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すべてのブログから「#おしゃべりセッション」タグの検索結果

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「揺れない私」に驚いた日

離れて暮らす家族に、大きな出来事が起きた。10年前にも経験した出来事だった。以前と同じように動揺すると思っていた。でも、今回は違った。出来事との間に、少し距離があるような感覚。心が、とても静かだった。その静かな自分に、どこか「薄情なんじゃないか」という感覚があった。10年前の私は、私も何かしなきゃという気持ちがとても強かった。家族と頻繁に連絡を取ったり、何もできない距離なのに、何か行動しようとしたり。今振り返ると、家族のためというより、“同じように動揺している私”で安心したかったのかもしれない。「同じように感じること」が愛だと思っていたのかもしれないし、それを「心配すること」だと勘違いしていたのかもしれない。今回は、「家族や地域が少しでも穏やかに過ごせますように。」そんなふうに祈る気持ちが自然と湧いた。できることがあれば、もちろん喜んでやる。気がつけば自分の日常に戻っていた。そんな感覚だった。すると頭は、「こんな大変な時に、自分のこと?」「もっと慌てるべきじゃない?」「冷たいんじゃない?」と、違和感を伝えてくる。でも、その声にも一つずつ答えてあげる。心配だよね。知りたいよね。一緒にいたいよね。役に立ちたいよね。でも、できることができた時にやろう。その後、家族とゆっくり話すことができた。大変な状況の中でも、想像していたより穏やかで、 お陰様でを感じながら生活していた。私たち家族との何気ない会話が、気晴らしになったり、ホッとできる時間になっていたようだった。私が無理に同じ温度になろうとしなくても、 私は私のままで、届けられるものがあった。以前の私は、みんなと同じように感じることで安
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動けるようになった私を振り返ってみた

前回の記事で、「ちゃんとしてから動く人」から、「動きながら育てる人」になっていたことに気がついた。でも、ふと疑問が湧いた。私は、どうして動けるようになったんだろう? 昔は、本当に動けなかった。「完璧じゃなくてもいい。」そう言われても出来なかった。 出来るなら、とっくにやっている。そう思っていた。だから私は長い間、「私は完璧主義なんだ。」と思っていた。でも、今振り返ると私は完璧を目指していたわけじゃなかった。本当に避けたかったのは、負の感情を感じることだった。正解が必ずあった学生時代。間違えたら怒られる。恥ずかしい。責められる。嫌われる。そんな感覚が積み重なって、私は、負の感情そのものを感じるのが怖くなっていた。でも、この数年。私は「感じる」ということを何度もやってきた。悲しい。悔しい。恥ずかしい。怖い。感じないようにしていた感情を、そのまま感じてみた。嫌な気分になるし、避けたいし、気を逸らしたくなるけど、感じていくと不思議な感覚があった。 感情は確かにある。でも、今の現実を見てみると、「あれ?それ、本当に起きてる?」と思うことがあった。思い込みだったこともあれば、違う見方が出来ることもあった。感情は、現実そのものじゃなかった。「恥ずかしい」がある。「怖い」がある。「悲しい」がある。ただそれだけで、私が消えることもなかったし、負の感情と一緒に存在してる今ある安心も見えるようになってきた。昔は、負の感情=危険だったけれども、負の感情=ある。になった。だから最近、改善点を見つけた時も、「なんでこんなミスしたんだろう。」とは思わなかった。 「あ、ここ直そう。」そう思っただけだった。外側
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咲くことだけが、自然じゃなかった。

