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人間は文章を見た時に何に反応するのか知ってますか?

こんにちは、にょびたです。子供の頃の私は、本をほとんど読まない少年でした。その頃はファミコン全盛期だったので、本よりもゲームをする方が楽しかったからです。そして、ずっーーと小学校から帰ってから寝るまでゲームをしていたので、ゲームバカと言っても過言ではなかったと思います。しかし、今では読書家とまでは言えませんが、人並みには本を読んでします。では、なぜ本を読むようになったかというと、「知りたい!」と思うことができたからです。高校生の時、生物の授業で遺伝子について勉強しました、それが面白いと思ったんです。なので、私は大学は遺伝子の勉強をもっと専門的にしたかったので、遺伝子工学科に行きました。その辺りから、遺伝子関連の書籍を少しずつ読むようになりましたね。例えば、大学生の頃に話題になった、世界で初めてイギリスで生まれたクローン羊のドリーの書籍とか、「利己的な遺伝子」という進化に関する書籍とか、「第三版 細胞の分子生物学」という1,000ページを超える教科書的な書籍などの専門分野の本を最初は読んでいました。「知りたい!」という知的好奇心が「本を読むのが嫌だ!面倒臭い!」という感情に勝ったのだと思います。今でも知りたいことや、気になったことに関する本を読む機会が圧倒的に多いので、「知的好奇心」が行動する動機になっていると思います。そして、本を読んでいると、今自分の人生の壁をぶち破るヒントとかが、さらっと載っていたりするので、本を読むことは大切だなぁ〜と、今ではしみじみと感じています。さて、本や広告などの文章を見たときに、人間は何に反応して文章を読むのか知っていますか?反応するとは、それがキ
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デザインとは無縁の私がデザイナーになったわけ

こんにちは、センカ(senka)です。現在、小さな情報系サービス会社の取締役を務めながらグラフィックデザイナーとしてフリーランスでもお仕事をしております。メインはロゴやお名刺・各種ツールなどのブランディングに関わるデザインです。デザイナー歴は10年ほどになりますが、そもそも10年前はデザインとは全くの無縁。4年制大学の文学部を卒業し一般アパレル企業に就職しました。学生時代も絵や芸術には疎くまさかデザイン系のお仕事を自分がするとは夢にも思っていなかったです。友人にも「ある意味天才よ」と言われる画力でした!笑デザインを学ぶきっかけ、それは子供が幼稚園に入園したことでした。子供が入園して昼間にやることがない!暇な時間に余計なことを考えてしまう!もともと好奇心旺盛な性格だったので、家事をして過ごすだけの日々に精神が崩壊してしまったのです!!今も不潔恐怖の症状に多少なり悩まされる日々です。公衆トイレに入れないんです…洗い物も毎日かなりの量で…あ、話が逸れました。そこで、両親が経営していた医療系冊子を作る会社を手伝うため、デザイン系の通信教育を始めたのがきっかけでした。同時に精神疾患に悩まされた私は心理学についても勉強するようになり、人間が無意識のうちにデザインから受ける心理的影響を理解するようになりました。図形や色が人に与える印象の違い、誘目性の高いデザインとは、多くの人が暖かく優しい気持ちになるデザインとは…人がなぜその色や形に惹かれるのかは、ちゃんとした理由があるんだ!それがわかると、世の中には意図と外れたデザインが多くあることに気づきます。特に企業の顔であるロゴや意図とずれたブラン
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いつもそこにあるもの

