【ままにならぬが人生 認知の歪み⑪】

記事
学び
 メンタルヘルス不調の人が悪循環に陥る
 ネガティブな思考の癖にアプローチする
 認知再構成法とは、過度にネガティブな
 気分・感情や不適応的行動と結びついた
 認知(自動的な思考やイメージ)を同定
 して様々な視点からその認知を検討する
 ことによって代わりとなる新たな認知を
 自分で再構成するための技法なのである。
 認知の構造としては、ある特定の場面に
 おいて、瞬間的にオートマチックに頭に
 浮かぶ考えやイメージ(自動思考)には、
 妥当なものと「妥当でないもの、或いは、
 部分的にしか妥当ではないもの(否定的
 自動思考=認知の歪み)」があるもので、
 この「認知の歪み」について話をしたい。
 第11回目の今日は、「『ねばならない』
 『べき』思考」。これで私も離婚をした。
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 「『ねばならない』『べき』思考」とは、
 自分や他人の振る舞いに厳密で固定的な
 理想を要求し、それが実現しないことを
 最悪視するもの。絵に描いた餅とまでは
 言わないが、理想通りに物事が実現する
 ことなどそうそうあるものではないのは
 周知の事実で、それをいちいち「最悪だ」
 と捉えているならストレスも大きかろう。
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 私は、「結婚した以上は、夫婦の生活を
 優先するべき」と基本的には考えている。
 その考えを自分にも別れた妻にも要求し、
 私は家庭を第一に考え(ていたつもり)、
 実家に寄り着いたり親に頼ることもなく、
 酒や遊び等にも現を抜かさず、縁あって
 結婚した妻を誰よりも愛しい存在として
 受け入れ(ていたつもり)、しっかりと
 家庭に根を下ろした夫だった(と思う)。
 妻はと言うと、結婚当初から、「週末は、
 実家で過ごさないと落ちつかない」との
 ことで、殆ど毎週、迎えに来た母の車で
 実家に帰っていた。たまに珍しく日曜日
 に家にいるなと思っても、「○○ちゃん、
 ちょっと来て~」と、義母が迎えに来て、
 夫の私に理由の説明もなく、「ちょっと
 お借りします」の一言で連れ出して行く。
 しかも、呆れたことに帰りは翌日の深夜。
 これには、ボランティアで近所の子供を
 預かって面倒を見ている義母が保育士の
 妻に手伝ってほしいという事情もあった
 ようだが、それは、何となく察知できた
 だけで、妻や義母からは説明があったり
 了承を求められることなど一切なかった。
 長年の一人暮らしで一人でも物理的には
 不自由しないが、当然心は満たされない。
 当時は、義母に対しても否定的な見方を
 していたし、こうしたことが改善される
 まではと、如何なる場合にも妻の実家に
 顔は出さないと妻に言い渡してあったし、
 毎週末ばかりか、長期休暇の度に実家に
 入り浸る妻に厳しく接していた。何しろ、
 結婚生活中、妻は、年末年始は全て実家。
 私と除夜の鐘を聞き、年越しそばを食べ、
 夫婦で初詣に行き、雑煮を食べる。など
 一切なかったから寂しくも厳しくもなる。
 夫婦の生活を優先すること、毎日を夫婦
 共に過ごし、除夜の鐘も、年越しそばも、
 初詣も、雑煮も、同じ思い出を共有する。
 自分にも妻にもそういう厳密で固定的な
 理想を要求し、それが実現しないことを
 最悪視する。それでストレスを溜め込み、
 最後に爆発したのが私の結婚生活だった。
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 「『ねばならない』『べき』思考」だと、
 理想通りに物事が実現することなどそう
 そうあるものではないという現実を見ず、
 実現する・しないの両極端な考えに偏る。
 理想通りとはいかないまでも、どの程度
 それに近いと最低限の満足が得られるか、
 という妥協点を探す発想がないのである。
 理想通りに物事が実現しないことを普通
 だと考え、最低限満足のできる妥協点を
 探すのに限る。少なくとも私はそう思う。
 このように思うことが「認知の修正」だ。
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 理想通りに物事が実現することなどそう
 そうあるものではない。しかし、何一つ
 理想通りに物事が実現しない人生も癪だ。
 「認知の修正」で理想そのものを変える
 ことで少しは理想通りに物事が実現する
 人生を送れるようになるかも知れないが。
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 駄文の御閲覧、心より感謝申し上げます。
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