「脳科学と深層心理学のコラボレーション⑩」~「人間性」の根幹に関わる「脳」と「心」のヒミツ~

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(4)「無意識の発見」と複数の「私」の存在

①「私」ではない「私」が「私」を動かす

 「後催眠暗示」によって、「私」を動かす「無意識」の存在が明確になりました。これを探求したフロイトの画期的業績によって近代心理学は大きく前進し、現代思想でこうしたフロイト思想(「無意識の理論」)の影響を受けていないのものは皆無とまで言われますが、「心の修行」を重ねてきた仏教においては、紀元前に「随眠」(ずいみん、無意識)の存在に気づき、5世紀の段階で「阿頼耶識」(あらやしき、潜在意識・深層意識)を駆使する体系を構築していたのです。

「後催眠暗示」~医師が被験者を催眠によって眠らせ、一定の時間に一定の行動を命じ、この暗示を与えてから被験者を目覚めさせます。一定の行動とは例えば、目覚めてから30分後に診察室中を四つん這いになって歩くことなどです。被験者は完全に意識を回復し、命じられたことは何も覚えていませんが、医師に指定された時間になるとそわそわし始め、何かを探す風をし、ついには四つん這いになるというのです。その時、被験者は小銭とかボタンを無くしたなどともっともらしい言い訳をしながら、結局、命じられた通りに四つん這いの姿勢であちこちを探し、診察室中を一周するのですが、命じられたという事実を思い出すことは決してなく、あくまでも自分の「自由意志」でそうしたと信じているのです。
 フロイトはこの実験から「精神分析学」を発展させることになるのですが、この実験で明らかになったことは次のようなものです。
(1)「無意識的精神」が存在していること。なぜなら、被験者は命令を正確に理解し、記憶したからです。
(2)「無意識」が一定の時間を経てから「意識生活」に影響を及ぼすこと。
(3)「意識的精神」はそうした影響に動かされて行動を起こすが、「無意識の意識」にそそのかされて起こしたその行動に、「偽りの動機」を付与すること。この「偽りの動機」は捏造した架空のものですが、意識的なものです。

「コギト」~デカルトは「コギト・エルゴ・スム」(我思う、故に我有り)と述べて、「理性」を中心にすえた「近代哲学」の道を開きましたが、フロイト以降、その「コギト」(思惟する主体)が複数いることが分かり、「現代思想」の道が開かれました。

「我々の行為の深い理由は、我々が常々自分でそうだと思っている高尚な動機のうちにあるのではない。そうした高尚な動機の背後には根元的な利己心が隠されている。人間は何物かに駆り立てられているのに、自分の意志で行動していると思い込んでいることがよくある。」(17世紀、ラ・ロシュフーコー)
「我々は我々の精神生活を全て知っているわけではない。動物的本能の精神的側面を解明するためには、無意識という概念が必要である。」(17世紀、ライプニッツ)
「生きとし生けるもののうちには、生命そのものの源泉から力を汲み取っている、隠れた盲目的な意志がある。知性は意志の行う決断と無関係である。」(19世紀、ショーペンハウエル)
「人間を動かしている真の動機は、人間が自分の決意に与えている動機と必ずしも同じではない。」(19世紀、ニーチェ)

「随眠」(ずいみん)~原始仏教・部派仏教(紀元前5世紀~1世紀)の論究をまとめた世親(ヴァスパンドゥ)の『倶舎論』(くしゃろん、5世紀)によれば、「煩悩」が眠っている状態を「随眠」、覚めた状態を「纏」(てん)と呼び、「無意識の意識」たる「随眠」の分析を行っています。

「根本随眠」(「根本煩悩」「六大煩悩」)~古代仏教では「無意識の意識」たる「随眠」を、むさぼり、執着することである「貪」(どん)、憎悪である「瞋」(じん)、根本的な無知である「無明」(むみょう、癡(ち)とも言います)、驕り、傲慢である「慢」(まん)、疑いである「疑」(ぎ)、誤った我見に固執することであり「(悪)見」((あく)けん)の6種類に分けて説明しています。

「随煩悩」~「根本煩悩」に付随して次々と起きる心を観察・分析したものです。怒りである「忿」(ふん)、怨恨である「恨」(こん)、へつらいである「諂」(てん)、嫉妬である「嫉」(しつ)、悩み、憂悶である「悩」(のう)、責任逃れである「覆」(ぷく)、物惜しみ、吝嗇である「慳」(けん)、欺瞞である「誑」(おう)、驕り高ぶり、自己満足である「憍」(きょう)、害意、人を傷つける心である「害」(がい)、無反省、自分に対する無恥である「無慚」(むざん)、破廉恥、他人に対する無恥である「無愧」(むき)、軽率、軽はずみである「掉挙」(じょうこ)、沈鬱、心の滅入ること、ふさぎ込むことである「惛沈」(こんじん)、邪推、歪曲である「不信」(ふしん)、怠惰、無気力である「懈怠」(けたい)、わがまま、放縦である「放逸」(ほういつ)、自制心を失うことである「失念」(しつねん)、無分別、正しい認識ができないことである「不正知」(ふしょうち)、心の拡散、注意散漫、心が乱れて定まらないことである「散乱」(さんらん)の20種類があります。

「大善地法」~古代仏教ではあらゆる存在を「五位七十五法」という体系に分類していますが、その中の「大善地法」という体系の中で、「根本煩悩」「随煩悩」に対する心理的改善アプローチを編成していることは注目されます。

「煩悩が眠るとはどういうことか。それは心の表面に現われないで、ちょうど植物の種子が将来、地に蒔かれた時、芽を出し、やがて草木に成長する可能性を持ったまま眠っているように、心の奥深く眠っていることを言うのである。
 それでは、覚とはどういうことか。それは心の奥深くに眠っていた諸々の煩悩(随眠)が心の表面に現われてきて、表面の心にまとわりつき、その心の働きを奪い取ってしまうということである。
 それでは煩悩の種子とは何を言うのか。それは前に起きた煩悩がその動きを収めてしまった後も、その影響は心身の上に残って心の奥に潜み(すなわち再び随眠となって)、また、後の煩悩を呼び起こす種子となるからである。心は経験智(情報)によって働くが、その経験は間もなく心の深層に入ってしまって、常には表面に存在しない。しかし、必要な時には直ちに記憶として出て来て働くように、煩悩もまた前の煩悩が後の煩悩を発起させるのである。植物の芽が前の果実(結果)から生じて、後の果実を生ずる能力(原因)を持っているのと同じことである。」(『倶舎論』随眠品)

【参考文献】
『無意識と精神分析』(ジャン・ポール・シャリエ、せりか)
『認識と超越<唯識>』(服部正明、上山春平、角川文庫ソフィア)
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