最近感染者数がまた増え、いつまでもニュースに振り回されてしまうコロナ。北海道の感染者数が増えていますが、10月1日から6日にかけてお墓参りで北海道を訪れていました。ススキノなどは想像以上に観光客で溢れていましたので現在の状況はそれも影響しているかもしれませんね。帰りの飛行機が飛ぶ新千歳空港は小雨模様でどんよりとした雲が空を覆っていました。ジェットエンジンの放つ唸りと席に押しつけられる感覚で少しドキドキしながら離陸すると飛行機は雲を抜け、座席の窓の外に青い空が広がりました。地上の雨を降らせていた雲は遥か眼下に見えています。上空は真っ青な青空。雨が降っていたせいか虹もかかっていました。そんな景色を眺めながらふと「空はいつもそこにある」と思いました。地上にいると雲がかかれば見えなくなってしまいますが、見えなくてもそこにある。人の潜在能力もそうではないでしょうか?いままでその能力を発揮できなかっただけでいつも私たちの中にある。飛行機の座席でそんなことを考えていました。今、放送大学の心理学関連の講座を受講しています。その中の一つに認知心理学がありますが、テキストにこんなことが書いてありました。私たちの気分や行動、もしくは身体の反応は出来事そのものでなく、「その出来事の解釈の仕方」に影響を受ける。解釈は幼少期の体験や過去の経験から積み上げられた思考のクセにより「推論の誤り」や「自動思考(意図していないのに湧き上がる思考)」を発生させます。雨が降れば心身ともに少し嫌な気持ちになる人が多いのではないでしょうか?これを先ほどの文章にあてはめれば雨そのものが嫌なのではなく、雨をどう解釈するかで嫌な
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独断的な発言をして頑なな態度をとってしまうのは専門家!?だがもっと恐ろしいのは・・・?

今回はあるバイアス(思い込み)についてです。 そのバイアスとは、「体得された独断効果」というものです。 これは専門家が良くかかるバイアスです。 テレビに出てくる専門家の中には、「なんか偉そうに聞こえる」とかって思ったことはありませんか。 それがそのバイアスなのです。 でも、いくら鼻についても「専門家の意見だから」と思われ、大方受け入れられてしまうのです。 ただし、その意見が正しいかどうかは別です。 で、今回の研究はもっとすごくて、素人を対象にしたものです。 何がすごいかというと・・・。 自分が詳しいと思うだけで!? イリノイ大学アーバナシャンペーン校のヴィクター・オッターティたちは、自分が専門家であるという自覚が及ぼす影響について調べた。 つまり、その分野について詳しいという自覚さえあれば、たとえ専門家でなくてもいいということだった。 実験では、参加者に特定の分野に関して専門家、あるいは新米のどちらかの自覚を植え付けた。 例えば、政治の歴史に関するテストを受けさせた。 テストの内容は、「リチャード・ニクソンの最初の副大統領は誰か?」と言った選択形式の問題が15問。 その際、参加者の半数には簡単な問題を出し、残りの半数には難しい問題を出した。 その後、調査員が参加者にデタラメな情報を与えた。 簡単な問題を出題されたグループには全体の86%より上位の成績だったと、難問を出題されたグループには 全体の86%より悪い成績だったと、両方のグループに嘘の結果を伝えた。 それから、全員に寛容さを測る認知テストを実施した。 その結果、成績が良かったといわれた
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「脳科学と深層心理学のコラボレーション⑯」 ~「人間性」の根幹に関わる「脳」と「心」のヒミツ~

(6)「心」の3つの扉を開けてみよう ①「第一の扉」は誰でも出入り自由  人間の「心」には建前・本音・本心の三層があり、「心の壁」にも3つの扉があります。その「第一の扉」は基本的に誰でも入って来てよいとする(心理的抵抗が少ない)、建前や付き合いの世界です。 ②「第二の扉」はごく親しい人にのみ開かれる  より深奥にある「心」の「第二の扉」を開くと、本音の世界が広がります。誰でもかれでも入れてしまうと軋轢が生じたり、自分が傷ついたりしてしまうので、心を許したごく少数の人にのみ開かれるのです。身内や親友だけが出入りするが、時としてここを固く閉ざして開かない人もいます。 ③「第三の扉」は自分ですら開けたくない  「心」の最深奥にある「第三の扉」はほとんど開けたこともなく、カギもさびついていて、自分すら入れないこともしばしばです。むしろ入りたくない、開けて中を見たくない扉です。古来、アウグスティヌスやルター、マザー・テレサなど、劇的な「回心」を遂げた人は、この「第三の扉」をノックされ、ついに開けてしまった人達なのです。
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「脳科学と深層心理学のコラボレーション⑮」~「人間性」の根幹に関わる「脳」と「心」のヒミツ~

