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どら焼きとみたらし団子に癒される午後

食べものの話ばかり書いている気がしますが、これでも一応、占いを生業にしております…。それでも今日は、どうしても“お団子”の話をさせてください。家の近くに、家族で営まれている小さな和菓子屋さんがあります。店に入ると、ふわっと甘い湯気のような温かさが漂い、おかみさんと店主さんの柔らかい笑顔に迎えられる、そんなお店です。どれを選んでも間違いないのですが、私のおすすめは「どら焼き」と「みたらし団子」。まずはどら焼きから。生地はふわふわでいて、しっとり。指で軽く押すだけで戻ってくる、あの絶妙な弾力がたまりません。餡は、甘すぎず、しつこすぎず、でもきちんと存在感があって、粒がほどよく混ざっている。ひと口食べるだけで「幸せってこういうことだよね」と思ってしまう、そんな味です。そして秋になると、ここへ“栗”が仲間入りします。しかもただの栗じゃない。「これでもか!」と主張してくる大きな栗が、パンパンに入っているんです。生地、餡、栗が口の中で一斉にほどけていくあの瞬間…。食べ終わったあと、なぜだか小さな達成感まで湧いてきます。続いて、みたらし団子。もうこれは、説明するまでもなくおいしい。甘じょっぱさの加減が絶妙で、餡が舌にふわっと残るのに、くどさがまったくない。串に刺さったお餅もしっかり弾力があって、「みたらし」の理想形と言いたくなる仕上がりです。でも、この店の本気は“焼きたて”にあります。夕方に行くとショーケースに団子が見当たらないことがあり、尋ねてみると焼きたてで出してくれることがあるのです。この焼きたてを一度でも味わってしまうと、忘れられない。思い出しただけで、いま口の中が洪水寸前です。季節
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歌舞伎町ダンジョン、村人として冒険してきました。 夜のきらめきとは違う“素顔の街”を歩く

久しぶりの打ち合わせで、新宿へ向かいました。 人混みが得意ではない私にとっては、いつも少し緊張する街。それでも、今日は胸の奥がほんのり弾んでいました。長年の念願だった“歌舞伎町の探索”をする日だったからです。 最近、YouTubeで夜の街を生きる人々を追ったドキュメンタリーに夢中になっています。 なかでも、さまざまな問題が取り沙汰されることの多いホストの方々の動画。最初は半信半疑で見始めたものの、飾らない悩みや葛藤、時折の素顔の笑いに触れるうち、いつの間にか心を掴まれてしまいました。「こんなに人間味にあふれた世界だったのか」と気づいてからは、更新を楽しみにするほどに。 そしてとうとう、「彼らの世界を自分の足で歩いてみたい」という好奇心が止められなくなり、歌舞伎町へ――。 午前中の歌舞伎町は、夜のざわめきをまったく感じさせない静けさ。 それでも“怖い街”のイメージがどうしても抜けず、私はまるでダンジョンに入る前の“村人”。周囲をキョロキョロと確認しながら、慎重に歩を進めていました。 まず1店舗目。 動画で見るより派手な外観かと思いきや、気づかず通り過ぎてしまうほどの馴染みっぷり。あの「どーん!」と主張してくる店構えは、夜のライトアップあってこその姿だったようです。 2店舗目は、離れた場所からでも存在感を放つ看板。 ネオンが灯っていないのに、「ここにいるぞ」と語りかけてくるようなオーラがありました。 3店舗目。 人気ホストさんの大きなビジュアルが目に飛び込んできた瞬間、私は思わず心の中で手を合わせる“村人モード”に突入。 4店舗目、5店舗目もまた、油断すると通り過ぎてしまいそうな控
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再会と再出発 ― 失ったカードと少女の約束。

今日は、朝から雲ひとつない秋晴れ。気持ちよく深呼吸ができる、そんな一日のはじまりでした。私の部屋のベランダからは、運がいいと富士山が見えます。富士山が顔を出している朝は、「きっと今日は良いことがある」と思い、つい手を合わせて拝んでしまうのです。今日も、しっかり拝みました。では――昨日の続きでございます。“こっくりさん事件”のあと、私はしばらくカードを手放しました。怖かったのです。あの日の空気、動いた十円玉、ざわつく教室。そのすべてが、子どもながらに「触れてはいけない世界」と感じさせました。でも、時間が経つにつれ、ふとした瞬間に思い出すのです。あのカードたちの香り、ページをめくる音、占いをしていた頃のワクワクした気持ち。「怖い」よりも「懐かしい」という気持ちのほうが、少しずつ大きくなっていきました。中学校に入ると、日々は一変しました。楽しい!うれしい!だけでは動けない、現実的な毎日。そう――“受験戦争”と呼ばれた時代のまっただ中。タロットの存在は、気づけば私の中から遠のいていました。高校生になったある日、久しぶりに立ち寄った本屋で、再びタロットカードと目が合いました。あの頃と同じように、美しい絵に心を奪われ、手が勝手に伸びていました。カードを手に取った瞬間、胸の奥が“ふわっ”と温かくなったのを覚えています。「もう一度、やってみよう。」そう思ったとき、あの日怖かった“見えない世界”は、もう“優しく見守ってくれている何か”に変わっていました。タロットカードと本を胸に抱え、レジへ向かう帰り道。なぜか涙が出そうになりました。あの頃の自分に「おかえり」と言われたような気がしたのです。それか
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こっくりさん事件 ― 占いと恐れのはじまり。

