【短編小説】イブの遺言

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せっかくのイブなのに、一体どういうことなの。

私はそう思いながら、病院に駆けつけた。私が父親の訃報を受けたのはつい1時間前、会社が退社する直前のことだった。あなたのお父さんが先ほど息を引き取られたのですぐに来てほしいとの事、電話で連絡を受けた。だが、一応「はい」とは言ったものの、私は気が進まなかった。父とは言っても、私にとってはこの20年一度も会っていないあかの他人と同じ存在の人で、私を捨てた親だからである。しかも、イブの夜、彼とのデートという大切な先約があったからである。とにかく、30分で事が済めば、まだデートには間に合う。

その病院に着くと私は腕時計を見た。そして、受付に行った。
「あのう、高宮宏人の身内のものですけど」
私がそう告げると、看護師に手術室のようなところに案内された。冷たく乾いたような空気の部屋の中央に寝台に乗った父親の遺体があった。そして、看護師は顔にかかった白い布を除いて、父の死に顔をみせた。だが、私の父とはすぐには確認できなかった。それもそのはず、私の記憶には、5歳の頃、祭りに手を引いて連れていってくれた優しい父の顔と、小学一年生の頃、母親と家を出て行く時、それでも酔っ払って自分を上目遣いに見ていた父の顔しかなかったからである。けれど、その死に顔は老いて痩せこけて、どう見ても重ね合わない、全く別人のようであった。

だが、私がじっとその顔を見ていると、だんだんと記憶の中の父の顔に近づき、それに伴い脳裏に母と家を出て行く時からのことが脳裏に蘇ってきた。
「死ぬときは一緒って言ったのに、どうしてなのよ」
母がそう言っても、あぐらを組んでいた父は母の顔を見ることもせず、ただ黙って酒を飲みつづけていた。そして、その母親は父と離婚した半年後、急死した。雪がちらつく寒い葬式の日。幼い私はそれでも父が来るのを待っていた。だが、父は葬式どころか、春になっても私を迎えには来なかった。そうして、母方の叔父夫婦に引き取られ育てられた。あとで叔父から聞いた話では、父と母は大恋愛で結婚して、私が小学生なるころまでは上手くいっていたらしいのだが、父が事業に失敗して身体を壊して以来夫婦仲が悪くなり、それが離婚の理由だそうだ。

そんなことを思い出していると、白衣を着た女性が部屋に入ってきた。
「高宮さんの娘さんですか」
「はい」
「私、高宮さんを担当した外科医の上村です」
と言って上村医師は軽く頭を下げた。
「どうして、父はこんなところに」
「高宮さんは生前、献体を希望されていたので。明日、高宮さんのご遺体は大学病院に運ばれ解剖されます。でも、あなたが拒否されれば、今からでも取り消すことはできますが」
「いいえ、父の遺志なのでしょうから、それで結構です」
当たり前ではないか。私を捨てた父など死んでどうなろうと知ったことではない。それよりも、早く帰らねば。私は少々、焦っていた。だが、上村医師は、
「ちょっとお渡ししたいものがあるので、応接室の方に来てもらえませんか」
と優しく私に言った。


そうして応接室に入ってソファに座ると、上村医師は白い小さな紙袋を差し出した。
「私にですか」
「ええ、高宮さんからです」
中を見ると、私名義の預金通帳と印鑑があり、預金通帳を開くと五百万円の残高が記入されていた。そして、ただ「すまなかった、許してくれ。父」と書かれた紙切れがはさんであった。
私は母が亡くなった後、子供がない叔父夫婦には我娘同然に可愛がられてくれたものの、それでも実の両親でないということは何かにつけてハンディになったし、悲しい思いもされられてきた。そんなことで生きていた20年を五百万円ぽっちのお金で帳消しに出来るはずもない。私は、だんだん腹立たしくなってきた。とにかく、急がねば。
「確かに、受け取りました」

私はそう言って立ちあがろうとした。すると上村医師は、
「あのう、一つお尋ねしたいことが」
と私を引き止めた。
「何でしょうか」
「実は、高宮さんは2週間前からすでに脳死の状態でした」
「えっ」
私は、上村医師が何を言おうとしてているのか判らなかった。
「でも高宮さんはドナー登録されていませんから、そのまま自然死させるのが普通なのですが、生前、高宮さん、私にどうしてもクリスマスイブまでは生かしてくれと言うことでしたので、いままで生命維持装置で生かしていたのです。私としても、献体を申し出ている患者さんなので、特別の配慮で2週間、生かせたのです。クリスマスイブと言っても、高宮さん、クリスチャンでもなさそうだし、どうしてかなと思いまして」

そう言われて、私は考えた。クリスマスイブ、12月24日。私の誕生日は6月だし、父の誕生日は夏、母の誕生日は秋。そこまで考えて、ハッとした。それが解った瞬間、そうオセロで隅が白で埋まって全面が白になるような、そんなことが私の心の中で起こった。その日は母の命日。

母と同じ12月24日に死んでも、母と一緒に死んだということにはならないのに、それでも、12月24日のクリスマスイブに拘った、父の不器用な思いが分かって、止め処もなく涙が溢れ出してきた。

おそらく、父が母の葬儀に来なかったのも、幼い私を迎えに来なかったことも、きっと、そんな父の優しさだったと、理解できた。

「どうされました」
上村医師は心配そうに私の顔を覗きこんだ。だが、私は頬を流れる涙のせいでとても顔を上げれる状態ではない。それでもなんとか、自分を落ち着こうと息を深く吸った。そして、携帯電話をバッグから取り出した。
「すみません、一応ここは病院なので携帯電話はご遠慮願えないでしょうか。いえ、電話は窓際の机の上のをお使いくだされば」
そう言われて、私は窓際に行って彼に電話をかけた。

「もしもし、孝文さん。敦子です。今日、行けなくなりました。どうしてって、大切な人が亡くなったの。私の実の父親。いままで亡くなったって嘘ついていたけど、本当は生き別れだったの。詳しいことは今度話すわ」

そう言ったあとで、私は肝心なことに気づいた。イブのデートをキャンセルするなんて、彼はきっと最低の女と思うかも知れない。少なくとも今まで通りの付き合いはできないだろう。でも、それで別れる結果になっても、それでも、今の私は行けない。
「ごめんなさい。だから、行けないの。うん、それに、私忘れていたんだけど、今日は母の、母の命日なの。ほんと、ごめんなさい」
と電話を切ろうとすると、受話器から「敦子、いまどこにいるんだよ。病院、それとも自宅。僕もそっちへ行くよ」という声が聞こえた。私は慌てて受話器を耳に当てた。また涙が出てきた。そうして、
彼に病院の場所を教えて電話を切ると、いつのまにか傍に上村医師が立っていた。
「そう、12月24日はお母さんの命日なのですか」
「はい。あのう。もう少し、父の傍にいていいですか」
「ええ、いいですよ」
上村医師は微笑みながら、私にハンカチを渡してくれた。ふと窓の外を見ると、雪がちらついていた。けれど、今は安心して彼を待てる。そうなっている自分になっているとことを父に感謝した。
                                  完



《蛇足》
 以前、ネット上で公開していた拙作オンライン小説です。/02-12-08

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