(5)「脳の活用」と「心の活用」は別物なのだ③「脳の活用」は脳科学で、「心の活用」は深層心理学で  「脳」は「人体最後のフロンティア」と呼ばれ、最も高度で複雑な臓器ですが、20世紀後半から急激に研究が進んでいます。当時はまだ「脳科学」という言葉はなく、「大脳生理学」と呼んでいたのです。総合的な「脳科学」の成果は「脳の活用」の仕方を教えてくれます。  一方、古くて新しい「心の学問」たる心理学は、「心の活用」とも言うべき性格形成論から人間関係論にまで応用されるため、誰もが知っておくべき教養として考えるべきでしょう。 「大脳生理学」~1909年、大脳皮質の細胞構築学的研究をしたブロードマンにより、ヒトの大脳皮質は52の分野に区分され、各皮質野に番号を付けた脳地図(「ブロードマンの脳地図」)が作成されました。さらに発生学的に「旧皮質」「古皮質」から成る「大脳辺縁系」と「新皮質」から成る階層構造になっていることが明らかになりました。 そして、1960年代から1970年代にかけてスペリー(ノーベル生理学・医学賞受賞)らによる「分離脳研究」が盛んになり、「左脳」「右脳」の機能が明らかになると共に、ペンフィールドやエックルズ(ノーベル生理学・医学賞受賞)らによって「脳」と「意識」の問題が追求されるようになったのです。 1980年代に入って、放射線で血流を断層撮影するポジトロンCT(PET)や機能的MRI(磁気共鳴断層撮影)などで脳の活動を科学的に計測出来るようになり、脳研究が格段に進むこととなりました。 かくして「大脳生理学」(神経生理学)に関連諸科学を統合した「脳科学」(神経科学)が成立す
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「脳科学と深層心理学のコラボレーション⑭」~「人間性」の根幹に関わる「脳」と「心」のヒミツ~

(5)「脳の活用」と「心の活用」は別物なのだ②高度な宗教修行者は「脳」と「心」が別物であることを知っている 仏教修行の土台であるヨーガでは「体位法」「呼吸法」「瞑想法」の3つを駆使しますが、このうち「体位法」「呼吸法」が「脳」及び神経内分泌中枢の開発に主眼を置き、「瞑想法」は「心」の開発に主眼を置いてい。ただ、「脳」と「心」は別物であると同時に密接不可分の関係にあり、「脳」を離れて「心」は成長せず、「心」を離れては「脳」は機能しないのです。 「心脳二元論」~「脳」は記憶しますが、興味を持つのは「心」です。いくら「脳」が経験しても、「心」が興味を持たないものは「脳」は一切取り入れません。したがって、それは経験にならないのです。例えば、「脳」は神を認めなくても、「心」は神にすがるのです。 「シャマタ」(奢摩多、「止」)~「心」が止滅した状態。外界の対象に向かう感覚器官を制御して、心の働きを静める行です。「無心定」とも言います。一般的な「瞑想法」としては、自己を完全に否定するプロセスが必要になります。 「ビバシャナ」(毘鉢舎那、「観」)~統一された心の思惟観察の働き。静まった心に対象の映像をありありと映し出す観法の行です。一般的な「瞑想法」としてはイメージ力の強化が必要となります。 「双運」(そううん)~「止観」(シャマタ・ビバシャナ)の行を同時に行なうこと。対象を完全に消滅させると同時に、全く別の対象をそこに現出させる行です。「成仏法」(成仏陀)も「成功法」も全ては突き詰めれば「双運」です。  すなわち、竜樹(ナーガールジュナ)らが大成した初期大乗・空仏教の目指した「空」を、無着(
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「脳科学と深層心理学のコラボレーション⑬」~「人間性」の根幹に関わる「脳」と「心」のヒミツ~

