二刀の意

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 車窓から見える風景が一面、白くなった。
 厳冬の昼下がり、二十代半ばの上村亜希子は独り、東京に向かう列車に乗っていた。それまで、ぼんやりと車窓を眺めていた亜希子であったが、思いだしたように傍らのハンドバッグから二通の手紙を取り出し読み始めた。
「前略、お元気ですか。君が病院を突然辞めてから半年、私はずいぶん君の行方を探しました。君の実家、君の友人、そして大学時代の恩師とか、私は非番の時を利用して君の消息を尋ね歩きました。そして、ようやく君の所在を突き止めたという訳です。実を言うと、ある人に聞いたのです。と書けば、君には大体察しがつくと思いますが、その実名を記するのは止めましょう。私は、すぐにでも君の所に行きたかったのですが、ちょっと理由があってそれができませんでした。それで、こうして君に手紙を認めています。
 君があのことをそれ程までに気にしていたとは、君が突然辞めるまで気づきませんでした。だから、あの時も「あまり気にするなよ」と言葉掛けただけで私にはもっと言っておきたいことがあったのですが、そっとしておこうと決めたのです。でも、それが間違いだったと後になって気がつきました。あの時、じっくりと君と話しておけば、君は病院を辞めずに済んだのではないかと。それで、その時に言いたかったことを書きます。しかし、前もって断っておきますが、あれから半年も経ったいま、私は君に病院に復職しろなどと言うつもりはありません。君がたった一度の医療ミスで医師という職業を捨てようが、それはそれで君の人生の選択だと思います。ただ、君の先輩として、君に医者になることを勧めた人間として、このことを言わずに放っておけないのです。
 君も知っての通り私の実家は病院です。父は一昨年、癌で亡くなり今は兄が病院を継いでいます。その父が生前、私がまだ医大生だった頃、私に話してくれたことがあります。そう、ちょうど街の図書館で君に出会って、ナースより医者になれと君に勧めた直後だったような気がします。その日は珍しく自宅には父と私の二人きりで、父はあれこれと大学のことを私に尋ねました。それも普段家では無口な父としては珍しいことでした。そんな父が私に、「医者として一番、難しいことは何か判るか」と尋ねました。私はすぐに、「難しい病気を治すことだろう」と答えました。すると、父は笑いながら首を横に振りました。そして、「それは、いかに患者を殺すかということだよ」と言いました。私は驚きました。私でなくても、たぶん父の病院の患者が聞けば怒り出すようなことを平気で言いました。そんな私を見て父は、「治る病気を治すぐらい、経験を積めばどんな医者だって出来るようになる。だが、未だに治せない病気はいくらでもある。そんな病気にかかった患者に接したとき、その患者にいかにして死を迎えさせるのか、言い換えればいかに殺すかが問題になる。告知しようがしまいが、大抵の患者はその末期になれば、自分の寿命というものに気がつく。そんなとき我々医師は、いかに患者を納得させて死を迎えさせることが出来るのか、それが一番難しいことだと俺は思うが」と父は答えた。そして、「でも、殺すと言うのは、ちょっと」と私が反論すると、「活かすも殺すも医者次第というだろう。なるほど、活かすことには全力を注ぐことは出来るが、殺すことはどうしても躊躇って仕舞う。だが、そんなことで躊躇っていて、医者が本当に患者から信頼されると思うか。医者は患者から命を預かっているんだ。それだけの責任があるんだ。だったら、殺すことより、見殺しにすることがずっと無責任だろうが」と父は、強い口調で言いました。
 いま考えると、父は私にそこまで患者に関われと言いたかったのではないかと思います。言葉通り父は、自分が余命幾ばくもないと知った後でも、死ぬ間際まで院長として患者に関わっていました。それに、医者は治療するという反面、患者の躰を傷つけている訳ですから、そういうことも父は私に戒めておきたかったのだと思います。だから、私は手術のメスを見る度にその父の言葉を思い出します。
 私は、一生医師として生きるつもりです。ですから、決して安穏な死を望んではいません。医師である以上、患者にとって命を救う神様であると同時に、命を奪う悪魔でもあるのですから。でも、私は患者がたとえ死んでも納得出来るような医療に務めたいと思っています。父のように。
 さて、君の医療ミスの件ですが、君は途中で居なくなったので知らないと思いますが、その後、院長や事務長、それに私たち医療スタッフと遺族の方と話し合いがもたれ、なんとか示談で蹴りがつきました。そう言うと君は、病院の体面のためとか院長の医師会での立場のためだと思うかも知れませんが、そればかりでもありません。あんなことが表沙汰になれば、傷つくのは病院側だけでなく遺族側、亡くなった患者まで傷つくような羽目になりかねないのです。それを配慮した結果なのです。それにもう一つ、それで亡くなった患者さんの奥さん、お子さんが君のことを酷く心配していました。そんなことで君が病院を辞めたことがショックだったようです。もともと、あの患者は、そんなミスが無くても一年も保たない命だったのですから。
 それでも、君が戻らないというのならしかたないと思います。たとえ、戻るにしても私のような覚悟が無いのなら、止めた方がいいと思います。それが、私の最後のアドバイスです。
 実は明日、日本を経ちます。君がこの手紙を読む頃は私はきっと空の上か、異国の地にいると思います。というのも、私はアフリカの×××で医療活動をする事になりました。病院には一応休職届を出してありますが、七、八年は日本には戻らない予定です。行き先は電話も手紙も届かない辺鄙なところなので、君がどちらを選択したかは、七、八年先にならないと判らないと思います。
