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相談するほどじゃないんだけど、 って思っている看護師さんへ

そんな言葉、看護師さんからよく聞きます。日々の業務の中で、「なんか、しんどいな」「ちょっと、つらいな」って感じることは、正直たくさんある。でも、それをちゃんと考える時間の余裕がないくらい、業務は忙しい。看護師さんって、本当に頑張り屋さんで、優しい人が多い。目の前にいる人に対して、「何かしてあげたい」「少しでも楽になってほしい」そんな気持ちを、自然にたくさん持っている。そして、それがうまくいったとき、患者さんが少し笑ってくれたとき、嬉しかったりもする。だからこそ、自分のことは、本当に後回しになってしまう。しんどいとか、つらいとか、そういう気持ちは、同僚同士で「わかる、わかる」「今日もしんどかったよね」そんなふうに、ちょっとした愚痴として出して、そこで終わってしまうことも多い。それ自体が悪いわけじゃない。でも、そうやって流してきた気持ちが、気づかないうちに、少しずつ、少しずつ、たまっていく。そして、あるときふと、「あれ?」って思う。別に、ものすごく限界なわけじゃない。倒れそうなほどじゃない。でも、ずっとギリギリのところにいる感じ。気づいたら、自分のことはいつも二番目。後回しが当たり前になっている。「相談するほどじゃない」そう思ってきた気持ちが、実は、ちゃんと重なっていたんだなってあとから分かることもあります。ここでは、うまく話せなくてもいいし、答えを出さなくてもいい。「これって、どうなんだろう」そんな曖昧なままの気持ちを、そのまま置いてもいい場所でありたいと思っています。
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変わりたいと思ったとき、 過去の自分を否定しそうになる看護師さんへ

「もう、しんどい」「楽にしていいよ」「休んでいいよ」ここまで、たくさんそんな言葉を重ねてきました。それはきっと間違っていなかったし、必要な言葉だったと思っています。でも最近、ふと立ち止まって思ったんです。それだけで、ほんまに十分やったんかなって。看護師さんって、ずっと走り続けてきた人が多い。忙しいのが当たり前で、余裕がない状態にも慣れてしまって、それがやりがいや責任感と結びついてきた。「患者さんのために」「今やらなあかん」「気づいたら動く」そうやって体も心もできあがってきたから、急に「自分を大切にしよう」「自分を優先にしよう」って言われても、頭では分かってるのに、身体がついてこない。それって、怠けてるからでも、意識が低いからでもない。ここまで必死にやってきた結果なんやと思うんです。最近、私は「今の自分を変えたい」と思う気持ちの裏に、「今までの自分はダメだったんじゃないか」っていう感覚が入り込むことがあるな、って気づきました。でも、それは違う気がして。今までの自分を否定しなくても、前に進むことはできる。「そうやってやってきたんやな」「それだけ頑張ってきたんやな」まずは、今の自分をそのまま認めること。無理に前向きにならなくていい。変わろうとしなくてもいい。ただ、「今の私は、こうなんやな」って、静かに置いてみる。それだけで、少し視界がひらけることもある。また走りたくなったら走ればいいし、立ち止まりたくなったら立ち止まればいい。その間に、何も求められず、何も説明しなくていい場所があったら。きっとまた、自分の足で動き出せる。ここは、そんな気持ちをそっと置く場所として存在していたいなと思っ
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それ、現場では無理やねん。  ― 上からの理想と、現場の現実のあいだで

