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【短編小説】六年後

 高校二年生のゆかりが倒れたのは、十二月も半ばの体育の授業中のことであった。ゆかりは、下腹に堪えきれない苦痛を、突然感じたのだった。 「再発」  そんな言葉が、ゆかりの脳裏をよぎった。  すぐに保健室に運ばれたが、自宅に連絡をとった担任の教師は、救急車を呼んだ。 「やっぱり」  ゆかりは、母親も同じことを思ったのだと確信した。  そして、ゆかりは、六年前と同じ、市内のS総合病院に運ばれた。  六年前、ゆかりがまだ小学生だった頃、やはり、学校で倒れて、このS総合病院にかつぎ込まれたことがあった。その時は、内臓に腫瘍が出来ていて、それの切除手術を受け、二ヶ月ほどで退院した。  もっとも、ゆかりが、その時、腫瘍が出来ていたのを知ったのは、それから、ずいぶん後になってからのことだった。両親は、その腫瘍は良性のものだから、心配ないと話してくれたが、内心、ゆかりは、悪性つまり癌であったと、疑っていた。そして、若い頃、癌が再発した場合、助かる確率が低いことも、ゆかりは、知っていた。  ゆかりは、診断と検査を受け、三階の病室に運ばれた。 「ゆかりちゃん。しばらくだったわね」  ゆかりをベットに運ぶと、看護婦は、そう言った。ゆかりは、看護婦を見た。確かに、見覚えがある。 「私、覚えている。荻野尚子」  ゆかりは、頷いた。 「そうそう、岸谷のおばあちゃんも入院しているのよ」 「ええ。でも、おばあちゃん、六年も、入院しているんですか」  尚子は、クスッと笑った。 「違うわよ。岸谷さん、あの後すぐに退院したんだけど、一月前からまた。よっぽど、縁があるのね」  ゆかりは、岸谷のおばあちゃんのことを思いだ
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【短編小説】読心薬

ある日の夕方、浮かぬ顔をした青年が街中の小さな薬屋を訪れた。 その青年が店に入ると、「あら、この間のお客様ではありませんか。この間の風邪は治りましたか」 と、店主は商売用の笑顔で青年に話しかけてきた。 「ええ」 「今日はどうされました。また、風邪か何か」 「・・・」 「では、便秘か何か。でなければ、歯痛とか頭痛とか」 「・・・」 「さては、痔とか」 だが、いくら店主が尋ねても青年は首を横に振るばかりであった。 「もしかして、お客様。恋患いか何か」 と、店主が冗談混じりに云うと、青年の肩がピクリと動いた。それを見た店主はニャッと笑った。 「いくら何でも、こんな薬屋に恋患いに効くような薬など置いてないとお思いでしょうが、ところが、当店にはとっておきの薬があるんですよ」 と云って、店主は店の奥から黒い薬瓶をを出してきた。 「これなどはいかがでしょう。これを飲めば、人の心を読むことができますのでお客様の悩みもすっきりと解消すると思いますが」 だが、青年はその薬瓶を手にとりながらも、「読心薬」と、疑い深げに店主の顔を見た。 「別に怪しげな薬ではないので副作用などははありません。ただ、お値段の方が少々お高くなっていまして、はい」 と云って店主は、高額の値段を青年に提示した。 いきなり、青年は財布から一万円を数枚出した。 そして、それを店主の目の前に置くと、その薬の瓶を開けその中の錠剤を一粒、口に入れた。すると、店主はいささか慌てながら、 「お客様、いま飲んだからといって、いま効くような薬ではないのです」 と、云った。 ところが、青年には、にわかに店主の心の中が、読めたのだ。 (しめしめ。こ
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【短編小説】除夜の鐘

「次郎、明日は正月だからね。早く寝なさい」  次郎が、風呂から上がると、母親は、そう言って次郎を寝床に追いやった。渋々、次郎が布団の中に入り横になると、除夜の鐘が鳴り始めた。 「一つ、二つ、三つ……」  次郎は目を閉じて、鐘の音を数え始めた。だが、なかなか、眠れない。そうして、とうとう、百八つまで、数えていた。   ゴーン。 「あれ」 次郎は、驚いて目を開けた。次郎は、ちょっと不思議な気がしたが、また、目を閉じて、鐘の音を数え続けた。  …二百…三百…四百…五百…。  …二千…三千…四千…五千…。  どれだけ、時間が経ったのだろう。  鐘の音は、九千百八十で、鳴り止んだ。    ふと、次郎は目を開いた。  なぜか、体が重くなっているような気がした。暗闇ながら、寝床の様子も何か違う。  襖の向こうから、知らない男と女の声が聞こえてきた。 「この除夜の鐘が、親父にとっては最後だな。あと三ヶ月って、医者から言われているからな」 「シィ。あなた、お父さんに聞こえるわよ」  次郎は、言い様の無い寂しさを感じたが、また目を閉じた。                                                                                                  完 《蛇足》  以前、ネット上で公開していた拙作オンライン小説です。
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【短編小説】幸福の鏡

