ここまで読まれていてみなさん、お気づきだと思いますが、誰一人として、仲間や味方はいなかったんですね・・・
わたしは銀行でコンプリートできなかった感謝の課題のためにひどい職場に行かされたのですから・・・・
ただ、まだ、わたしはK川Pを信じてしまったのですよね・・・
8月に入り、Aさんからの
「SさんはK川Pに守られていることわかっていますか?Aさんと二人でやれると言ってきてもらえませんか?わたしはK川Pが入ると邪魔で邪魔で仕方がない」
というのがものすごく増えたため、
本当に困っているということをK川Pに伝えました。
「Mさん(前に人事をされていて、辞めてかれた方)から任された人事を手放すわけにいかないから、僕がわからないところは教えるから、Aさんがいないときに・・それは約束する」
とわたしにK川Pは言いましたが、そういう話ではないのです!!
T植Pに言ったら、
「もう、K川Pに上司になってもらおうか?K川Pが6月頃、仕訳も全部僕がやってとかそこまで言わなかったら、もう上司になっていたじゃん!Sさん、可愛いんだから、わたしのために上司になってもらえませんか?って言ったらすぐなってくれるわ。わたしも言ったるから」
と言われましたが、「わたしは仕訳は自分でしていますよ。とにかくAさんと役割分担をしてほしいです。今まで何も解決してこなかったのに、わたしが言ったからって変わらないと思うのでお願いします」とT植Pに伝えました。
なんかこの時も、K川Pがわたしの仕事がどこまでできるか把握してるどころか会議でわたしのことをわけのわからないことを言っていないかなという気にはなりました。結局はK川PはわたしではなくAさんはわからなかったけれど、裏ではAさんを守っていたのですよね・・・わたしを仕事ができないように言って・・・・
それとは別に8月に入り、過呼吸や不眠症の症状が出ていたので、K川Pに「わたしとAさんと在宅勤務を使って、出社の日がAさんとK村さんみたいに週に1日にしてほしい・・」とも頼みました。
そうしたら、K川Pが
「それはだめだよ。AさんとK村さんはみんなの前ですごい喧嘩をするんだから、離しておかないと・・・Aさんとの出社の大半はSさんにしてよ?」
解決もなにもしないくせに、この期に及んでまだこんなこと言っていたのです。今思うと本当にこの人が人事であることも大問題だったと思います。
そして、何も変わらないまま、手術後の経過が思わしくなく、8月に入り出血がひどくなり、出社するのが難しくなりました。毎日ずっと在宅勤務で良いということだったので、わたしは数か月前に決めた、どちらかが事務所、どちらかが在宅のときはメールで引き継ぎとか仕事のやりとりはしないというものが、Aさんとの打ち合わせというPDFで、フォルダに格納されていたので、それが生きていると思っていました。
出血がひどくて、しばらく在宅しか働けないと言ったこの時も、K川Pに
「Aさんいない日は来てくれませんかね?K澤さんみたいに気配消すのは止めてほしんだけど・・・K澤さん、ぐたっとしてさ・・・みんなの指揮が下がるじゃんね・・・社員会でもK澤さんどうする?ってみんなで言っているんだけどね・・・」
今思うと、本当にK川Pは人事として、最低だったと思います。
結局この人はその人の健康よりも見せかけだけの事務所の体裁のことばかりを気にして、中身がないのだと思います。
1か月後に休職中だったK澤さんは、休職期間を残したまま、病気のため(K所長のパワハラによる鬱)退職されました。
そして、9月の中旬に、上司がA井P(この人の特徴はまた後で書きます)からK川Pに変わりました。
A井P(経理→人事)、K川P(人事→経理)になりました。
変わる前日に、K川Pに「もう身体も悪いし、辞めたいんですけど・・・辞めさせてもらえませんか?」と電話で言いました。
「上司が僕に明日変わるかもしれないし、そうしたら、わからないことはAさんではなくて、僕に聞きやすくなるし、Sさんやりやすくなると思うよ・・・」と言われました。
今思えば、これも嘘ばかりでした・・・全然やりやすくなんかなりませんでした。
この頃にはもう疲れ切っていて、上司が変わろうがもうなんともうれしいとかそういう感情は芽生えてきませんでした。だんだん、この事務所に就職したこと、この事務所の仕事が好きかどうかさえわからなくなり、だんだんと資格の資料を読み漁るようになりました。何もかも遅すぎたのです。
結局わたしは8月を境に、退職するまでAさんと顔を合わせることはありませんでした。上司が変わろうが変わらないだろうが、解決することはなかったということです。
