【本来の承認欲求の満たし方】

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日常的スピリチュアル、安田です。

誰でも承認されることを
願っているのですが
実際に承認されることは
簡単ではありません。
現実の中では
承認されるどころか
否定されることの方が
多いのです。
皆が承認されることを
願っているのですが
承認する人が少ないのです。
承認欲求は誰にでもありますが
本来の承認欲求は
承認されることを願うのではなく
承認できるようになることを願い
承認することで満たされるのです。
多くの人は
受けることばかりを
考えているのですが
皆が受けることを
考えているので
与えられる人が
少ないのです。
心理的には
承認されることで
承認することができるのですが
今の現実の中では
承認されることが
できないのです。
なので
承認されなくても
承認するという意識が
必要になっていきます。
極端に言えば
誰からも承認されなくても
承認していくということです。
私たちの本能的には
承認することは
簡単ではありません。
承認する意識ができても
承認することができないのです。
とくに否定されてきた人は
無意識に否定することは
できるのですが
意識をしても
承認することが
簡単ではないのです。
承認欲求は
承認することで
満たされていくのですが
承認する意識をしていくには
承認されることを諦めて
承認することだけを
考えるようにしてください。
他の人が承認するかどうかは
自分ではコントロールができません。
どんなに頑張っても
承認してくれるとは
限らないのです。
なので
良い意味での
承認されることの
諦めが必要なのです。
最低限、否定される環境は
できる限り避けてください。
承認されないで
否定だけされて
承認するというのは
心理的には
身が持たなくなります。
承認されることを
市場として考えたら
相当な大きな
市場になります。
承認することを
求めている人よりも
承認されることを
求めている人が
圧倒的に多いので
大きな市場になるのです。
なので
承認することが
できるようになれば
大きな可能性が
あるということです。
承認というのは
存在そのものを
認めるということです。
何かができるから
承認するという
条件付きの承認ではなく
無条件の承認のことをいいます。
嘘でも、ハッタリでも
無責任でもいいので
「あなたならできる」という
承認ができるようになれば
お互いに承認欲求を
満たすことができるのです。
否定というのは
何も生み出さないのです。
否定することで
悔しさを与え
火をつけることが
できることもありますが
否定した人は
何も生み出せないのです。
むしろ
否定した負債感が
強くなってしまうのです。
否定されることで
メンタルが病むこともありますが
否定することでも
メンタルが病んでくるのです。
なので、最低限
承認ができなくてもいいので
否定はしない方がいいのです。
理想的な歩みは
承認されることを願う前に
承認することを願うことです。
承認できるように
願うことができれば
承認できるように
歩むことができ
本来の基準の
承認欲求を満たすことが
できるようになります。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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