ある日曜日、恵子は駅前の銅像の前で彼を待っていた。その彼、数日前に知り合い、その日が初デートだったのである。 だが、30分待っても、彼は現れなかった。 「振られたのかな」 と呟くと、前を通りかかったアベックの会話が耳に入ってきた。 「どう見ても普通の鏡じゃあないかよ」 「ううん、幸福の鏡よ。この鏡を持っていると幸せになるって言うから、私、3千円で買ったんだから」 「3千円、それはきっと騙されたんだよ」 「違うって」 そう言って、女性が男性の肩を叩くと、男性が持っていた鏡が落ちて、恵子の足許まで転がってきた。 恵子がその鏡を拾うと、鏡の中に銅像を挟んだ反対側の光景が映った。それを見た恵子は目を丸くした。というのも、そこには不安そうな彼の横顔も映っていたからである。 恵子は、拾った鏡を女性に渡した。そして、「有難う」と言って受け取る女性に小声で 「この鏡って、やっぱり幸福の鏡ね」 と言って、微笑んだ。 そのあと、恵子は急いで来たような振りして、銅像の反対側に駆けて行った。                                   完 《蛇足》  以前、ネット上で公開していた拙作オンライン小説です。/00.08.03
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【短編小説】生存の選択

 それは、日本に、数え切れない核爆弾が、投下された日のことであった。  ある核シェルターの中で、何人かの男女が、おびえながら、時の過ぎるのを、待っていた。外界から、全く遮断されているとは言え、外部の音が、どこからか、聞こえてくる。 「助けてえ」とか、「水、水、水」とか、「苦しいよ」とか、外で、放射能を浴びながら、死んでいく人々の、わめき声、うめき声が聞こえてきた。A嬢「もう、耐えられないわ」 B氏「二、三日の辛抱です。三日も経てば、外部にいるほとんどの人間は、息絶えると、思いますから。それに、ここには、三ヶ月は大丈夫ぐらいの食糧は、保存されています。この程度の放射能レベルであれば、一ヶ月もすれば、自然界の放射能レベルに、戻って外にも、出れますから」 A嬢「でも、耐えられないわ。私、一人でも、外に出して」 B氏「なにを言い出すんです。あなた一人、外に出れば、たちまち、全員被爆して、死にます。そんな勝手なことはできません」 C氏「そうですよ。それに、核シェルターの中で、生き残っているのは、我々だけではありません。他にも、たくさんの人が」 A嬢「たくさんの人って」 C氏「数千人か、数万人。日本にある核シェルターの数から推測するとそれぐらいかと」 A嬢「じゃあ、あとの一億人以上は、死ぬというわけですか」 B氏「そうなりますね。でも、それだけでも生き残れば、新しい日本を、造ることはできます」 A嬢「でも、生き残った人間と言うのは、今の私たちのように、外の人間を見殺しにした、人間ばかりじゃありませんか」 C氏「さっきから、あなた。何が言いたいのですか」 A嬢「だから」 B氏「私たちが、核爆
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【短編小説】暗記薬