看護師さんって、毎日ほんまにようやってると思う。現場はね、今日をどう回すか、今この患者さんをどう支えるか、目の前のことで精一杯。一方で、上司や管理側は、病院全体のこと、方針のこと、先のことを考えてる。どっちが正しいとか、どっちが悪いとか、そういう話じゃないと思うんよね。ただ、見ている景色が違う。それだけのことなのに、その「ズレ」が、現場にいる看護師さんを、じわじわしんどくさせていく。現場では、「これ以上は無理やな」「今日はもう手いっぱいやな」って思いながらも、結局、誰かがやらなあかんから、誰かが飲み込む。声を上げる前に、自分の中で折り合いをつけてしまう。「私がやった方が早いし」「私が我慢すれば回るし」そんなふうに。私は、看護師として長く現場にいて、途中から中間管理職の立場にもなった。現場の大変さもわかるし、上が言っていることも、頭ではわかる。だからこそ、その間に立つしんどさを、ずっと感じてた。上には上の言い分がある。現場には現場の現実がある。でもね、その間にいる人の気持ちは、どこにも行き場がなくなりやすい。たぶん、今もそう。病棟で動いている看護師さんたちは、以前よりもっと忙しくて、もっと余裕がなくて、それでも、ちゃんと患者さんのことを考えて、ちゃんと現場を回してる。それって、当たり前じゃない。ほんまに、ようやってる。上司も、病院も、悪くない。でも、現場のしんどさは、気合いや努力だけではどうにもならないところまで来ているんやと思う。それでも毎日、現場に立っているあなたは、本当に、ようやってる。今日は、それを伝えたくて書きました。もしよかったら、ここでちょっとだけ話そ。看護師さん向
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看護師さんサポートの思い

私が、患者さんのそばにいたかった理由私ね、30年以上、看護師をしてきた。ここ20年くらいは精神科病院で働いていて、今は心理師として仕事をしてる。精神科に入ってから、もう15年以上、たくさんの患者さんと話をしてきたのね。その中で、ずっと変わらず思っていたことがあるんだ。それはね、やっぱり私は、患者さんと話がしたいってこと。時間を取って、じっくり話したい。その人の言葉を、そのまま受け取りたい。人と話すのが好きで、話している時間が楽しくて。きっと、多くの看護師さんも本当は同じ気持ちで働いているんじゃないかなって思う。でも現実は、時間に追われる毎日で、思うように話せないことも多かった。同じ病院に長くいたから、主任という役職もついてね。病棟の中心として動く立場になった。患者さんと話はする。でも、「ちゃんと話す時間」は、正直、どんどん取りにくくなっていったんだよね。そんなときに、師長になってほしい、って言われてしまった。そのとき、すごく戸惑った。これ以上、管理の仕事が増えたら、私がやりたかった看護は、もう出来なくなるんじゃないかって。いや~、もう出来ないと正直思った。悩んだ。断ることは逃げ、とも思ったし期待を裏切ることになるのかな、とも思った。でもね、私にとって大事だったのは、肩書きじゃなくて、私は何がしたかったのかということ。ありがたいことに、心理師になるという道に出会えて、私は、患者さんとの「対話」を仕事の真ん中に置ける場所に立つことが出来たんだ。看護師だった頃も、ずっとそれを目指してやってきた。形は変わったけど、根っこのところは、何も変わっていない。看護師としての私も、心理師としての
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家に帰ってから、思い出してしまう看護師さんへ