 ですが、私としてはまた白衣姿の君を見たいと願っています。 草々」
 その一通目を読み終えると、亜希子は目を潤ませながら二通目の手紙を広げた。
「あきさんへ
 いま、午前一時、部屋の隅の机でこの手紙を書いています。あきさん、東京へ戻るそうですね。とても悲しいことだけど、あきさんには一番それがいいことかもしれないって思います。きのう、といってももう一昨日になるけど、あきさんから、先輩からきた手紙を見せられて、うちに来るまでのこと打ち明けられた時は、はっきり言って驚きました。でも、最初、あきさんが、うちに働きたいって来たとき、僕は他の人とは何か違うものを感じました。消毒液の匂いのようなものを感じました。だから、僕は看護婦か看護婦の見習いをやっていた人かなと思いました。それが女医さんだったとは。僕は驚きました。 その時も言ったように、僕もあきさんは東京に戻ることがいいと思います。だから、一週間前に言ったことは忘れて下さい。でも、決してあの時言ったことは嘘ではありません。それに、あきさんが女医さんだから気が変わった訳でも、そんなことで諦めたわけでもありません。出来ることなら、あきさんを追って僕も東京へ行きたいと思っています。でも、僕はまだ修行の身、それに一生、板長の謙さんについて行こうと決心している男です。だから、そういうことは出来ません。かと言って、あきさんの重荷にもなりたくないのです。そんな一人前の料理人を目指しているからなおのこと、いまのあきさんの気持ちがよくわかるのです。わかるから。ですから、あのことは忘れて下さい。 あと、あきさんのはなむけとして、はなむけになるかどうかわかりませんが、あの先輩からきた手紙を見せてもらって思い出した話を書きます。 僕は十七の時から謙さんの許で働いています。その頃のことは前にもあきさんには話したこともありますが、当初はたいへん厳しい毎日でした。でも、謙さんは知っての通りああいう人ですから、料理のことは何一つ教えてはくれません。毎日、きつい雑用ばかりで、料理の仕事と言えば野菜の皮剥きぐらいでした。僕は疲れて、もう辞めようと思っていました。そんなある日の夜、一つの事件がありました。もしかしたら、あきさんは既に知っているかもしれませんが、話します。 仲間と飲みに出かけて旅館に帰ってみると、調理場の灯が点いていました。誰か居るのかなと覗いてみると、一人の見知らぬ若い男が出刃包丁を持ちだそうとしていました。僕はすぐに、それを止めようとその男に襲いかかろうとしました。すると、そこに謙さんがやってきました。謙さんはその男に、「そんな包丁どうするんだ」と聞くと男は、切腹して自殺するんだ、と答えました。僕は驚きましたが、謙さんは、「そんなことで調理場の包丁を使うな」と言って、僕に帳場から鋏か小刀を持ってくるように命じました。その男は、どうしてここの包丁ではいけないのか、と謙さんに聞きました。「包丁は料理する道具だ。人を殺す道具ではない」と答えました。男は、包丁だって魚や家畜や植物を殺しているのではないか、と言い返えしました。すると、謙さんは、「魚や家畜や植物を殺して、何が悪い。それを料理したものを食べて、人は生きているんだ。それに同じ殺すんでも、俺達は客においしく食べさせるために殺しているんだ。客に、いや人間に食べられて喜ばれるように、そんなものを殺生しているんだ。それが、そんなものの一番の供養になるようにな。だが、お前が死んで誰が喜ぶ。お前を殺して誰が喜ぶ。まあ、それでも死にたいと言うのならそれで構わねぇが、そのために、俺の俺達の包丁を使うことは許せねぇ。そんな料理人の思いが込められた包丁を使うことはならねぇ」と大声で言いました。僕はそれを聞いて涙が出ました。と言うのも、謙さんは前の年に、その男と同じぐらいの歳の息子さんを事故で亡くしていたからです。それを思うと、謙さんがどんな気持ちでそう言ったのか、僕にはその男よりむしろ、謙さんの方が辛かったような気がしたのです。と同時に、謙さんが僕にあれほどまでに野菜の皮剥きをさせる理由が始めてわかりました。その男は、それで自殺を思い留まりました。僕もそれをきっかけに辞めたい気持ちが消えうせました。その男、実はいま本館でバイトをしている相原君なのです。その時は二浪もして大学受験に失敗して、そんな自殺を図ったそうなんですが、その後、志望校に合格して、休みになる度、ああしてうちにバイトに来てくれるようになったんです。
そう言えば、彼は医大生でしたね。 あきさんの先輩がメスを見る度にお父さんのことを思い出すように、僕も包丁をじっと見る度に、謙さんのあの言葉を思い出します。 明日は、と言ってももう今日ですが、僕は朝から別館の仕事に出かけるので、たぶん、あきさんを見送れないと思います。それで、こうして手紙を書きました。どうぞ、お元気で。医者の仕事、一生懸命がんばってください。僕も、早く一人前に成れるようがんばります。また、こちらの方に来る機会がありましたら、ここに立ち寄ってください。さようなら」
 亜希子が手紙を読み終えて顔を上げると、車窓からは雪景色がなくなっていた。ふと、亜希子の目に高架線に反射した夕日が飛び込んできた。それが亜希子にはまるで刃先の白銀の輝きのように見えた。そして、まぶしそうな真顔に笑みがこぼれた。 それから二週間後、白衣を来た亜希子はある病院の救急通用口に立っていた。まもなく、救急車が到着し、そこからけが人が運び出されてきた。そして、救急隊員の一人が亜希子に、「盛り場で喧嘩したみたいで。どうやら、ジャックナイフで刺されたようで。先生、お願いします」と言った。亜希子は思わず、「ジャックナイフ」と言って苦笑した。すると、それを見ていた看護婦が不思議そうに首を傾げた。 
完 

※別のところで公開している拙作オンライン小説の転載です。

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