 その日、塾から帰ると弘志はさっそく、学校で友人を通じて売ってもらった薬を試してみた。  それは、「暗記薬」。カプセル状の赤い薬なのだが、それを飲むとなんでも暗記できるというのだ。それでいて、別段害もなく副作用もないという。そういうことで、有名進学校に通う弘志の仲間うちでも、それが一つの流行のようになっていた。  弘志は一粒薬を飲んで、歴史の教科書を開いた。すると、どうだろう。教科書に書かれている文章、図、それに写真までが、簡単に暗記できた。弘志は、確かめる意味で目を閉じて何分か待った。それでも、暗記した内容は鮮明に頭の中で再生された。 「すばらしい」 弘志は聞いていた以上の暗記薬の効用に驚いた。  すると、部屋に見知らぬ中年の、女性が入ってきた。 「弘志ちゃん。お夜食、ここに置きますからね。明日は試験でしょう。頑張ってね」 と、その女性は食べ物を置いて部屋から出て行った。 「あの人は、誰だろう」  弘志は首を傾げながらも、ほのかなときめきを感じた。  同じ頃、とある場所で、暗記薬を囲んで学校関係者が話し合っていた。 「こんな暗記薬なるものが出回っているとすると、試験の前か後ドーピング検査が必要になると、言うわけですか」 「はあ。でも、問題は他にも…」 「しかし、一時的にある記憶が欠落するという副作用だけで、他にはそれほどの副作用はないと聞いてますが」 「はい。それがなぜか、暗記薬を常用している生徒の中では近親相姦が多いという噂がありまして、そちらのほうが問題かと」                                  完 《蛇足》  以前、ネット上で公開していた拙
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【短編小説】奇妙な手紙

『前略、いま君は、どんなことを思いながらこの手紙を読み始めたのだろうか。 期待、それとも不安。たぶん、顔も名前も知らない僕からの手紙を、不安に思いながら読み始めたのだろう。  いま、君は何かしら、悩みはありますか。勉強、仕事、家庭、対人関係、あるいは、将来について。君はいま、いろいろな悩みを抱えながら生きているだろう。  いま、君にはそれを、素直に打ち明けられる人がそばにいますか。たぶん、誰も居ないだろう。そんな悩みを持っていても、君は、周囲には明るく陽気に振る舞い、あるいは、孤独な振りしてそうした悩みなど、何もないという顔で、生きているだろう。  そして、そんな弱みを周囲に気づかれまいとして、泣きたいときも泣かず、怒りたいときも怒らず、言いたいことも半分も言わず、毎日を暮らしているだろう。だから、人から夢は何かと尋ねられても、やりたいことは何かと尋ねられても、君は決して本心を言わず、さし障りのない自分を演じながら、月並みの返事をするだろう。それでいて、君は、心の中では、自分だけは特別な人間だと思っているだろう。  だが、はっきり言おう。この世に生きている人間に特別な人間など誰一人、居ないのだ。君をいじめる君の友達も、きっと、君と同じような劣等感で、悩んでいるのだ。 君を振った君の相手の人も、君と同じくらい恋愛のことについて悩んだはずだ。 君のそばで仲間と楽しく談笑している君の友人にも、寂しくて悲しくて、眠れない夜だってあるんだ。  例え、君が障害者であっても、君の障害で悩んでいるのは、君だけじゃないんだ。ひとりぼっちだって思っている君にも周囲を良くみれば、君の悩みを真剣に聞い
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虹を追う

  それは高志が七歳頃の記憶である。  秋のある雨上がりの日暮れ時のことであった。  高志は近所に住む和宏と庭先で遊んでいた。縁側では高志の祖母が栗の渋皮を剥きながら、穏やかな顔で二人を見ていた。  ふと高志が東の空を見上げると、そこに虹がかかっていた。紅葉で色づき始めた山と山をもう一つの稜線がつなぐように虹がかかっていた。 「カッちゃん。行こう」 と高志は和宏の手を掴むと和宏を連れて表に走りだした。  「高ちゃん。高ちゃん。どこへ行くの」 高志の祖母は後を追おうとして急いで下駄を履いたが、そのときには既に二人の姿は表の路地から見えなくなっていた。 「高ちゃん。どこ行くの」 高志に手を引かれながら和宏は尋ねた。高志は前を向いてそれでもしきりに東の空を見上げながら走っていた。高志は何かに憑りつかれたような顔で、和宏は村はずれに来るまで高志に何も聞けなかった。 「虹のところまで」 高志は少し走る速度を落として振り向き答えた。 「虹」 和宏は不思議そうに首を傾げた。そして和宏も東の空を見た。そこには鮮やかな七色の虹が見えた。でもどうして。和宏は急に不安を感じて立ち止まった。 すると、それにつられて高志の足が止まった。 「どうした」 高志は振り向いて少ししかめた表情で和宏を見た。そして、二人ともハアハアしながらしばらく顔を見合わせていた。  高志は辺りを見回した。  気がつけばそこは田圃の中の広い畦道。両側には幾つもの金色の稲の穂が頭を垂れていた。そして和宏の肩ごしに高志の家が小さく見えた。距離にすれば大したことはないが、まだ自転車も乗れない二人にはかなりの遠さであった。 「虹の所まで
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【短編小説】佐藤老人

