「みんなと同じ」が、少しずつ自分を消していく
「普通はこうするよ」「常識的だよね」「みんな我慢しているんだから」「そんなことで嫌だなんて言わないの」私たちは子どもの頃から、そんな言葉をたくさん聞きながら育ってきたように思います。学校では、みんなと同じように行動する。会社では、周りの空気を読む。人間関係では、相手を不快にさせないように気をつかう。もちろん、集団の中で生きていくためには、周囲に合わせることも必要です。でも、それが当たり前になりすぎると、いつの間にか「私はどうしたい?」という一番大切なことが、わからなくなってしまうことがあります。本当は嫌なのに、笑ってしまうたとえば、本当は行きたくない飲み会なのに、「もちろん行きます!」と言ってしまう。嫌なことを言われたのに、「大丈夫ですよ」と笑ってしまう。頼まれごとを断りたいのに、「私がやります」と引き受けてしまう。みんなが「いい人」と言っている人だから、自分もその人を好きでいなければいけないような気がする。周りが「幸せそう」と言う生き方だから、自分もそこを目指さなければいけないような気がする。こうして一つひとつ、自分が感じたことより、周りから求められる答えを優先する。それを何年も続けていると、「私は何が好きなんだろう」「本当は何が嫌なんだろう」「私はどうしたいんだろう」そんなことさえ、わからなくなってしまうことがあります。「偽りの自分」は、自分を守るためにできたのかもしれないでも私は、周りに合わせて生きてきた自分を、責めなくてもいいと思っています。嫌われたくなかった。仲間外れになりたくなかった。怒らせたくなかった。がっかりされたくなかった。その場所でうまくやっていくために、周
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