気づけば他人軸。寂しさがつくる心の罠

気づけば他人軸。寂しさがつくる心の罠

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『自分軸が大切』

そんなことは、
多くの人が知っている。


人に振り回されず、
自分の気持ちを大切にして、
嫌なことにはNOと言う。


頭では、ちゃんとわかっている。


それなのに気づくと、

「あれ? 私、また他人軸になってる」

そんなことがある。


私は、これには「寂しさ」が
少し関係しているんじゃないかと思う。


一人でいることは自由だ。

誰かに予定を合わせなくていい。
好きなものを食べて、
好きな時間に眠って、
誰にも気を使わず過ごせる。

一人って、かなり気楽だ。


でも、ごくたまに、
寂しさがひょこっと顔を出す日がある。


そんな日に誰かが
優しくしてくれると、

その優しさがいつも以上に
心に沁みる。

優しい声をかけてくれた。
話を聞いてくれた。
小さなことを気にかけてくれた。

それだけで、

「この人は私を大切にしてくれる人
なのかもしれない」

と、心の扉を少し開けてしまう。


すると今度は、
自分も優しくしたくなる。

助けてもらったから助けたい。
優しくされたから優しく返したい。

これは「返報性の原理」と呼ばれる心理で、

人は何かをしてもらうと、
お返しをしたくなる傾向がある。


ここまでは、何も悪くない。

ただ、

その優しさが

いつの間にか

「我慢」に

変わってしまうことがある。


本当は少し嫌だった。

なんとなく違和感もあった。

それでも、

「せっかく優しくしてくれた人だから」

「これくらいは受け入れないと」

「嫌われたくない」

そう思って、

小さな違和感を飲み込んでしまう。


そして気づけば、

相手の都合を優先し、
相手の機嫌を気にして、
自分の予定や気持ちを
後回しにしている....。


優しさから始まった関係なのに、

いつの間にか自己犠牲になっている。



ここで一度、

相手ではなく自分を見てみる。

「私は今、この関係の中で自分を
雑に扱っていないだろうか?」


優しい人に優しく返すことと、
自分を削って相手に合わせることは別だ。

恩があることと、
自分の人生の主導権を渡すことは
別なのだ。


もし最近、

「なんだかこの人に振り回されているな」

と思ったら、少しだけ立ち止まってみる。


私は本当にこれをしたいのかな?

嫌われたくないからやっていない?

寂しさを埋めてもらった代わりに、
無意識に自分を差し出していない?


寂しさがあること自体は、
悪いことじゃない。

誰かとつながりたくなる日もあるし、
優しさに救われる日もある。


ただ、

寂しい日に差し出された優しさを、
「この人を失ってはいけない」という
契約書に変えなくていい。


優しくしてくれた人には、
ありがとう。

でも、

私の時間も、
私の気持ちも、
私の人生も、

私のもの。


自分軸というのは、
誰にも頼らないことではなくて、

誰かを大切にしながらも、
最後に自分のハンドルを
自分で握っていることなのかもしれない。


寂しい日はあっていい。

誰かに甘える日もあっていい。

でも、心の鍵まで渡さなくていい。


迷ったときは、

「私はどうしたい?」

そこに戻ればいいと思う。


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