人里離れたある老人ホーム。 そこに二人の佐藤という姓の老人がいた。「佐藤」というのは日本で一番多い苗字なので、別に不思議ではないのだが、事件はもう一人の佐藤という姓の老人が入所してから始まった。 「佐藤さ~ん」 と、職員が呼ぶたびに3人の佐藤老人が、一斉に返事して立ち上がる。 そのたび、 「佐藤一郎さん」 と職員は言い直す。 最初はそれで上手くいっていたのだが、認知症が進行したのか、しだいに「佐藤一郎さん」と言い直しても、3人の佐藤老人が「わしじゃ、わしじゃ」と言うようになった。 そこで何らかの手を打てばよかったのだが、そのまま放置しておいたために、佐藤という苗字でない人まで返事して立ち上がるようになった。 「佐藤さ~ん、佐藤一郎さん」 と、職員が呼ぶと、3人の佐藤老人を含めて5,6人の老人達が返事して立ち上がるようになった。  だが、そうなってからも初めのうちは「なに、立ち上がっているのよ。あんた、森田じゃない。それも森田和子って女じゃないの」 そう嗜める老婦人もいたのだが、やがてそういう人もいなくなり、いつのまにか全員が返事して立ち上がるようになっていった。  それから一年後、そこにパソコンを導入されることになり一人のセールスマンがやってきた。  セールスマンが職員に名刺を出すと、その職員は、 「佐藤です」 と名乗った。 「でも、さっき出て行かれた人も、名札には佐藤と書かれていましたけど」 セールスマンが、不思議そうな顔でそう言うと、 「ええ、ここは、所長、副所長、始めとして、すべての職員、入所者、佐藤という苗字ですの」 と、微笑みながら応えた。              
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二刀の意

 車窓から見える風景が一面、白くなった。  厳冬の昼下がり、二十代半ばの上村亜希子は独り、東京に向かう列車に乗っていた。それまで、ぼんやりと車窓を眺めていた亜希子であったが、思いだしたように傍らのハンドバッグから二通の手紙を取り出し読み始めた。 「前略、お元気ですか。君が病院を突然辞めてから半年、私はずいぶん君の行方を探しました。君の実家、君の友人、そして大学時代の恩師とか、私は非番の時を利用して君の消息を尋ね歩きました。そして、ようやく君の所在を突き止めたという訳です。実を言うと、ある人に聞いたのです。と書けば、君には大体察しがつくと思いますが、その実名を記するのは止めましょう。私は、すぐにでも君の所に行きたかったのですが、ちょっと理由があってそれができませんでした。それで、こうして君に手紙を認めています。  君があのことをそれ程までに気にしていたとは、君が突然辞めるまで気づきませんでした。だから、あの時も「あまり気にするなよ」と言葉掛けただけで私にはもっと言っておきたいことがあったのですが、そっとしておこうと決めたのです。でも、それが間違いだったと後になって気がつきました。あの時、じっくりと君と話しておけば、君は病院を辞めずに済んだのではないかと。それで、その時に言いたかったことを書きます。しかし、前もって断っておきますが、あれから半年も経ったいま、私は君に病院に復職しろなどと言うつもりはありません。君がたった一度の医療ミスで医師という職業を捨てようが、それはそれで君の人生の選択だと思います。ただ、君の先輩として、君に医者になることを勧めた人間として、このことを言わずに放っ
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神の代行

取調が終わって高瀬が留置場の中に入ると先客がいた。 「どうも」 高瀬は、留置場の隅で埋くまるように膝を抱えて座っている先客に、ボソッとそう云った。だが、返事はない。 鍵を掛けた看守が立ち去ると、高瀬は初めて入った留置場の中を見回した。まさか、自分がこんな所にくるとは。) 高瀬は、そう思いながらも全身に激しい疲労感を覚えた。そして、その場に座り込んだ。 高瀬純平。四十七才。市内のとある総合病院に勤める外科医。およそ留置場とは無縁と云っていいほどの善良なる彼が逮捕されたのは、今朝の九時四十八分。容疑は殺人。そんな今朝からの出来事がドキュメント番組のように高瀬の脳裏に甦った。そして、今までその容疑の取調が行われていたのだ。一応一日目の今日は、高瀬は黙秘を通した。 (こんな所にくる奴ぐらいだから。)  そう思いながらも、高瀬は先客の方ををおそるおそる見た。すると、先客が顔を上げてこちらを見た。風体から云えばかなりの年輩者のようであったが、顔を見るとまだ未成年のようだった。 「あんた、何でこんな所に来た」 いきなり、その青年は高瀬に尋ねた。 「殺人です」 高瀬は、緊張しながら、わが子と同じくらいの年齢の青年に答えた。だが、青年はふうん云った表情で、さほど驚いた様子ではなかった。 「でも、私は患者を安楽死させただけで。殺人なんて」  そして、高瀬はそうつけ加えた。その言葉は、取調の間ずっと、心の中で叫び続けていたものでもあった。高瀬は一瞬、こんな所でその言葉を吐露したことを恥ずかしく思った。そうして、戸惑いながら俯くと、 「そうかい。あんたが」 意外にも青年は、微笑みながら高瀬の方に身を乗
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【短編小説】イブの遺言

