てのひら

記事
小説
 ふと、男が目を覚ました。
「どうやら、椅子に腰掛けたまま、眠っていたらしい」
男は、そう呟きながら、辺りを見た。そこは、高級な家具、調度品が置かれている男の部屋だった。その部屋で男は、先ほどまで、独り、吉報を待っていたのだが、つい居眠りをしたらしいのだ。
 男は、体を起こし、テーブルに置かれた電話に手を延ばしかけたが、止めた。
「あわてることはない。勝利は、確かなのだから」
 そう、自分に言い聞かすように呟くと、男は、両手を挙げて、大きなあくびをした。すると、テーブルの向こうに、人影が見えた。「誰だ」
 と、それまでの男の穏和な表情が一転した。そして、目を細めて、よく見ると、そこには、汚らしく、みすぼらしい格好の老人と、少女が立っていた。この部屋には、怪しい輩は、蟻の子一匹入れぬよう、厳重な警備が配されているはずなのに。と、男は、すぐに部下を呼ぼうと、電話の受話器に手を掛けた。すると、それを遮るように
、「別に怪しいものでは、ございません。ただ、閣下の勝利のお祝いを申し上げるために」
と、老人が言った。にわかに、また男の表情が変わった。その吉報を予感する言葉に、もはや、男の頭には、彼らの素性など、どうでもいいことと片づけられていた。
「閣下は、もうすぐ、全世界を征服なされる方であることは、間違いのないようなことですから」
そう老人が言うと、男は、すでに有頂天になっていた。そして、男は、椅子に掛けたまま、両手を広げ、
「いや、もう世界を征服したのと同然。もはや、全世界は私のものだ。私にこそ、私の辞書にこそ、不可能という文字はないのだ」
と、男は、この上もなく傲慢な微笑みを浮かべながら、言った。そして、男は、部屋の隅に置かれた特大の地球儀を、しげしげと眺めた。地球儀ではない。本物の地球が、まさにいま、自分の手のひらの上に載ろうとしている。そんな実感が、男の心を満たした。
 そうして、男が、そんな気分に酔いしれて、思わず立ち上がろうとすると、
「ところで」
と、それを制するかのように、老人が言った。
「ところで、そういう閣下に、一つお願いがありまして。実は、この子は奇妙な病気にかかっていまして。というのも、この子の右手が、ある時から、握ったままで、どうしても、その手のひらを開かせることが出来ないのです。各地のいろんな名医と称される医者にも、診てもらいましたが、どなたも、治すことが出来ませんでした」
 男は、一瞬、怪訝そうに、老人と少女を見た。だが、
「ですが、全世界を征服するような閣下なら、いとも簡単に、治療なさるのではと、思いまして」
という、老人の言葉に、男は、またも気をよくして、頷いた。そして、男は、高笑いしながら、
「たやすいことではないか」
と、答えた。すると、少女は、右手を、男の方に差し出した。
 男は、立ち上がり、その少女に近寄った。みると、少女は、まだ、とても女とは言えないほどの、あどけない子どもであった。しかも、氷の国から来たような、冷たい表情をしていた。男は、その少女の手を取り、力任せに、その握り拳を、小指の方から、こじ開けようとした。だが、それは、石のように硬く、また、表情と同じく、その手も、氷のように冷たかった。男は、次第に、体中の力を、そこに、集中させていき、それに伴い、男の表情からも、笑みは消えていった。そのうち、男の表情が険しいものに変わり、こめかみから、一筋の汗が、流れだした。だが、それでも、少女の握り拳はそのままで、少女の表情もまた、なんの変化もなかった。そうして、ついには、男は、息をハァハァしながら、その場に、座り込んで仕舞った。老人は、その男を冷ややかな目で見おろして、
「やはり、閣下にも無理ですか」と、男に尋ねた。
「そんなことはない。私の辞書に、不可能という言葉はないのだ」
男は、ムキになっていた。いや、男というモノ、古今東西、老若、身分の上下など関係なく、無理なこと程、ムキになるモノらしい。そうなれば、誰しも、何も見えなくなる。その男も同じであった。老人と少女が何物であるか、ということだけでなく、それが何を意味するものかさえ、考えることが、出来なくなっていた。
