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【貢献意識で目指していく】

日常的スピリチュアル、安田です。 「貢献する」というのは 理想論、きれいごとなので 机上の空論のような 意識になりやすいのですが 貢献意識が弱いと 目指すことを決められないので 何も続けることが できなくなります。 何も目指すことがない中で 歩むというのは 我慢のような 歩みになってしまうのです。 私たちは 忍耐することは できるのですが 我慢することには 限界があるのです。 忍耐というのは 目指すことがあるので 大きければ大きいほど 忍耐を覚悟することが できるのです。 そして 目指すことが大きければ 諦める訳にはいかない歩みが できるのです。 貢献する意識が 大きければ 目指すことも 大きくなるのです。 貢献意識というのは 貢献欲求を目覚めさせることで 意識ができるようになるのですが どんな人でも 貢献欲求を持っています。 より大きな目的のために 貢献したいという思いは 誰にでもあるのですが 「貢献したい」となると 何となくいい人ぶっているので 貢献欲求を 抑えている人もいます。 貢献というのは 特別なことではありません。 本来の基準は 貢献欲求を満たしたいので 貢献欲求のままに 歩むことができるのです。 人の欲求というのは より大きなことになると 貢献欲求が強くなり さらに欲求が拡大されていくのです。 どんなに 自分の欲求を求めても 限界があるのです。 持てるモノには 限度があるし できることには 限度があるので 自分の欲求だけを 求めてしまうと 心理的な限界を 感じるようになります。 モノが満たされても 心は満たされません。 モノで心を満たそうとすると 大きな空しさを感
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【本来の承認欲求の満たし方】

日常的スピリチュアル、安田です。 誰でも承認されることを 願っているのですが 実際に承認されることは 簡単ではありません。 現実の中では 承認されるどころか 否定されることの方が 多いのです。 皆が承認されることを 願っているのですが 承認する人が少ないのです。 承認欲求は誰にでもありますが 本来の承認欲求は 承認されることを願うのではなく 承認できるようになることを願い 承認することで満たされるのです。 多くの人は 受けることばかりを 考えているのですが 皆が受けることを 考えているので 与えられる人が 少ないのです。 心理的には 承認されることで 承認することができるのですが 今の現実の中では 承認されることが できないのです。 なので 承認されなくても 承認するという意識が 必要になっていきます。 極端に言えば 誰からも承認されなくても 承認していくということです。 私たちの本能的には 承認することは 簡単ではありません。 承認する意識ができても 承認することができないのです。 とくに否定されてきた人は 無意識に否定することは できるのですが 意識をしても 承認することが 簡単ではないのです。 承認欲求は 承認することで 満たされていくのですが 承認する意識をしていくには 承認されることを諦めて 承認することだけを 考えるようにしてください。 他の人が承認するかどうかは 自分ではコントロールができません。 どんなに頑張っても 承認してくれるとは 限らないのです。 なので 良い意味での 承認されることの 諦めが必要なのです。 最低限、否定される環境は できる限り避けてくださ
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【本物になるための努力をする】

日常的スピリチュアル、安田です。 本物しか通用しない 時代になっていくことで 「既に本物でないといけない」 というプレッシャーを 感じやすくなりますが 本物を目指していればいいのです。 本物というのは 何かが特別に優れている ということではなく 嘘、偽りなく 歩めていれば いいということです。 現実的には 完全完璧の心情で 歩むことはできませんが 少なくても 嘘、偽りがなければ 本物に向かう歩みが できているということです。 本物を目指すためには 努力の積み重ねが必要です。 努力をしているフリではなく 本物の努力をしていくということです。 毎日の歩みに 最善を尽くせていれば 本物の歩みができているし 本物を目指す歩みが できています。 本物の歩みというのは 一人で歩んでいても 手を抜かないことなのです。 今の時代は 一人でも歩める力が 求められています。 一人でも努力が できるようになれば 本物に向かう歩みが できているということです。 他の誰かに見られていれば 多少の緊張感があるので 頑張ることはできますが 誰にも見られていない 誰も知らないところで 努力をするというのは 簡単ではないのです。 一人で努力をするというのは 孤独との闘いもあるし いくらでも妥協することができます。 妥協して 手を抜いても 楽をしても サボっても 誰も何も文句を言わないのです。 誰にも文句を言われないという 気楽さの中で 自ら負荷をかけていく 歩みができるようになれば 本物の歩みができているということです。 みんなで集まる環境というのは 頑張れる雰囲気ができるのですが 一人で歩む環境というのは 自
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【時代遅れを基準にしないで、感じていることを基準にする】