それでは、前回――有頂天の有頂天になっていた私のその後。今回は、あの「こっくりさん事件」についてお話しします。「理科準備室の占い師」。当時の私は、その呼び名を少し誇らしく感じていました。放課後になると、理科準備室の片隅に机を寄せて、タロットカードを並べ、「今日の運勢占い大会」と称して友達を占っていたのです。そんなある日、教室で「こっくりさん、やってみようよ!」という声が上がりました。紙と十円玉さえあればできる、あの懐かしい“遊び”。当時の私は「占い師」としての自負(というより、ただの調子乗り)もあり、「私がやるなら、絶対に本物のこっくりさんが来る!」と、根拠のない自信を抱いていました。放課後、理科準備室に数人の友達が集まりました。カーテンの隙間から差し込む夕日が、白い机の上をオレンジ色に染めています。手書きの五十音表の上に十円玉を置き、全員で指を乗せ――「こっくりさん、こっくりさん、どうぞおいでください……」……シーン。最初は誰も動かない。笑いながら「ねぇ、本当に動くの?」なんて言っていたそのとき、ふいに十円玉が、ほんの少しだけ“スッ”と動いたのです。一瞬で空気が変わりました。誰も笑わない。誰も息をしない。理科準備室の時計の音だけが、やけに大きく響いていました。「こっくりさん……あなたは、いますか?」十円玉が、“はい”の文字の上にピタリと止まりました。そこから先の記憶は、少し曖昧です。誰が泣き出したのか、いつ帰ったのかも覚えていません。ただ、その後ちょっとした騒ぎとなり、学校では通達が出ました。「こっくりさん禁止」「占い禁止」「余計なものを学校に持ってこない」そして――理科準備
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理科準備室の占い師、誕生。

はじめまして、こんにちは。「理科準備室の博」と申します。ここでは、日々の出来事や心に浮かんだことを、日記のように綴っていこうと思います。まずは自己紹介を兼ねて、私が占いに出会い、ココナラで出品するまでの小さな物語をお話しします。少し長くなるので、何回かに分けてお届けしますね。私の幼少期は、山と田んぼに囲まれたのどかな町で過ごしました虫を追いかけ、ザリガニを釣り、毎日泥だらけ。太陽の下を駆け回るのが日課でした。そんなある日、小学3年生の私は本屋さんで、運命の出会いをします。きらびやかな絵が描かれた『タロット入門』の本。一瞬で心を奪われ、「どうしても欲しい!」と強く思いました。けれど、おこづかいが足りない。お金に厳しかった両親は、簡単には買ってくれません。そこで私は、肩もみやお手伝いを重ね、ようやくその本を手に入れました。帰り道はスキップが止まらなかったのを、今でも鮮明に覚えています。ところが、家に帰ってワクワクしながら本を開いた瞬間——「え?…図鑑?」お姫様や冒険の物語を想像していた私は、がっかり。人生で初めての“大きな勘違い”でした。それでも、苦労して手に入れた宝物。もったいなくて、読み進めてみることにしました。すると、ページをめくるうちに、知らなかった世界が広がっていきました。「未来がわかる?」「自分を占える?」気づけば、私はすっかり“預言者気分”。付録のカードを使い、毎日カードを引きまくっていました。本の中にあった一文、「毎日続けることで、タロットカードはあなたに答えてくれます。」この言葉を信じた私は、カードを“生き物”のように扱い、話しかけ、ついには小さな布団まで作って一
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今年の汚れ、今年のうちに

