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乳がんと子宮頸がんの記録#7 手術終了

麻酔から目が覚めるとすべてが終わっていた。2時間半の手術だった。左乳房温存手術をした。目覚めた瞬間左腕が痛だるく辛かった。夫に摩ってもらいとても楽になった。麻酔が効いているのか次の日まで何度も寝たり起きたりを繰り返していた。その間夫は夜までずっと手を握っていてくれた。凄い安心感だった。そして夫は主治医からリンパ節奥にまでに思った以上に転移があったと告げられていた。私はこの時、この事実は告げられていなかった。次の日この事実を知る事になる。癌自体1センチもないのにリンパ節に転移が多いのは100人に1人くらいだと。進行が早く癌の顔つきが悪いと言われた。再発や転移の可能性が高いと言う事だ。放射線治療をした後抗がん剤治療をする事が決定した。現実を突きつけられ怖くてたまらなかった。術後の傷より心が痛かった。そしてそれを治す薬など無い。この日から寝れない夜が続いた。連日可能な限りそばにいてくれる夫。帰り際「ありがとう。」と言ったら「また明日ね。」と笑った夫が素敵に見えた。どうやら麻酔の影響が残っているようだ(笑)つづく・・・
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乳がんと子宮頸がんの記録#6 手術

手術当日。歩いて手術室に着くと沢山のスタッフの皆さんが元気に「おはようございます!」とほほ笑んでいた。この日は快晴。おかげで気持ちが少し上がる。さっそく手術台に乗せられる。ひんやりと冷たかったのを覚えている。まさに「まな板の鯉」である。こうなったら煮るなり焼くなりしてくれ!と思っていたが手は恐怖で震えていた。看護師さんが「大丈夫!寝てる間に終わるからね。」と私の手をそっと握ってくれた。この時とても安心した。手を握られるってこんなに気持ちが落ち着くんだと初めて知った。余談だが私はその時から心が折れそうな友人がいると手を必ず握るようになった。悩んでいる子供の手も握る。手には物凄いパワーがあると知ったから。それからすぐに体に沢山の装置を付けられ麻酔科の先生が入ってきた。麻酔科の先生に「大丈夫だからね。」と言われた。本当に優しい人ばかりだった。私は麻酔科の先生に「口から心臓が出そうだから早く寝かせてほしい。」と言ってみた。皆さんに爆笑され少し和やかムードになった所で麻酔注入!意識がなくなる中看護師さんの手の温もりはしっかりと感じていた。私は今でもこの看護師さんに感謝しています。入院中もたくさんお世話になることになりました。あっという間に意識が無くなり目覚めた時、すべて終わっていました。
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乳がんと子宮頸がんの記録#4 入院準備

入院は2週間後に決定した。 そしてその翌日手術になった。 入院期間は10日~2週間らしい。 入院までにした事。 私が家にいなくても困らないよう 夫や子供たちにどこに何があるか説明。 わかりやすい場所に移動させたり作り置きできるおかずを作ったり 学校の事や塾や習い事フル回転で とにかくゆっくりする暇など無かった。 これは私にとって良かったと思っている。 もしゆっくりする時間があったら 楽しい事なんて考えられなかっただろう。 常に怖さと闘っていたと思う。 入院までにMRIを撮りに行ったり 何度も病院にも通った。 そして入院前日子供たちがケーキを作ってくれた。不格好なケーキだったがとても美味しくて本当に嬉しかった。そして手紙をくれた。ベッドに入る前にひとりで読んだ。手紙の最後には、お母さんは強いから絶対大丈夫。癌になんて負けない。そう書いてあった。これは子供たちの願い。そうあってほしいと思って書いたのだと思った。そう思ったら涙があふれてきた。泣かないと誓ったのに。何があっても耐えてやる。そう思っていた。
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乳がんと子宮頸がんの記録#3 乳腺セカンドオピニオン