日常的スピリチュアル、安田です。 今の時代の情報を知らなければ 時代遅れになってしまうのですが 全ての情報を知ることは 絶対にできないので 大まかなことだけを 知っていればいいのです。 時代遅れになることを 恐れている人もいますが 今の時代は よっぽどズレていなければ 時代遅れになることはありません。 ただ、時代遅れには ならないのですが 情報弱者には なりやすいのです。 マスメディアの情報だけを 入れている人は 時代遅れにはなりませんが 情報弱者になってしまうのです。 時代遅れになる心配はないのですが 情報弱者になる心配があるのです。 情報弱者であるか、ないかを 判断する基準はありませんが 情報を鵜呑みにする人は 情報弱者になりやすいのです。 今の時代は 感じていることを基準にして 歩む時代なのです。 学びながら 情報を入れながら どう感じるのかを 基準にしていくことで 今の時代の波動に 合わせることが できるのです。 私たちが感じている境地では 今の時代を察知しています。 なので 全ての情報を知らなくても 今の時代の把握ができるのです。 もし、全ての情報を 知らなければならないとしたら それこそ、情報収集だけで 生涯が終わってしまうのです。 知識にしても 情報にしても 知らなくていいことは 知らなくていいのです。 現実的には、まともに 情報収集をすることは 簡単ではありません。 なので 感じている境地を 基準にするしかないのです。 感じている境地を 基準にしていくことで 今の時代に合わせた 歩みができるのです。 感じている境地を 基準にしていくには 感じている境地の 言語化
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【長期視点での良いことの基準】

日常的スピリチュアル、安田です。 良いことの基準というのは 人それぞれで違うのですが 表面的な、その場かぎりの 一時的な良いことではなく 長期視点での良いことを 基準にしてください。 長期視点での 良いことというのは 最終的にどうなっていくのかを 基準にするということです。 よく「これから良いことが起こる」と 言う人がいますが その良いことの基準は 曖昧なのです。 何かが導かれたり 願いが叶ったというのは 今までの努力の 結果にすぎないのです。 報われなかった人が 報われるというのも 良いことではあるのですが 表面的なことであり 一時的なことなのです。 私たちが本質的に望んでいる 良いことは何でしょうか? 本質というのは 見えないことなので 分かるようで 分からないのですが 感じる境地なので 表面的ではなく 一時的ではないのです。 では、私たちは 何を感じたいのでしょうか? 感じたい感情を 感じたいのですが 成長していることを 感じたいのです。 今の時代で求められているのは 成長欲求なのです。 外的な環境が満たされれば 内的な境地を求めるように なるのですが その内的な境地 内的な欲求が 成長欲求なのです。 成長欲求というのは その場かぎりで 満たされることではないし 一時的に満たされる ことではないのです。 長期で感じることなので 気がついたら感じているような 境地なのです。 表面的な良いこと 一時的な良いことでは 成長欲求は満たされないのです。 たとえ、厳しい環境 試練のような環境でも 成長欲求が満たされれば 本質的な面では 良いことが起こった ということなのです。 恵まれ
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【恐怖を自覚する恐怖】

