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きっかけは些細なことから

家系図とご先祖調査のふることやです。数あるブログの中から、こちらにお立ち寄りいただきありがとうございます。自己紹介を兼ねて、出店するまでのいきさつをぽつぽつと投稿しております。ひょんな事から、父方先祖が暮らしていたという長閑な農村を訪ねることになり、実際にその地に立って不思議な感覚が湧いたお話は前回いたしました。その後、興味のおもむくままに戸籍を遡り、当時勤務していた図書館で、退勤後の時間にその地方の郷土史資料などにあたってみました。最初はなかなかこれという情報が見つからず、「無名の一家族のことなんて載ってないよね」と、当時の新聞写真などを集めた資料をパラパラとめくっていたその時、ページの端に「あれ?」、一瞬祖父のフルネームが見えたのです。これを糸口として、祖父がその地で製粉の仕事をしていたこと、所属組合から永年操業で表彰されていたことがわかり、後は関係資料にあたっていくことで、明治以降の曽祖父や祖父の時代のことがある程度判明したのでした。気になったのは、戸籍の転籍記録によると、永年操業で表彰された僅か数年後に、なぜか一家で県内の都市部へ引っ越していること。当然、田舎での製粉という生業を捨てて…一体なにがあったのか。「夜逃げして来たって聞いたことあるよ」この時、弟が生前父から聞いたという言葉が、急に現実味を帯びて感じられたのです。昭和の初め、5〜10年ぐらいの世相を思う時、昭和恐慌の荒波が田舎の名もなき一家にも否応なく押し寄せたであろうことは容易に想像がつきました。債権者のお立場からすれば、夜逃げは決して許されるものではありませんが、偶然見つけた資料がきっかけで、当時の一家の苦
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教養としての近代日本思想⑦:日本独自の思想

西田幾多郎:『善の研究』。西田哲学は日本で最初の独創的な哲学体系とされます。主観と客観を対立的に捉える哲学的立場を批判し、主客未分である純粋経験を考究の出発点としました。そして、自他の人格の根底に働く宇宙の統一力こそが喜びの根本であると考え、真の人格は個人的欲望を超えて他者への愛に喜びを見出すものであると主張しました。人格の実現(至誠)が善ということです。友人に英文『禅と日本文化』で仏教思想を紹介し、『日本的霊性』でわび・さびといった美意識や武士道、茶道、俳句などにも禅の精神が大きく影響していると説いた鈴木大拙(だいせつ)がいます。 主客未分:思索や反省以前の、主観と客観の区別の意識がない状態。 純粋経験:主観と客観が分かれる以前の主客未分の状態における根本的な経験。真実在は、感情や意志を排した知性による認識による抽象的な概念ではなく、全体としての人格の行為的直観によって把握される、知・情・意が一体の純粋経験であるとしました。 「場所」の論理:西田幾多郎は、主観と客観の分化を論理的に基礎づけるため、主客の根底を問い、主観と客観を成立させると同時にそれを包む場としての意識を「場所」と呼びました。これは多数の個(多)と世界(一)の弁証法的統一(絶対矛盾的自己同一)であるとしました。 絶対無:「場所」の根底にあり、有と無の対立を超えて、事物事象そのものを成り立たせているもの。 和辻哲郎:夏目漱石門下にして、ドイツでハイデッガーの実存哲学、フッサールの現象学、ディルタイの解釈学を学び、個人と社会の弁証法的関係を軸とした人間学的倫理学を大成しました。『古寺巡礼』『風土』。 間柄的存在:個
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教養としての近代日本思想⑥:近代文学

写実主義:社会の実情や人間心理をありのままに写そうとする文学的立場・方法。坪内逍遥の評論『小説神髄』や実験小説『当世書生気質』、ロシア文学のリアリズム理論に基づいた二葉亭四迷の『小説総論』や「だ」体の口語文による言文一致体の小説『浮雲』、翻訳『あひゞき』(ツルゲーネフ)などがあります。逍遥は雑誌『早稲田文学』を舞台にして森鷗外と「没理想論争」(文学における現実主義と理想主義の対立)を交わしたり、島村抱月と文芸協会を設立して、新劇運動を展開しています。 擬古典主義:開国以来の欧化主義への反動としての復古的思潮。尾崎紅葉・山田美妙らは文学結社「硯友社」を作り、我が国最初の純文芸雑誌『我楽多(がらくた)文庫』を創刊して、紅葉は写実主義の最高傑作と呼ばれる『多情多恨』を発表して、言文一致体の到達点である「である」体を案出し、大作『金色夜叉』を連載して大評判を博します。幸田露伴は漢学・仏教・儒教の精神を基底に理想的・男性的・意志的な世界を中心に『五重塔』を著わし、紅葉の写実派に対して、理想派と称され、「紅露時代」を築きます。 浪漫主義:前近代的な因習や倫理を否定し、内面の真実を重んじて、理想や恋愛に自我を解放しようとしました。森鷗外はドイツのロマン主義をふまえた文芸・評論雑誌『しがらみ草紙』を主宰し、小説『舞姫』や翻訳『即興詩人』(アンデルセン)などを発表しました。キリスト教的な精神文化を取り入れた初期ロマン主義の文芸雑誌『文学界』には、北村透谷の評論『内部生命論』や樋口一葉の小説『たけくらべ』、島崎藤村の詩などが発表されました。和歌でも与謝野鉄幹が東京新詩社を結成し、雑誌『明星』を創刊
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教養としての近代日本思想⑤:大正デモクラシー

