【闘病の頃】抗がん剤治療中支えてくれたのは

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コラム
3週間に一度の抗がん剤治療。

とてつもなく苦痛でした。
点滴中の痛みはもちろん、夜中に絶対に嘔吐や電流を流されたような痛みが襲ってきてトイレの床で倒れてしまうのはわかっていたし、点滴の跡が増えて左腕は青あざだらけでした。

髪の毛もどんどん抜けて、鏡を見るたびに自分が自分じゃなくなっていくような気がしました。

それでも治療をしなければ進行していくばかりです。
なので、抗がん剤治療は自己との戦いでした。

抗がん剤治療の直前の待合室。
私には付き添いがいませんでした。もちろん他にも一人で来られている方はいましたが、ほとんどは家族が付き添っていたように思います。

今でも印象深いのは、高齢のご夫婦です。
ご主人が奥さんの手をギュッとにぎっていました。
奥さんはニット帽をかぶり、穏やかな表情をしていました。

私は一人。
病院側も私が親族がいないという事情は知っていました。なので看護師さんが気を使って待合室の私に代わるがわる話しかけに来てくれました。

看護師さん:この前より顔色ええやん!
私:まあ、今夜は顔面蒼白でしょうけどね~(笑)

笑って返すこともありましたが、時々とてつもなく落ち込んだ状態の時もありました。

私:○○さん(看護師)、私もう最近何食べても味が分からなくなってしまいました。カレーの味さえわからないんです。

看護師さん:そっか~副作用やなぁ。でもちゃんと食べようとしてるのはええことやで。なんも食べられんようになって抗がん剤も中止になってしまう患者さんもおんねんで。でもしんどいよね。

こんな風に共感してくれて、寄り添ってくれました。

背中を押すのではなく、横にいてくれる。そんな感じです。

抗がん剤は約2時間。

私の場合は爪がボロボロになっていたので、両手足先には点滴の効果が弱くなるようにキンキンに冷えたグローブのようなものを装着させられました。

ベッドは個室のようにカーテンで周囲からの視線を遮ることが出来ます。

看護師さんたちは時々カーテンをあけて、私の様子を見に来てくれました。
時々鼻水を流しながら子供のように泣いたりしました。

私の心はそんなに強くなかったのです。

私:手足が冷たくて、頭も痛くて、どうせ夜も辛いのが怖いんです
看護師さん:うん、うん、そやね。冷たいの外そか?

私:外したらまた爪が割れるからこのままでいいです( ;∀;)うぅ・・・
看護師さん:そっか、もうちょっとの辛抱やね

とにかく心はいつも波がありました。

そんなとき看護師さんたちは、いつも支えてくれたのです。

今思い返せは、闘病中の涙の大半はもしかしたら支えてもらっていたことに対しての‘感謝の涙’なんじゃないかと思うことがあります。

不思議な事に、今は治療の苦痛よりもあの頃に感じた周囲の人たちへの感謝の気持ちが大きくて『辛い出来事』だったのには変わりはないんだろうけど、人生で最も人に優しくしてもらえた時期でした。

だからかな、自分でいうのもおかしいのですが病気になる前よりも人の気持ちを考えるようになったと思います。

もちろん人によって病状や環境は違います。あくまでも私の話です(^^)

これからの人生は‘感謝’の気持ちを忘れずに生きていきたいと思います。







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