日常的スピリチュアル、安田です。 恐怖というのは 感じたくない感情なのですが 恐怖を感じることは 避けることはできません。 そして もっと厄介なのが 恐怖を自覚したくない 心理があることなのです。 恐怖を自覚することで 何となくみっともなさを 感じてしまい 恐がっている自分が 情けなくなるので 恐怖を自覚したくないのです。 恐怖を自覚したくないので 劣等感が強くなり やたらと怒鳴ったり 他の人を見下したりしながら 心理的なバランスを 保つ人がいます。 恐怖心というのは 誰にでもあります。 感情の一部なので 無くすことはできないのです。 多くの人の無意識は 恐怖心を隠そうとしてしまうのです。 他の人に対しては 隠すことも必要ですが 自分に対しては 隠してはいけないのです。 恐怖心と向き合うというのは ありのままの自分と 向き合うことなのですが ありのままの自分と向き合う時間が 瞑想の時間なのです。 瞑想の時間に 雑念が出てくるのは ありのままの自分が 浮き彫りになるからです。 その浮き彫りになった自分に 耐えられないので 瞑想を続けることが できない人が多いのです。 ありのままの自分を 把握することが 最も恐怖なのです。 その恐怖を自覚したくないので 忙しさで曖昧にしたり 何かで紛らわしてきたのです。 恐怖心を自覚することが できるようになれば 恐怖心に振り回されることが 無くなっていきます。 最も自覚したくないのが 恐怖心なのです。 その恐怖心が自覚できれば それ以上に恐いことはないのです。 かといって、全く恐怖心が
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【全体目的と個体目的につながることを願う】

日常的スピリチュアル、安田です。 今からの時代で 願うべきことは 全体目的と個体目的が 一致することを 願うべきなのです。 全体目的のために 自分を犠牲にしてはいけないし 自分の目的のためだけに 他を犠牲にしてはいけないのです。 全体目的と個体目的の一致は 常に願われてきたのですが 現実的には 実現できなかったのです。 時代の環境の限界があったのと 自分だけの利益を求めても 成り立ってしまったからです。 他を犠牲にして 自分の利益を出すことが できた時代であったのです。 なので 全体目的を考えることが 馬鹿らしくなり 個体目的のみを 意識する人ばかりが 増えてきたのです。 個体目的は必要なのですが 個体目的だけになると 個人主義になってしまうのです。 全体目的が無い 個体目的は あり得ないのです。 全体目的と個体目的は 一致するのが自然なのですが その自然なことが できなかったのです。 ようやく今の時代になって 全体目的と個体目的が 一致するようになってきたのです。 現実的なテクノロジーの 恩恵によって 大きな目的に向かって 自分の成長欲求を満たすことが できるようになったのです。 まだ、ピンと来ない人もいますが 時代が進んでいる方向は 全体目的と個体目的が 一致する方向に進んでいます。 つまり 全体目的につながらないことは できなくなるのであり 個体目的の 成長ができないことは できなくなるのです。 全体目的につながる 個体目的を願うことで より大きな目的に 貢献しながら 自己成長が できるのです。 使命を全うすること
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【努力を続けるスキル】

日常的スピリチュアル、安田です。 努力というのは 気合、根性、意志の力では 続けることはできません。 努力は習慣の力で 続けることができ スキルによって 続けることができます。 スキルというのは 誰でも身につけることができます。 まして 努力を続けるスキルであれば 誰でも身につけられるのです。 なぜなら どんな人でも 努力ができるように なっているからです。 努力が続けられないのは 完璧主義さと 他の人と比較することが 原因で続けられないのです。 完璧にならないと 努力ができないとなると いつまで経っても 何も始められないのです。 努力は完璧ではないから 必要なのです。 もし、完璧であれば 努力をする必要はありません。 何でも知っていて 何でもできるのであれば それ以上 何も求めなくていいので 努力のしようがないのです。 この一見 当たり前のことが ぼやかされてしまうと 何も前に進めなくなり 常に流されてしまうのです。 努力というのは 学ぶこと 実行すること 瞑想すること 運動することをいいます。 この4つの努力を 習慣にすることで 努力を積み重ねることが できるようになります。 まずは完璧主義さを 手放すことなのですが 完璧な環境が 自然に整うことはないので 諦めてください。 今の現実の環境の中で 工夫をしていくしかないのです。 そして 他の人と比較するのではなく 過去の自分と比べて どうであるかを 採点してみてください。 過去の自分と わずかでもできることが 増えているのであれば 成長しているということです。 自分
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【発信を気をつける】