(5)「脳の活用」と「心の活用」は別物なのだ ①「心」は「脳の産物」「脳の機能」か?  素朴な唯物論者は「心」は脳の神経活動そのもの、化学反応の産物、脳の機能であると考えます。大多数の脳科学者もこれに入るでしょう。もしそうであるならば、「脳」が消滅した途端(「死」)、「心」も消滅しなければなりませんが、「臨死体験」「近似死体験」の研究や「霊性」の研究から、「心」はむしろ「霊魂」の方に存在すると考えられます。 「臨死体験」~1975年に医師のエリザベス・キューブラー=ロスと、医師で心理学者のレイモンド・ムーディが相次いで著書を出版したことで目されるようになりました。 キューブラー・ロスのそれは『死ぬ瞬間』(1975年)で、約200人の臨死患者に聞き取りし、まとめたものです。欧米での研究では、臨死体験には共通してあらわれやすい要素があることが指摘されています。 ・自分の身体の外側に抜け出たような感覚(体外離脱体験) ・暗いトンネルを光に向かって通り抜ける体験(トンネル体験) ・光に満ちた、お花畑のような美しい世界(光体験) ・人生を走馬灯のように振り返る(人生回顧体験) ・境界線(三途の川など)を見る(異世界体験。生還者はそこを超えない) ・死者の霊や神との出会い(守護霊体験。帰れと言われることが多い)  これは特定の宗教・信念・文化・性別・年齢などによらず、普遍的な実在を示すものであり、これを一般的に「霊界」と呼ぶならば、そこに行く存在は「霊魂」「霊人」、こうした霊的世界に対する感性は「霊性」ということになるでしょう。 近代医学・近代心理学は「宗教と科学の分離」のあおりを受けて、
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「脳科学と深層心理学のコラボレーション⑫」~「人間性」の根幹に関わる「脳」と「心」のヒミツ~

(4)「無意識の発見」と複数の「私」の存在③深層意識・潜在意識・表層意識からなる「私」の多層性  「深層意識」の中にキリスト教的「神性」「原罪」、仏教的「仏性」「業」、儒教的「本性」、ユング的「元型」などが存在し、「潜在意識」の中にフロイト的「抑圧」「トラウマ」、「ウォンツ」などが存在し、「表層意識」の中に「自我意識」「ニーズ」「嗜好性」などが存在していると思われます。自覚的な「私」(表層意識)は10%にも満たず、氷山の一角であるといいます。 「阿頼耶識」(あらやしき)~「根本識」「一切種子心識」(いっさいしゅじしんしき)「蔵識」(ぞうしき)とも言います。心識の根本的主体にして、全ての経験・記憶の保持者であり、輪廻(生まれ変わりではありません)の主体であると共に、悟りの当体でもあるといいます。中期大乗の『解深密経』(げじんみつきょう)の中心思想として出て来ました。これは後の唯識思想の先駆とも言えます。 「如来蔵」(にょらいぞう)~「仏性」とも言います。中期大乗の『勝鬘経』(しょうまんぎょう)で説かれました。 「唯識思想」~「阿頼耶識」思想は人間の「矛盾性」「罪性」の分析から生まれたもので、儒教で言えば「性悪説」の精緻な分析です。「如来蔵」思想は人間の「本性」「仏性」「神性」の分析から生まれたもので、儒教で言えば「性善説」の精緻な分析です。やがて、この両者は中期大乗の『楞伽経』(りょうがきょう)で融合・統合され、儒教で言えば「性善・性悪説」となるのですが、さらに「瑜伽」(ゆが、ヨーガ)実践の見地から『瑜伽師地論』(ゆがしっちろん)において修行過程が編成され、「唯識思想」の誕生とな
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「脳科学と深層心理学のコラボレーション⑪」~「人間性」の根幹に関わる「脳」と「心」のヒミツ~

(4)「無意識の発見」と複数の「私」の存在②古皮質・旧皮質・新皮質に対応する「心」の多層性  「旧皮質」「古皮質」からなる「大脳辺縁系」は本能行動・情動行動をつかさどり、「たくましく」生きてゆくことを可能にします。「新皮質」系は適応行動をつかさどって、「うまく」生きてゆくことを可能にすると共に、創造行為をつかさどって「よく」生きてゆくことを可能にします。 心理学的には「旧皮質」はユングの言う「集合的無意識」、人類的無意識である「深層意識」に相当し、「古皮質」はフロイトの言う「個人的無意識」、ソンディの言う「家族的無意識」である「潜在意識」に相当し、「新皮質」は表層意識である「顕在意識」にそれぞれ相当すると思われます。 「大脳辺縁系」~「大脳皮質」は発生学的に「旧皮質」「古皮質」「新皮質」に分けられ、古い「旧皮質」「古皮質」と新しい「新皮質」との大きく2つに分けられます。  魚類から嗅覚に関わる「旧皮質」が現われ、両生類で「古皮質」が加わります。この「旧皮質」と「古皮質」をあわせて「辺縁皮質」と言います。そして扁桃体や海馬、帯状回などと共に「大脳辺縁系」を構成し、情動や欲求、本能、そして自律系の機能を受け持っているのです。  また、哺乳類になってから「新皮質」が新たに出現し、本能に加えて知能をも獲得しました。人間は「新皮質」が大脳のほぼ全表面を覆っており、「旧皮質」や「古皮質」は大脳の深い所に押しやられ、例えば大脳半球の内側底面にわずかに残る程度となっているのです。  ただし、人間でも記憶の固定に関わる側頭葉の海馬や嗅覚路にある前梨状皮質は「古皮質」です。つまり、「短期記憶」「作
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「脳科学と深層心理学のコラボレーション⑩」~「人間性」の根幹に関わる「脳」と「心」のヒミツ~