吉野作造:大正デモクラシーを理論的に支えた政治学者、『憲政の本義を説いてその有終の美を済(な)すの途(みち)を論ず』、黎明会を結成。国家の主権は人民にあるとする民主主義と区別して、天皇主権下のデモクラシーである民本主義を唱えます。原敬の政党内閣や加藤高明内閣の普通選挙法などの成立など、一定の成果につながり、女性解放運動や労働運動などの社会運動に発展しました。 美濃部達吉:憲法学者。天皇機関説を唱え、大正デモクラシーの中で広く支持されました。しかし、1930年代に軍国主義が台頭してくると、天皇機関説は天皇主権を否定する反逆的思想と非難され、美濃部の著書は発禁され、政府は「国体明徴声明」で天皇機関説を異端の学説と断罪しました。 平塚らいてう:青鞜(せいとう)社を結成し、雑誌『青鞜』を創刊。市川房江らと新婦人協会設立。「元始(げんし)、女性は実に太陽であった」と主張し、女性の解放を求める運動を展開しました。 母性保護論争:与謝野晶子が女権主義の立場に立ち、女性が男性にも国家にも頼らずに経済的に独立すべき、経済力がないなら結婚すべきではないとする評論を発表したのに対し、平塚らいてうが母性保護主義の立場に立ち、妊娠・出産・育児期の女性は国家が保護し、女性が結婚と職業を両立できるようにするべきであると主張しました。さらに山川菊栄(やまかわきくえ)が社会主義の立場から資本主義ではどちらも徹底できないと指摘し、男女の機会均等を図り、母としての生活を平等に保護するには社会主義を実現すべきだと主張して、約1年半にわたって母性保護論争が繰り広げられました。 身分差別撤廃運動:人間的存在の権利を奪って
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教養としての近代日本思想④:社会主義思想

社会主義:戦前の社会主義にはキリスト教的社会主義と唯物論的社会主義と2つの流れがありました。「アカ」と見なされ、国家や軍部から危険視された人々も素朴な人道的社会主義から出発している人が多く、マルクス主義の理論体系に基づいていたとは言い難いケースも多く見られましたが、ロシア革命によってマルクス主義が現実の国家体制となってからは、ソ連共産党の指導の元で革命志向が強まりました。 河上肇(かわかみはじめ):経済学者・社会思想家、『貧乏物語』。内村鑑三やトルストイの影響を受けた人道主義者でしたが、人道主義だけでは社会問題を解決できないという理由から次第にマルクス主義的主張に傾斜していき、貧困への対策の必要性を説きました。 片山潜:キリスト教社会主義者として活躍し、後にコミンテルンに参加して、日本共産党の結成を指導しました。 安倍磯雄:キリスト教社会主義者。日本初の社会主義政党である社会民主党の結成に参加しますが、同党は治安警察法により結成禁止とされます。女性解放運動にも積極的に関与し、戦後は日本社会党結成に尽力します。 木下尚江(きのしたなおえ):キリスト教社会主義者として社会民主党結成に参加。新聞記者として普通選挙運動や足尾鉱毒事件などに取り組んでいます。 堺利彦(さかいとしひこ):幸徳秋水らと共に平民主義(階級打破)・社会主義・平和主義を掲げた平民社を創設、『平民新聞』を創刊。日露戦争では非戦論を展開し、日本共産党初代委員長となりますが、後に離党し、社会民主主義を唱えます。 幸徳秋水(こうとくしゅうすい):社会主義運動家、『二十世紀之怪物帝国主義』『社会主義神髄』。中江兆民の弟子で、
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教養としての近代日本思想②:キリスト教思想

