い出す時代です。
答えが無いので
自分で見い出すしかないので
答えを見い出せる力が
必要なのです。
答えを見い出せる力は
自分の内面を掘り起こすことで
身につけることができます。
誰にも採点されることはないのですが
自己採点はできるのです。
ただ、自己採点というのは
いくらでも妥協することができるので
意識を上げていかないと
自己採点の基準が
下がってしまうのです。
自己採点は
低く採点してください。
「自分はまだまだ」
という採点によって
高い基準を
目指すことが
できるのです。
今の基準に満足しないで
常に高い基準を目指すことで
成長につながる歩みが
できるのです。
自己採点なので
他の人、周りの人の基準が
どうであるかはどうでもいいのです。
他の人の採点はできないので
無駄に比べる必要はありません。
他の人と比べる癖があると
無駄に比べてしまい
表面的な基準で
勝手に評価してしまうのです。
私たちは、常に何かに
比べられてきたので
比べる癖が
できています。
その癖を自覚することで
比べることの無意味さを
感じることができるのです。
誰でも心理的な自由を
願っているのですが
比べることで
自分で心理的な自由を
失ってしまっています。
誰からも採点されることはないので
どうでもいい見栄やプライドを
手放していくことで
心理的な自由を感じながら
歩むことができるようになります。
自己採点だけを意識して
自己の基準を上げることが
できるようになれば
成長欲求を満たすことが
できるようになり
成長欲求を満たすことで
さらに基準を上げることが
できるようになります。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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