日常的スピリチュアル、安田です。 今からの時代は 発信を気をつけていかないと 危険な時代になります。 良くも悪くも 発信したことが 実りやすい時代なので 発信に気をつけないと 危険なのです。 宗教的に言えば 祈りが通じやすい 時代になっているので どのような祈りを しているかなのです。 嘘でもハッタリでもいいので 前向きになるようなことを 発信している人は そのごとくに 実っていくし 逆に冗談でも ネガティブな発信をしたら そのごとくに 実っていきます。 発信というのは 情報発信だけではなく 日常の中での 発信も含まれます。 余計なことを 無駄に話してしまうと 感情を流してしまい エネルギーが奪われ 霊的基準も 下がっていきます。 このような時代が いつか来ることを 感じていた人もいますが 今、始まったのです。 ただ、日常の会話というのは 習慣的になっていて 無意識に話しているので 発信の転換をするのが 簡単ではないのです。 とくに 無駄な情報ばかりを 入れている人は 無駄な話しが多いのです。 今までの会話の癖があるので 一朝一夕では変えられないとしても 余計な話しはしない 意識をしてください。 とくにネガティブな 足を引っ張るような話しを しないでください。 たった一言でも 霊的な基準を下げてしまうのです。 これから多くの人が 言葉の恐ろしさを 感じるようになります。 湧き上がってくる思いは 抑えることはできないのですが 湧き上がってきた思いを 発信してはいけないのです。 誰にも発信しなければ ネガティブな思いを
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【承認欲求を手放す】

日常的スピリチュアル、安田です。 誰でも認められたい思い 願いはあるのですが 現実的には 承認されることは そう多くはありません。 なぜなら、人は他人には 興味関心がないからです。 これは誰がどうこうではなく どんな人でも同じなのです。 承認欲求自体は 悪いことではないのですが 過度に承認されることを 期待してしまうと 裏切られたと感じてしまうのです。 ある意味 勝手に期待をして 勝手に裏切られたと 感じているだけなのです。 承認欲求を手放すには 誰にも知られないように 努力をすることで 手放すことができます。 努力というのは 自己成長のために やっていることなので 他の人に承認される 必要はないのです。 誰にも知られないように 努力することができれば 承認されることを 一切期待しなくて済むのです。 この世の人には 誰にも知られないように 努力することはできますが 霊的世界には ごまかせないのです。 いくら陰で努力をしていても 霊的世界からは全てがバレています。 逆に、この世の人に 「頑張っています」の アピールをしていても 実際に努力をしていなければ 霊的世界にはごまかすことはできないのです。 霊的世界から この世の私たちに 願っているのは 努力することなのです。 なぜなら、努力をしなければ 霊的な協助ができないからです。 この世では 誰からも承認されなくても 霊的世界から 承認されれば 霊的世界を 味方にすることができます。 誰かに知ってもらわないと 損をすると思い込んでいる人は 表面的な歩みしかできないのです。 本
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【自信の無さを強みにする】