本当にこのあたりで辞めれていたらよかったのです。後から書きますがこの時点では課題は達成できていないので無理なんですよね・・・
わたしはとにかく、経理事務で雇われたのに、経理とは関係ないような仕事ばかりさせられていたし、K村さんのやりたくないアシスタント業務(会計士の謂わば何でも屋)の仕事ばかりさせられていたし、Aさんも経理の仕事は引き継がず、全然関係のない仕事のようなものばかり押し付けるので、東京や大阪のように自分が何の仕事をしているのかはっきりしていなかったし、Aさんと経理はもちろん経理以外のすべての業務が全て密になっていたので、役割分担をしてほしいと頼んでいました。
今思うとなんでこんなに業務があいまいになるかというと、とにかくAさんにとって働きやすい環境になっており、週3勤務だったので、週3ではできないことをわたしにやらせるために、経理の主業務と求人には書いてありましたが、はっきり言って、Aさんの補助業務だったのです。それに加え、K村さんがやりたくない仕事はわたしに回ってくるということ。はっきり言ってわたしを育てる気は事務所全体になく、経理がほぼ未経験でも雇われるのはおかしいと思ってはいましたが、Aさんの体のいい機嫌取りのようなポジションで雇われたのだと思います。だから、引き継ぎもいい加減でよかったのです。わたしに仕事ができるようになる方が事務所にとっては都合が悪く嫌だったのです。なぜなら、わたしが出来るようになれば、もうAさんがいなくても回るから、T植PがAさんに辞めてもらっても良いんじゃないの?と言い出しかねないから、わざと、経験のないわたしを雇って、Aさんの大切さを示そうとしたのです。K川Pもわたしに完全にできるようになるのではなく、とりあえず、その場しのぎ、わたしの相談は右から左に流し、育てることは目的とせず、気分で適当になんとなく教えていたのだと思います。
K川Pに上司が変わったあと、わたしが経理、K村さんが人事、Aさんがアシスタント業務(会計士の謂わば何でも屋)をするため役割分担をするため、わたしとAさんではうまくいかなかったし、わたしは大腸ポリープの出血もあり、便器が真っ赤になるためこの時期在宅でしか仕事ができなくなったため、K川PとAさんで経理の引継ぎが始まりました。まだ、この頃はK川Pに異変はなく、これで、わたしはAさんと業務の切り離しができ、係が別になるため、AさんとK村さんのようにほぼ仕事上、どちらとも接点をもたず、自分の仕事に専念できると思っていました。これもそういう意味ではなかったのです。名ばかりの係を決めただけで、わたしが経理+Aさんの週3日でできない、アシスタント業務の補助という名前もない仕事をさせるということだったのです。
9月の終わりの頃、監査法人の全ての事務所のパートナーだけが集まる総会というものが毎年行われるのですが、そこで、T植Pが理事長はじめ色々な人にAさんが新人(わたし)にパワハラをしていて、K川Pが疲れ果てていると言っていたとK川Pから聞きました。言い方としては「Sさんにとっては、朗報なんだけどね・・T植さんが、もういろんな人にAさんがパワハラしてるって言って、僕、理事長にね、「ほんとうにAさんという人は大変な人なんやな・・・K川くんも大変やな・・・」と言われてさ・・・」と言ってました。今思うと、T植Pが皆に言った後、K川PはT植さんが感情的になっていると言って、Aさんのことを擁護し消火活動をしたのだと思います。1年後、K川Pはひどい目に遭うのですが・・・。
10月の中旬頃、K村さんが急にみんなでアシスタント業務の会議をしたいと言い出したのです。(わたしの休職までの間に3回ほど開かれる)
そのアシスタントの会議というのは、先ほども書きましたが、Aさんが、経理からアシスタントという職種に変わったのですが、そのアシスタントの会議を開くというのです。
今思うと、K村さんが持っているアシスタントのお仕事をAさんに渡すだけの話しで、K村さんと、AさんとAさんの上司でやればよかっただけの話です。そこになぜ、関係ないわたしとK川Pが入れられていたのか謎でしたが、わたしは祖母が亡くなり、また体調が悪かったので参加できず、5時間以上かけて、開かれたそうです。