私は入院が決まるまでにもう一か所病院に行っている。セカンドオピニオンである。そして2か所目に行った病院で手術をする事にした。その理由は評判の良さはもちろんだったが主治医のとても優しく患者目線でいてくれる事。看護師さんやスタッフの皆さんの対応の良さ。そして医師以外スタッフ全員が女性だった事。以前の病院は検査技師が男性だった。いくら病気になったって毎回胸を出すのには抵抗を感じていた。中には胸のエコーを撮りながら顔をマジマジと見てくる技師もいた。最悪である。だから私もマジマジと見返してやったりしていた。闘う相手が違うがこの頃の私は常に戦闘モードだったそんなストレスが嫌だったし「癌になったんだから胸が無くなったり変形しても仕方ない。そんな人は沢山いるんだから。服着てるから見えないだけ!」と笑いながら言った医師の言葉に納得がいかなかった。癌になろうが私は死ぬまで女性だ。どんな扱いだよ!と思った。癌の治療だから主治医とは一生のお付き合いになるかもしれない。心から信頼できる医師を探そうとセカンドオピニオンを受けた。そして今の主治医に出会い本当に良かったと思っている。
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乳がんと子宮頸がんの記録#2 家族に伝える。

突然の乳がん告知。頭の中が真っ白になった。私には夫と中学生と小学生の子供がいる。この幼い子供たちに何て説明すればいい?そして私はこの子たちが成人する姿をみる事が出来るのだろうか?父をがんで亡くしたばかりで母の心には、ぽっかり穴が開いた状態なのに娘が癌になった。って言わなきゃならないの?残酷すぎる。これから過酷な治療がはじまる。主治医からは髪の毛も抜け落ちて薬の副作用でむくみが強く出る。と言われた。体調だけではなく見た目も変わるのだ。家族に何て言おう。容姿が変わるから隠しきれないだろう。どのくらい泣いただろうか。夫にすがりついて泣いた。怖い。とはじめて言葉が出た。夫も泣いていた。大丈夫と言いながら泣いていた。散々泣いて私はもう泣かないと誓った。泣いていたら病気に勝てない気がしたし何より家族が不安になると思ったから。子供達には明るく伝えた。お母さんの胸に悪いものがあるからそれを手術で取ってもらうからちょっと入院する事になっちゃった。中学生の息子は黙っていた。小学生の娘は嫌だと泣いた。抱きしめる事しか出来なかった。抗がん剤などの治療の事はまだ言わないでおこうと夫と決めました。そして入院し手術を迎える事になりました。
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乳がんと子宮頸がんの記録#1 がん告知

はじめまして。さくらと申します。私の乳がんと子宮頸がんの記録です。2012年、春。胸にしこりを見つけた。ものすごい胸騒ぎと焦りがあり冷や汗が出るほどだった。すぐに乳腺外科へ検診に行き小さなしこりが2つあり細胞診をすることになった。結果は2週間後。この2週間が地獄のように辛い日々になる。結果がわかるまでネットで色々調べるがいい答えなんて見つからない。ネガティブな感情ばかりで2週間過ごした。2週間後乳がん告知を受ける。限りなくⅢに近いステージ2bリンパ節にも転移があった。診察室の椅子から崩れ落ちそうになった。なんで?どうして?わたしが?物凄い恐怖に襲われた。信じられずにいた私に医師は言った。「がんばりましょう。私も最善を尽くしますから。」この言葉に我に返り「負けられない。絶対に負けられない。」と心に誓った。宣告された患者は嫌でも闘うしかない。闘うしか私には選択肢はなかった。ここから私の人生の第2章が始まった。ここからが始まりでもっとつらい現実が待っていました。
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がんと共に生きよう

タチバナシ❀改めて、しほりです。やっとブログを書けるようになりました。パートナーは予想していた通りがんでした。 先日、全ての検査が終わり検査結果と今後の治療について説明がありました。 がんといっても初期で転移は無いとのこと。 とても安心しました。 ただし、結果が分かるまでの月日は苦しく、長く感じられるものでした。 転移や余命宣告などをつい考えてしまい食事も喉を通らない状態でした。 いきなり生死の問題を突きつけられて対応出来なかったのですね。 これから手術は控えているものの命に関わらないと思うとそれだけで安堵し早期発見出来たことに感謝しています。 当の本人は、至って元気で予想していた通りだったので 何ともないと言って笑ってます。 一つ良いことがありました。 検査入院で一緒だった方と偶然に再会出来てLINE交換をしたそうです♪相手の方も会いたかったみたいで共に喜びあったとのことでした。 退院時、お互いに連絡先交換するのを忘れていたそうで 笑直ぐにLINEしてました 笑私もその姿を見ているとホッとしてまた嬉しくなってきました^^平然としてるようですが同じ病気の方との交流が心の支えになっているようです。 これからの闘病を考えるととても重要な事だと思います。 良いことが重なっているので前途は明るいと信じてます✨最後までお読み頂いてありがとうございました。
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