薄かった私。

薄かった私。

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10年前、
「全て喜び」という言葉を聞いた。


喜びや楽しさだけではなく、
苦しみや悲しみも、魂にとっては喜びなのだと。

その話を聞いて、
すごくホッとしたことを覚えている。

苦しみを感じている私は、
ダメな人生を送っていると思っていたからだった。


でも、不思議だった。

ホッとしたはずなのに、
私はまた苦しくなっていた。

最近になって、
あの頃の疑問が解けた気がする。



あることをきっかけに、

感情が湧くたび、
身体の感覚を意識するようになった。


例えば、不安になっている時。

みぞおちの奥が、
ぐーっと縮こまっている。

皮膚全体が敏感になったような感じがして、
ヒュと寒気がする。

そうやって、
感情が湧いた時の身体を観察した。


胸がふわーっと熱くなって、
あたたかさが広がっている。

「あっ、こういうの好き。あたたかいなぁ」

じわーん。

心臓がドキドキしている。

身体が揺れるほどバクバクして、
自分の心音が聞こえてくる。

胃の辺りがチクチクしているな。

ただ実況中継するように、
身体に起きていることを眺めていた。


すると、

ただ、それがある。

それだけになった。


名前をつけることも

意味を持たせることもなくなった。


感情の波は

いつの間にか終わっていたり、

「あっ、そっか」と気づきが起きたり、

思考が動き始めたり、

何かをしたくなったりして、

次の何かが始まった。


感情が湧くということは、

ただ、身体に感覚があるということだった。


10年前に聞いた、
「全て喜び」という言葉。

あの頃の私は、

苦しみを、ただ感じていなかった気がする。


どこかで

悲しいのはよくない

怖いのはよくない

苦しいのはよくないと

私から湧いてくるものを、
良いものと悪いものに分けていて、

悪いとしたものを
一生懸命「喜び」と思い込もうとしていた。

私は、自分から湧いた一部だけしか
受け入れられていなかった。

だから私は薄く、
見える世界もぼんやりとしていたのかもしれない。


ドッド絵のように

白だけでは、絵にならない。

黒があるから、
一枚の絵になる。 


嬉しい私も、

怖い私も、

悲しい私も、

苦しい私も、

全部あって、

やっと、
私の輪郭が濃くなってきた。


怖いは、なくなっていない。

でも、

「怖い」があることは、
もう怖くなかった。


全てを喜びに変える必要もなくて、

私から湧いてくるものを、
そのまま受け取ること。

それが、私にとっての

「全て喜び」

だったのかもしれない。



・・・・・・・・・


気づいたら少し心が軽くなってた。
そんな時間を一緒につくれたら嬉しいです。










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