「脳科学と深層心理学のコラボレーション⑫」~「人間性」の根幹に関わる「脳」と「心」のヒミツ~

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学び
(4)「無意識の発見」と複数の「私」の存在

③深層意識・潜在意識・表層意識からなる「私」の多層性

 「深層意識」の中にキリスト教的「神性」「原罪」、仏教的「仏性」「業」、儒教的「本性」、ユング的「元型」などが存在し、「潜在意識」の中にフロイト的「抑圧」「トラウマ」、「ウォンツ」などが存在し、「表層意識」の中に「自我意識」「ニーズ」「嗜好性」などが存在していると思われます。自覚的な「私」(表層意識)は10%にも満たず、氷山の一角であるといいます。

「阿頼耶識」(あらやしき)~「根本識」「一切種子心識」(いっさいしゅじしんしき)「蔵識」(ぞうしき)とも言います。心識の根本的主体にして、全ての経験・記憶の保持者であり、輪廻(生まれ変わりではありません)の主体であると共に、悟りの当体でもあるといいます。中期大乗の『解深密経』(げじんみつきょう)の中心思想として出て来ました。これは後の唯識思想の先駆とも言えます。

「如来蔵」(にょらいぞう)~「仏性」とも言います。中期大乗の『勝鬘経』(しょうまんぎょう)で説かれました。

「唯識思想」~「阿頼耶識」思想は人間の「矛盾性」「罪性」の分析から生まれたもので、儒教で言えば「性悪説」の精緻な分析です。「如来蔵」思想は人間の「本性」「仏性」「神性」の分析から生まれたもので、儒教で言えば「性善説」の精緻な分析です。やがて、この両者は中期大乗の『楞伽経』(りょうがきょう)で融合・統合され、儒教で言えば「性善・性悪説」となるのですが、さらに「瑜伽」(ゆが、ヨーガ)実践の見地から『瑜伽師地論』(ゆがしっちろん)において修行過程が編成され、「唯識思想」の誕生となります。
 これは大乗仏教の根本的再編成となり、その実践的側面は続く後期大乗・密教によってさらに強化されることとなりました。
(1)「前五識」=眼識(視覚)、耳識(聴覚)、鼻識(嗅覚)、舌識(味覚)、身識(触覚)。
(2)「意識」(第六識)=思考力を媒介とする六種の認識機能。
(3)「末那識」(まなしき、第七識)=自我意識、一部潜在意識。
(4)「阿頼耶識」(第八識)=深層意識。