最近知った「極楽RADIO」というお気に入りのプレイリストを聴いていた。苦しくて当たり前泣いて当たり前それでも朝はまたくるからそのまま貴方でいいんだよ泣きたいなら泣いていいただそこにいてくれたらいいんだよふと流れてきた歌詞に、心が止まった。私はこれまで、「どんな感情があってもいい。」そう感じられるようになってきた。でも、“当たり前”だっただろうか。「あってもいい。」その言葉には、どこか「なくてもいいんだけどね。」そんな気持ちが残っていた気がした。以前書いたドット絵 の記事では、「黒があるから、この絵なんだ。」そんな言葉になっていたけど、でも今思うと、「あってもいい」は、どこか許可を出している感覚だったのかもしれない。本当は、もっと自然に、どんな状態の自分も受け入れたかったんだなと思った。セッションで「たんぽぽ」の話をすることもあった。「私、バラがかっこいいと思ってたんです。でも、雑草かもしれないし、観葉植物かもしれない。冬をダメな季節にしていたんですよね。」言葉では理解したつもりだったけど、今回気づいた。私はまだ、『咲くこと』を特別にしていた。「ただ時が来たから咲いただけ。」その言葉の奥には、“咲く時は来るもの”そんな期待や評価が、まだ少し残っていたのかもしれない。全てただそうなんだ。というだけで泣く日も笑う日も咲く日も冬の日も全部、ただ、その時なんだな。そんなことを考えながらこの記事を言葉にしていると、頭の中で小さな声がした。「前も同じような言葉で記事、書いてなかった?」「え…確認してみようかな……。」そう思った、その瞬間。極楽RADIOから、「未完成で完成〜♪」という歌が流
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「わかろう」と「理解したい」の違い。

日常の中で、「腑に落ちた」と思っていたことなのに、気づけばまた忘れて、同じところをぐるぐるしていることがある。その一つが、私の中にある「わかろう」とする感覚だった。「なんでこの人はこんな言い方をしたんだろう?」「疲れていたのかな?」そうやって相手の中へ入っていく。そして、さらに「わかってあげたい」という気持ちが湧いてくる。相手に気分よくいてほしい。事情があるのかもしれない。悪者にはしたくない。そんな思いから、無意識に「じゃあ、私が合わせよう」となってしまう。その時は、自分の違和感を後回しにしていることが多い。だから、あとからモヤモヤする。これは、長年、生きていくために身につけた癖。この感覚があったからこそ学べたことも、成長できたこともたくさんある。だから私は、この癖を悪者にはしていない。ただ、ぐるぐるするときは、だいたいこのパターンだった。最近は、少しずつ立ち止まって自分の感覚を感じられるようになってきた。すると、「わかってあげたい」から「理解したい」へと変わってきた気がする。それは、相手だけではなく、出来事全体を眺めるような感覚。「この人はこういうタイプなんだな。」「私はこの対応に違和感を感じた。」「私はこっちのほうが心地いい。」相手も、自分も、どちらも含めて状況を理解する。そして、「私はどうしたい?」と、自分で選べる。いつも自分を真ん中に置いたまま。その違いが少しずつ体感でわかるようになって、自然と心地よく過ごせる日が増えた。……とはいえ、また気づけば忘れて、ぐるぐるしている日も来るのかもしれない。笑でも、そのたびに思い出せばいい。そんな私が、今、一番理解したいと思っている
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薄かった私。

10年前、「全て喜び」という言葉を聞いた。喜びや楽しさだけではなく、苦しみや悲しみも、魂にとっては喜びなのだと。その話を聞いて、すごくホッとしたことを覚えている。苦しみを感じている私は、ダメな人生を送っていると思っていたからだった。でも、不思議だった。ホッとしたはずなのに、私はまた苦しくなっていた。最近になって、あの頃の疑問が解けた気がする。あることをきっかけに、感情が湧くたび、身体の感覚を意識するようになった。例えば、不安になっている時。みぞおちの奥が、ぐーっと縮こまっている。皮膚全体が敏感になったような感じがして、ヒュと寒気がする。そうやって、感情が湧いた時の身体を観察した。胸がふわーっと熱くなって、あたたかさが広がっている。「あっ、こういうの好き。あたたかいなぁ」じわーん。心臓がドキドキしている。身体が揺れるほどバクバクして、自分の心音が聞こえてくる。胃の辺りがチクチクしているな。ただ実況中継するように、身体に起きていることを眺めていた。すると、ただ、それがある。それだけになった。名前をつけることも意味を持たせることもなくなった。感情の波はいつの間にか終わっていたり、「あっ、そっか」と気づきが起きたり、思考が動き始めたり、何かをしたくなったりして、次の何かが始まった。感情が湧くということは、ただ、身体に感覚があるということだった。10年前に聞いた、「全て喜び」という言葉。あの頃の私は、苦しみを、ただ感じていなかった気がする。どこかで悲しいのはよくない怖いのはよくない苦しいのはよくないと私から湧いてくるものを、良いものと悪いものに分けていて、悪いとしたものを一生懸命「喜び」
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振り返ったら 動ける私になっていた