せっかくのイブなのに、一体どういうことなの。 私はそう思いながら、病院に駆けつけた。私が父親の訃報を受けたのはつい1時間前、会社が退社する直前のことだった。あなたのお父さんが先ほど息を引き取られたのですぐに来てほしいとの事、電話で連絡を受けた。だが、一応「はい」とは言ったものの、私は気が進まなかった。父とは言っても、私にとってはこの20年一度も会っていないあかの他人と同じ存在の人で、私を捨てた親だからである。しかも、イブの夜、彼とのデートという大切な先約があったからである。とにかく、30分で事が済めば、まだデートには間に合う。 その病院に着くと私は腕時計を見た。そして、受付に行った。 「あのう、高宮宏人の身内のものですけど」 私がそう告げると、看護師に手術室のようなところに案内された。冷たく乾いたような空気の部屋の中央に寝台に乗った父親の遺体があった。そして、看護師は顔にかかった白い布を除いて、父の死に顔をみせた。だが、私の父とはすぐには確認できなかった。それもそのはず、私の記憶には、5歳の頃、祭りに手を引いて連れていってくれた優しい父の顔と、小学一年生の頃、母親と家を出て行く時、それでも酔っ払って自分を上目遣いに見ていた父の顔しかなかったからである。けれど、その死に顔は老いて痩せこけて、どう見ても重ね合わない、全く別人のようであった。 だが、私がじっとその顔を見ていると、だんだんと記憶の中の父の顔に近づき、それに伴い脳裏に母と家を出て行く時からのことが脳裏に蘇ってきた。 「死ぬときは一緒って言ったのに、どうしてなのよ」 母がそう言っても、あぐらを組んでいた父は母の顔を見ること
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【短編小説】同じ顔

ある朝、男が目覚める。 普段どおり身支度してアパートから出ると、隣の奥さんと出会う。 男は「お早うございます」と挨拶して驚く。なんと奥さんの顔が男と同じ顔なのだ。男は見間違いかと思って何度も見るが、やはり男と同じ顔。そこへ管理人が来るが、管理人もまた、同じ顔。男は気味が悪くなって、そこから逃げだす。 しかし、街に出た男はさらに驚く。街に行き交うすべての人が、男と全く同じ顔なのだ。 男は錯乱して、その場に倒れる。 男が気がつくと、病院のベッドの上。「あれは夢か」とホッとして傍らの医者と看護婦を見ると、やはり男と同じ顔…。 これが、君に頼まれていた漫画のストリーである。君はまだ未熟で人間の顔を書くと、すべて同じようになるというものだから、こういうストリーにした。なお、結末は思いつかないので、君が考えてくれ。                                  完 《蛇足》  以前、ネット上で公開していた拙作オンライン小説です。/00.09
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【短編小説】車椅子の同級生

