海外に立て続け4カ国も住んでみると
そしてビザを取るために日本を行き来したりすると
この国の素晴らしさというのが有難いほどに分かってくる。
海外にいた人ほど、茶道や華道などの日本文化に入っていくのは
その文化の奥深さがこの国の長い歴史から来ることに気づき
日本人であることの意義をその文化を通して感じるからかもしれない。
自分の場合は違った。
最後のワーホリであるスペインにいる時に、日本ぽいものが欲しくなり
アジア食品雑貨店で緑茶と抹茶を見つけて飲んでいた。
そのお茶でほっこりする感覚に日本を感じて和らいでいたのだ。
茶道などの文化的なものは、それをどうやって頂くかという遊びであるが
お茶が普通に手に入らない人にとっては、ただそれを飲むだけで十分なのだ。
ただ、手に入れた抹茶が中国産だったことにはシコリが残った
なんだったら中国が"宇治茶"を商標登録してその名前でお茶を売ってたりする
緑茶でほっこりして日本に浸ることができてもそれが本物でない憤りは
では本物のお茶とは?という問いに逆説的に変換された。そしてその問いは
本物のお茶を飲めば幾分か失った日本の心を取り戻す事ができるかもしれない
まぁ、ワーホリ4カ国/4年で日本人でなくなる事もないのだが
諸外国にカブれにカブれた自分を日本に着地するのにお茶は最適かと思った。
だから京都の抹茶畑に住んでみた。
京都は宇治の山の中、和束というお茶を作るためだけの村だ。
冬は寒く夏は暑い。それが茶に香りを与える。適度なストレスは必要なのだ。
こんなお茶室を建てて、村を移動して、お茶会を開催した。
この景色に勝る茶室のセッティングはなかった。
というより、今回も色々説明を省き過ぎたかもしれない。
とにかく、ホンマもん(本物)のお茶を飲み続けることで
失った日本人の心を取り戻すという実験は4年にも及んだ。
毎日お茶を飲んだし、コロナの時期と重なった事が良かった。
抗ウィルス性のあるお茶は禅のお坊さんが薬として中国から持って来たのだ。
ディープ過ぎてここでは簡単には書けないのだけれども
また数度の瞑想も相まって、お茶の心とはこういうことかと
体感をもってお腹で理解することができた。
このお茶の村の役場でも働いたし、マレーシアの会社でもリモートで働いたし
その後は東京に引っ越して日本の会社でも働いた。(京都に月1で帰りつつ)
その基盤となったのはお茶であった。身体の60%は水分である。
日常が茶飯事であった。自分は玄米を発芽させて圧力釜で小豆の煮汁で炊いて
酵素玄米を毎日食べてるので、本当に日常は茶飯事であった。
そして麦・粟・稗・キヌアなど混ぜて、究極的な日常の茶飯事だった。
昼は糠漬けと玄米だけという生活をして、腸活を楽しんだ。日本的だ。
海外生活4年間・日本の和的生活4年間を経て、また海外/メキシコへ。