その後、どういう会議でした?とK川Pに聞いたら、K川Pからは、「Aさんがわたしとうまくやっていきたいって言っているとか、Aさんの上長のK全Pはわたしの意見も聞いてみないと・・・と言っているんだけどね、とりあえずね、K村さんの仕事がこれから大変になっていくから、Aさんに3日出勤してもらうことになったから、Sさんんは出勤が2日、在宅が3日になったから。」「ちょっと待ってください。そうしたら、わたしはAさんは非常勤でもともと3日の勤務なのに3日出て、わたしは常勤なのに2日しか出勤できないんですか?引継ぎはどうやってやるんですか?月次決算の時は2日しか来れないなら、11月な文化の日が出勤日にあたるので、行けないんですが、いつも出勤してやっていたのにどうやってK川さんとやるんですか?」「とりあえず、そういうことになったから、Aさんにまた僕とSさんがこそこそしていると思われるから切るよ」と言われ、電話を切られ、会議の内容を全く教えてもらえず、結局会議は何について話し合ったのか、全くわからず、引継ぎも出来ていないのに、出勤日も減らされ、月次決算はどうやって仕上げるのかの回答もなく、K川PからはAさんがこっちを見ているからと一方的に言われ、電話を切られました。その後、何について話合ったのか、どうやって仕事をしていくのか、聞こうとしても電話には出てもらえませんでした。
何について話し合ったのかもわからず、結局こちらもたくさんの鑑定士さんに調べてもらいましたが、わたしが悪いとかわたしの悪口を言っている会議だったと言われました。
この会議の前までは、K川Pとの関係はまだ良好でしたが、それ以降は、わたしはK川Pからものすごくないがしろにされたり、ぞんざいに扱われるようになり関係はどんどん悪化していきました。
まだ、上司がK川Pに変わって1か月も経っていませんでした。
はっきり言って、上司が変わろうが変わらまいがわたしにとって良いことは一つもなかったのでした。
いつもなら、在宅終了後にK川Pに言われて、今日は何の仕事をしたのか電話で話して仕事が終了となっていたのですが、この頃から、電話をかけても電話を切られ、また別日に「もう僕は、SさんとAさんのことは中立になることにする。また、みんなに僕とSさんで悪だくみしているように思われて嫌だしね!なんかAさんも体調がよくないみたいだしさ・・」とかいう訳の分からないことを言い出し、中立と言う名のもとの、わたしの話は一切聞かず、Aさんの話しか聞かないという状態になりました。というか、普通の喧嘩ではなくわたしは一方的にやられているだけなので、中立になるというのはおかしんですけどね・・・。そもそも自分だってAさんのことがおかしいとか精神分裂とか言って、上司を変わったわけですし・・・。つまり自分がAさんを抑えることができず、解決できないから、ただ逃げただけですよね。正直、この人何??って感じですよね・・・。
また、わたしはこの頃、銀行員だったため、Excelが疎かったので、PC教室で、仕事をしていました。二人に特に迷惑をかけたわけでもありませんが、AさんやK村さんはPCが出来ないようなことをみなに言いふらしていました(とは言ってもこの二人に聞いてもまともに教えてくれなかったので全くと言ってよいほど聞いたことはありませんでした)PC教室の先生と今まで作ったAさんの内部請求の請求書(本部、東京、大阪、北陸)の関数の組み方を☑していた(K川Pには許可をとり、個人情報を伏せて)のですが、PC教室の先生いわく、何、この関数の組み方?Aさんの関数の組み方がめちゃくちゃだから、Sちゃん、出来ないんだと思うよ。この人もあまりわかっていないんじゃない?と言われ、Aさんが作った請求書の関数を一から先生と組みなおすことにしました。この作業が3ヶ月(土曜日2時間)かかりました。
8月に出血が起こり、入社した頃から、Aさんのメンタルの具合に振り回され、いつも恐怖と隣合わせでしたので、過呼吸と不眠書の症状が出ており、9月に診断書を、ちょうどK川Pに上司が変わった時にK川Pに出しました。わたしは2月からK川Pに相談をしていたのに、結局、これまで解決せず、また一人つぶしたということです。それにも関わらず、今まで困難回避先送りにし、ふらふらふらふらして、解決もせず、自分のめんどくさいが増して、中立になったK川Pは今にして思えば本当に最低の上司だったと思います。
派遣さんはK川Pと関わることがなかったので、よかったのでした。わたしの場合は、採用がめんどくさいという理由で関わってきてしまったので、2月から9月まで、わたしが相談してきたことは右から左に流して、聞いているふりだけして、寄り添っている風にして、頭の中ではわたしがAさんから日常茶飯事にやられることを、当たり前に我慢することに麻痺させて慣れさせることをどうしたらできるか、日々そればかりを考え、願っていたのだと思います。だから、何も解決してこなかったのだと思います。
そんなことは無理なので、わたしは解決しないならば、もう辞めたいということも入社当時から常々、K川Pに伝えていたにも関わらず、たらたらたらたらして、うやむやにして時間が解決(わたしがAさんにやられることを慣れること)を望んでいたのです。