 これは、ある山間の小学校での話である。 その小学校の5年生のクラスに一人、車椅子の少年がいた。少年の名は大崎邦彦、この春転校してきたのである。 その日も邦彦は一人、校庭の片隅でドッチボールで遊ぶクラスメートを眺めていた。転校して3ヶ月、邦彦は自らの抱えるハンディのためになかなか、23人のクラスメートとは馴染めなかった。 「邦彦、見ているならもっと近くで」 そう、声かけてきたのは一郎。そんなクラスの中で、唯一親しい友人である。 「でも、…」 邦彦が口篭もっていると、一郎はクラスメートがドッチボールをしている方に車椅子を押していった。だがその一郎も、 「一郎、何だよ。途中で抜けて」 と、クラスでボス的存在の誠人に言われると、邦彦を置き去りにしてドッチボールのゲームの中に入っていった。 そこへ、担任の路子がやってきた。路子は教師になってこの学校に赴任してまだ、2年目。それながら、田舎の学校ゆえに5年生のクラスを任されていた。 「ねえ、みんな。大崎君も入れてあげてよ」 と、大声で路子が言うと、ボールを投げようとしていた誠人が、 「だめだよ、先生。邦彦を入れると誰かが怪我するから。この前だって入れたからほら」 と、隣にいた寿夫の足を指差した。 「寿夫が、邦彦の車椅子にあたって」 「そう」 路子は、指で唇を押さえ、考え込んだ。そうなると、一郎も、そしていつもは邦彦に好意的な美津子も何も口を挟めずにいた。 邦彦は、俯きながら申し訳無さそうに 「いいですよ、先生」 と、ポツリと言った。 「でも」 「ごめんさい」 「別に、大崎君が謝ることじゃないから、気にしないで」 と路子は、微笑みながら邦彦
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てのひら

 ふと、男が目を覚ました。 「どうやら、椅子に腰掛けたまま、眠っていたらしい」 男は、そう呟きながら、辺りを見た。そこは、高級な家具、調度品が置かれている男の部屋だった。その部屋で男は、先ほどまで、独り、吉報を待っていたのだが、つい居眠りをしたらしいのだ。  男は、体を起こし、テーブルに置かれた電話に手を延ばしかけたが、止めた。 「あわてることはない。勝利は、確かなのだから」  そう、自分に言い聞かすように呟くと、男は、両手を挙げて、大きなあくびをした。すると、テーブルの向こうに、人影が見えた。「誰だ」  と、それまでの男の穏和な表情が一転した。そして、目を細めて、よく見ると、そこには、汚らしく、みすぼらしい格好の老人と、少女が立っていた。この部屋には、怪しい輩は、蟻の子一匹入れぬよう、厳重な警備が配されているはずなのに。と、男は、すぐに部下を呼ぼうと、電話の受話器に手を掛けた。すると、それを遮るように 、「別に怪しいものでは、ございません。ただ、閣下の勝利のお祝いを申し上げるために」 と、老人が言った。にわかに、また男の表情が変わった。その吉報を予感する言葉に、もはや、男の頭には、彼らの素性など、どうでもいいことと片づけられていた。 「閣下は、もうすぐ、全世界を征服なされる方であることは、間違いのないようなことですから」 そう老人が言うと、男は、すでに有頂天になっていた。そして、男は、椅子に掛けたまま、両手を広げ、 「いや、もう世界を征服したのと同然。もはや、全世界は私のものだ。私にこそ、私の辞書にこそ、不可能という文字はないのだ」 と、男は、この上もなく傲慢な微笑みを浮かべ
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【短編小説】返品したい

 美弥子はこれまで何人もの男に振られてきた。 そんな美弥子は1年前、せめてもの思いであるものを購入した。だか、それはとんだ欠陥商品だったのだ。  その日も美弥子は販売元に電話をした。 「もしもし、〇〇会社ですか。お客様窓口の田中さんをお願いします…。  田中さん。昨日電話した鈴木です。昨日のこと検討してもらったったのでしょうか。何をってあなた。返品する件ですよ。あんな欠陥商品を売りつけといて何言っているんですか。私、あれを購入するために、相当の借金をしたんですよ。そんな高いもの、返品できてもいいではないですか。いえ、でもね。金を返せと言うつもりはないんですよ。ただ、返品したいだけなのですから。選択したのはお客様だからって、何言っているんですか。すべてのファクターのセレクトは、そちらにお任せしたんじゃあありませんか。なのにどうして、返品できないんですか。契約書。ええ、読みましたけど購入の際のことは詳しく書かれていましたけど、購入後のことについては何も書かれていませんでしたよ。常識的に考えってね、田中さん。そんな世間の常識を持ち出すのなら、半分はお宅の会社にも責任がある訳でしょう。だったら、返品できてもいいんじゃないですか」  美弥子は、受話器を耳から離して、ため息をついた。すると、困惑している田中の声が漏れ聞こえてきた。 「そうは、言われてもね。わが社がお客様に優秀な精子をお売りしたのは確かにそうですが、それで生まれた子供が気に入らないと言う理由で、子供を返品すると言われても…」                                    完 《蛇足》  以前、ネット上
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