人を見る眼がない人は、相手の発した言葉をそのまま信じる傾向にあります。
「あのとき〇〇さんはこう言った」というような、言葉をそのまま覚えていて、固執しているようにも思えます。
よく観察すると、言葉の表層的な意味ばかりに囚われていて、相手のその言葉を発した意図や、言葉以外の行動の意図については中々考えられないようです。
相手に対面したときには、言葉以外にもたくさんの「何か」があります。微妙な仕草、服装、髪型、視線、語気などの、言葉になっていない何か。現実にある、情報化されていない生のシグナルがあります。たくさんのシグナルを瞬時に総合的に捉え情報としてまとめあげることができる人を、人の眼がある人と言います。
人の見る眼がない人は、コミュニケーション感度が低いということですが逆に、コミュニケーション感度の高さ故に、人と相対することが苦手という方も多くいます。
この人は言葉や態度には表さないがイライラしているとか、何か誘導しようとしている下心に気づいて、しんどくなるのです。
一見素敵なことを言っているし、こちらに利益を提示している。しかし、その奥の奥で、私をどこかへ誘導させようとしている意図を感じる、ぬとっとした感覚。良い人なはずなのに、その人の提案を断ってしまうと、自分が悪い人間なのではないかとそう思わせてしまうような、そんな良い人間。
前回の記事で「自分を大事にするとは、自身の有限な資源を最大限に生かすために向き合うことだ」と主張しました。
相手を大事にするということも同じです。適材適所を考えられるかどうかが人を大事にすることであって、目的達成のために必要な役割に合わせて、人を押し込むことではないのです。
今話した、素敵な人の邪悪な提案というのは、適材適所を考えられていないのです。コミュニケーション感度の高い人は、そこに違和感を覚えるのです。たしかにいいことを言っているけれど、私のことを見ているわけではない、と。不安になる。
コミュニケーション感度の低い人にとっては、そもそも素敵ではない人と素敵な人の見分けさえ難しいのですが、素敵な人の中にも実はあなたを大事にしていない人もいるということです。
人の見る眼を鍛えるにはどうすればよいか、人を大事にするということに向き合い続けるということです。
そうすると、磁石のように人を大事にできる人が自分の周りに残り、そうでない人が勝手に離れていきます。
人を見定め、誰と一緒にいるかとか、この人とは縁を切るとか、そういったことをする全く必要はありません。そもそもあなたも私もそんなご立派な人間ではないでしょうから(笑)周りの方に自分と付き合い続けるべきか否かを、選んでいただければいいのです。
徳がある人間かどうかは、徳を積んでいる人にしか分かりません。