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899.遺書に書いたのは「決意」 大村の看護師・土本さん 度重なる病乗り越え復職…見つけた目標

今日は長崎新聞で見つけた記事を紹介遺書に書いたのは「決意」 大村の看護師・土本さん 度重なる病乗り越え復職…見つけた目標 卵巣がんや肺アスペルギルス症-度重なる病魔を乗り越え、医療の現場に立つ看護師がいる。長崎県大村市の土本彩香さん(34)。「病気のことを知ってもらい、誰かの希望につながれば」-との思いで、長崎新聞の双方向型情報窓口「ナガサキポスト」に体験を投稿してくれた。患者として何度も生死の瀬戸際に立ったからこそ、病気に苦しむ人たちに「もう一度前を向いて生きてほしい」と願っている。 ◆急転  2016年1月、腹部に突き上げるような激痛が走った。26歳の冬、新しい職場で仕事に精を出そうとしていた時だった。だが、病院を受診しても特に異常はない。高熱が出たり、食欲不振になったりしても、看護師の仕事を続けた。事態が急転したのは同年4月。別件で婦人科を受診した時だった。  「悪性のがんの可能性がある」。医師の告知に、子宮摘出の恐れが脳裏をかすめた。仕事は休職したものの、考えるのは病気のことばかり。死の恐怖より、子どもができなくなるのではという悲しみが迫った。腹水がたまっており、同月下旬には入院して緊急手術に及んだ。そこで医師は、腹内に腫瘍を見つけた。  明日家族を呼べるか-。医師の言葉で悟った。看護師としてさまざまな患者を診てきた。これから何が起きるかだいたい予想は付く。その夜、病室のカーテンの内側で涙があふれた。すると、受け持ちの看護師が病室に現れた。「明日悪い結果を言われると思う」と泣きじゃくると、黙って寄り添ってくれた。  翌日、家族の前で医師は卵巣がんを告知した。それも、
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バセドウ病の症状回復には時差がある!

バセドウ病の治療中。メルカゾールなどのお薬を内服し始めて、しばらく経ち、血液検査の数値は改善☆よかった!と一安心したものの、症状がよくなった実感がまったくない...頂いた検査数値の一覧を見ると確かに改善している。でも、本当によくなっているのか??心配になる…☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆個人的な感覚ですが、数値が改善して体調の変化も感じられるのは1、2カ月先…という感じです。検査結果がよくなっているのに、なかなか症状が改善しない、体調がよくならない...そんな時は、不安になってしまうこともあるかと思いますが、体調が回復するのには時差がある場合もあると知っておくと不安が軽減されるかもしれないと思い、執筆させて頂きました。☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆病気を向き合うのは、とてもしんどいことだと私自身も闘病を経て、実感しています。このまま良くならなかったら、どうしよう…不安や焦り…いろいろ考えすぎて、眠れない夜を過ごしたことが何度もありあした。少しでも不安が和らいだり、気持ちが軽くなるお手伝いができたら幸いです。電話相談なども承っていますのでよろしければ、直接お話きかせて下さいね、最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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わたしの背中を押した言葉2

カオルです。仕事しない週末、久しぶりです。皆さまいかがお過ごしでしょうか。辛いとき、苦しいとき。出会った言葉に救われてここまでこれた。そんな言葉がいくつかあります。癌の治療がひとまず終わったあと、なんとか社会復帰できるくらいまでになれたのだけれど、高次脳機能障害が色濃く出てしまい、日常生活がままならない時期がありました。やろうとしていたことが次の瞬間わからなくなる。レジで○◯円です、と言われたその額が、1,000円より大きいのか小さいのかとっさに判断できない。出かけようとバッグを広げても、そこに何をいれていいのかわからない。髪が伸びて、通院も一段落して、周囲はもう、わたしのことを治った、と思っている。でもわたしひとり混乱する日々が続き、自信もなくなり、相談できる場所もなく、不安ばかりの毎日でした。誤解を恐れず言うと、わたしはいまも、「神様は超えられない試練は与えない」「明けない夜はない」という言葉があまり好きではありません。その渦中にいるときには、なかなか素直に受け入れられない言葉でした。大丈夫だよって、言わなきゃ。周りを安心させなきゃ。これ以上心配掛けられない。気持ちになんの余裕もなく、いっぱいいっぱいでした。そんなときに出会った言葉。のりこえられなければ、這って進めばいいんだよ上手になんてできなくていい。人と同じでなくていい。泥んこになってしまったとしても、わたしはわたしの進みかたで進めばいい。辛かったとき、お守りのような言葉でした。わたしが救われたように、誰かに届いたらいいな。比べるのは昨日の自分。あなたはあなたの進みかたでいい。休み休みでも、進めればそれでいい。がんばら
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幸せのハードルの高さ

カオルです。6月が終わっていきます。皆さま、2023年前半、どんな毎日でしたでしょうか。わたしはおめでたいので、良かったことしかこころに残らないタイプです笑以前はそうではありませんでした。たぶん、病気をしてからだと思います。癌、出ちゃいました。医師はそう言いました。下ろしかけた腰がまだ椅子に着地する前、早口で言った医師の言葉を、いまもはっきり覚えています。30代で癌。検査を繰り返すごとに、濃厚になっていく癌。でもどこかで、「はーい、間違いでした、あなたは癌なんかではありませんでした〜」という、どんでん返しを期待してもいました。身体に残る傷。焼け爛れた患部。抜け落ちていった髪。変わり果てた容姿。社会から離脱した日々。明日がくるんだろうか。次の季節にわたしはいられるのだろうか。この世界に。1年ちかくぶりに走ることができた日。ウイッグを外した日。味覚を感じられた食事。また桜を見た春。季節の移り変わり。夕日の美しさ。明日がくると信じて寝られる夜。世界はなんて美しいのだろう。なにを見ても泣いた。幸せに満ち溢れている世界が素晴らしすぎて。いま、10年以上が経って、わたしにそんな過去があるだなんて、病気のことを知らない人はまったく信じられないだろうと思う。いまだに戻らない感覚もある。嗅覚、味覚。手足のしびれや体力や。でも、走れて髪も伸びてヒールも履けて、なんでも食べられて、病院も年に1回しか行かなくて良くて、毎日笑って元気に過ごせている。ときどき自分でさえ、忘れそうになる。わたし、かつて癌だったよなあ、と。でもね。幸せのハードルは低いまんまです。毎日、感謝しありがとうと思う。誰もに言いたい。
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乳がんと子宮頸がんの記録#16 救われた気持ち