結局、K川Pのいう、良い事務所というのは自分にとって都合の良い事務所。自分が気持ちよく働ける事務所。周りがどういう思いで働いていようが関係ない。誰も自分にめんどくさいこと言わず、嫌なことは周りが我慢してくれればよい、とにかく自分が良い思い、良い気分で働ければ良い事務所・・・そんなところなのです。だから、人事を手放したくなかったのです。自分の都合の良いようにできるので・・・。
この頃から、K川Pへの不信感も募り、次第に関係も悪化していきました。
そして、人生の課題4に記載しましたが、
・月次決算をK川Pとやっていたら、以前Aさんに入社したばかりの頃、なぜ削除したんだと責められたものが残っており、自分が入力した分と2重で入っており、消すことになりました。Aさんのわたしを責めていたけど勘違いだったのではないですか?と言っても聞き入れてくれませんでした。
・Aさんが金庫を自分が開けっ放しにしたにも関わらず、在宅のわたしが開けたと騒ぎ出し、あれでも銀行員なのかとわたしの直属の上司(K川P)と馬鹿にする
(K川PもK川Pと思いますが・・・K川Pに、それでもSさん銀行員だったの?よくそんなんで後輩の指導ができたよね?と馬鹿にされる。在宅で仕事をしているし、机に置いてある仕事を取りに行くだけなので、わたしは金庫を開ける必要がないので、わたしは開けていない。机の引き出しに鍵がささったままになっていたのを見ましたし、Aさんが金庫からお金を出したと現金出納帳に書いてあったと言うもどっちがやったかわからないとK川Pに言われる。)
・Aさんがあたかもわたしが開けっ放しにしたような定で、金庫を開けっ放しにしないでくださいとメールが来る。→K川Pから気を付けてください。というメールが来る。だから、やっていないと言うもどっちがやったかわからないとK川Pに言われる(だったらわたしに言うなと思う)
・別日に金庫をK川Pが開けようとしたら、前日にAさんが触っていたようで、また開けっ放しになっていた。やっぱりAさんが管理が雑なのではないですか?と言うも、まいいや。見なかったことにしようとK川Pが言う。Aさんのことは失敗はもみ消しにする。
上記のことが起こりました。
わたしはここの事務所はやってもいないことをわたしのせいにすることをわたしに強要するのかと恐怖に感じました。
もうどの人も本当に信じられなくなりました。
母親がもう居ても立っても居られなくなり、K川Pの個人携帯へ電話をし、体調も良くないから、今大事な時なので、Aさんからの直接のメールはK川Pが受けてそこで必要なものとそうでないものを分けて、Sに送っていただけませんか?そもそも、引き継ぎが完了するまでは、事務所と在宅ではメールで仕事のやりとりは禁止ではなかったのですか?と伝えるも、K川Pからの言葉は「お母さんは知らないかもしれませんが、僕はパートナーって言って、役員なんです」という意味不明な回答しか返ってこず、母は1時間半以上かけて、K川Pを説得し、Aさんから私へ直接のメールはこないように約束させました。役員なら、わたしのまえの前任者も辞めているのだから、2度も同じことが起こっているのだから、原因究明に努めて、早期解決が大事だと思うのですが、名ばかりの役員だということがよくわかります。
しかし、結局意味もなく、その後も、メールで自分のアシスタント業務の仕事をお願いします。わからなかったら教えます。まだ引き継がれていない経理の仕事をしろだの直接きていたので、
「母との約束はどうなったんですか?そもそも、PDFに格納してある打合せという約束事はどうなっているんですか?どうして、アシスタントの仕事のメールまで私に来るんですか?引継ぎしていないものは在宅ではできないのですが・・・一人でどうやってやるんですか?」
とK川Pに聞いたら、
「僕、考えたんだけど、Aさんも可哀そうだと思うわ。Sさんに何通も何通も送っても何も返事がないんだから・・・K川P、Sさんっていうふうにメールを送ってもらおうか?最近、僕、Aさんにパワハラしてるんじゃないかって思うんだよね・・・Aさんも体調が悪いみたいだよ・・・」とか言い出したのです。中立と言うよりもAさんの味方になっただけだったのです。初めからそうだったと思いますが・・・。もう無理だとわたしは思いました。
そしてこの頃、もう一人事務員を入れるという話もでており、わたしのことをたぶんK川Pが全然仕事のできない人のような定で会議で話していたため、T植Pから「なかなか改善できなくて、ごめんなさい・・・そろそろ採用しようと思います。経理の経験者を入れようと思います」
みたいなラインがきており、
??
