加害と被害の境界が揺らぐ話を、そのまま聴く。 ―吉田恵輔監督作品と、傾聴のしごと。
映画好きが高じて、いろんな監督の作品を観てきましたが、吉田恵輔監督の作品には、他の監督にはない独特の「揺らぎ」があると感じています。誰が悪くて、誰が正しいのか。観ているうちに、その境界線がどんどん曖昧になっていく感覚です。今日はそんな吉田監督の作品を通して、私が普段の「傾聴」の仕事で感じていることをお話ししてみたいと思います。前半と後半で、世界が反転する衝撃 ―「ヒメアノ〜ル」吉田監督作品の中で、私が一番強烈だったのは「ヒメアノ〜ル」です。前半のどこか間の抜けた、ダメだけど愛せるような空気から、後半一気に地獄のような展開へと突き落とされる。あの温度差は本当に圧巻でした。同じ映画の中に、まったく異なる二つの世界が同居している。その落差こそが、吉田監督の作家性そのものだと思います。「加害」と「被害」の境界が揺らぐ物語たち「空白」「ミッシング」は、事件そのものよりも、その周囲にいる人たちの反応に焦点を当てた作品です。娘を失った母親が、世間の好奇の目にさらされ、いつしか「被害者」なのに責められる立場に追い込まれていく。誰が加害者で誰が被害者なのか、観ているうちにわからなくなってくるんですよね。「犬猿」も、兄弟という近すぎる関係の中で、加害性がじわじわと滲み出てくる作品でした。「神は見返りを求める」も同様に、正義感の裏側にある身勝手さを容赦なく描いていて、単純な善悪では割り切れない後味が残ります。軽やかさもちゃんとある ―「純喫茶磯辺」「さんかく」一方で「純喫茶磯辺」や「さんかく」は、同じ監督とは思えないくらい軽やかで、面白おかしく観られる作品でした。でも、その軽さの中にも、人間の身勝手
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