「脳科学と深層心理学のコラボレーション⑧」 ~「人間性」の根幹に関わる「脳」と「心」のヒミツ~
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(3)「私」は「脳」のどこにあるのか?
②動物的直観を持つ「右脳の心」
左半身を統御する「右脳」は直観的把握に長け、「動物の心」にも通じますが、左脳摘出患者の「自我意識」は決して消滅しないため、「左脳の心」と「右脳の心」は「私」そのものではなく、「私」によって統轄される、それよりも下位の精神作用であることが分かります。
「左脳摘出」~「右脳」に「私」という「自我意識」が存在しないことは「分離脳」患者の症例から明らかになりましたが、その「左脳」を摘出しても「自我意識」は消滅しないのです。言語能力を失うので全く話せなくなりますが、「自我意識」は崩壊せず、摘出前後の「自我意識」の連続性も確認されています。
しかも、「左脳」摘出が成されたのが子供の患者である場合、その「自我意識」は必死に努力して、ついに「右脳」を支配し、「右脳」に言語能力を発達させることに成功するのです。この場合、「右脳」は「別の生き物」ではなく、「私」そのものになっているわけです。
「意識の二重性」~「2人の私」がいるという感覚は誰でも持つことがありますが、例えば、「感情的になっている自分」=「右脳の心」を「冷ややかに眺めている自分」=「左脳の心」といったケースです。自分ではどうしようもないほど感情に流され、後で自己嫌悪に陥るというのは、「右脳」に対してこれは「本当の私ではない」と叫ぶ「左脳の心」であり、ひいてはその「左脳」の分析をふまえた「自我意識」の感覚と言ってもいいかもしれません。
「ある(分離脳)患者が奥さんに腹を立てた時、左手ではぶとうとしているのに、右手は奥さんをかばい、きつく左手を押さえていた。」(C・ウィルソン『右脳の冒険』)
「(スペリーの報告)左半球の優位な心のシステムは、たまたま右半球によって何か反応が行なわれた時以外は、劣位半球(右脳)の心のシステムと何ら関わりを持たないし、それが存在することすら知らないのである。患者の一人は、自分の左手がある反応を行なったのを見て、直ちに『それを行なったのが私ではないことが今、分かりました』と述べている。」(R・レスタック『脳の人間学』)
実はこの対立する「2つの心」は「私」そのものではなく、「私」という「自我意識」によって統轄される、それよりも下位の精神作用であると言わなければならないのです。したがって、人間の「心」には主体的部分と対象的部分があり、前者は本体とも言うべき「私」という「自我意識」、後者は「左脳の心」と「右脳の心」であるという心的構造が成立していることが分かるのです。
【参考文献】
『右脳と左脳の対話』(杉下守弘、青土社)
『右脳の冒険』(C・ウィルソン、平河出版社)
『脳の人間学』(R・レスタック、新曜社)