子宮頸がんの手術は3週間後に決定した。乳がんの手術をして2か月経たずにまた手術。心身ともに参っていました。でも家族の前では元気に振る舞い手術したら大丈夫だから!と平気なふりをしていました。TVを見ていても内容なんて入ってこない。色んなタレントさんをみてなぜこの人は健康なのに私はがんになったんだろうと思ってしまう始末・・・もともと落ち込む性格ではなく逆境に強い方だと思っていたけど今回はかなりのダメージだった。その頃私は闘病ブログを始めました。今のようにSNSで発信する人は少なく私のブログにはとっても沢山の方が集まってくれました。私は癌になってる人の多さにビックリだったしその仲間たちと とても親密な交友関係が生まれるとは思ってもいませんでした。そしてその仲間たちに私も救われていきました。
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余命2週間の愛猫と、その日々を綴る (vol.5/14day)

このブログでは、私の愛猫シロの闘病生活を記録しています。 シロは現在、腎不全という厳しい病と闘っており、私はシロとの残された日々を大切に過ごしたいと思っています。今日もシロは生きています😊✨昨日、シロは注射を嫌がっていたので、本数を減らすことにしました。しかし、それが食欲をそぎ落とす結果となりました。それでも、私たちはシロのために夜に再度注射を試み、これにより吐き気がやっと鎮まり、食事を取ることができました。かつてのシロは、毎朝キッチンに現れてはご飯を求めるのが日課で、その姿を見るのが私の楽しみでした。しかし、最近では体力が落ちてきていて、キッチンの入り口まで歩くのがやっとな様子。そんなシロにヒーリングを施し、エネルギーを流して彼の苦痛を少しでも軽減するよう努めました。今朝、雨が降る中でもシロは外へ行きたがりました玄関ギリギリの所で「開けて」と言わんばかりに待つシロの姿に、私は少しの時間だけでも外に出してあげることにしました。美味しいのか?なんなのか分かりませんが、玄関のタイルをぺろぺろと舐め、それで口の乾きを潤していたようです。雨に濡れると体調が心配なので、早々に中に連れ戻しました。そして、やっと食欲を取り戻したようだったので、シロのご飯を用意してあげました。美味しそうに食べてくれて、本当にホッとしました💖食べないと体力がなくなってしまうので、食べることは何より大切です。そして、シロは寂しがり屋でもあるので、今日も沢山話しかけてあげようと思います。このコラムを読んでくださり、ありがとうございました😍シロの毎日を一緒に応援してくれると嬉しいです。*:.。 。.:*・゚✽.。.:
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余命2週間の愛猫と、その日々を綴る (vol.4/14day)

このブログでは、私の愛猫シロの闘病生活を記録しています。 シロは現在、腎不全という厳しい病と闘っており、私はシロとの残された日々を大切に過ごしたいと思っています。今日も何とかシロは生きております😊昨夜から食欲が、食欲は落ち込んでしまいましたが、何とか乗り越えています。体調が悪いにも関わらず、必要な注射を嫌がってしまったシロ💦気持ちは分かるけど、今のシロにとって命を繋ぐ大切な注射なので、少々強引にでも注射をしました。今朝、早々とじいじ、ばあばが「シロ‼シロ‼」と呼びかけていました。シロの大好きなお魚を焼いてくれたのですが食べないので、「食べなきゃダメだ!」と必死に声を掛けていたようです。そんな状況を見て、「こりゃだめだ」と今日もしっかりヒーリングを送りました。動物は人間と比べてエゴがないので、効果が伝わりやすいのです✨過ごしでも楽になるように…。その後ですね、その効果なのかは分かりませんが、病用食を口にし、外に出たいと元気を見せてくれました。少しの間でしたが、新鮮な外の空気を吸わせてあげました。しかし、体力がないシロは遊ぶこともなく、すぐに目を閉じてしまいました🤣その後、シロの毛を綺麗にブラッシングをして、家に戻しました。今日は、じいじとばあばが留守なので、シロが寂しがるらないように、声を沢山掛けてあげようと思います❣今日もシロと過ごせることに感謝しています🍀私のヒーリングは、シロのように病気と戦っているペットに対して、その苦しみを少しでも和らげ、元気を取り戻すためのものです。あなたの大切なペットが、もしも困難な状況に立たされているなら、ぜひ私のヒーリングを利用してみてください❣
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余命2週間の愛猫と、その日々を綴る (vol.3/14day)

今日もシロは起きることができました❤余命の告知を受けた時は、2週間も生きれるかな…という程、元気もなく深刻な状態でしたが、1日2回の注射によって、なんとか生きております🤩今日もヒーリングを施しました。食欲も徐々に戻ってきて、おかわりもしました。食べ終わると、部屋をぐるっと回り、外へ出たがる様子も!!こ驚異的な回復力です✨急いで手に入れた腎臓病の猫用の特別食も食べてくれて、栄養を摂ることができました。一息つき、冷静にシロの姿を見るこの時間が幸せを感じさせます❣ところで、新たに写真を撮ったところ、シロの衰えが際立っています。これを見ると、十分に手入れしていないように思われるかもしれませんね。実はシロは保護された時から目ヤニがひどく、白い毛が外で汚れやすく、どれだけ洗っても汚れを落とすことができないため、やや見かけが可哀想な姿なのです。さらに、田んぼや畑が好きなので、余計に汚れてしまいます💦 シロが好きなようにさせてあげようとした結果としての現在の姿です😅 また、自分自身での毛繕いが難しくなっているため、毛は硬くなっています…。ゴワゴワ💦昨日は、もう1匹の猫ナナ(1歳)に毛づくろいをお願いしました。頭だけなら…と、シロをきれいに舐めてくれました(笑)シロの見た目はヨボヨボなのですが、私にとって大切な家族です❣今日も、シロと共に過ごす時間を大切にしようと思います。
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(No.2) パニック障害とわたし

