高校二年生のゆかりが倒れたのは、十二月も半ばの体育の授業中のことであった。ゆかりは、下腹に堪えきれない苦痛を、突然感じたのだった。
「再発」
そんな言葉が、ゆかりの脳裏をよぎった。
すぐに保健室に運ばれたが、自宅に連絡をとった担任の教師は、救急車を呼んだ。
「やっぱり」
ゆかりは、母親も同じことを思ったのだと確信した。
そして、ゆかりは、六年前と同じ、市内のS総合病院に運ばれた。
六年前、ゆかりがまだ小学生だった頃、やはり、学校で倒れて、このS総合病院にかつぎ込まれたことがあった。その時は、内臓に腫瘍が出来ていて、それの切除手術を受け、二ヶ月ほどで退院した。
もっとも、ゆかりが、その時、腫瘍が出来ていたのを知ったのは、それから、ずいぶん後になってからのことだった。両親は、その腫瘍は良性のものだから、心配ないと話してくれたが、内心、ゆかりは、悪性つまり癌であったと、疑っていた。そして、若い頃、癌が再発した場合、助かる確率が低いことも、ゆかりは、知っていた。
ゆかりは、診断と検査を受け、三階の病室に運ばれた。
「ゆかりちゃん。しばらくだったわね」
ゆかりをベットに運ぶと、看護婦は、そう言った。ゆかりは、看護婦を見た。確かに、見覚えがある。
「私、覚えている。荻野尚子」
ゆかりは、頷いた。
「そうそう、岸谷のおばあちゃんも入院しているのよ」
「ええ。でも、おばあちゃん、六年も、入院しているんですか」
尚子は、クスッと笑った。
「違うわよ。岸谷さん、あの後すぐに退院したんだけど、一月前からまた。よっぽど、縁があるのね」
ゆかりは、岸谷のおばあちゃんのことを思いだした。前に入院した時は、毎日、ゆかりの病室を訪ねててきてくれていた。そして、お手玉とか、おはじきとか、昔の遊びや、歌を教えてくれた。
しばらくして、ゆかりの両親が、病室にやってきた。父親も、母親も、どことなく平静を装っているようだった。少なくとも、ゆかりには、そう思った。
日が沈み始めた頃、独りになったゆかりは、窓の外を見た。
窓の外の木々には、枯れ葉、一つ残っていなかった。
ゆかりは、O.ヘンリーの「最後の一葉」の話しを思い出していた。そして、布団に顔を埋めて泣いた。
翌日、ゆかりが午後の検査を終えて、病室に戻ると、岸谷のおばあちゃんが、尚子に連れられて、病室にやってきた。
「おばあちゃん、覚えてる。ゆかりちゃん、ゆかりちゃんよ」
尚子が、岸谷のおばあちゃんに、そう話しかけると、岸谷のおばあちゃんは、うつろな目で、ゆかりを見た。
「おばあちゃん、ゆかり、ゆかりです」
ゆかりがそう言うと、尚子は、怪訝そうな表情で、首を振った。
「おばあちゃん、最近、ぼけてきているから」
ゆかりは、尚子の言葉に頷いた。
「おばあちゃん。ちゅっとの間、ここにいてね。ゆかりちゃん、少しの間、おばあちゃんをお願いします」
と言って、尚子は、病室から、出て行った。
すると、岸谷のおばあちゃんは、ゆかりに、
「ところであんた、何の病気で」
と、尋ねてきた。
「おばあちゃん、私、癌かもしれない。助からないかも…」
ゆかりが、元気のない声で、そう答えると、岸谷のおばあちゃんは、急に大きな声で、
「何、弱気になっているんだい。今の医学は進歩しているからね。二階に入院している小学生の女の子なんか、助からないかもしれないっていうのに、がんばっているのよ」
と、言った。ゆかりは、ただ頷いた。
「だから、あんたも、その小学生に負けないように、かんばらないと。ねえ」
ゆかりは、一縷の望みを、見いだしたような気がした。
「ねぇ、おばあちゃん、その子って、どんな子」
ゆかりが、そう尋ねると、岸谷のおばあちゃんは、寝巻きの懐を探り始めた。
「確か、この間、その子と撮った写真が」
「いいわよ。おばあちゃん、もういい」
「寝ている間に、ベットの下にでも、落ちたのかも」
そうして、しばらくして尚子が、岸谷のおばあちゃんを迎えにきた。
それから、二日後、ゆかりは手術を受けた。しかし、その後、手術のせいか、投薬のせいか、わからないが、ゆかりは、四六時中、激痛に、襲われていた。その間、ゆかりは、岸谷のおばあちゃんの言っていた小学生の女の子に負けまいと、苦痛に耐えていた。
それが、十日間、続いた。そして、その次の日、それまでが、うそのように、痛みが引いてきた。
「確かに、六年前の腫瘍は悪性でした。しかし、今回のものは、再発したものではなく、別の良性の腫瘍です。ただ、安全を期すため、それなりの手術をしたため、このようなことに」
担当医師は、ゆかりとその両親の前で、そう説明した
。
ゆかりが、ベッドから起きあがれるようになった日、ゆかりは、岸谷のおばあちゃんの病室をたずねた。
すると、尚子と、若い看護婦が、ベッドの布団を片づけていた。
「おばあちゃん、退院したんですか」
ゆかりが、そう尋ねると、
「ううん。昨日の夜、急に様態が悪化して、今朝早く、亡くなられたのよ」
そう、尚子が悲しい表情で、答えた。
「ゆかりちゃん。退院したら、おばあちゃんのところへ、お参りにでも、行って上げてね」
尚子は、ゆかりを慰めるように、そう言った。
「じゃあ。二階に入院している小学生の女の子は」
「そんな、女の子、入院していないわよ。ねえ」
尚子がそう答えると、若い看護婦も、頷いた。
「でも、おばあちゃんは。そう、この間、その子と写真を撮ったって言ってましたよ」
ゆかりが、そう言うと、若い看護婦は、ポケットから、写真を出した。
「これかしら、ベットの下に落ちていたわ」
と、 若い看護婦は、ゆかりに写真を渡した。
それを見ると、確かに、岸谷のおばあちゃんと小学生ぐらいの女の子が、笑いながら並んで写っていた。
ゆかりは、それを見て、涙が溢れ出してきた。
その女の子は、六年前のゆかりだったのだ。
完
《蛇足》
以前、ネット上で公開していた拙作オンライン小説で、O.ヘンリーの短編小説をオマージュして創ったものです。