日常的スピリチュアル、安田です。 「自信を持たなければいけない」 というプレッシャーを感じている人が 多いのですが 自信はいくら追い込まれても 持つこと、感じることはできません。 そして プレッシャーを 感じれば感じるほど より自信の無さを 感じてしまうのです。 自信があるか、無いかは どうでもいいのです。 努力ができているか いないかの方が 重要なのです。 努力は自信が無くても できるのです。 むしろ、自信が無い方が 人一倍の努力ができるのです。 「自分は頭が良くないので  他の人よりも学ぶ必要がある」 「自分は能力が低いので  他の人よりも練習が必要である」と 自信の無さを強みにすることで 人一倍の努力ができるのです。 そして、どんなに努力をしても 「自分は、まだまだです」と 謙虚になることができるのです。 多くの人は 自信が無いと 何もできないと 思い込んでいます。 なので まず、自信を持つこと 感じることを求めるのですが 自信が無くても 努力はできるのです。 努力することには 自信があるか、無いかは 全く関係ありません。 自信を全く感じられなくてもいいので 努力することを優先してください。 努力は 学ぶこと 実行すること 瞑想すること 運動することですが この4つを 全て出来なくてもいいので 1つだけでも 徹底的にやってみてください。 自信を感じられなくても 1つのことだけでも できるようになればいいのです。 中には自信の無さを 言い訳にする人もいます。 「自信が無いです」と 言い訳されたら そこで思考が 停止
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【流されているので自信が感じられない】

日常的スピリチュアル、安田です。 日常の歩みが流されていると 何となく負債を感じてしまい 自信が感じられなくなります。 負債というのは 「このままではいけない」と 自覚しているので感じるのです。 完全完璧の歩みは できないにしても 流されていなければ 負債を感じることがないので 自然に自信を 感じることができるのです。 自信を感じさせないのは 外の環境ではなく 自分自身の歩みが 流されているからなのです。 負債を無くす歩みを していくには 歩み切る習慣を 身につけることで 負債が無くなります。 歩み切る習慣というのは 学び切る 実行し切ることを 習慣にしていくことです。 これからの時代は 自己管理、時間管理を 自分でしていくようになるので 流される人は どこまでも流されてしまい 漠然とながらでも 負債を感じるようになります。 自信が感じられない人は 益々、自信が感じられなくなります。 現実的に 私たちの日常は 流されやすいのです。 流されるような 誘惑が多いので 気がついたら 流されているのです。 この環境を 変えることができれば 今すぐ変えればいいのですが 環境を変えることが できないのであれば 流されない工夫を していくしかないのです。 まず、現実の環境の中で 何が感情を流しているのかを 明確にしてください。 感情が流されることで 現実的に流されるようになり 時間を無駄にしてしまい 何も残せない歩みに なってしまうのです。 私たちの歩みには 一日一日の積み重ねが 必要なのです。 着実に積み重ねる 歩みができていれば
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【良い状態でいることを心がける】

日常的スピリチュアル、安田です。 自己管理というのは 良い状態であることを心がけて 良い状態を保っていく 習慣を身につけることをいいます。 心も身体も バイオリズムがあるので 常に一定を保っていくことは できないのですが 今の瞬間で ベストな状態であればいいのです。 これから、自己管理が 求められるようになりますが 「何々をしてはいけない」という 戒め的な自己管理だけではなく 良い状態であることを 意識していくことで 自己管理ができるようになります。 良い状態というのは 満たされている状態なのです。 自分が満たされていると 自然に他の人も満たしたくなるのです。 満たされている状態を 保っていくことができれば 自己管理ができ 他の人も満たすことができます。 どんな人でも自分で自分を 満たすことができるのです。 つまり、自分の機嫌を 自分で取ることが できるということです。 自分で自分を満たすというのは 成長欲求を満たすことをいいます。 成長欲求を満たせば 自然に貢献したくなるのです。 成長欲求は 学ぶことと 実行すること 努力をすることで 満たすことが できるのです。 ですが 勉強嫌いな人 実行嫌いな人 努力が嫌いな人は 成長欲求が 満たせないのです。 なので 常に何かが満たされていないので 漠然とその何かを求めるようになり 求めても求めても 常に何かが不足しているので 良い状態ならないのです。 モノが不足している時代は モノを求めていたのですが モノが余っている時代は モノを求めるのではなく 自らの成長を求める 時代な
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【自分の原点をつくる】