3大バンド:日本のプロテスタントの源流となった3つの集団。熊本洋学校出身の海老名弾正(えびなだんじょう)・徳富蘇峰らによる熊本バンドは国家主義的な特徴を持ち、後に同志社英学校に移ります。横浜のアメリカ人宣教師ヘボン、バラ、ブラウンらの影響を受けた植村正久らによる横浜バンドは福音主義的な特徴を持ちます。札幌農学校出身の新渡戸稲造(にとべいなぞう)・内村鑑三らによる札幌バンドは独立主義的な特徴を持ちます。 新島襄:幕末に脱藩して渡米し、欧米の近代文明の根底にはキリスト教道徳があるという洞察のもと、キリスト教に入信します。帰国後、京都に同志社英学校を創立しました。もっぱら知識のみに頼った教育に危惧を抱き、キリスト教道徳に基づく良心教育を重んじました。弟子にキリスト教社会主義の安倍磯雄、救世軍により日本の社会福祉の草分けとなった山室軍平、カント哲学の大西祝(はじめ)らがいます。 新渡戸稲造:『武士道』。アメリカ・ドイツで経済学・農政学を学び、後には国際連盟事務次長も務めました。青年時代から「太平洋の架け橋とならん」という意識を持ち、日本の文化を諸外国に紹介するために英文で『武士道』を著し、西洋文明の精神的基盤であるキリスト教を日本人が受け容れる倫理的な素地として武士道があると述べました。米大統領セオドア・ルーズヴェルトは『武士道』を愛読しており、日露戦争の調停役を果たすほど、親日的な人物でした。 武士道(Chivalry、シヴァリー):武士の掟、武人階級の身分に伴う義務(ノブレース・オブリージュ)。 内村鑑三:日本の代表的キリスト者、『代表的日本人』『How I Became a Ch
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教養としての近代日本思想➀:啓蒙思想・自由民権思想

福沢諭吉:渡米欧経験の後、慶應義塾を創立。『西洋事情』『学問のすゝめ』『文明論之概略』『福翁自伝』。日本の独立のためには、まず一人一人が独立自尊の精神(独立心)を育てることが必要であり、そのためには実学としての西洋の学問、特に数理学(近代諸科学)を学ばなければならないと考えました。すなわち、神仏などへの「信」によって形成される依存的な体質が真理を見失わせ、文明への進歩を妨げるとし、封建社会を支えた儒教に対しても批判的で、独立心の涵養と数理学の導入による文明化こそが近代日本の歩むべき道であると考えたのです。また、後年には官民調和論を唱え、人権論に基づく自由民権運動を批判しました。 天賦人権論:全ての人間は平等であるとする考え方。 実学:日用の役に立つ技術の他、地理・物理・歴史・経済・倫理といった学問を指します。福澤は個人が実学を修めることで、精神的にも経済的にも自立し、その結果として一国の独立が維持できると考えました。 独立自尊:幕末から明治初期にかけて、アメリカに2回、ヨーロッパに1回派遣された福澤は、西洋文明を野蛮・半開・文明の3段階でとらえたため、日本を半開の国として「一身独立して、一国独立す」という主張や、「脱亜入欧」と呼ばれる主張が出てきたとされます。しかし、特に脱亜論は福澤が創刊した「時事新報」の社説であり、福澤の論とは限らず、福澤自身は弟子井上角五郎を送って韓国で初めてのハングル新聞「漢城周報」を創刊したり、たくさんの韓国人留学生を慶應義塾に迎えたり、韓国の近代化を目指す金玉均ら開化派を支援しているので、むしろ西郷隆盛のような大アジア主義(アジア諸国が結束して西洋列
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教養としての近代日本思想③:国家主義思想

国家主義:明治初年度(文明開化・啓蒙思想)➝明治10年代(欧化主義・自由民権運動)➝明治20年代(国家主義)。明治20年代には政府主導の欧化主義(鹿鳴館政策)に対する反発から、一種の伝統回帰が起こり、徳富蘇峰の平民主義、陸羯南(くがかつなん)の国民主義、三宅雪嶺(みやけせつれい)・志賀重昂(しげたか)らの国粋主義、高山樗牛(ちょぎゅう)の日本主義などが起こります。これは文学面では浪漫(ロマン)主義となります。1930年代以降の軍国主義とは異なりますが、その源流の1つでもあります。 教育勅語:元田永孚(もとだながざね)や井上毅(こわし)によって起草され、学校教育と国民教化の絶対不可侵の指針となりました。帝国憲法が天皇制統治機構(法)を確立したことを受け、天皇制理念による内面規制(道徳)を推進する役割を担い、天皇は神聖にして侵すことのできない神であり、忠孝に基づいて天皇に奉仕するのが日本人の責務であるとしました。 井上哲次郎:明治・大正期の哲学者。教育勅語の注釈書を著し、教育界にも大きな影響を与えました。教育勅語に対する拝礼を信仰上の理由に基づいて拒否した内村鑑三の「不敬事件」では、教育勅語の趣旨を否定する反国家主義的な宗教だとしてキリスト教を排撃し、教育と宗教をめぐる論争を引き起こしました。 徳富蘇峰(とくとみそほう):民友社設立、雑誌『国民之友』、新聞『国民新聞』を創刊。新日本の建設(近代化)は一部の貴族ではなく、実際の産業に携わる普通の人民を中心とすべきであるという平民主義を唱え、藩閥政府を批判しますが、日清戦争後に平民主義から皇室中心の国家主義に転じました。 陸羯南(くがか
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