写実主義:社会の実情や人間心理をありのままに写そうとする文学的立場・方法。坪内逍遥の評論『小説神髄』や実験小説『当世書生気質』、ロシア文学のリアリズム理論に基づいた二葉亭四迷の『小説総論』や「だ」体の口語文による言文一致体の小説『浮雲』、翻訳『あひゞき』(ツルゲーネフ)などがあります。逍遥は雑誌『早稲田文学』を舞台にして森鷗外と「没理想論争」(文学における現実主義と理想主義の対立)を交わしたり、島村抱月と文芸協会を設立して、新劇運動を展開しています。
擬古典主義:開国以来の欧化主義への反動としての復古的思潮。尾崎紅葉・山田美妙らは文学結社「硯友社」を作り、我が国最初の純文芸雑誌『我楽多(がらくた)文庫』を創刊して、紅葉は写実主義の最高傑作と呼ばれる『多情多恨』を発表して、言文一致体の到達点である「である」体を案出し、大作『金色夜叉』を連載して大評判を博します。幸田露伴は漢学・仏教・儒教の精神を基底に理想的・男性的・意志的な世界を中心に『五重塔』を著わし、紅葉の写実派に対して、理想派と称され、「紅露時代」を築きます。
浪漫主義:前近代的な因習や倫理を否定し、内面の真実を重んじて、理想や恋愛に自我を解放しようとしました。森鷗外はドイツのロマン主義をふまえた文芸・評論雑誌『しがらみ草紙』を主宰し、小説『舞姫』や翻訳『即興詩人』(アンデルセン)などを発表しました。キリスト教的な精神文化を取り入れた初期ロマン主義の文芸雑誌『文学界』には、北村透谷の評論『内部生命論』や樋口一葉の小説『たけくらべ』、島崎藤村の詩などが発表されました。和歌でも与謝野鉄幹が東京新詩社を結成し、雑誌『明星』を創刊して、浪漫主義の歌風を主張していますが、これに与謝野晶子が参加すると、第一歌集『みだれ髪』が大反響を呼び、激しい情熱と自由奔放な空想のあふれる近代浪漫主義歌風を樹立します。
森鷗外:『舞姫』『青年』『阿部一族』。自我に目覚めた近代人の苦悩(『舞姫』)➝運命に対する諦念(ていねん、『予が立場』)。
北村透谷(きたむらとうこく):明治時代のロマン主義の詩人・評論家。『内部生命論』(文芸評論)。自由民権運動に挫折し、大恋愛と通してキリスト教に入信しました。この体験が近代的自我に目覚めるきっかけとなり、文学の道に進んでロマン主義の先駆的存在となりました。自己の内面の「想世界」における自由と幸福を実現するためには信仰と愛が必要だと考え、恋愛を賛美しましたが、後に理想と現実の狭間で悩み、27歳で自ら命を絶ちました。
想世界:北村透谷は、自己とは政治的な世界(実世界)において実現されるものではなく、具体的な現実を離れ、想世界の充実を通じて内面的に確立されると論じました。
内部生命:北村透谷は、精神的な内部生命を反映したものが文学であると考えました。
「恋愛は人世の秘鑰(ひやく)なり。」:恋愛は人生の秘密を解く鍵であるということ。
与謝野晶子:歌人として自己の感情や官能を大胆に歌い、人間性の解放を主張しました。日露戦争時には「君死にたまふこと勿(なか)れ」を『明星』に発表して、反響を呼びます。
自然主義:フランスの自然主義の影響の下に、人間や社会の実相を科学的態度で客観的に描こうとする立場で、写実主義との違いは産業革命の進展による社会問題・労働問題の出現が背景にあることです。ただフランスの自然主義とは違い、日本の自然主義は社会の現実を見据える立場を深めるよりも、作家自身の身辺を描く「私小説」「心境小説」となっていきました。国木田独歩(くにきだどっぽ)の『武蔵野』『牛肉と馬鈴薯(じゃがいも)』は自然主義文学の先駆とされ、その方向を決定したとされるのが島崎藤村の『破戒』と田山花袋の『蒲団(ふとん)』です。雑誌『早稲田文学』は自然主義理論と作品発表の中心となりました。こうした自然主義のリアリズム精神は近代文学発展の原動力となりましたが、社会性・実証性を欠き、自己の真実を描写することが文学の本道であるという考え方を確立したため、高踏派(森鷗外)・余裕派(夏目漱石)、耽美派(芸術至上主義)、白樺派(人道主義)という3つの批判的立場(反自然主義)が出てきます。
高踏派・余裕派:和・漢・洋にまたがる深い学識を備え、身辺雑記に傾いた自然主義に批判的な立場から、独自の主知的・倫理的作風を守り、主として知識人や近代の問題を描きました。森鷗外と夏目漱石は近代文学の巨峰にして、流派を超越した「圏外の孤峰」と見なされていました。
