「脳科学と深層心理学のコラボレーション⑨」~「人間性」の根幹に関わる「脳」と「心」のヒミツ~

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(3)「私」は「脳」のどこにあるのか?
③実は「私の心」は左脳にも右脳にもない

 「左脳」は時間性・収束性を持ち、論理を駆使しますが、「右脳」は空間性・発散性を持ち、イメージを駆使する存在で、両者は脳梁を通じて情報交換し、「私」という自我意識によって一つの「人格」として統一されます。すなわち、価値を追求したり、意味を与えたりする「私の心」に対して、価値や目的実現の道具として駆使されるのが「脳」なのです。

「創造性」~人間の心の対象的部分が2つあるのは、人間にしかできない創造活動を行うのに不可欠な構造になっていると考えられます。漫才でも「ボケ」と「ツッコミ」がなければ成立しないように、全ての創造的作業は両極端の機能を果たすもの、例えば「次から次へと問題を起こすもの」と「その問題を必死に収拾するもの」が何らかの強力な統轄力によって統合される所にのみ、成り立つのです。
 すなわち、「左脳」だけでものを考える人はいわば「コンピュータ」人間であり、「論理」が堂々巡りする「言葉」遊びの世界から抜け出すことが出来ません。また、「右脳」だけでものを考える人は「芸術家」タイプであり、次から次へと「イメージ」を爆発させますが、「言葉」で表現しない限り、他人の理解は得られず、自分でもそれが果たして正しいのか確認出来ないのです。
 これに対して、真に創造的な人は、まず「右脳」で「イメージ」を無限にふくらませますが、この時、「時間」は止まっており、「イメージ」は「空間」の中で複雑な構造を織り成していきます。そして、「これだ!」と閃いた「イメージ」をすかさず「左脳」に渡し、四苦八苦しながら「言葉」に翻訳するのですが、この時、「時間」が流れ始め、絡まり合った「イメージ」は一定の概念の流れの中に整列させられます。数学者や物理学者であれば、その「言葉」とは数式に他ならず、出来上がった数式を眺めて、改めて「これは美しい!」と感動できれば、「真に創造的な行為」として完結するのです。
 アインシュタインの相対性理論も「光と同速度で走ったら」というイメージから始まりましたし、数学者の岡潔も「数学は情緒で解くのだ」と喝破しました。彼らはこうした「創造性」を有する典型的な人物として挙げられるでしょう。

「価値性」「意味性」「目的性」~人間の場合、「右脳」と「左脳」が両極端の機能を持つために、下手をすると、両者は主導権争いをして精神に異常をきたす場合があります。例えば、てんかんやどもりなどがそうです。こうした両脳を1つの「人格」として統合するためには、1つの「目的」を持って両脳を強力に統合する主体が必要であり、それが「私」という「自我意識」です。
 「右脳」は「空間」に縛られ、「左脳」は「時間」に縛られるのに対し、「私」は自由に時空を超越して駆け巡る存在であり、こうした「時間観念」「歴史意識」や「空間観念」「立体把握」を駆使出来るのは「万物の霊長」人間ぐらいのものです。両脳はただひたすら協力して科学理論や芸術作品などを創り上げ、「生きていく」だけですが、「私」という「自我意識」はその科学理論に「真理性」、芸術作品に「美的感動」、実践活動に「倫理的善」といった「価値」を見出し、人生に「意味」を与える存在となっているのです。そもそも、「脳」自体は「価値性」「意味性」とは無関係です。
 すなわち、「脳」は「価値」「意味」「目的」実現の「道具」であり、「私」という「自我意識」は「価値」「意味」「目的」追求の主体と言ってもいいのです。

【参考文献】
『右脳と左脳の対話』(杉下守弘、青土社)
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