こんにちは、はるこです✿今日は私が持っているパニック障害について少しお話を。私がパニック障害をわずらって早10年になります。あまり停まらない特急列車離陸したらすぐには降りられない飛行機治療が始まったら椅子から降りられない歯医者狭いエレベーターなどの自由に身動きのとれない空間がとても苦手でそれを意識すればするほど気分が悪くなり結果、発作につながってしまいます(+_+)発作の症状は人それぞれらしいのですが私の場合冷や汗が出て目の焦点が合わなくなりサーっと血の気が引いて脳貧血のようなかんじで立っていられなくなります。静かな発作です 笑今はたくさんの有名な方がこの障害を患っていることをカミングアウトしてくれたおかげで名前だけは聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。でもこの『パニック障害』という名前どうにかならないのでしょうか。。パニックって…笑なんか…取り乱すみたいで誤解されやすい気がして嫌だなぁ…と思っています(-_-;)せめてストレス性交感神経過敏症とかストレス性脳内ホルモン不均衡症なんてこんなかんじの名前の方がいいなって勝手に思っています。あくまでも個人的に(*^-^*)もう10年付き合っていますが絶対に克服します。こんな障害なんかに負けません。絶対に負けません。
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私の闘病体験記~イメージ療法との出会い

コミュニケーションアドバイザーの ひろいあしと です。当ブログをご覧頂きありがとうございます!今回は自身の闘病体験をお話したいと思います。少しの間だけお付き合いお願い致します m(__)m私は20歳前半の時にB型肝炎を発症したことがあります。現在のようにB型肝炎のことがあまり広く知られていなかった時代にです。どういった病気か全く知識もありませんでした。最初は、背中、首などに大きい吹き出物が出始め、しばらくすると黒みがかった黄色の尿が出て体のだるさもヒドいこともあり、病院にいきました。そこで診断されたのが、慢性B型肝炎だったんです。 医者から知らされたのは、慢性B型肝炎は治ることはない。最悪、肝硬変で死亡するリスクもある。血液を介し人にうつる。うつった人は劇症肝炎になる可能性もあり死亡リスクも高いと・・・適切な治療薬もない、定期的に血液検査をして見守るしかない・・・ もう、目の前が真っ暗になりました。 自分が死ぬだけならまだしも、人にうつるなんて・・・ 結婚もしたいし人生楽しみたいそう思っていた時期に人を避けるようになりました。人に感染さないよう潔癖症の如く自分の使ったものは消毒して気を配りました。女性と付き合ってH、H、H三昧みたいな事ばかり考えてる年頃にですよ。(後に複数回、結婚することも知らずに・・・)しかし、このまま死んでしまうより徹底的に足掻いてやろうと決意し本を読み漁りました。読んだ本の中に書いてあった、肝臓病の表面に現れる症状について改めて自分の体を意識してみると、手足や目が黄色い、爪の付け根にある白い部分(爪半月)がない、爪に立て線が現れる、などなど当てはまること
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「意識不明から復帰へ2,000日闘病記」

私が表紙を担当させていただいたその縁で、その後もお仕事のお話をいただいたり、それ以外のプライベートなお話もさせていただいている坂田昌明さん。担当させていただいた書籍はこちらです。坂田さんは建築意匠設計の仕事をなさっていて、個人宅から超高層ビルまで手掛けているそうです。とても知見も深い方で、いろんなお話をしていただく中で得られるものが大きいです。ココナラのお仕事を通して、いろんなご縁ができるのって素敵なことだなぁと思います。普通に生活して、SNSやってるだけではなかなか出会えない方たちですから。坂田さんとは今後もお仕事をさせていただきますが、そんな坂田さんの著書。皆さんにもぜひ読んで欲しい本があります。「意識不明から復帰へ2,000日闘病記」この本は坂田さんご自身が肺結核と糖尿病を患い脳梗塞で倒れ、意識不明になってからの6年間にも及ぶ闘病生活。そのドキュメンタリーです。(ちなみにこちらの表紙デザインでは私ではありません)私も以前に「縁起でもないこと」というコラムを書きましたがもしあなたの大切な人が明日死んでしまうとしたらあなたは何をして どんな言葉をかけますか?日常で「死」について語るとたまに「縁起でもないこと言わないでよ」と、人は言う。でもその「縁起でもないこと」が至極当たり前にあっけないほど簡単に起きてしまうのも現実。ご家族・身近な大切な人、ご自身も。著名人のかたも「昨日まであんなに元気だったのに・・・」といことは、きっと毎秒単位で世界で起きていることだと思います。その「毎秒」が自分のところに降ってくるのはある日突然です。ちょうど、この記事を書いている途中。数日前の夕方のこと
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一気に寒くなりまして。

こんにちは、よめ子です。関東はすっかり寒くなりまして、本当に秋はどこへやら状態ですね。それでもまた来週は夏日が来るってんだから、本当に異常気象…。天気に体調が左右されやすい身としては、生活してるだけでくたくたです。さて、前回書いた父の入院ですが。おかげさまで病名も判明し、退院できることになりました。治療は続いていくのですが、今後は通院でも大丈夫との事で一安心。そこで詳しい経緯とか病気の具合を先生にお聞きしたのですが…幸いにも(?)私の持病と多少似ているところがあり、私はなるほどと思いながら聞いていたのですが。普段あまり大きな病気をしたことがない父と母は「??????」状態。先生もなるべくわかりやすく説明してくれていたのですが、結局家に帰ってから再度私が詳しく説明することに。でも、本来は父と母の反応が正しいのだと思います。私はもう20年近く持病を患っており、疾患も色々経験しましたし増えました。だから、多少の知識があって先生の説明もすんなり入るのですが…。いきなり大きな病気を告げられた方、そしてそういった経験のないご家族は本当にパニックになるだろうなと思います。今ではネットで簡単に検索できますが、基本的にネットは「最悪の場合」が書かれていることがとても多いのが現状です。私も発病したころは医師から「ネットで病気のことを検索しないで」と何度言われた事か(^^;)その情報にショックを受けて、鬱になってしまう人もいるそうです。どうしようと思った時は、まずはネットよりも誰かに話してみる事で、一旦気持ちを落ち着かせることも大切です。もちろん人に話したからって病気はよくなりません。でも、せめて気
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肝臓がんの食事

