こんばんは。いつもブログをご覧いただきありがとうございます。
さて、前回は諸法無我について説明をしましたが・・・・・
何となく伝わりましたでしょうか?
おさらいしましょう、諸法無我とは因果の法則です。この法則には何かしらに意思はない。つまり無我ということなんです。
全てのものは色んな原因と色んな縁が重なりあって存在しているのです。
仏教ではこれを仮和合(けわごう)といいますが、その字のごとく、仮に因縁が重なってできた存在です。私達人間もその例外ではありません。
ですから、いつ何が原因でこの仮和合が解消されてもおかしくないのです。
それだけ私達の存在や生きている世界はもろく儚いものなのです。
そういう世界に生きてるという自覚を持つことが大切だと仏教は教えているのです。
では、この真理を知ったからどうなのか?気付いたら何か変わりますか?
といった声が聞こえてきそうです(;^_^A
ところで、皆さんはご飯を食べる時って何か考えながら食べてますか?
美味しいご飯を目の前にして、美味そう!早く食べたい!!おかわりはある?
いただきま~す♪といっている時、こういった事を考えてる方も多いのではないでしょうか?
私が修行したお寺では、食事をする前、終わった後にお経を読むのです。
「食作法(じきさほう)」といいます。その中に「五観の偈(ごかんのげ)」というものがあります。
これは食事をするにあったって五つの事に思いをはせるのです。
その一つに、今自分の目の前にある食事が食卓に並ぶまでに、どれだけの経緯があったかということに意識をむけるものがあります。
私達が毎日当たり前のように言っている「いただきます」には、計り知れないほどの重みがあるのです。
まず、直接的に見ても、お肉やお魚は命そのものをいただいています。
次に、その食材は誰かの手によって調理していただいてます。
さらに、調理の前には食材を運送してでいただいた方や、食材を分けていただいた方がいます。
その前には食材を作っていただいた方、食材を採っていただいた方等など、遡っていけば、無数の縁により、今自分の目の前にある食事は成り立っているものと知るわけです。
つまりそのすべての方々に対して「いただきます」なのです。
これが因果の法則です。このことを自覚するために私たちは食事前にお経を読み、それらの因縁に感謝を深めるように指導を受けるのです。
それは同時に諸法無我という真理が、いかに日々の生活において無関係でないということを実感するのです。
食事ひとつ取ってみてもこうです。
私たちの生活は、目には見えはしませんが、どれだけ多くの人の手によって支えられいるかが分かっていただけたと思います。
衣・食・住は我々の生活には必須です。
そのどれを取ってみても、自分の目の前に届くまでたくさんの人を介しています。人だけではありません、動物や植物の命もその中には含まれています。
この事実からすれば、世の中一人で生きている人は誰一人いないことが分かりますね。
どんなに一人でいることが好きな人でも
どんなに一人で生きてきたと思っている人でも
一人で生きていくことなんて絶対にできない仕組みになっているんです。
それが私達の生きる世界の真相です。
人に支えられているということは、その反対もしかりです。誰もが何かしらの形で人を支えてもいるのです。
その実相を深く観ていくとき、「私が、私が」という我が消えて
素直になれる気がします。
「ありがとう」と素直に言える。
「困っています、助けてください」と素直に言える。
そういう変化が生まれてくるはずですよ。
長くなってきましたので、今日はこの辺で終わらしていただきます(;^_^A
まだもう少しお話したいので、次回もこの話の続きをします。
最後までご覧いただきままして有難うございました。