私たちの生活の中にある法則①

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こんばんは。

いつもブログをご覧いただきありがとうございます。

2月がもうすぐ終わってしまいますね。

3月に入るとお彼岸の準備やらなにやらで、少しずつ忙しくなってきます。

ブログも毎日更新はできなくなりますが、出来る範囲で継続していきますので、よろしくお願いいたします(;^_^A

さて、昨日の続きで、本日は諸法無我(しょほうむが)についてお話します。

まず、諸法無我って何ぞや?

諸行無常は聞いたことがあっても、諸法無我って言葉は聞いたことがない方も多いのではないかと思います。

この言葉は仏教における根本理念なのです。

仏教には「三法印(さんぼういん)」とよばれる3つの理念があります。

1、諸行無常  2諸法無我  3涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)

この3つが仏教の旗印です。この理念にそって日々の生活を送るわけです。

この2番目にきているのが、諸法無我なのですが、正直これを簡単に説明するのはむちゃくちゃ難しいんですよ!

諸説あって、深掘りしていくと訳がわからなくなります(;^_^A

うまく説明できるかわかりませんが、とりあえず聞いてください。

まず、私達は誰もが個という特性を持っていると考えていますよね。
そうですよね。それが世間一般の常識です。

個人を特定するために名前があり、その他の個人情報もあるわけです。

「私」「僕」の一人称、「あなた」「彼」「彼女」などの二人称や三人称によって、自分とその他の人とを区別して生活しています。

つまり私達には自分という個があり、意思がある。私というものがある。

このように考えているわけです。
仏教ではこれを「人我(にんが)」と言います。

そしてもう一つ「法我(ほうが)」というものもあります。
これは自然界の法則(諸行無常もそのひとつです)を指します。

この二つの我(が)は存在しない、というより確かな実体がないということです。

まあ、今一つ上手く説明できませんが、何を伝えたいかというと・・

私たちに明確な本質や実体はないということです。

みなさん因縁(いんねん)という言葉はご存じですよね。

因縁の対決とか言いますよね。この因縁は仏教が発祥なんですよ。

なにげなく使っている因縁ですが、実は私達の生活を支配している法則、諸法無我の実体といっても過言ではありません。

これも諸行無常と同様、仏教を学ぶ学ばないに関わらず、どんな人も共通の真理です。この法則は絶対に無視できません。

例えば、チュリーップを育てるとしましょう。

チューリップの種や球根(因、原因)を土に植え、水やりや肥料を与えます。さらに天候や温度なども影響し(縁、外縁)、綺麗なチュリープが咲きました。(結果)それをみてとても嬉しくなりました。(報い)

この流れのように

因(直接的原因)→縁(間接的な条件)→果(因と縁が生み出す結果)→
報(結果がもたらす報酬)という仕組みになっているのです。

因→縁→果→報そして、報はまた因となり、因→縁→果→報(因)→縁・・・
と繰り返し続いていくのです。

この法則にはというものは存在しない。

それが諸法無我の実体なのです。

かなり小難しくなって、いまいちピンとこないかもしれません。
これも何となく分かっているという人もいらっしゃると思います。

しかし、これも知ると自覚するとでは大きく異なります。

次回、もう少し違う角度で説明していきたいと思います。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました!









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