がん患者さんにとって、食事は治療の一つです。腎臓や肝臓、それぞれ食事療法は異なります。今回は、肝臓がんの食事について紹介します。①肝臓がんとは ②肝臓がんの食事 まとめ ①肝臓がんとは 肝細胞がんは、肝臓の細胞ががん化して悪性腫瘍になったものです。 手術や内科的療法を行います。 内科的療法とは主に薬物療法のことです。 ②肝臓がんの食事 栄養のバランスを第一に、気持ちよく食べることが大切です。 慢性肝疾患がある人は、禁酒しましょう。 腹水やむくみがある人は塩分にも注意が必要です。 まとめ肝臓がんの治療には、手術や薬物療法を行います。 食事も大切な役割を持っており、バランスよく食べる必要があります。 酒、塩分の制限がある場合もあります。 医師や管理栄養士に相談して、どのような食事が自分に適しているか知りましょう。
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話す事の大切さ。

ブログはお久しぶりになりました。よめ子です。実は先日父が入院をしました。ちょっと体の調子が悪いのですが、詳しい原因がわからないので調べるための検査入院です。おそらく原因がわかれば治療が進んで改善すると思うのですが…なにより本人がかなり意気消沈してしまって大変でした。主な症状が、足が痛くて思うように歩けない。食欲がない。なのですが、もともと食べるのが好きだし、自分でチャキチャキ動いていた父。今まで出来ていたことができなくなって。明らかに体の異変はわかっているのに、原因がわからない。そんな状況にイライラしたり落ち込んだりしてしまったようですね。なので、入院後電話ですがじっくり父と話をしました。そうしたらやはり、悩みや不安を人に話す事ができず、自分の中で溜めてしまい、常に最悪な方向ばかり考えていたことがわかりました。私は自分が難病を持っていることもあり、父の気持ちはとてもわかります。でも私と父の明確な違いは「話せる人がいるかいないか」でした。私はありがたい事に、闘病仲間や友達など家族以外の外部で愚痴ったり出来る人たちがいます。しかし父の場合は、もう高齢なこともあり、仲の良かった親戚や友達は亡くなってしまった方も多く、だからといって下町の職人気質でプライドの高い父は、家族には絶対に弱みを見せたくなく…溜め込んでしまってたんですよね。でもゆっくり話した事で、治療や検査に前向きになってくれて、話し声などもだいぶ穏やかになっていました。やっぱり病気・体の事というのは常に不安がつきまといます。でも父のように、中々気持ちの発散が出来ない人もいるのです。話したって病気が治る訳じゃない!という方もお
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食道がんの栄養治療

食道がんをご存知ですか? 食道にできるがんのことです。 今回は、食道がんの栄養や治療について紹介します。 ①食道がんとは ②食道がんの治療 ③食道がんの栄養療法 まとめ ①食道がんとは 食道にできるがんのことです。 食道がんの主な原因は喫煙と飲酒ですが。他にもたくさんあります。 食道がんになると、80%以上が食道を食物が通りにくくなり、低栄養を引き起こします。 低栄養とは栄養が不足したり、栄養を吸収できなかったりして栄養状態が悪いことを言います。 食道がんは喫煙や飲酒が原因で起こり、低栄養にもつながる危険な病気なのです。 ②食道がんの治療 食道がんの治療は内視鏡や化学療法、放射線療法などがあります。 がんの部位を除去したり、温存したりする方法がありますが、病気の進行度や患者さん自身の希望により、治療方法は様々です。 特に重要なのが、低栄養を防ぐための栄養療法です。 低栄養を防ぐために、手術前は特に栄養をしっかり摂っておくことが大切です。 こちらは脂肪がなく、飲みやすいです。 ③食道がんの栄養療法 食道がんの栄養療法は、以下の3つに分かれます。 ・経管栄養…経鼻胃管や胃瘻から栄養を注入します。 ・中心静脈栄養…点滴。食道が狭くなっている場合はこちら。 ・食事療法…手術後に何も障害がなければ、食道を傷つけないように柔らかいものから食べ始めます。 手術後は柔らかいものが絶対なので、少し物足りないかも知れませんが我慢です。 口から食事を食べてOKIなら、まず最初は重湯やお粥が出ます。 まとめ 食道がんには栄養治療がとても大切です。 手術の前からしっかり栄養を摂り、低栄養を防ぎましょう。
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実は…やってしまいました。

こんばんは!皆さんいかがお過ごしですか?ここ数日ブログの更新がストップしていましたが実は…。コロナに感染していました。2回目です。数日前に、注意喚起のブログを投稿したんですが実際自分が感染しました。前回のデルタ株からの違い。※同じ症状もありましたが・39.5℃の高熱・味覚嗅覚の以上※1・2日で回復・頭痛・鼻水・咳少々デルタ株に比べたら、比較的症状は軽かったです。前回は本当に症状も重かったんで人との接触(オンラインや通話など)を避けていたところ状態も下がり、心がどんどん落ちていきました。その反省から今回は人との関わりを大切にしました。・zoomでの勉強会への参加・仲間とのふれあい・本業のリモートワークへの積極参加すると、状態が下がるどころか状態は上向きになりました。ブログの再開は遅くなりましたが。でも、前回に比べたらめちゃくちゃ元気だったのでよかったです。日に日に感染者数も増加していてなかなか終息しませんが、どうか皆さんもご自愛くださいね!今日も最後まで読んでいただきありがとうございました!人間関係の悩み、日頃の悩み、愚痴、ストレス。一人で抱えていませんか?一人で抱え込むと、状態も下がっていき、日々の生活に支障をきたしてしまいます。そんな時は、一人にならないでくださいね。少しでも、笑顔を取り戻すために全力でサポートします!・悩みを吐き出すことで、すっきりする・悩みの原因(本質)が明確になる・改善策がわかる詳しくは下記の商品案内よりアクセスしてみてくださいね!
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新しいサービスについて。