 男は立ち上がり、受話器を取った。
「私だ。戦争の結果。そんなもの後でいい。とにかく、いますぐ、ここでいちばん、怪力のある者を、よこせ。えっ、何のため。そんなことどうでもいい。いますぐにだ」
 そう言って、男が電話を切ると、すぐに、見るからに力持ちという風体の大男が、部屋にやってきた。男は、大男に有無も言わさず、少女の握り拳を広げるよう、命じた。だが、そんな大男にも、不可能だった。その大男もまた、息をハアハアしながら、その場に、座り込んで仕舞った。 それまで、腕を組んで、イラついていた男だったが、それで、何かひらめいたらしく、また、受話器を取った。「医学研究班をよこしてくれ。そうだ。世界に秀でた医学者を集めて創った医学研究班をだ」
 そう言って、男が電話を切った。まもなくして、眼鏡を掛け白衣を着た同じような格好の十人の男達が、手に手に医療道具を持って、部屋に入ってきた。
「そうだ。餅は餅屋。始めから、病気なら医学研究班を、呼べばよかったんだ」
 男は、そう笑いながら、老人らに向かって言うと、その男達に、少女の治療、すなわち、その握り拳を広げるよう、命じた。その十人の男達は、変わる変わる、少女の手に、医療行為を行った。ある者は、メスを使い、ある者は、薬品を使い、またある者は、特殊な光線で、その握り拳を広げようと、試みた。だが、少女の手からは、血は流れ出すものの、一向に広げることは、出来なかった。しかも、その間、少女の表情も、全く変わらなかったのである。むしろ、その苦痛を感じてたのは、それを見ていた男の方だったかも知れない。
「どうしても、ダメです」
男達の中の一人が、男にそう告げると、その男達は、逃げるように部屋から、出て行った。男は、落胆の余り、その場に屈みこんでしまった。自信があればあるほど、また、失敗した時の衝撃も大きいモノがある。
「ヤッパリ、無理ですか」
追い打ちを掛けるように、老人が、男を見下げて、そう言った。しばらくして、男が顔を上げると、目の前に並んで、老人と少女が、立っていた。少女の右手を見ると、不思議なことに、先ほどの血が流れた跡が全く無くなっていた。そして、老人は、少女に向かって、優しい、心が清められるような声で、「手をひらいてごらん」と、言った。すると、少女は、まるで天使のような微笑みを、満面に浮かべて、頷くと、目の前に右手を差し出し、そっと、その握り拳を広げた。次の瞬間、その手のひらから、まばゆいばかりの光が、放たれた。男は、目を丸くして、その光を見つめた。よく見ると、少女の手のひらに小石ぐらいの宝石が載っていた。それが、美しい光を放っていたのだ。 そして、その宝石は、男が長年、男がいちばん愛する恋人に捧げるために、捜し求めていたものだった。男にとって、始めから世界征服など、どうでもよかった。ただ、その宝石を、愛の証にするために、どうしても手に入れたかった。だから、その宝石を隠し持つという噂のある民族を大量虐殺し、戦争をしただけのことだった。そのために、男自身もまた、数え切れないぐらいのものを犠牲にしてきたのだった。 だが、それを手に入れるために、本当に必要だったのは、力でもなく、技でもなく、お金でもなく、一欠片の優しさだけだったとは。 男は、言いしれぬ後悔に苛まれて、しばらく、うなだれたまま動けなかった。
「お前達は、……」
ようやく、男が、その二人の正体に気づき、立ち上がったときには、既に、彼らの姿は、その部屋から消えていた。
「夢か…」
と、今度は、本当に目覚めて、ベットから起きあがると、ヒトラーは、嫌な予感がした。

※別のところで公開している拙作オンライン小説の転載です。

サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す ココナラコンテンツマーケット ノウハウ記事・テンプレート・デザイン素材はこちら