「これからは自分を大事にします」「自分を愛しましょう」「自分を大事にしなきゃだめだよ」そのような言葉を投げかけていたり、自分に言い聞かせたりしている場面を、インターネット上の発信や、友人との会話の中で見ることがあります。
しかし「この人の言っている自分を愛する」とはどういうことなのだろうと、一瞬の違和感を覚えるのです。
私も友人を励ますときに「自分を大事にしなよ」と助言するものの、具体的な方法まで明示できないと思い、考えをまとめることにしました。
こういった言葉の真意は「これからは自分の利益も考えて行動しますので自分勝手をお許しください」「自分を優先します」といった解釈なのだろうと思います。
「自分を愛する」というのは身勝手にふるまうこととは違います。なぜならそれは長期的にわたって安定した利益をもたらすことはないからです。
身勝手にふるまう社会とは、弱肉強食の世界です。最も強いナンバー1が利益を総取りして、それ以外の全てが敗者になります。一人以外の、すべての人間が負けるということです。仮に最強になっても、年老いればやがて負けることになります。寝ているときは最強でも無防備です。ですから、そうした世界に身を置くことは決して利己的ではありません。
不正的な取引によって儲かることを追求し続けた結果、銀行残高の桁は増えたが、身体はボロボロになり、家族と過ごす時間は無く、友人との信頼関係も失った人間がいたとしたら、果たしてその人は利己的と言えるでしょうか。
このような人間は、「収入と幸せは相関する」という観念に支配されています。お金の奴隷とでも言いましょう。お金に仕えている人間です。人間にはいくつもの観念を同時に持ち人格を成しますが、観念そのものは人間ではありません。
いわゆる現代における「利己的」(=身勝手さと表現します)というのは、根底に、特定の観念が人間を染め上げてしまっている状態です。
そしてその奥深くにある欲求は、他者からすごいと思われたいとか、重要な人物で見られたいという渇望です。
そして自己重要感の欠乏は「自分らしさ」を求めます。自分らしく生きるには、(現代で言うところの)利己的にふるまう(=身勝手さ)必要が出てくるのです。
しかし自分の利益を最大化しようと思ったら、周りの人々の幸せのために奉仕することが長期にわたり安定した利益をもたらします。
一時的にそのように他者のためを思った行動していたとしても、途中で我慢ならなくなり、「これからは自分を大事にします」といってその人間関係を切ってしまうことはよくあります。
なぜこのような問題になるかというと、そこに関わる当事者がほぼ全ての人間が、今回述べたような観念に支配されているからです。
奉仕した相手の支配されている観念も(現代で言うところの)利己的にふるまうことが正義であり、アイデンティティとなっている。これをテイカーと呼ぶそうです。
反対に与える側の人間のことをギバーといって、テイカーとギバーが一緒になるとギバーが搾取され消耗してしまいます。
大成功する人はギバーであるが、最も不幸になってしまうのもギバーであるということで、これは理にかなっているところが多いです。しかしもっと洞察を凝らしてこのことを考えてみると、不幸になってしまう方のギバーの観念は、テイカーの信じている観念と同じなのではないかと思います。
搾取する人間ということに気づけないのは、同じイデオロギーを持っているからです。同じ匂いを嗅いでいるとその匂いに気づけなくなるということと同じです。
「自分を愛す」には、まずは自分を支配しているイデオロギーに気づき、必死に抗うことです。
それは「私は重要な人間でなくて構わない」という宣言をするということで、「自分探し」の旅に終止符を打つということです。
例外なくちっぽけな自分を受け入れることになりますので、非常に難しく感じる人もいるでしょう。
ちっぽけな自分を受け入れるとは、自分という資源の限度を知るということです。時間、能力、肉体は有限です。
自分の有限性を使って、無限の可能性を模索し、最大の幸福を得ようとする心の在り様が健全な状態です。それは配られた手札でポーカーに勝つ(勝つや幸福というのも一種のイデオロギーですが、それは置いておいてください)にはどうすればよいか、と考えをめぐらすようなものです。
自分のできることとできないことを明確に分けている人間は、その道におけるプロでしょう。成熟した精神性を持つ人間の姿とも言えます。
そろそろまとめましょう。
自分を愛することや、自分らしさというものは、身勝手にふるまうことではなく、「与えられた資源(時間・肉体・資質・財産等)を世界のためにどのように使うか」ということです。世界のためと書いたのは、それが自身の幸福に繋がるからです。
偶然配られた手札を組み合わせて、最大の富を創造していくか。そこに自分らしさが現れます。
自分が持っている有限な資源を最大に生かすために考えをめぐらし向き合うことが、自分を愛するということなのだと私は思うのです。
参考文献
新潮文庫『呪いの時代』著者:内田樹