(4)「無意識の発見」と複数の「私」の存在 ①「私」ではない「私」が「私」を動かす  「後催眠暗示」によって、「私」を動かす「無意識」の存在が明確になりました。これを探求したフロイトの画期的業績によって近代心理学は大きく前進し、現代思想でこうしたフロイト思想(「無意識の理論」)の影響を受けていないのものは皆無とまで言われますが、「心の修行」を重ねてきた仏教においては、紀元前に「随眠」(ずいみん、無意識)の存在に気づき、5世紀の段階で「阿頼耶識」(あらやしき、潜在意識・深層意識)を駆使する体系を構築していたのです。 「後催眠暗示」~医師が被験者を催眠によって眠らせ、一定の時間に一定の行動を命じ、この暗示を与えてから被験者を目覚めさせます。一定の行動とは例えば、目覚めてから30分後に診察室中を四つん這いになって歩くことなどです。被験者は完全に意識を回復し、命じられたことは何も覚えていませんが、医師に指定された時間になるとそわそわし始め、何かを探す風をし、ついには四つん這いになるというのです。その時、被験者は小銭とかボタンを無くしたなどともっともらしい言い訳をしながら、結局、命じられた通りに四つん這いの姿勢であちこちを探し、診察室中を一周するのですが、命じられたという事実を思い出すことは決してなく、あくまでも自分の「自由意志」でそうしたと信じているのです。  フロイトはこの実験から「精神分析学」を発展させることになるのですが、この実験で明らかになったことは次のようなものです。 (1)「無意識的精神」が存在していること。なぜなら、被験者は命令を正確に理解し、記憶したからです。 (2)「
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「脳科学と深層心理学のコラボレーション⑨」~「人間性」の根幹に関わる「脳」と「心」のヒミツ~

(3)「私」は「脳」のどこにあるのか?③実は「私の心」は左脳にも右脳にもない  「左脳」は時間性・収束性を持ち、論理を駆使しますが、「右脳」は空間性・発散性を持ち、イメージを駆使する存在で、両者は脳梁を通じて情報交換し、「私」という自我意識によって一つの「人格」として統一されます。すなわち、価値を追求したり、意味を与えたりする「私の心」に対して、価値や目的実現の道具として駆使されるのが「脳」なのです。 「創造性」~人間の心の対象的部分が2つあるのは、人間にしかできない創造活動を行うのに不可欠な構造になっていると考えられます。漫才でも「ボケ」と「ツッコミ」がなければ成立しないように、全ての創造的作業は両極端の機能を果たすもの、例えば「次から次へと問題を起こすもの」と「その問題を必死に収拾するもの」が何らかの強力な統轄力によって統合される所にのみ、成り立つのです。  すなわち、「左脳」だけでものを考える人はいわば「コンピュータ」人間であり、「論理」が堂々巡りする「言葉」遊びの世界から抜け出すことが出来ません。また、「右脳」だけでものを考える人は「芸術家」タイプであり、次から次へと「イメージ」を爆発させますが、「言葉」で表現しない限り、他人の理解は得られず、自分でもそれが果たして正しいのか確認出来ないのです。  これに対して、真に創造的な人は、まず「右脳」で「イメージ」を無限にふくらませますが、この時、「時間」は止まっており、「イメージ」は「空間」の中で複雑な構造を織り成していきます。そして、「これだ!」と閃いた「イメージ」をすかさず「左脳」に渡し、四苦八苦しながら「言葉」に翻訳する
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「脳科学と深層心理学のコラボレーション⑧」 ~「人間性」の根幹に関わる「脳」と「心」のヒミツ~

