仏教における悟りとは⑦

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おはようございます。

いつもブログをご覧いただきありがとうございます。

さっそくですが前回からの続きです。

では悟りにいたるタイミングはいつか?についてお話します。

結論から申しますと、これは正直わかりません(;^_^A

わからんのかい!!(# ゚Д゚)

っというツッコミがはいりそうですが、

残念ながら、こればっかりは個人差もありますし、何時どこで何をしたらいいというセオリーもありません(;^_^A

ただ本人の認識や意識付けが前提になりますので、認識や意識付けが深まっているか、いないかは大きく関係してきます。

ですので、本当に難しい問題なんですが、裏を返せばいつでもそのタイミングはあるということなんです。

ただそのタイミングに気付かない。もしくは気付ききれていない。

曖昧な答えになりますが、実際にはそういうものだと私は思っています。

マラソンやランニング等に使われる「ランナーズハイ」や「ゾーン」という感覚と同じようなものです。

悟りを得る前提として、まず悟りたいと思う自らの気持ちと、そこに向ける行動(日々の生活の中に感謝すること)が絶対条件です。

その上で、そのタイミングを待つ時間と努力が必要だと思います。

以前にお話しましたが、悟りの境地を自覚するには、感情が爆発を起こすくらい気持ちが高ぶり、一気に感情のバロメーターを振り切る必要があります。

でもここに至るには、自分の力だけでは限界があるのです。

いくら自分で感情を高めようとしても、どうしても最後の一押しができないのです。

この最後の一押しをしれくれるのは、自分ではない外からの別の力が必要になるんです。

この外からの力が何かは、人によって違います!

この外からの力と、内なる感情の燻(くすぶ)りが相交わったときに、感情の爆発が起こり、一気に精神的境地が跳ね上がる。そういう仕組みになっているんです。

仏教の開祖であるお釈迦様も、悟りを求めて日々苦行につぐ苦行を重ねてこられました。

これは昔のインドの聖人が成された修行で、例えば太陽をずっと見続けるとか、座らないで立ったまま何日も過ごすとか、断食もそうですね。

お釈迦様がそんな修行を6年間続けられた頃です、なかなか思うような成果もです、河のほとりで水浴びをされておられました。

そこに通りすがりの村娘スジャータが、骨と皮のお釈迦様を見て思わず、自分の持っていた乳粥を差し出したのです。

お釈迦様はスジャータの差し出した、乳粥を飲んで生命の躍動を感じられたのです。

この乳粥を飲むという行為は、これまでの修行過程からすると、堕落であり後退なわけです。お釈迦様もスジャータの乳粥を飲むか飲まないか、非常に葛藤があったように感じます。

しかしお釈迦様はスジャータの乳粥を飲むことを選ばれました。その乳粥を飲んだ瞬間に自分の中の何かが弾けたわけです。この時に悟りのきっかけと兆しを掴まれたわけです。

そしてその悟りを更に深めるために菩提樹の下に座り、悟りを完成されたのです。

つまりスジャータの乳粥という外的要因と、お釈迦様の悟りを開きたいという内的要因が相交わった結果、悟りがおのずと顕われてきたというわけです。

以前お話した「啐啄同時(そったくどうじ)」を覚えてますか?

啐啄同時とは、鳥の雛が卵から生まれようと殻の中からつつき、その音を聞いた親鳥がすかさず殻の外からついばんで殻を割り、雛鳥が生まれるときの様子です。

このように大悟という悟りは内外が一致したときに内面において爆発的な精神的変化を起こすのです。

ですから、その為には必ず外縁という要素を待たなければならないんです。

そのタイミングは必ずどこかに潜んでいるのですね。

そしてそのタイミングに出会う確率を上げる方法があるとするならば、

自らの内的要因をしっかりと高めるということだと思います。

その内的要因に私は「感謝による感動」が一番いいのではないかと思っているわけです。

そしてもうひとつ大切なポイントですが、このタイミングは気負いしている時には訪れない気がします・・・。

つまり、悟りの体験をしたい。なんとしてでも早く悟りたいとか思っている時には、その片鱗も顕われてくれません。

そんな気持ちがほぐれたとき、忘れた時、予想もしていない時。

そんな時に突然やってくるような気がします。

整骨院に行かれてる方なら分かっていただけると思いますが、背骨の強制治療などをする時を思い浮かべてください。

あの ボキィ!! バキィ!!  ボキボキ!!!

ていう荒療治的なイメージのやつですね。

「はい、じゃー今から強制しますね。息を止めて腕の力を抜いて・・・

 はい、ここで強制しますね!」といわれたら、絶対に構えますよね!

力を抜けと言われても力が入ってしまいます!!

そんな時は強制治療も上手くいかないものです。

ですから上手な先生は、「はい、ここで強制し・・」くらいのタイミングで強制されたり、「強制します!」・・・・・「あれ?まだ?」と一瞬力を抜いたタイミングで強制をされます。

つまり、力が抜けてて、一番効果的なタイミングに合わせて施術してるんです。

施術されてるこっち側からしたら、ふいを突かれて「はぎゃ!!」と声を上げてしまいます。

これと同じように、悟りも思いつめたり、意気込んだ状態では、外的要因も力を発揮できないんでしょう。

ですから実は悟りに至るそのタイミングが来ているんですが、、受け取る側に準備ができていない場合もあるのかもしれません。

あくまでも自然にそのタイミングを待てるように、思いつめたり、緊張するのは、あまり良くない事だとも思います( ´艸`)

あいかわらず、説明が上手くないと感じてしまう今日この頃です・・・・

とにかくニュアンスだけでも伝われば良しと自分に言い聞かせ

今回は終わりにします(;^_^A

次回でこの悟り(涅槃寂静)シリーズを終われたらと思ってます!

終われるかな(;^_^A

最後までご覧いただきありがとうございました。













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