ブログではご無沙汰しております。毎日暑かったり梅雨の戻りだったり大雨だったりと、異常気象が続いておりますが皆さまお体大丈夫でしょうか。私は新しいライフスタイルを整えるためにしばらくココナラをお休みしておりました。…が、色々落ち着きましたので、またというか今後はもう少し力を入れてしっかりとやっていけたらいいなと思っています。そこで早速ではありますが、いくつか新しいサービスを開始致しました。まずはトークルームでチャット形式のご相談受付。元々電話受け受けで出していたサービスではありますが。「電話は苦手」「チャット形式の方が楽」という声もお見掛けしましたので、私も取り入れてみる事にしました。私も一応闘病中の身ですので、体力的な所を考えて30分を基準でお話しできたらなと考えております(もちろん追加購入も大歓迎です!)これで少しでも、相談場所が増えたと感じて頂けたら嬉しいなぁと思います。また、新しく闘病・病院関連の相談項目を追加致しました。闘病には強いパートナーになって貰いたい、主治医・担当医に対しての疑問やモヤモヤなどの吐き出し・相談口です。こちらもチャット形式がありますので、お気軽にどうぞ。もちろん私は医療関係者ではないので、医師の言ってることが間違ってるよ!とか、こんな先生を探しな!とか無責任な事は言えません。そして、特定の病院や医師を叩こうとは一切思っておりません。そういう目的の方はご遠慮くださいね。20年の闘病・通院経験の中で・こんな先生は信頼出来てお世話になった・こんな先生は嫌だった・先生とコミュニケーションが取りにくい・嫌な先生だけどずっと我慢しないといけないの?などなど、あ
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■実はあれになって1年…

こんばんは!金曜日お疲れ様でした!今日はどんな1日でしたか?最近またコロナが増加していますね。福岡でも6,000人?超えて東京でも、19,000人を超えたとの報道がありました。実際どんな状況なのか報道が正しいのか分かりませんが実は昨年8月にコロナに感染しました。その時から約一年経つので改めてどんな感じだったのか振り返ろうと思います。少しでも参考になったらいいなと思います。※オミクロンとデルタで違いのでご了承ください。【症状】・高熱(最大40.2℃)・味覚嗅覚障害・倦怠感・肺炎2箇所・筋肉の低下・血中の酸素濃度92 ※95以下は危険だとのこと・自律神経に支障が出る・メンタルが沈む(人と関わりたくない、鬱っぽう感じになる)・脈拍120以上こんな感じでした。2週間の療養生活のうち、1週間は自宅療養、もう1週間は入院で快方に向かいました。ここで実際になってみての感想は・命の大切さ、生きることの大切さを改めて実感した・食事のありがたみを改めて実感した・親や周りの心配してくれた方々の大切さを改めて実感した・コロナは恐ろしいと実感した今からまたどんどん感染者数が増えていく可能性もあります。東京では5万人にいく可能性もあるとか。感染予防をしっかりし、早くコロナが終息してほしいと心から願います。今日も最後まで読んでいただきありがとうございました!人間関係の悩み、日頃の悩み、愚痴、ストレス。一人で抱えていませんか?一人で抱え込むと、状態も下がっていき、日々の生活に支障をきたしてしまいます。そんな時は、一人にならず一回話してみてください!少しでも、笑顔を取り戻すために全力でサポートします!詳しくは下
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呼吸法の大切さ

こんにちは、よめ子です。最近は滅多にないのですが、たまに呼吸が乱れて息苦しいというか…ちゃんと肺に酸素が行き届いてない感じがして、倦怠感や眩暈・動悸が訪れる時があります。もちろん肺の疾患などは検査で見つかっておらず。今話題の(?)パルスオキシメーターで測っても正常値。そんな時には、心療内科の先生に教わった「478呼吸法」を行っています。おそらくご存じの方もいらっしゃるかとは思いますが、ざっくり言うと…① 体をリラックスさせて息を吐き切る② 4拍かけて鼻から息を吸う③ 7拍かけて息を止める④ 8泊かけて口からふーっと細く息を吐き切るこの流れで行う呼吸法です。私は結構数時間がもう少し長くて、止める時間を短くしたくて。「558」とかでやっちゃったりもするんですが(笑)その先生曰く、とにかく自分の呼吸だけに集中する事で、体の調子を整えるのが大切だとの事(流行りのアニメみたいだ/笑)ペースはその人のやりやすい方法で大丈夫みたいですよ。丁度昨晩は発作ではないのですが、倦怠感と妙なざわざわ感が寝る前に襲ってきまして…これは2年ほど前に自律神経の乱れを指摘されてから、時々起こります。寝ようとうとうとしても、何かに引き戻されるように「ハッ」と起きたり、そもそも寝ようとして目を閉じると、なんか変な感覚で落ち着かなかったり。そんな時に私は「478呼吸法」を試します。私にはこれが結構合っていて、昨日も何度かしているうちにいつの間にか眠っていて気が付いたら4時間ほど眠れていました。また、もちろん日中でもこの方法は効果的です。調子が悪くなった時には、座れる場所、あわよくば横になれる場所で少し行うと、少し体
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新しいサービス始めました

こんにちは、よめ子です。本日から新しいサービスを出品させて頂きました。闘病関連のコミュニティに参加していると、恋愛や結婚に関するお悩みを目にすることが多くあります。病気はもちろん自分の問題。一生一人で生きていくなら自分が頑張るのみ。…ですが、そうした人ばかりではありませんよね。これから恋をする人、すでに恋人やパートナーがいる人。どうしても大切な人が出来ると、自分の闘病人生にも係わって貰わざるを得ない事が多くなります。以前、入院してた時に(当時32歳)まだ25歳くらいの女の子と仲良くなって、その子がずっと「いつ彼氏に病気の事を話したらいいんだろう」と悩んでいました。私と全く同じ病気だったのですが、その時は彼氏さんには重い風邪で胃腸炎とか肺炎とか起こしたからと言って、入院していたそうです。そこで、私は旦那との出会いやここまで来た話を踏まえて、その子と色々話をしました。最終的に、彼女は彼氏さんを病院に呼んで全てを話す決心をしました。病院は一生付き合っていくものだから隠し通すのは辛いし…私の話を聞いて、ちゃんと支えてくれる人もこの世にはいるし、自分の彼氏もそうだと信じてみたいと。その後お互い退院して、1年後位にLINE交換していた彼女から「彼と婚約しました」と嬉しい報告を頂きました。成功例を聞いて、彼を信じてみて良かったと言って貰えた時は、自分の体験が少しでも役に立ったんだなと本当に嬉しかったです。もちろん成功ばかりではありません。私もお別れや、心無い言葉を彼氏にかけられた事もありました。でもきっとどこかに自分と繋がる縁があると思います。もう自分は病気だから恋愛も出来ないやとか、こんな
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検査って疲れるね、、、