(3)「私」は「脳」のどこにあるのか?②動物的直観を持つ「右脳の心」  左半身を統御する「右脳」は直観的把握に長け、「動物の心」にも通じますが、左脳摘出患者の「自我意識」は決して消滅しないため、「左脳の心」と「右脳の心」は「私」そのものではなく、「私」によって統轄される、それよりも下位の精神作用であることが分かります。 「左脳摘出」~「右脳」に「私」という「自我意識」が存在しないことは「分離脳」患者の症例から明らかになりましたが、その「左脳」を摘出しても「自我意識」は消滅しないのです。言語能力を失うので全く話せなくなりますが、「自我意識」は崩壊せず、摘出前後の「自我意識」の連続性も確認されています。 しかも、「左脳」摘出が成されたのが子供の患者である場合、その「自我意識」は必死に努力して、ついに「右脳」を支配し、「右脳」に言語能力を発達させることに成功するのです。この場合、「右脳」は「別の生き物」ではなく、「私」そのものになっているわけです。 「意識の二重性」~「2人の私」がいるという感覚は誰でも持つことがありますが、例えば、「感情的になっている自分」=「右脳の心」を「冷ややかに眺めている自分」=「左脳の心」といったケースです。自分ではどうしようもないほど感情に流され、後で自己嫌悪に陥るというのは、「右脳」に対してこれは「本当の私ではない」と叫ぶ「左脳の心」であり、ひいてはその「左脳」の分析をふまえた「自我意識」の感覚と言ってもいいかもしれません。 「ある(分離脳)患者が奥さんに腹を立てた時、左手ではぶとうとしているのに、右手は奥さんをかばい、きつく左手を押さえていた。」(C・
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「脳科学と深層心理学のコラボレーション⑦」~「人間性」の根幹に関わる「脳」と「心」のヒミツ~

(3)「私」は「脳」のどこにあるのか? ①コンピュータ的機能を持つ「左脳の心」  右半身を統御する「左脳」は情報処理能力に長け、この分野を発達させたのがコンピュータに他なりませんが、脳梁切断をして「左脳」と「右脳」が切り離された分離患者の「左脳」は「右脳」の行動に対して、「これは私がやったのではない」と当惑します。すなわち、「私」は「右脳」の中には住んでいないのです。 「分離脳」~大脳は左右2つの半球に分かれています。「左脳」が右半身を制御し、右視野は「左脳」に入り、右手・右足も「左脳」が動かします。「右脳」が左半身を制御しており、左視野は「右脳」に入り、左手・左足も「右脳」が動かします。ここで左右が交差していることに注意しましょう。左右脳間の連絡は「脳梁」という約1億本の神経網によって行なわれています。  従来、この「脳梁」による連絡の重要性があまり認識されておらず、てんかん治療の最終手段として「脳梁切断手術」が行なわれて、重度のてんかん患者が劇的に治癒することが分かったのですが、それと同時に多くの「分離脳」患者が生まれました。これが、左右に分かれた大脳両半球の機能分担に関する、1960年代のスペリー(ノーベル生理学・医学賞授賞)の有名な実験の端緒となっていくのです。  その結果、両脳の機能が全く違うということが分かり、さらに人間の心が大脳の中にあるという常識的見解を崩壊させることとなったのです。すなわち、「意識の二重性」の発見です。 「左右脳」~放射線で血流を断層撮影するポジトロンCT(コンピュータ断層撮影)であるPETスキャンを使って調べると、「言語」を聞いている場合には
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「脳科学と深層心理学のコラボレーション⑥」 ~「人間性」の根幹に関わる「脳」と「心」のヒミツ~