わたしは、「Aさんのことで本当に疲れたので、業務は一人でやらせてほしいと頼みました」
が、結局はわたしの休職中にT植PとK川Pで、わたしが病気で辞めることになっても良いように経理の経験者の採用活動を始めました。
K川Pに「わたしが今まだ引き継ぎができていないのに、どういうことですか?」と聞くも、いまいちな反応しか返ってきませんでした。
そして、K川Pと話していても拉致があかず、急に激しい頭痛が何日も続き、家でも仕事ができなくなり、休職に入りました。
A井Pに、休職手続きなのに、両親を連れて来いと言われたので、わたしと母とで地元の駅で休職手続きをしました。今思えば、K川PがA井PにわたしのことをAさんをかばう為に悪く言っていたのだと思います。それで、わたしだけだと話が通じないと思ったので、母親を連れてこいということだったのだと思います。休職手続きなのに、退職手続きをしているかのように、前のK澤さんは休職中もPCを家に置いてあったのですが、わたしにはPCを返せと言ってきました。母が就業規則が確認できないじゃないですか?と言っても、聞き入れもせず、辞めていく方向にもっていくように処理をしに来たんだなと感じました。自分が二度手間になるのがめんどくさいので、本当はこの時、退職届まで書かせておけば、1度の手続きで全て終わると思っていたのだろうなと感じます。
そもそもこの人が上司の時に、わたしの前の派遣さんも辞めて、派遣会社からも契約違反でおたくには絶対今後は派遣しませんって言われているのに、
自分が上司の時に2人もつぶしておいて、何も悪びれず、やばい人だなと思いました。
A井Pのみなが思っている特徴は、・自分さえよければよい ・人に無関心 ・無慈悲 ・イヤなことを他人が我慢してやってくれたら、自分は安泰と考える ・めんどくさいことからは逃げる ・何考えているかわからない人 ・表情も変わらないし、目が笑っておらず、鉄仮面つけてるみたいな人 ・心がない ・頼りたくない ・人の気持ちに無頓着 ・ご自分の都合が大事 ・自我が強過ぎる ・自分が正しいと思っている ・柔軟性もない
この方はもともと大手の監査法人で「パートナー」までされていたのですが、みんなにものすごく嫌われ、責められ、うまくいかなくなり、鬱になり辞めており、今も鬱だということでした。T植Pが見るに見かねて、国立H大学の先輩後輩であったこと、元々T植Pも同じ大手監査法人で働いており、この監査法人を紹介したということでした。わたしにも自分が病気で薬を飲んでいて、鬱だと言いました。T植Pさんから聞きましたと伝えました。
A井P曰く、なんでこうなったのか、なんで病気になったのかさっぱり原因がわからないとわたしと母親の前で言いました。
こわい人だなと感じました・・・
そこの監査法人に働いていた、ココナラで知り合ったプロフィールにも書かせていただきましたツバキさん曰く、良い人ばかりで人間関係もよかったから働きやすく結婚するまで6年働いたということでした。
T植PとA井Pが人間的に問題があったから、働けなかったんじゃないかと思えてきました。後から思うと、特に学歴が良く、大手の監査法人で嫌われたり問題を起こした人がこの監査法人に集まってきたんだなと感じました。
結局今思うと、みんなにAさんだけでなく、会社全体にパワハラをされていたのだと思います。K川Pがあの手この手で、わたしを入社させ、わたしに早くに近づき、わたしの上司に変わり、やりたかった事は、上司という強い立場でわたしを屈服させ、Aさんの数々のパワハラを我慢させ、自分のおかげで事務所がうまく回っていると証明すること。Aさんのパワハラを隠すために、前任者のベテランの派遣さんと違い、ほぼ未経験で歳も8つくらい若いわたしを経理担当者として雇い、経理の仕事が慣れていない弱い立場であるがゆえ我慢させることが可能になるため、わたしを都合良く採用をしたということです。
ただ、病気になりAさんとうまくいかなくなった今、T植Pにしろ、K川Pにしろ、結局は、この時点で、わたしは用なしとなり、わたしに辞めてもらい経理の経験者を雇えばよいと思っていたのだと思います。派遣さん、パートさん、わたし、捨て駒のように扱って、T植PはAさんのせいで、また新人が辞めちゃったという事実が欲しく、K川PはAさんに対してAさんのすることなすこと(間欠性爆発症状)を我慢をしてくれる人が欲しいと言うところで新たな人材をわたしのポジションである経理担当者として、採用することに二人は合致していたのだと思います。
わたしの休職中に、わたしに知らせもなく採用活動が始まりました。
本当にここで辞めておけばよかったと何年たっても思います。