日常的スピリチュアル、安田です。 自分の原点をつくることで 行き詰ったときに 原点に帰ることができます。 原点をつくるというのは 何のために歩んでいるのかを明確にし どこに行こうとしているのかを 明確にすることをいいます。 簡単に言えば 目的を明確にして 方向を明確にする ということです。 目的と方向を 明確にしていくことが 原点になっていきます。 原点をつくるといっても 堅苦しく考えなくてもいいのです。 仮の原点でもいいし 原点を変えてもいいのです。 というと 原点らしくないのですが 最初から明確な 原点をつくれる人は 少ないのです。 というより 原点をつくるという 意識すらできない人ばかりなのです。 そして 仮にでもつくった原点は 忘れないようにしてください。 忘れないためには 毎日書くか 最低でも 毎日確認してください。 毎朝、原点に帰ることが できるようになれば 忘れようがないのです。 自分の原点なので 自分でしっくり来ることを 原点にしてください。 他の人の真似をしてもいいのですが しっくり来ることを 真似するようにしてください。 原点は目的なのですが 目的というのは 大きければ 大きいほどいいのです。 それこそ 全く見当がつかないこと 生涯をかけても 達成できるか 分からないくらいの 目的にすることで 強い原点を つくることが できるのです。 自分の原点なので いくらでも勝手に 大きくすることができます。 現実の環境、状況が どうであっても 基準が高い意識をすることは 誰にも迷惑をかけることではありません。
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【極端な人は悟りやすい】

日常的スピリチュアル、安田です。 悟りの境地というのは ごく普通の境地ではないので 極端さが必要なのです。 極端なことをすると 当然、バランスが崩れます。 バランスが崩れることで 今まで見えなかったことに 気づくことができるのです。 極端なことというのは 日常の中でもできるのです。 極端に学んで 一切実行をしない あるいは 極端に瞑想をしてみて 他のことは一切やらない ということでも かなりバランスが崩れます。 私たちは 「バランスが大事」という 教育を受けてきたので バランスを崩すことに 罪悪感を感じている人もいます。 あるいは バランスを崩すことに 恐怖を感じている人もいるのです。 バランスを崩すことというのは 大したことではないのですが 何となく大きな事のように 感じてしまうのです。 とくに 真面目でいい人は バランス崩しを 無意識に避けようとします。 なにで 真面目でいい人は 悟りにくいのです。 今の時代の恩恵 時代の波動によって 悟ることに 目覚めようとする人が 増えてきています。 何となくでも 漠然とながらでも 悟らないと 新しい時代に 合わせられないことを 感じているのです。 なので これから悟ることに 目覚めていく人が 増えてくるようになります。 悟るためには 悟るための努力が 必要なのですが 悟るための努力が 学ぶこと 実行すること 瞑想の習慣になります。 そして 現実の中で 日常の中で 悟ることに 価値があるのです。 どこかの山に籠って 隔離された環境の中で 悟ったとしても 意味がないのです。 なぜな
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【常に良い状態であることを信じる】

日常的スピリチュアル、安田です。 私たちは常に良い状態を 保っていきたいのですが 現実的には 心も身体も バイオリズムがあるので 一定の状態を 保っていくことが できないのです。 ただどんな状態であっても ベストな状態が与えられています。 今の瞬間のベストな状態が 与えられているのです。 今の瞬間は 常に良い状態であることを 信じていくことで 今できることに 最善を尽くすことができるのです。 良い状態であることを 信じられないと 不足していることに 目を向けてしまい 不足していることを 言い訳にしてしまうのです。 どんな環境、状況でも 完全完璧ではないし 完全完璧にはなりません。 常に何らかの不足があるし 不足なことを上げたら 切りがありません。 問題は私たちの状態が どうであるかなのです。 外の環境は 時と場合によって 変化していきますが その変化に 振り回されないためには 自分の状態が良ければ 何の問題もありません。 良い状態というのは 最善を尽くせているかなのです。 ヤル気が出ない時 身体がきつい時でも 最善を尽くせているかなのです。 最善というのは 自分で決めた最低ラインを 守ることなのですが きつい時に 最低ラインを守ることが できるようになれば その最善で自信を 感じることができるのです。 調子が良い時は 誰でも調子よく歩めます。 問題は調子が悪い時 出ない時なのです。 葛藤をしながらでも 最善を尽くせるかどうかが 試されるのが 調子が良くない 出ない時なのです。 全ての環境、状況は 与えられています。
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【過去のやり直しはできない】

