「大丈夫」と、何度言ってきただろう

「大丈夫」と、何度言ってきただろう

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「大丈夫です」。

その日も、彼女は何度そう言っただろう。

母を見送ったのは、半年前のことだった。長い介護のあとだった。葬儀の段取りも、親戚への連絡も、役所の手続きも、ぜんぶひとりで、きちんとやり遂げた。

「しっかりしてるね」とみんなが言った。

「大丈夫?」と聞かれるたびに、「大丈夫です」と笑って答えた。

実際、涙はもう出なかった。泣いてしまったら、たぶん、いろいろなものが間に合わなくなる。だから泣かなかった。泣く時間がなかった、というほうが正しいかもしれない。

半年が過ぎて、手続きはあらかた片づいた。

なのに、ずっと、肩のあたりが固いままだった。

息を深く吸おうとしても、途中でつかえる。眠っても、眠った気がしない。胸の真ん中に、抜けない小さな石が、ずっと詰まっているようだった。

ある午後、彼女は、入ったことのない小さな喫茶店に入った。

雨宿りのつもりだった。客は彼女ひとり。古いレコードが、低い音で鳴っていた。

年配の店主が、コーヒーを出して、それから、彼女の顔を一度だけ見て、静かに言った。

「——無理、してませんか」。

それだけだった。

責めるでも、心配しすぎるでもない。ただ、置くように言われたその一言が、なぜか、胸の石に触れた。

「……いえ」と言いかけて、声が、続かなかった。

気づいたら、彼女は、ぽつりと言っていた。

「本当は、……つらかったんです」。

言った瞬間だった。

ずっと固まっていた肩が、すとん、と落ちた。

つかえていた息が、ふっと奥まで入った。

そして、半年ぶりに、涙がこぼれた。とめどなく、静かに。情けなくも、恥ずかしくもなかった。ただ、ずっと言えなかった四文字を口にしただけで、こんなにも軽くなるのか、と思った。

つらかった。

たったそれだけの言葉を、彼女は半年間、自分にすら、言ってあげていなかった。

言葉には、ふしぎな力がある。

ずっと胸の奥でこわばっていたものは、正しく言葉にされた瞬間に、ほどけはじめる。誰かはそれを、ヒーリングと呼ぶ。遠くから何かを送るのではなく、ただ、本当のことが、本当の言葉になる。それだけで、人は少し、息ができるようになる。

——もしあなたも、ずっと「大丈夫」と言い続けているなら。

その「大丈夫」の下に、まだ言葉になっていない本当の気持ちが、固まったまま残っているのかもしれません。

それを、責めずに、正しく言葉にしてくれる相手が、たったひとりいるだけで。

詰まっていた石は、ほどけはじめます。

あなたは、もう、無理をしなくていい。


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