 9/7日。造影剤のCTです。2度目の体験の筈も、造影剤を入れた瞬間、体が気持ち悪い感触に。前ここまで気持ち悪かったっけ?とは言え、アナフィラキシーショックを起こしたわけでもなく、喘息持病がある為、CT後は30分間待機。会計は予想はしていたが、最も高い16480円!!懐いたぁああああい、、、これで最後の検査だといいな。(他の病気なんて見つかりませんように><)●8月16日→マンモグラフィー・エコー→2970円●8月17日→造影剤MRI→10170円●8月24日→組織診→8200円●8月31日→採血・心電図・肺のレントゲン→5260円●9月7日→ 造影剤CT→ 16480円だったけど、明細確認したら、画像診断は8250円となっていて、病理診断で8550円と別に料金が加算されてる。明細にHER2遺伝子標本作製って書いてある。アレ?サブタイプHER2で確定なんかな~。検体採取が8/24なので、丁度2週間だわ。さあ、後は9/17日に癌のサブタイプも判明し、(もう判明しているのでは…)いよいよ治療方針が決まるハズ。検査が進んで行くうちに、やはり実感が湧いて来たのか、少し気持ち沈んでいました。寂しさと焦りかな。実母に話訊いてもらって少し落ち着いた。
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良い主治医に出会ってますか?

こんにちは、よめこです。プロフィールや出品中のサービスでもお話をしておりますが、私自身は持病を持っており通院をしております。(今、体は全体的に落ち着いてはおります)そして全部で6科程にお世話になっています。そうなると色んな先生に出会うもので…今までも担当医が変更になったり、入院中の病棟担当医がいたりと結構な数の先生に出会ってきたものです。そんな中でいい先生悪い先生の、個人的分類も出るわけで…■良い先生・ちゃんと顔を見て話してくれる・「(専門外で)わかりませんね」と言わず、可能性を模索してくれる・検査結果データだけでなく今自分が感じている症状について話を聞いてくれる・雑談レベルの小さな症状もしっかり聞いてくれる・治療にあたってメンタル面も心配してくれる…え?それが普通じゃないの?って思う方もいらっしゃると思います。ですが結構、酷い先生は酷いんですよ(^^;)■悪い(苦手)な先生・PCの画面見ててこっちの顔見ない・この科の担当案件じゃないから、別の科で相談してくれと言われる(私の持病は体のどこに何が起きるか予測が出来ないのに、多分違うでしょうで流される)・検査結果データが普通だからと、実際に起きている症状は無視される・検査結果データが大丈夫なのでいつも通りの薬ですねと3分程で終わる(こちらが話す隙を与えない)ちなみに今の病院ではないですが、過去には態度の良くない先生に誤診をされ体が悪化した経験もあります。もちろん今通っているのが大きな病院なので、先生たちが忙しいのもわかっているのですが、患者が頼れるのは先生だけ。長い雑談はご迷惑になると思って控えますが、日常生活で気になる症状はもし
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「頑張れ!」は好きですか?

こんにちは、よめこです。いきなりですが皆さんは「頑張れ」と言われるのは好きですか?私は結構好きなほうです。言われると気合が入ります。でも、もちろん状況にもよります。もうこれ以上頑張れないよって時に言われたり、心無くとりあえず言っておけばいいやが見えまくってる時とか。プロフにもある通り私は難病を持っています。そうするとその界隈では「頑張れ」はあまり好きじゃありませんというコメントを拝見する事もよくあります。確かに、病気って頑張ればどうにかなるものではないし。病気と頑張って共存してるのに何をこれ以上頑張ればいいのとか。昨今では「〇〇さんも復活したんだから頑張れ!」と誰かを引き合いに出して頑張れを使われてしまう事もあります。そうした時に、本当につらい人にとっては「頑張れ」は凶器になってしまう。よく心を痛めてしまっている人に対しても「頑張れ」は良くないとも聞きますしね、一見励ましの上級言葉に思えますが、なんとも使い方が難しいなと思います。そしてその「頑張れ」が辛いか、それとも励ましになるか…を感じるのは人それぞれだとは思います。そしてこういう時に言われると辛いよねっていう共感は、同じ体験をした同士だからこそ分かり合える部分があります。私は割とポジティブなので、病気に関しても「頑張れ」を言われても「おう頑張るわ」位に軽く返してしまうんですが、こういう状況の時には辛い言葉だよな…というのも体験上心得ているつもりではあります。こうした何気ない言葉のモヤモヤ。もしかしたら健康な人だったら気になる事が少ないのかもしれないけど、闘病をしている人間だからこそ引っかかってしまうモヤモヤ(相手に悪意がな
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初めてのご購入に感謝を。

正直な話、悩み相談のサービス出品は沢山で、魅力的なものが沢山あるから自分の出品は需要がないだろうな。万が一にでも目に入れてくださった方がいたらラッキーだと思おう。…そう思っていましたが、初のご購入を頂きました!!coconalaさんからの通知は「待機時間が終了しました」ばかりだったので、最初はご購入希望者の通知に、半分パニックになってしまいました(笑)トークルームの使い方とかもまだまだ勉強中で、至らない点も多かったとは思いますが、本当に有意義なお時間を頂けて頭が下がる思いです。そして改めて、自分は人とお話をしたり、人のお話を聞いたりするのが好きなんだと実感しました。もちろんお会いした事のないお相手ですが、自然と流れる楽しいお話の時間、本当に幸せでした。また、お相手様の貴重な時間を頂けたうえに「ありがとう」を言って貰えることが本当に本当に嬉しかったです。私も同じようにそのお時間とコストパフォーマンスに見合った時間をご提供できていたらよいな…と祈るばかりです(初めてで緊張したところもあったもので)また、今後も私を必要としてくださる人とのご縁があると信じて、出来る限りここで待機してお待ちしていたいと思います。
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経験の温度差