(2)「人間性」で問題になるのは「前頭連合野」③「人間性」が目指すのは「幸福」である  「人間性」は「複雑な社会的人間関係」の中で発達し、「喜び」「満足」に至るのです。 「大人」~「脳科学」の観点から見た定義では、しっかりとした目的と計画を持ち、社会的規範と自分の置かれた状況に応じて適切な判断をしつつ、相手の気持ちを汲んで、言動と感情をコントロールできる人間とされます。 「小人」~「儒教」的倫理ではなく、「脳科学」的視点によれば、目的性・計画性に乏しく、規範意識や状況判断力が弱い、他人の気持ちが分からず、自分の言動と感情をコントロールできない人間とされます。 「理想的人間像」~「脳科学」の観点から見て、「脳内・脳間操作系」としての「超知性」「統合知性」「人間性知性」「自我」「成功知性」が十分に発達すると、次のような人物になると考えられます。 ◎前向きで、計画的、プラス思考。 ◎個性的で独創的。 ◎頭が良く、優れた問題解決能力を持つ。すなわち、「一般知能」が高い。 ◎理性的で、自分の感情・欲望や行動をうまくコントロールができる。 ◎良好な社会性・協調性を持ち、優しく、思いやりがある。 ◎豊かな感情、やる気、幸福感、達成感を持つ。 ◎幸福な家庭と社会的成功を得て、人生に成功する。すなわち、「IQg」が110以上。 「人間的未成熟」~逆に「超知性」「統合知性」「人間性知性」「自我」がうまく発達しないと、次のような人物になると考えられます。 ●無計画で刹那的。 ●キレやすく、衝動的。 ●頭が悪く、問題解決能力が低い。すなわち、「一般知能」が低い。 ●状況を無視した自分勝手な行動や非社会
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「脳科学と深層心理学のコラボレーション⑤」 ~「人間性」の根幹に関わる「脳」と「心」のヒミツ~

(2)「人間性」で問題になるのは「前頭連合野」②「前頭連合野」がつかさどる「人間らしさ」とは何か 将来に向けた夢・計画・展望、感情を制御する理性、他人の気持ちを理解する能力、主体性・集中力・好奇心、幸福感、達成感、高度な創意工夫(創造性)などは全て「人間らしさ」(「人間性」)に属します。 「人間性の崩壊」~1848年に「前頭連合野」の左半分を損傷したフィニアス・ゲージの症例から、「前頭連合野」がつかさどる「人間らしさ」「人間性」が明らかになりました。それによれば、ゲージは基本的な知覚能力や身体運動能力にはほとんど後遺症が残らず、記憶といった一般的な知能にも影響はなく、言葉もしっかりしゃべれたのですが、「人間性の崩壊」という後遺症が出たといいます。すなわち、実直で責任感があり、周囲の信頼も厚かったゲージは正反対の人間となり、感情を抑えることが出来ず、乱暴で刹那的な行動、ハレンチで常軌を逸した振る舞いをするようになったのです。「理性」を失い、「人格」が変わって、動物のような人間になってしまいました。 「ゲージの中で、いわば知性と獣性のバランスが崩れてしまったように見える。・・・彼の友人達はこう言っている。『彼はもはやゲージではない』。」(ゲージを診察した医師ジョン・ハーロウ) 「人間らしさ」~ゲージが失ったものは次のようなものですが、逆の見方をすれば、健常者でもこれらの要素が乏しければ、それだけ「人間的に未熟」「人間味に薄い」ということになるでしょう。 (1)将来に向けた計画、展望、夢(計画性、未来志向性)=ヒトは計画を立てるからこそ、その延長線上に夢を思い描くことが出来、その夢を
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「脳科学と深層心理学のコラボレーション④」 ~「人間性」の根幹に関わる「脳」と「心」のヒミツ~