数年前に、How toを学ぶ講座を受けたことがある。嫌いじゃないし、得意な要素もたくさんある。「これを学べば人生がもっと良くなるかも。」そんな気持ちで飛び込んだ講座だった。講座中によく言われていたのが、「どんどん進めて、やりながら修正していってください。」という言葉。でも、それが出来なかった。言われた通りにやればいいだけなのに、何で出来ないのかもわからない。心なのか、身体なのか。とにかく動かなかった。期限もあるのに……。「ただやればいいだけじゃん?」そう思う自分と、動けない自分との間で、ずっと葛藤していた。結局、何をどうやっても納得出来なくて、「完璧じゃなくてもいい。」と言われても、私は完璧を求めていたわけじゃなかった。何が引っかかっているのかもわからないまま、卒業出来ずに終わってしまったことがある。⸻現在、私はカウンセリングの仕事をしている。始まりは、お友達の相談にのっていただけだった。子育ての相談。起きた出来事の相談。「愛ちゃんはどう捉える?」「愛ちゃんの感覚を教えて?」そんな時間を重ねるうちに、「仕事にしたら?」と言われるようになった。でも、そう感じるのは、お友達だからであって、初めましての人にも出来るのかな?そんな不安があった。そこで、知り合いが主催しているイベントに出展してみることにした。それに合わせて、窓口となる公式LINEやブログを整えた。その時に作ったチラシは、自宅サロンをしているお友達がサロンに置いてくれるようになり、応援してくれるようになった。お陰で、お友達や知り合いだけでなく、初めましてのお客さまとのセッションも少しずつ増えていった。そして先日。お客さまと
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【おしゃべりセッション😆】

こんにちは〜romantickei(keichan)です😊💖先日アパートの修繕に来た人のお話その人はとても親切で関係ない所の修復も後日その人の善意で直してくれると言うえ?ナンパか?😆などと私が引き始めたところ「多分俺知ってんだよ前に会ったことあるんだよ兄貴おるやろ?」「え?はい…⁇マスクだしわかんないです」その人はマスクを外しながら「絶対そうだ」ってなんなら30年近く前に一度会って話したぐらいなのに覚えてくださっていて驚いた😆その人も特徴的なキャラだったので🎸🎶私も思い出した結局無償ではなくちゃんと大家さんからお金が出る事となり私も気兼ねなくお願いする事が出来て後日その人が修繕に来てくれた🐞なんやかんやと色々なお話をさせてもらう中で私の仕事の事を聞かれ…化粧品の仕事とボディケア(ボディのほぐし)の仕事をしててでも実はスピリチュアルの仕事もしていきたいんだよね〜🤩てな話を聞いてもらった「俺めちゃくちゃ首と肩が凝ってるんだ〜💦この前ほぐしてもらったんだけどまだ凝ってる…😮‍💨」なるほど… 私はボディケアの仕事をしながらスピリチュアルも勉強ししつこい凝りや痛みは肉体的な疲労とかではなくてどちらかというと内面的な事やチャクラが関係しているのではと思っているそんな説明をしながらこう聞いた「言いたい事言ってる?」「うん‼︎俺結構言いたい事言うよ」「そっか…」「笑…あ〜嫁には言いたい事全然言えてない」「やっぱり‼︎それが原因ですね笑笑」それからしばらくして「肩どうですか?」って聞くと「あ⁉︎楽になってる」「笑笑素直ですね〜」😆🍀意外と気づくだけで改善するんだよね〜体も気づいて気づいてとメッセ
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愛ちゃん観察図鑑

