『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』
公立中高一貫校の適性検査の作文は、必ずしもすべて自分の言葉だけで書く作業ではありません。
学校にもよりますが、たいていはまず課題文を読まされ、多かれ少なかれその主旨に基づいた文章を書かされることになるからです。
とは言え、たとえば私立中学の国語の入試問題に比べれば、比較にならないぐらい自分の言葉を駆使する必要があるのも事実。
この"自分の知識や意見または体験を、自分の言葉で記述する作業"をアウトプットと呼ぶならば、アウトプットには1つ注意すべき落とし穴があります。
それはインプットのレベルに比べて、アウトプットはかなり幼稚な内容になる点です。
優等生に時々見られるのが、自分が書いた作文の稚拙さが恥ずかしいあまり、書くこと自体をあきらめたり、拒否したりしてしまうケース。
ふだん自分が読んだり解いたりしている文章と比べて、いかにも幼い内容しかつづれないことに、プライドが傷つけられるのだと思います。
しかし自力でアウトプットした文章が稚拙に見えるのは、じつは至極当たり前のことなんです。
大人ならすぐわかることなのですが、たとえば英作文の授業を思い出してください。
英文読解ではそれなりに難しいものをこなせていたのに、いざ英語で書くとなると「おいおい」と自分にツッコミたくなるほどレベルが下がります。
このことは言語学の世界で言う"Active vocabulary(能動語彙)"と"Passive vocabulary(受動語彙)"の対比になぞらえても良さそうです。
ようするに"読んでわかる言葉"と"自ら使いこなせる言葉"には落差があって、作文になると誰しも"使いこなせる言葉"の少なさにはたと気づかされます。
でも言葉が退行して見えるのは、言語学で明確に分析されている通り、むしろ自然なことです。
「娘の書いた作文があまりに子どもっぽくて…」などと嘆く親御さんもおられますが、最初のうちはそれが普通。
あわてず騒がず、冷静に受け止めてあげてほしいと思います。