仏教における悟りとは⑥

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おはようございます。

いつもブログをご覧いただきありがとうございます。

ここ2日間ほどは、法要のため東京方面まで出張をしておりました。

やっぱり慣れない場所での法要は普段よりも気を使います。

移動も含んでますが、思ったよりも疲れるものです。

さてさて前回の続きからですが、2日空けてしまうと

どこまで話していたかな・・・・ってなって今一個前のブログを読み返してました(;^_^A

そうそう感情のバロメーターを振り切るってとこでしたね。

「仏教における悟りとは」のタイトルも⑥になってますので
ここで一度おさらいしておきましょう。

1・悟りとは特別な修行をするのではなく、誰もが日常に体験できるもの        
2・悟りとは日常生活の気付きから生まれるもの
3・悟りとは感性や感情的なもの、頭で理解するもでではなく心で感じるもの
4・悟りとは吾が心の目覚め、つまり迷いを振り切る覚悟が必要である。
5・悟りとは感謝を深めていくことで扉はひらく。

まー簡単にまとめるとこういうことでしょうか。

ではそれを踏まえた上で、この感謝の深めについて話していきます。

これまでからずっと申してますが、感謝の感情が重要なのです。

前回は結婚式の新婦さんを例えてみましたが、要は心の中がうれしくて仕方がないイメージを持ってもらいたいんです。

正直日常生活の中でそんな感動する出来事が溢れているかというと、そんな事はありません。
むしろ感動する以前に、コロナ禍の生活や現在の世界情勢に落胆することも多々あります。

落胆した心では、そうすぐに感動することは難しいですよね。

まあそれはそれとして、また別の楽しみや喜びに目を向けてみましょう。

まあ筋トレと同じではないですが、心を良い状態に保つにはそれなりのトレーニングが必要なんです。

心が感動して引きおこる悟りについては、予測推測のできないものですが、
心が感動しやすい状態に持ってくることは普段の努力の積み重ねでいくらでもできることです。

でもそれはそんな難しいことじゃないんです。

一日一感動!!

なんでもいいです。とにかく現実の中に感動が見つけられないなら、映画やドラマ、漫画やアニメ、スポーツ等、何でもいいんです。

とにかく感動している時の自分の心の在り方(気分や思考)と
どういうもので自分が感動しやすいか(感動にいたる傾向)

それをしっかりと把握して、繰り返し繰り返し感動し続けることがトレーニングなわけです( ´艸`)

出来れば涙を流せるくらいがいいですね!

本当はもっと細かいところまで説明したいのですが・・・・
ここでは割愛します(;^_^A


そして、一定の感情(感謝)を自分で把握でき始めたら、今度は日常生活に感動を探しにいくのです。

小さな感動でいいんです。世の中の流れはそうすぐには変化しません。

社会での自分の立ち位置もすぐに変えられるようなものではありません。

心の持ち方も、今日知って明日変えられるほど簡単ではありません。

ですが、感覚的体験は一度体験したら、その感覚は無意識的に身体に覚えこまれています。

感動するということは、自らの魂(仏性)が輝いている証拠なんですね。

はっきりいいます。毎日感動を繰り返し続けていたら、心の悩み事のほとんどは解決しますよ。


とにかく、感動しやすい体質が悟りの前提にあると私は思うのです。

もちろん例外もあるでしょうから、該当しないタイプの方もいるかもしれませんが、多くの方には当てはまるのではないかと思います。

そして、この感謝を日常の些細な出来事に見つけることができはじめます。

その対象を人だけではなく、環境や自然にまで広げるのです。

例えば、毎日当たり前のように呼吸をしていますが、地球という環境がなければ成り立ちません。

また太陽も毎日当たり前のように東から登り西に沈んでますが、その運行がとどこおれば、私達の存在はなくなってしまうも同然です。

こういう当たり前になっている事に、今の自分はどれほど支えられているかという事に目を向けていくんです。

「当たり前」の反対語は「有難い」です。つまり有ることが難しいのです。

その有ることが難しい中に、私達がいきているのは更に難しいわけです。

仏教では、人として生まれることは難しいとされています。

幸いにも、私達は人として生まれてきました。

ですが、気付けないのですね。

私達の生活の根底には大きな力が働いているんですよ。

そのおかげで生存をさせてもらっていることが当たり前になっているんです。

先ほど説明した感動(感謝)をそういった当たり前のことに少しずつ目を向けてみましょう!

要するに、この自分が存在しているのは数多くの支えのお陰だということが認識できればいいんです。(頭ではなく心でです)

そうすれば一層感謝が深まっていき、感謝から歓喜(かんぎ)に変わる瞬間が訪れます。


このポイントが仏教における一定の悟りです!

歓喜の境地において、人は仏の永遠の生命を疑わないという智慧を得るとされるんです。

仏の永遠の生命とは、私達の人知では測れない自然の恵みや宇宙の存在も含むすべてのことを指しています。

もちろんこれが悟りの完成ではありませんが、このポイントに入るか入らないかで生活は大きく変わることは間違ありません。

仏教は、この一定の悟りに入る為にはどうすればいいのかを考えています。

般若心経のような空の思想であったり、心に特化した唯識思想であったり、ひたすら念仏であったり、禅であったりと・・・

各宗派がいろんな角度から説いていますが、目的はこの悟りに至ることです。そこは共通していると思います。

では、次回はその悟りに至るタイミングについてお話していきます。


最後までご覧いただきありがとうございました。






















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