日常的スピリチュアル、安田です。 過去のことは 今さらどうすることもできないし やり直すことはできません。 この当たり前のことは 誰でも知っているのですが 無意識に過去のことに こだわってしまう人が多いのです。 過去に対するこだわりというのは 過去に執着しているということです。 過去に執着してしまうと 前に進むことができなくなるのです。 私たちには記憶があるのですが 記憶というのは 時間と空間を越えてしまうので どうすることもできないことを 考えてしまうのです。 記憶が完全に消えてしまうと 記憶喪失になってしまうので 大きな支障を来すのですが 記憶が大きく残っているのも 現実と未来に大きな支障を もたらしてしまうのです。 記憶というのは 時間が経つことで 小さくはなっていきますが 時間を短縮させて 記憶を小さくするのが 瞑想の習慣なのです。 もちろん 一気には記憶を 小さくすることは できませんが 瞑想の習慣によって ただ待っているだけよりは 時間を短縮することができます。 過去の記憶を小さくすることで 過去のことを勝手に都合よく 解釈できるのです。 とくに過去が 悲惨であればあるほど 都合よく解釈ができるのです。 ただ逆に 過去が栄光に満ちていた場合は 都合のいい解釈をしてしまうと 新しい変化に 対応できなくなってしまうのです。 変化に対応できない人は 少なくても過去のことに 栄光を感じているのです。 なので 無意識に過去に戻ろうとしたり 過去にこだわるのです。 時代の変化は無慈悲なので 絶対に逆行しないのです。 前に進むこ
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【育つように教える】

安田です。 教育というのは 育つように教えることをいいます。 育つように教えるというのは 主体的に歩めるように 教えるということです。 受け身教育をしないで 主体的に歩める教育をしていけば 勝手に育つようになります。 私たちが受けてきた教育は 受け身教育なのです。 受け身教育を 受けてきたので 主体的に歩める人が 少ないのです。 過去の時代は 従順に従うことが 真面目でいい子 いい人だったのですが 今の時代では ただ従順に従うだけでは 何もできない 問題児になってしまうのです。 なので ただ従うだけの人は 更生が必要なのです。 今まで受け身でいて 主体的になるというのは 実際には簡単ではありません。 受け身でいることに 限界を感じていても 受け身でいる人が多いのです。 教育というのは 誰かが育ててくれるのではなく 自分で自分を育てるのが 教育なのです。 知っている人から 教わることはできますが 育てるのは 自分自身なのです。 主体的に歩めなければ 育てることはできません。 そして 自分で自分を育てられない人は 教育することはできないのです。 模範を見せる 模範的に歩むというのは 主体的に歩み 自分を育てる ということです。 今の時代は 答えがないので 答えを探すのではなく 自ら答えを見い出す思考が 必要なのです。 過去の時代には 答えらしきことがあったのです。 時代の環境に合わせることが 答えであったのですが 今の時代の答えは 一人一人で違うので 自分で見い出すしかないのです。 答えがないので 不安を感じやすいので
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【良いことが起こることを期待しないで、成長を願う】