「コロラド大学のニコラス・シードは、ハツカネズミの脳を取り出し、それを処理してバラバラな細胞にした。彼はこれらを試験管内の培養液中に入れ、数日間、静かに振り動かした。すると最後に分離した細胞は再び集合し、脳の小片を形成したが、そこでは細胞が正常なシナプスでつながり、正常の生化学的反応を示し、自然の髄鞘を発達させていた。
 どういうわけか、細胞は元のパターンを再構成することが出来る。細胞は分子記憶を持っており、分子記憶が一つの細胞から別の細胞へと伝えられるので、新しい細胞が親細胞の行動を再現出来るのである。変化、つまり突然変異が生じると、これもまた子孫に忠実に複製される。死んだものが時間を無視して再び生き返るのである。生命の循環のパターンは、物質は決して滅びず、後日、再現するために系に戻って来ることを意味している。生物は再生の過程で同じ行動パターンを持った同じ形態を生じる。」(L・ワトソン『スーパーネイチャア』)
「実際、フロイト及びその弟子達(K・アブラハム、E・ジョーンズ、K・ホーナイ)の全著作に展開されている中心的思想は次の通りである。すなわち、我々が生まれ落ちて以来、我々各人の中の太古的精神の諸表現、原始的諸傾向は社会によって抑圧される。人間はそのような太古的精神をすでに乗り越えているのだが、完全に抹殺するには至っていない。
 第一に、抑圧は心理的葛藤を生じさせる。我々の中にはそうした葛藤をいつまで経っても解決出来ない者がいる。その場合、彼らの人格発達と大人としての成長は妨げられたり、乱されたりする。
 第二に、抑圧された諸傾向は決して消滅することなく、社会的習慣の背後に身を潜め、思いがけないきっかけを利用して外へ表われて来る。その表われ方は様々で、時には遊戯、戦争、迫害等の形で激しくほとばしり出たり、あるいは何でもないような出来事の隠れた象徴的な姿のもとに、あるいは満たされない欲望に禁じられた満足を与える夢となって、あるいは言い間違い、失錯行為(しくじり。例えばど忘れ、言い間違い、貴重品の喪失、思いがけないヘマ、重大な仕事の放棄など)、神経症的行動(神経症の状態。精神外傷によって誘発され、感情生活の障害を伴う精神疾患。社会的不適応の原因)となって浮かび上がって来る。
 社会的拘束のために抑えつけられているエネルギーは、社会が原始的人間性の暴力に対抗して築いた堤防を打ち破り、ささいな機会をとらえて溢れ出す隙を窺っている。
 しかしながら、これらの抑圧された衝動のエネルギーは、人間の高尚な生活(芸術的、科学的、技術的、宗教的活動など)に活力を提供するという方向にはけ口を見出すこともある。この場合、そのエネルギーは昇華されたという。言い換えれば、自然が目指していた目標とは異なった目標にそらされたわけである。フロイトによれば、文化及び文明のあらゆる努力はまさしく我々に少しずつ社会的拘束を受け入れさせ、その補償として精神的な快感――与え合い、知識を分かち合い、共同で技術的征服を成し遂げる喜び、芸術的瞑想の喜び、愛し愛される喜び――を我々に提供することに存する。
 しかしながら、フロイトの考えるところでは、文化と教育は大体においてこの任務をしくじっており、我々の不安、不幸、苦悩、暴力の原因はそこにある。まず第一に、教育課程は無意識の感情層を知らず、子供に精神外傷を与え、暴力をもって子供を強制し、各人のうちに皮相で脆弱な社会的自我を形成するだけで事足れりとしている。この社会的自我の動機づけは『超自我』に由来しているが、超自我は我々の欲望を禁圧するだけで、ほとんどの場合、この欲望と社会的禁止とがなぜ葛藤するのかの理由を示してはくれない。社会は我々を我々自身に敵対せざるを得ない状況に追い込み、様々なコンプレックスの源泉となる。社会(文化、教育、道徳、宗教)は我々の衝動を抑えつけるが、その結果、どういうことになるか、抑圧がどのような事態を招くかなどを斟酌しない。
 第二に、社会の中で本能的衝動を高尚な活動にまで昇華出来るのはエリートだけである。大部分の人間は、依然として社会的・道徳的・宗教的拘束の下に生活しており、なぜそうしなければならないのかの理由を理解出来ず、また、文明が提供する諸々の補償の恩恵に浴することも出来ない。大衆の精神的惨めさと不安定、不幸はそこから生ずる。
 第三に、フロイトの考えるところによれば、社会的制裁は常に宗教的脅しと組み合わさっており、人間を二度と再び立ち上がれないのほど責め苛む。そのため、病的な集合的罪悪感が育まれ、重大な精神的不安の原因となる。」(ジャン・ポール・シャリエ『無意識と精神分析』)
「家族的無意識とは『無意識の核心』の一部であり、その中で祖先の欲求、祖先の像、したがってまた家族的な(個人的でも集合的でもない)遺伝型が潜在的な状態で存在し、子孫の生命の中で顕現しようとしているのである。我々はこの家族的無意識を核組織の中に、すなわち染色体、細胞の遺伝子の中に局在させるのである。それ故に、それは個人の遺伝運命ないし強制運命を規定するのである。――家族的無意識の最も重要な機能のうちの一つは、恋愛、友情、職業、疾患、および死亡形式による無意識かつ強制的な選択、つまり簡単に言えば、強制運命の選択である。」(L・ソンディ)

【参考文献】
『唯識の心理学』(岡野守也、青土社)
『唯識のすすめ 仏教の深層心理学入門』(岡野守也、NHK出版)
『スーパーネイチャア』(L・ワトソン、蒼樹書房)
『無意識と精神分析』(ジャン・ポール・シャリエ、せりか書房)
『運命心理学入門 ソンディ・テストの理論と実際』(佐竹隆三、黎明書房)
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