夏目漱石:『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『三四郎』『こころ』『明暗』。西洋の新しいものを単に受け入れるだけでなく、その中身を吟味し、消化する内発的な近代化が大切であるが、その実現は困難であり、内発的な近代化という理想と外発的な近代化が進む現状との落差を指摘しました(「現代日本の開化」)。日本文化の外発性(『現代日本の開化』、外発的開化、自己喪失による不安)➝利己主義(エゴイズム)の恐ろしさ(『こころ』)➝自己本位(内発的開化、自我を確立すると共に他者の個性も尊重)の個人主義(『私の個人主義』、利己主義の克服)➝則天去私(『明暗』、私心を去り、天地自然の理法に従って生きる境地)。漱石の周辺には多くの人材が集まり、「漱石山脈」と呼ばれる文化的人脈を形成しています。
阿部次郎:夏目漱石に師事し、青春の苦悩と思索を綴った『三太郎の日記』を著す一方、真・善・美を求め、人格の向上を目指す人格主義を説く哲学者としても活躍しました。
耽美派:自然主義の持つ日常性の閉塞的で陰鬱な描写を否定し、美の世界を重視しました。次第に官能的・享楽的傾向を強めます。永井荷風主幹で森鷗外・上田敏が顧問を務めた慶應義塾文科の機関誌『三田文学』や『明星』の後を継いで森鷗外を指導者とした耽美主義的文芸雑誌『スバル』などが中心となっています。永井荷風『あめりか物語』『ふらんす物語』『すみだ川』、谷崎潤一郎『刺青(しせい)』『痴人の愛』『春琴抄』『細雪(ささめゆき)』。
白樺派:自然主義の暴露的自己否定的な人生観に対して、個人主義とキリスト教に基づく理想主義的な人道主義を掲げ、個の尊厳を主張し、芸術全般に影響を与えました。学習院出身者らによる同人誌『白樺』が中心で、武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)の『お目出(めで)たき人』『友情』、「小説の神様」と呼ばれた志賀直哉の『城(き)の崎(さき)にて』『和解』『暗夜行路』、有島武郎(ありしまたけお)『生れ出づる悩み』『或る女』『惜しみなく愛は奪ふ』。
武者小路実篤:白樺派の作家。夏目漱石とトルストイの影響を受けて理想主義・人道主義を掲げ、各自の人間的な成長が人類文化の発展につながると説き、「新しき村」を創設して、理想の共同体の実現に努めました。
有島武郎:白樺派の作家。個性の成長や完成に愛の意義を認めました。
新思潮派(新理知派、新現実主義):雑誌『新思潮』(第四次)に拠った漱石門下の作家達を指し、人間心理を分析し、主知的な手法によって現実に新しい解釈を加えようとしました。芥川龍之介『羅生門』『戯作三昧(げさくざんまい)』『鼻』、菊池寛(きくちかん)『恩讐の彼方に』。
プロレタリア文学:ロシア革命の世界的影響の下で、大正時代に起こった共産主義的・社会主義的な革命文学運動。小林多喜二『蟹工船』。後に権力からの弾圧を受け、転向文学が生まれたり、革命的運動には参加しないものの、心情的にプロレタリア文学を支持する同伴者文学が生まれたりしています。
新感覚派:雑誌『文芸時代』に拠り、自然主義的な写実の方法を批判し、感覚的な表現の斬新な方法を用いて、新しいイメージの文学を創造。プロレタリア文学が「革命の文学」であるのに対し、新感覚派は「文学の革命」と評されました。川端康成(かわばたやすなり)『伊豆の踊子』『雪国』、横光利一『日輪』。この流れから新興芸術派(新芸術派)の井伏鱒二(いぶせますじ)『山椒魚(さんしょううお)』、梶井基次郎『檸檬(れもん)』、新心理主義の堀辰雄『聖家族』『風立ちぬ』などが生まれてきます。
小林秀雄:昭和期の文芸評論家、『様々なる意匠』『無常といふ事』『モォツァルト』『考へるヒント』『本居宣長』。プロレタリア文学理論に対抗し、思想や理論を流行の意匠のようにもてあそぶあり方を批判、批評という独自の方法を用いて主体的な自己の確立を目指して、文芸批評・近代批評というジャンルを確立しました。すなわち、評論は単に文芸作品の感想や解説を述べるものではなく、批評の形式を取りながら、自己の思想を語るものと捉えたのです。
新戯作派:戦後、既成の文学観や道徳観、安易に時勢に追随する世相を批判し、自己の生活そのものに倫理の基盤を据えた作品が生まれます。一部は「無頼(ぶらい)派」とも呼ばれます。太宰治『斜陽』『人間失格』、坂口安吾『白痴』。
坂口安吾:昭和初期の小説家、『堕落論』。既存の道徳に安住することを偽善と批判し、人間本来の姿に戻ることを「堕落」と呼び、そこから「堕ちきる」ことで真の自己の回復を目指しました。
戦後派:戦争責任、組織と個人、政治と文学などの問題を追求した同人誌『近代文学』に拠った人々を中心にし、近代人の主体性と文学の自立性を指向しました。野間宏『真空地帯』、大岡昇平『野火』、安部公房『壁』、三島由紀夫『仮面の告白』『金閣寺』。
第三の新人:戦後派の政治的思想性や観念性とは異なり、私小説の伝統を受け継ぎ、自分の日常生活の現実を見つめて、自己の本質をとらえようとし、市民性を先取りしました。安岡章太郎『海辺(かいへん)の光景』、吉行淳之介『驟雨(しゅうう)』、遠藤周作『海と毒薬』『沈黙』、曽野綾子『遠来の客たち』。