「みんなと同じ」が、少しずつ自分を消していく

「みんなと同じ」が、少しずつ自分を消していく

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「普通はこうするよ」「常識的だよね」

「みんな我慢しているんだから」

「そんなことで嫌だなんて言わないの」


私たちは子どもの頃から、

そんな言葉をたくさん聞きながら

育ってきたように思います。


学校では、みんなと同じように行動する。

会社では、周りの空気を読む。

人間関係では、相手を不快に
させないように気をつかう。

もちろん、集団の中で生きていくためには、
周囲に合わせることも必要です。


でも、それが当たり前になりすぎると、

いつの間にか

「私はどうしたい?」

という一番大切なことが、
わからなくなってしまうことがあります。


本当は嫌なのに、笑ってしまう

たとえば、

本当は行きたくない飲み会なのに、

「もちろん行きます!」

と言ってしまう。

嫌なことを言われたのに、

「大丈夫ですよ」

と笑ってしまう。

頼まれごとを断りたいのに、

「私がやります」

と引き受けてしまう。

みんなが「いい人」と言っている人だから、
自分もその人を好きでいなければいけない
ような気がする。

周りが「幸せそう」と言う生き方だから、
自分もそこを目指さなければ
いけないような気がする。


こうして一つひとつ、

自分が感じたことより、

周りから求められる答えを優先する。


それを何年も続けていると、

「私は何が好きなんだろう」

「本当は何が嫌なんだろう」

「私はどうしたいんだろう」

そんなことさえ、
わからなくなってしまうことがあります。

「偽りの自分」は、
自分を守るためにできたのかもしれない

でも私は、

周りに合わせて生きてきた自分を、
責めなくてもいいと思っています。

嫌われたくなかった。

仲間外れになりたくなかった。

怒らせたくなかった。

がっかりされたくなかった。

その場所でうまくやっていくために、
周りが求める自分になろうとして
いただけなのかもしれません。

つまり、

「偽りの自分」は、
自分を苦しめるために
つくられたものではなく、

そのときの自分を守るために
身につけたものだったのかもしれない。

だから、

「あの頃の私はどうして断れなかったんだろう」

「どうしてあんなに人の顔色ばかり見ていたんだろう」

と、過去の自分を責める必要はないと思うのです。


そのときは、それが自分を守る方法だった。

ただ、もう必要がなくなったのなら、
少しずつ脱いでいけばいい。

「みんなはどうする?」より

「私はどうしたい?」


大人になると、
子どもの頃ほど誰かが正解を
決めてくれるわけではありません。


それなのに私たちは、

「普通はどうするんだろう」

「こんなことをしたら変に思われるかな」

「みんなはどうしているんだろう」

と、無意識に外側へ答えを探してしまいます。


そんなときこそ、一度だけ、

「私は、本当はどうしたい?」


と自分に聞いてみる。

行きたい?

行きたくない?

会いたい?

会いたくない?

やりたい?

やりたくない?

好き?

嫌い?

そこに立派な理由なんて、
なくてもいいと思うのです。

「なんとなく嫌だ」


それだって、
自分から届いた大切な答えです。


本当の自分は、新しく作るものではない

自分探しという言葉がありますが、

本当の自分は、
どこか遠くへ探しに行かなくても
いいのかもしれません。

周囲の期待。

世間の常識。

嫌われないための愛想笑い。

「こうするべき」という思い込み。

そういうものを一枚ずつ外していったとき、

ずっと奥にいた自分が、

「やっと私の話を聞いてくれたね」


と顔を出すのかもしれません。


同調圧力の中で身につけた自分も、
これまで生きてきた自分の一部。

だから、否定しなくていい。

でもこれからは、

みんなが選ぶものではなく、
自分が心地よいと思うものを選んでいい。

誰かにとっての正解ではなく、
自分にとっての正解を選んでいい。

その小さな選択を重ねていくことが、

偽りの自分から、

「私は私でいい」


という場所へ戻っていくことなのかもしれません。

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