こんにちは、よめこです。 今日は熱中症警戒アラートも各地で発動されていて…本当に命にかかわる猛暑ですよね。 外でのお仕事を余儀なくされている方々には申し訳なくは感じますが、不要不急の外出は控えて適温な場所で過ごしてくださいね。さて、今日は友達との会話の温度差のお話を少し。 私はプロフィールや現在販売中のサービスにもある通り、長い期間の闘病も経験しております。 時にはその中で起きたあれこれを友人に話したいと思う事もあるのですが…やはり健康な人には体験した事ないからわからなかったり、必要以上に深刻に取られてしまったり、逆に「頑張ればなんとかなるよ」という無知な激励が飛んできたりという「温度差」が発生します。なので飲み会やランチなど顔を合わせる場では、出来るだけ闘病に関する気持ちは自分の中に留めておく。我慢する。それしかないんだよな…と寂しさを感じていました。 そんな時に出会ったのが、SNSで同じ闘病経験を持つ仲間たちでした。 症状が同じ人、違う人、違ったところは多々あれども「闘病あるある」に笑ったり、共感はあっても無理な激励の押し付けはない。顔も見た事ない人たちがほとんどの世界なのに、普通の友人たちとは違う、ある意味温かい世界がそこにはありました。以降私は、リアルな友達と闘病仲間との住み分けを行って自分の気持ちを発信しています。 前置きが長くなりましたが、こうした電話相談サービスの場はある意味私にとっては「闘病仲間のコミュニティ」に近い役割の位置にいるのかなと感じています。顔も知らないし、「病気だ」という事意外は素性も知らない人もいる。 だからこそ話せる、吐き出せる本音もある。 日
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親との別れについて。看取りについて考えさせられた本。グリーフを軽減したい。

随分前に友人から、彼女の母親ががんで闘病 中だと聞いて、心を痛めていました。 近況を聞く度に、小康状態、悪くなっている、を繰り返し。とうとう余命宣告をされたと聞きました。  40代になり、そうか、親がいつまでも健康で、今と同じように支えてくれる訳じゃないんだ…、そもそも今その状態であるということは、私はかなり幸運なんだ…という思いが、脳内に薄っすらと滞在するようにはなっていましたが、彼女の置かれている状況が進んでいくのを追っていくことで、よりリアルに感じる機会を与えられています。  うつ病闘病中に父親を亡くし、それまでの父親との関係を後悔したんですが、それを考えると尚更、看取る時のことを考えて今行動することって必要だな、と思うようになりました。私は、精神面で母との繋がりが強いので、亡 くした時の不安から、グリーフケアについて関心があり、この記事の出来事にも繋がったのですが、グリーフ(喪失感)を軽減するために、後々の後悔を減らしたいと思いました。  ということで、手に取ったのが、“親とさよならする前に 親が生きているうちに話しておきたい64のこと”でした。他にも、大切な人を亡くした時の悲しみを綴ったエッセイ集などもありましたが、気持ちに寄り添いつつも、分かりやすく、しっかりノウハウを詰め込んであるなと感じ、手元に置いています。 著者の方は、自身の祖母を成年後見人として 介護、父親の看取りを経験された方で、その戸惑いや亡くした後の喪失感と向き合った経験を通して、予めどういう準備が必要かを、カテゴリに分けて具体的に記していらっしゃいます。  医師や弁護士監修で、その時に起こりがちな
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迫り来るリアル

その後10月26日のPET検査を実施。これもまた凄い検査だった。当方の解釈が合ってるかは不明だが、放射性物質を体内に注射しがん細胞を見える化する的な検査。放射性物質が体内に入るもんだから隔離的に実施される。スタッフの方達にも頭が下がる。毎日仕事としてこなしているだろうが、少しでも被爆したら大変だ。この件だけでなく本当に医療従事者様方には感謝しております。翌日にはその結果がわかった。首・肩・背骨・背筋に腫れがあり、ステージは4と診断されたが、重症化の値ではなく範囲が広いとステージが上がる事といずれにしてもこの段階なら抗がん剤治療で治ることを細かく説明された。あとは、病床が空き次第入院して頂きますので、病院からの連絡を待っていてくださいと収まった。うーん。。。なんかやばいな俺。。。
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霊感のある宇宙人な娘と天国のおじいちゃん

みなさん、お疲れ様です。 前回の続きです。 お義父さんが亡くなったことを ジジ大好きなランに伝えに行った。 「ジジ死んじゃった」と伝えると 「今ジジが私の部屋に来たから ママに伝えに行こうと思ったの」 そしてランは大きくなってから 初めてくらい大泣きした。 「ジジ今ここにいたもん」 「ジジ死んでないもん」 旦那の実家につくまでずっと声を出して泣いていた。 もちろん、私もケイトもルリも。 それほどみんなジジが大好きだった。 ジジの亡骸に対面しても ランは 「だってジジ泣きながら 椅子に座ってるよ」 「ババのこと心配そうに 近くにいるよ」 「いま、換気扇の下で たばこ吸ってるよ」と教えてくれた。泣いたりお義父さんを見たことで 体力を使い果たしたランは眠りについた。 翌日になるとジジの姿はハッキリと 見えなくなってしまったらしい。 でもぼんやり大きい男の人の存在は 感じていた。 ランはこの日も泣き続けた。コロナ禍だったので、親族だけで お通夜と葬儀を同日に行った。 葬儀会者のスタッフもあまりに孫達や私が泣くので私の事を実の娘だと勘違いしていた。「お孫さんに愛された優しい おじい様だったんですね」と言う言葉にますます涙が止まらなかった。その姿を見た実の父が「俺の時はみんなあんなに 泣かないだろう」と言ったそうだ。当たり前だ。人としての器が全く違う。比べること自体失礼だ。きれいなお花に囲まれ 棺で眠るお義父さん。 ルリとお義父さんの顔を撫でながら 「お義父さんどこにいますか? 教えて下さい」と言った。すると飾ってあった花の葉が一枚ヒラヒラ揺れた。 3秒くらいゆっくりヒラヒラと。 ルリと思
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深夜のこども見回り~ぬいぐるみまみれの私~