(2)「人間性」で問題になるのは「前頭連合野」 ①原猿類と真猿類を分かつ「前頭連合野」の「46野」  4000万年前に原猿類と真猿類が分かれ、真猿類は知的活動の作業台とも言うべき「ワーキングメモリ」を持つ「前頭連合野」の「46野」を獲得しました。これは「社会」の形成と密接な関係があると思われ、ヒトはこの「ワーキングメモリ」と「社会的知能」の発達によって、「自我」を形成したのです。人間は「人」の「間」でこそ「人間」であり、「自我」も社会の中でこそ自覚され、意味を持つのです。 「感覚野」~感覚器からの信号を受け取る「大脳皮質」の領域です。視覚、聴覚、味覚、臭覚、皮膚感覚(体性感覚)などの「感覚野」があり、「感覚野」における生理的過程が「感性」的段階の認識に対応すると考えられます。 「運動野」~随意運動に関係する信号を送り出す「大脳皮質」の領域です。 「連合野」~「感覚野」「運動野」以外の「大脳皮質」の領域で、「頭頂連合野」「側頭連合野」「前頭連合野」などに分けられます。 「頭頂連合野」~知覚、判断、理解などの機能に関わります。「感覚野」の情報が「頭頂連合野」に集められて、そこで理解され、判断されるので、これが「悟性」的段階の認識に対応すると考えられます。 「側頭連合野」~記憶のメカニズムに関係していると考えられています。 「前頭連合野」~意志、創造、思考、感情などの機能に関わります。「頭頂連合野」における理解、判断に基づいて、「前頭連合野」で思考がなされ、創造活動が行なわれるため、これが「理性」段階の認識に対応すると考えられます。  ちなみにヒトと最も近縁な現生霊長類であるチンパン
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「脳科学と深層心理学のコラボレーション③」 ~「人間性」の根幹に関わる「脳」と「心」のヒミツ~

(1)脳科学から見た「頭の良さ」とは何か?③「頭の良さ」と「人間性」は不可分の関係にある  本当の「頭の良さ」は「多重知性」を束ねる「ハイパー知性」「人間性知性」であり、「人間性」そのものに関わっていて、大脳皮質の「前頭連合野」をその舞台としています。「知性」と「脳」の情報処理に「多重性」(並列性)と「階層性」があるということは、情報処理に長けている人(いわゆる「頭のいい人」)ほど「同時並行処理」と「階層的処理」が上手く出来るということです。仕事や勉強を小さい塊に分けて処理し、最終的に再統合する、あるいは「大目標」に対して「小目標」を設定して、これをこなしていくのも「階層的処理」です。 「二重貯蔵モデル」~「脳」にもたらされた情報はまず「短期記憶」に入り、そこから「長期記憶」へ移るというプロセスを踏みます。「短期記憶」は数秒から数分程度の短い時間だけしか保持されませんが、「長期記憶」は数時間から数年、数十年という期間、保持される記憶で、記憶量はほぼ制限が無いとされます。 約15秒以内にその90%以上が忘却される特性を持つ「短期記憶」は「長期記憶」への転送に関わると共に、新たな情報を一時的に保持し、さらに「長期記憶」の情報を検索する役割をも担っているのです。 「ワーキングメモリ」(Working Memory)~「短期記憶」の概念をさらに拡大して、課題を遂行するために処理機能の役割を補充したもので、「作業記憶」「作動記憶」とも言います。従来は保持機能にのみ注目されていた「短期記憶」に対して、文の理解や推論など、より高次の認知機能と関連する保持の場として考えられ、目標に向かって情報
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「脳科学と深層心理学のコラボレーション②」 ~「人間性」の根幹に関わる「脳」と「心」のヒミツ~

(1)脳科学から見た「頭の良さ」とは何か?②「多重知性」を統合する「超知性」の存在  個々の「知性」(「多重知性」、ソフトウェア、選手)を束ねる「超(ハイパー)知性」(「統合知性」「人間性(ヒューマニティ)知性」、オペレーティング・システム、監督)こそが問題です。 「超(ハイパー)知性」~「多重知性」を統括してコントロールする「統合知性」「ヒューマニティ(人間性)知性」「自我」(スーパーバイザー)です。「脳」が巨大になって、アプリケーション・ソフトとしての「多重知性」や記憶などが豊富かつ非常に複雑になったために発達したオペレーティング・システム(OS)です。 脳科学者の澤口俊之氏は最初、これを「IQ」(Intelligence Quotient、知能指数)、「EQ」(Emotional Quotient、情動指数、「心の知能指数」)などに対して、「PQ」(Prefrontal Quotient、前頭知性)、後には「HQ」(Humanity/Hyper-Intelligence Quotient)と名づけましたが、「心の知能」(EI=Emotional Intelligence)に対して「心の知能指数」(EQ=Emotional Quotient)があるように、「知性」(Intellect)と「知能」(Intelligence)と「(知能)指数」(Quotient)の3つははっきり区別するべきでしょう。 したがって、「超知性」(HI=Hyper Intellect)、「統合知性」(II=Integrating Intellect、OI=Operating Intellect)、「
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