安田です。 何が良いことなのかは 人それぞれの主観なのです。 良いことの基準というのは 軸がありません。 良いことと捉えるか 悪いことと捉えるかは 解釈の違いだけなのです。 多くの人は 自分の軸、解釈の基準で 良いことが起こることを 期待していますが 期待は必ず裏切られるのです。 願うことは必要なのですが 期待はしないという 微妙な心理観なので 器用にできないのが 現実なのです。 なので 広い視野 長期視野で 成長を願うように してください。 求めていること 願っていることが どのような結果になっても 成長ができるのです。 この世の生の目的は 魂が成長することが 目的なのです。 結果というのは コントロールが できないことなので 与えられることなのです。 コントロールが できないことを 期待してしまうと 苦しくなってしまうのです。 私たちが与えられることは 必要なことしか与えられません。 その必要なことは 自分の軸、基準では 納得がいかないこともあるのですが 納得がいかなくても 成長に必要なことが 与えられるのです。 現実的に時間の制限 空間の制限があるので どんなにもがいても どうにもできないこともあります。 宗教的に言えば 神様の手の平の中で 生かされているということです。 身動きが取れないような時期は 目の前のことに最善を尽くし 投入していくしかないのです。 制限されているような時期は より目の前のことに集中でき 投入することができるのです。 制限に息苦しさを 感じることもありますが 制限を不利に解釈するのではな
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【完璧主義を求められるプレッシャー】

安田です。 完璧主義を 求められることで 苦しくなり 心理的な自由を失い 伸び伸びとした歩みが できなくなります。 私たちが受けてきた教育は 完璧主義の教育であったのですが その完璧主義の教育によって 新しいことに挑戦することが できなくなっています。 初めてのことに挑戦すれば 当然失敗をするのですが 完璧主義者というのは 最初から失敗を許さないのです。 そして 常にプレッシャーを 与え続けるのです。 どんなに優秀に見える人でも 全てが完璧にできることはありません。 私たちは成長することで 成熟の状態を目指しているのですが 成熟した状態でも 全てが完全完璧に できるようにはなりません。 成熟した状態というのは 魂が成熟しているということです。 プレッシャーを与える教育というのは 成長を妨げる教育なのです。 というより 教育ではありません。 今の時代は新しいことに 挑戦していかないと 時代の波動に 合わせることが できなくなるので 完璧主義を手放していく 必要があります。 完璧主義を求められている場合は 基準を上げていくことを意識してください。 大抵、完璧主義を求める人に限って 基準が低いのです。 ある意味 自分ができないことに対しての 苛立ちから完璧を求めているのです。 自分から主体的に 努力をしている人は どんなに努力をしても 完全完璧にはできないことを 肌身で感じているので 完璧さを求めないのです。 教育というのは まず自分が模範を 示すことなのです。 模範を示すといっても 完璧にはできないので わずかでも 成長し
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【全体目的のための条件】

安田です。 私たちは 全体目的と個体目的の 両面の目的の中で 歩んでいます。 たとえ自覚がなくても 意識がなくても 全てがつながっているので 全体目的と個体目的の 連体の中で歩んでいます。 例えば 10人のチームが あるとします。 この10人は ヤル気がある2人 ごく普通6人 ヤル気がない2人 と分かれます。 あるいは やたらと結果を出す2人 そこそこ結果を出す6人 やたらと結果を出さない2人 と分かれます。 この法則は 「2対6対2の法則」 と言われていますが チームをつくると 大抵はこの法則の通りに なっていきます。 理想は10人が皆 ヤル気がある状態であり 10人が皆 結果を出せることなのですが この理想通りには いかないのです。 ヤル気がある10人 あるいは 結果を出している10人を 集めたとしても 必ず2対6対2に 分かれるのです。 逆にヤル気がない10人 結果を出していない10人を 集めたとしても 2対6対2に 分かれます。 この2対6対2の法則によって 前に進んで開拓する人 ただついて行く人 足を引っ張る人と 分かれるのですが 全て全体目的に つながっているのです。 ヤル気がない人 結果を出さない人 足を引っ張る人を 排除して 別の人を 取り入れても 同じような現象が 起こるのです。 全体目的を 成就にしていくには 一点の突破が 必要なのですが その一点の突破のために やってもやっても 実らない人がいたり 敢えてヤル気がない人 足を引っ張る人がいるのです。 表面的に見ると ヤル気がない 結果
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