「もねちゃん、だいじょうぶ?」抗がん剤の副作用がひどい時、友人の家に泊めてもらうことがありました。5人家族で子供が3人の絵に描いたような温かい家族です。抗がん剤投与一日目の夜は地獄でした。船酔いが6時間以上も続くような感覚や高熱にうなされます。それを知った友人一家がある日、私に提案してくれたのです。「もねちゃん、一人では心配や。抗がん剤の日はうちで寝たらええよ」その言葉に甘えてみたのです。3人の子供たちよりも先に布団に入りました。一人部屋を使わせてくれたので誰もいません。でも、やっぱりしんどくて眠れませんでした。時間が刻々と経過していくだけで熱もどんどん上がっていく感覚です。すると深夜そっとドアが開いたのです。「もねちゃん、だいじょうぶぅ?」一番下の女の子が見回りに来てくれたのです。情けないことに私は声も出ません。女の子はぬいぐるみを枕元に置いて、そっと出ていきました。それから間もなくして「もねちゃん、ねむれる?」今度は長男君。同じくぬいぐるみを置いてくれました。そしてしばらくして今度は長女ちゃん「もねちゃん、だいじょうぶ?」その夜は代わるがわる子供たちが見回りに来てはぬいぐるみを私の枕元に置いてくれたのです。朝起きたら10匹以上のぬいぐるみに囲まれていました。声も出ないし、笑顔も作る余裕がなく、しかもカツラを外して寝ていたので、子供たちにとってはもしかしたら少し怖かったかもしれません。あの頃の写真を今日、たまたま見つけました。顔面蒼白で目も半分しか開いていません。子供たちは私のそんな姿をみて何を思っていたのかな。そしてこれは予想だけど、『深夜の見回り』は友達(子供たちの両親)
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【闘病の頃】抗がん剤治療中支えてくれたのは

3週間に一度の抗がん剤治療。とてつもなく苦痛でした。点滴中の痛みはもちろん、夜中に絶対に嘔吐や電流を流されたような痛みが襲ってきてトイレの床で倒れてしまうのはわかっていたし、点滴の跡が増えて左腕は青あざだらけでした。髪の毛もどんどん抜けて、鏡を見るたびに自分が自分じゃなくなっていくような気がしました。それでも治療をしなければ進行していくばかりです。なので、抗がん剤治療は自己との戦いでした。抗がん剤治療の直前の待合室。私には付き添いがいませんでした。もちろん他にも一人で来られている方はいましたが、ほとんどは家族が付き添っていたように思います。今でも印象深いのは、高齢のご夫婦です。ご主人が奥さんの手をギュッとにぎっていました。奥さんはニット帽をかぶり、穏やかな表情をしていました。私は一人。病院側も私が親族がいないという事情は知っていました。なので看護師さんが気を使って待合室の私に代わるがわる話しかけに来てくれました。看護師さん:この前より顔色ええやん!私:まあ、今夜は顔面蒼白でしょうけどね~(笑)と笑って返すこともありましたが、時々とてつもなく落ち込んだ状態の時もありました。私:○○さん(看護師)、私もう最近何食べても味が分からなくなってしまいました。カレーの味さえわからないんです。看護師さん:そっか~副作用やなぁ。でもちゃんと食べようとしてるのはええことやで。なんも食べられんようになって抗がん剤も中止になってしまう患者さんもおんねんで。でもしんどいよね。こんな風に共感してくれて、寄り添ってくれました。背中を押すのではなく、横にいてくれる。そんな感じです。抗がん剤は約2時間。私の場
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【闘病の頃の話】全身麻酔から目が覚めた時に居てくれたのは

30代で乳がんに罹患しました。私には当時、すでに頼れる親族はいませんでした。だから、入院時の書類にも緊急連絡先の欄には友人の名前で病院側にも了承を得ていましたが心細くてしたかなかったです。悪性腫瘍の摘出は、全身麻酔です。全身麻酔は恐怖です。麻酔薬の点滴が始まる瞬間に「もしも目が覚めなかったら・・・」と恐怖はピークに達するのです。今思い出しても、涙が出そうです。2回目の腫瘍摘出手術の日は、やはり数週間前から怖くて友人たちに弱音をこぼしてしまうことが多かったように思います。特にお世話になっている友人一家(ご夫婦と子供3人)の家には何度か泊まらせてもらいました。一人では辛すぎてたまらない時に、一家に囲まれて過ごし心を穏やかに保つように必死でした。その頃はもう、髪の毛は抜け落ちていて無邪気な子供たちは「もねちゃん、髪の毛ちょっと少なくなったの」と聞いてきました。「そうなんだ~でもね、また前みたいに長くなるからね」とにっこり笑顔で答えていました。そして腫瘍摘出手術の当日。全身麻酔。無事に目が覚めたらそれで充分。そう願って眠りにつきました。それからの記憶はありません。そして目が覚めると、予想外のことが起きていたのです。ベッドを囲むように友人一家が私の目覚めを喜んでくれていたのです。麻酔明けで、呼吸器も付けていて、頭もぼーっとしていましたがとても嬉しくて、嬉しくてたまりませんでした。手術開始の時間だけは伝えていたので、終わる時間なんて未定です。しかも目が覚めるのはいつになるかなんてわからないはずでした。小さい子供は小学一年生。きっと待ちくたびれたでしょう。病院という無機質な場所で、みんなは私
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私の背中を撫でながら号泣してくれた看護師さん

『私には家族がいません。だからもう治療しても意味ないかもしれません』その日は抗がん剤治療の日でした。だけど精神的にずいぶん落ち込んでいた私は、腫瘍内科の担当医と看護師との面談でいら立ちをぶつけてしまったのです。『誰にも必要とされていないから、がんになったんだと思う。両親にも見放されたし、おじいちゃんも、おばあちゃんももう死んでしまった』『叔母だって白血病で亡くなった。今度は私の番なんだって思う』次から次へと怒りに満ちた言葉が溢れて止まりませんでした。主治医は否定せずじっくりと私の話に耳を傾けてくれました。看護師さんは、私の背中をさすってくれました。しかし看護師さんはいったん診察室から出て行って3分後くらいに戻ってきたのです。そしてさっきより私の背中を大きく、優しく擦ってくれたのですが泣いていることに気が付いたのです。『泣いているんですか』と聞くと『ごめんなぁ、私がもねさんの家族やったらよかったのにな・・・しんどいよなぁ』と。治療の不安が伝わっていたのです。なんだか申し訳ない気持ちと、わかってくれて嬉しい気持ちで、私の怒りは消えました。看護師さんの涙が怒りを流してくれたのだと思います。その看護師さんはおそらく私より5歳くらい年上かと思います。抗がん剤治療の時は待合室で私だけ付き添いの家族がいない事を気にかけてくれたのか、隣に座ってくれました。今、このブログを書きながら涙が出そうです。カツラを変えた時は『めっちゃかわいいな~』とほめてくれることもありました。入院中も私が昼寝しているときに、そっとメッセージカードを残してくれました。病気はとても辛かったです。だけど今思い出すのは、辛さ
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