今日、あることを始めるボタンを押そうとした時、「怖い。」そんな気持ちがふっと出てきた。「え?いつもやってることなのに?」そう思いながら、「怖い」があることだけ感じてみた。そして、「そのまま、一緒にやってみよう。」そう思ってボタンを押した。すると「怖い」はすぐ消えていた。でも今度は、別の心配が出てきた。「また私は、自分を置き去りにしてない?」「ちゃんと感じてた?」その心配も、そのまま感じてみる。 すると気づいた。あの時の「怖い」は、もう知っている怖さだった。怖いはある。でも、一緒にいても怖くない。そんな「怖い」だった。そこで、ふと思った。私、いつの間にか自分の反応を、図鑑みたいに見てるかも…笑⸻🌊 怖い生息地人と深く関わる直前。特徴責任や相手の反応を想像すると現れる。⸻🐍 普通トラップ生息地新しいことを始める時。特徴「みんなこうしてるよ。」「ちゃんとしなきゃ。」と、そっと囁いてくる。⸻👻評価モンスター生息地仕事関係・社会的場。特徴肩書き数字で自分を飾りたくなる。「もっとすごく見せた方がいいよ。」と、近づいてくる。⸻『愛ちゃん観察図鑑』には、他にもたくさん登録されてた。前なら、どれも倒さなきゃいけない敵だった。でも今は違う。感じて図鑑に登録すると、少しずつ「知っている」が増えていく。知っていると、怖さは消えなくても、一緒に歩ける。揺れることはあっても戻ってこられることも知っている。もしかしたら私は、新しい自分を見つけるたびに図鑑へ登録して、「大丈夫。」という信頼を、遊びながら探索しているのかもしれない。───────気づいたら少し心が軽くなってた。そんな時間を一緒につくれたら嬉しい
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脇汗は出なかった。

なんじゃこりゃー!笑そんなことがあった。私は手作業が好きで、編み物をすることが多い。BGM代わりにYouTubeを流していたら、たまたま“ユング心理学”の動画が流れてきた。その内容が、まるで「私」の話なのかな?と思えるくらいしっくりきて、夢中でいくつか続けて聞いていた。すると、私が好きで使っていた言葉や表現が、いくつも出てきた。「還る」「羅針盤」自然界に例える表現。それを聞いた瞬間、何とも言えない感覚になった。「えっ!何これ!!私が真似してると思われる!」まずそう感じた。でも、同時に「私、よく正解を探しにネットを彷徨って、同じ考えを見つけると安心してたよね?」とも思った。なんじゃこりゃ!案件だった(笑)娘も、お友達とおそろいを楽しんだかと思えば、「真似された!私の方が先だもん!」とプンプンすることがある。おそろいは嬉しいのに、真似されるのは嫌。何が違うんだろう(笑)そんな感覚が、今の私の中にもある。静かに観察していると、どっちにしたって、私を外の情報次第にしてるのよね?ちゃんと自分の体感から出てきた言葉だと思っていたのに、「真似した人」というふうに見られて、私が薄まったように感じるのが嫌なのかもしれない。でも、惹かれるものは、もともと同じ感覚の発信だし、同じ感覚の人と話すのも好き。似ていることと、真似って、何が違うんだろうね…そんなことを考えていたら、だんだんどうでもよくなってきた(笑) ただ一つだけ、しっかり確信できたことがある。脇汗が出なかったこと(笑)昔だったら、「こう思われる!」と思った瞬間、ヒュッ!と冷や汗と一緒に脇汗も出ていたと思う。私の発信がオリジナルじゃない気が
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同調と共鳴

昨日の記事を書いていて、「同調」という言葉が浮かんだ。「みんなと同じように感じる」「みんなと同じように反応する」集団から外れることへの不安から、同調しなければという癖がある気がした。どこかで、私自身の感覚を置いてきぼりにしていたのかもしれない。私は子どもの頃から、「普通にして。」と言われることが多かった。何が普通なのかよくわからないまま、周りに合わせることを覚えていった。そうすれば間違わないと思っていた。だから私は、自分の感覚よりも、周りに意識を向けるようになった。でも、それを続けていると、少しずつ私の輪郭が薄くなっていった。世界がぼんやり見えていた理由も、そこにあったのかもしれない。最近、少しずつ、自分のネガティブな気持ちも含めて「ある。」と言えるようになってきた。嫌な感情も、嬉しい感情も、全部、私から湧いてきたもの。そう思えるようになって、自分を感じていると、自然と人との繋がりを感じられるようになった。そこで気がついた。私が求めていたのは、「同じになること」じゃなかった。違うまま、響き合うことだった。楽器は、みんな同じ音を出さない。違う音色だからこそ、重なった時に美しい。人も同じなのかもしれない。自分の音を消して合わせることは、同調。自分の音を持ったまま響き合うことは、共鳴。最近は、「変わる」というより「還る」という感覚がある。新しい自分になるんじゃなくて、ずっと鳴っていた自分の音に、もう一度耳をすませているだけなのかもしれない。───────答えを出すというより、一緒に「ほんとの気持ち」を見つけていく時間が好きです。
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