今でこそ、家に帰ってからやることは、そんなに多くない。一人で暮らしているから、自分のことをすればいいだけ。でも、子育て真っ最中の頃は、そうじゃなかった。病院を出た瞬間から、仕事モードから家庭モードに、頭を切り替える。子どものこと、家族のこと。息つく間もなく、次の役割が始まる。全部が終わって、やっと椅子に座ったとき。その瞬間に、ふっと浮かんでくる。「あ、あれ書くの忘れてた」「申し送り、ちゃんと伝えたっけ」業務中に、「あとで言おう」「これは大丈夫やろ」って思ったこと。そのときは、ほんの少しの余裕というか、根拠のない自信みたいなものがあって、先に進む。でも、業務に追われて、帰る時間が近づいて、頭が少しずつ家庭モードに切り替わっていくと、そのことは、静かに忘れられていく。一日が本当に終わった頃に、わーっと思い出す。よっぽどのことなら病棟に連絡する。でも、「言うべきかな」「言わんほうがいいかな」って、迷うこともある。夜勤メンバー、誰やろ。当直の先生、誰やったかな。仲のいいスタッフが夜勤やったら、ちょっとLINEしてみようかって思って、既読になるかどうかを、やたら気にしたりする。実際のところ、たいていのことは、なんとかなっている。それでも、「やっとけばよかった」「夜勤に余計な仕事を増やしてしまったかな」そんな責任感や、罪悪感が、後から追いかけてくる。次の日、出勤したら、夜勤メンバーを見つけて、一目散に「ごめん、あれ大丈夫やった?」って聞きに行っていた自分がいた。きっと、こういう気持ちを抱えたことのある看護師さん、少なくないんじゃないかな。忙しさの中で、その場を回すことを優先して、自分の気持
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少し休みたい。でも、休む理由を探してしまう看護師さんへ

少し休みたい。でも、休む理由を探している自分に気づくことがある。看護師さんがなかなか休めないのには、ちゃんと理由がある気がします。看護師さんって、「座る」っていう感覚が、案外少ない仕事なのかもしれません。詰所に戻ってきても、なんとなく立ったまま。昔は申し送りも立って聞くのが普通で、記録だって立ったまま書いていました。立っていると、すぐに動ける。何かに気づいたら、すぐそこへ行ける。その状態が、いつの間にか当たり前になっていく。だからもしかしたら、「座る=少し休む」という感覚すら、身につける余裕がなかったのかもしれません。看護師さんは、よく走ります。忙しさの中で、走ることが普通になると、立ち止まっても、すぐに「休む」に切り替えられない。止まっているのに、気持ちは次に向かっている。身体は止まっているのに、頭は走り続けている。そんな状態が続いているのかもしれません。「休みたいのに、休めない」それは、意志が弱いからでも、甘えでもなくて、これまでの積み重ねが、身体と心に染み込んでいるだけ。だからまずは、無理に休もうとしなくていい。何かを話さなくてもいい。ただ、少し力を抜ける場所があること。そういう場所があるだけで、また一歩、前に進める日もあるんじゃないかな、そんなふうに思います。
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看護師さん、、肩の力を抜きに来ませんか

今年は、看護師さんに向けたサポートを、もっと広げていきたいそんな気持ちでいます。私自身、看護師として働いてきて、そして心理師になった今、あらためて看護師さんたちの苦悩やしんどさを以前よりも、より深く考えるようになりました。看護師さんって、本当に何でも屋さん。医師や他職種からの要望を聞き、患者さんやご家族の思いを受け止め、その場その場で判断し、動き続ける。必要以上に頭を使い、体を使い、気がつけば「動いているのが普通」「頑張っている状態が日常」になっている。でも、それってやっぱり、しんどいですよね。自分のことよりも周りのこと。休むことよりも、回すこと。立ち止まるよりも、次へ次へ。私も、以前はそうでした。看護師さんの離職率は高いと言われますし、転職しても、別の職場でやっていける力がある。それは、看護師さんの強さでもあります。だからといって、転職することが悪いわけではありません。ただ、「ここだ」「ここで看護がしたい」そう思える場所で、じっくりと看護ができたとしたら。仕事に対するやりがいや、看護そのものの喜びを、もっと感じられる人も多いんじゃないかなと私は思っています。もしかしたら、同じようなことは他の職種にもあるのかもしれません。でも、私は看護師さんのことしか、分からない。だからこそ、看護師さんに向けて、できることをしたい。「守る」という言葉は、少し大げさかもしれないけれど。本当はやりたかった看護を、続けていくために。頑張りすぎている心と体を、少し緩めるために。そんなサポートができたらいいなと、心から思っています。疲れたとき。ちょっと立ち止まりたくなったとき。「肩の力、抜きに来てもいい
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