そろそろテレビで耳にするようになる、あの定番のフレーズ。「今年の汚れ、今年のうちに」──そんな季節がやってきました。日ごろからこまめに手を入れていれば、大掃除なんて大したことはない。…とはいえ、私は毎年、紅白が始まるギリギリまで動き回っています。なんなら、何度か「今年の汚れ、来年に持ち越し」もやらかしました。私が幼いころは、今よりも畳の部屋が多くて、大掃除といえば畳を外に干すのが恒例でした。畳をめくると、昨年の新聞がひょっこり出てきます。その新聞を、ひらがなを追いながら一生懸命読んでいたのを思い出します。難しい漢字が出てくると、親に聞きに行く──最初は丁寧に教えてくれていたのに、そのうち「辞書を引け!」とげんこつが飛んでくる。めんどくさくなって、結局 新しい新聞に取り替える。今思えば、あれも冬休みならではの風景でした。そして大掃除最大の楽しみといえば、障子破り。普段は絶対に怒られるのに、この日だけは許される。北斗百裂拳をお見舞いしても叱られない、特別な日。そのあとで、几帳面な父がピンと張り替えてくれる障子は、まるで神棚みたいに清々しくて、どこか神聖な空気が漂っていました。いま、実家にはもう畳も障子もありません。年老いた両親が暮らしやすいようにと少しずつ変わって、昔の面影は減ったけれど、あの“ピンと張られた障子の白さ”は、今でも胸の奥に懐かしく残っています。
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ココナラで再びカードを広げる朝(最終章)

葬儀も、主人の人柄ゆえか、たくさんの方にご参列いただき、無事に送り出すことができました。引っ越しや手続きに追われるうちに、時間は容赦なく過ぎていきました。そしてようやく一息ついたとき――今度は、私自身に異変が起こりました。もともとあった胆石が、溜め込んだストレスのせいか限界を超え、強い痛みとして現れたのです。主人と同じ大学病院での手術となり、なんとか無事に終えることができました。世の中は、ちょうどコロナが騒ぎ始めた頃。今まで続けていた仕事も辞め、家でぼんやりと過ごす日々が続きました。時間だけが、静かに流れていきました。そんな中、小学校からの友人が心配して声をかけてくれました。「うちの喫茶店、手伝ってくれない? 気分転換になるから。」コロナ真っ只中。お客さんがほとんど来ない日もあるような状況でしたが、その言葉に救われました。魂が抜けたように、ただ時間が過ぎていくだけの毎日に、体を動かせる場所、笑顔を取り戻せる時間をくれた――彼女には今でも心から感謝しています。ある日、その友人が言いました。「はくちゃん、タロットできたよね?この状況、なんかくさくさするから、希望が持てるように占ってよ。」その言葉に、ハッとしました。そうだ、タロット。主人が亡くなるまでは毎日のようにカードを引いていたのに、あの日から一度も触れていなかったことを思い出しました。翌日、久しぶりにカードを取り出し、友人のために一枚引きました。それをきっかけに、喫茶店で少しずつ占うようになりました。やがて常連さんたちからも「見てほしい」と頼まれるようになり、喫茶店の片隅が、いつの間にか小さな占いコーナーになりました。「ありが
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神様がくれた時間 ― 家族で過ごした日々のこと。

あの夜、彼女と語り合ってから、さらに時は流れました。私も、ひとりの人と出会い、結婚し、息子が生まれ、そして“家族”になっていきました。外から見ると、まるで三人で漫才をしているような賑やかな家族。毎日が笑いにあふれ、泣くことより笑うことの方が多かった。今思い出しても、胸がじんわり温かくなります。タロットカードも、人を占うことはやめていました。ただ、家族の健康や運勢をカードに聞く、静かな習慣として続けていたのです。私は、この穏やかな日々が、ずっと、永遠に続くのだと信じていました。異変は、ある日、静かに訪れました。主人が言いました。「なんか、足が上がらないんだよね……左肩が重いような気がする。」普段は熱があっても「会社に行けば治る」と笑うような人。弱音など一度も吐いたことのない主人の、その言葉に胸がざわつきました。「今日は休んで病院行きなよ。」「うーん、ちょっとヤバい案件抱えててさ。サクッと行って帰ってくるよ。」結婚して22年。はじめて聞いた弱音を、深刻に受け止められなかったのです。お互い、まだ“無理がきく年代”だと思っていました。その夜中――。「ごめん、救急車呼んでほしい。」静まり返った部屋で、震える声が聞こえました。そのまま大学病院に運ばれ、「心筋梗塞」と告げられました。即手術。カテーテルでの処置は成功し、経過も順調。「よかった……これで元に戻れる」そう思った矢先――再び、心臓に異変が起きました。心膜に炎症が発生し、再手術。成功率40%。手を握りしめながら、ただ祈ることしかできませんでした。それでも主人は、奇跡のように戻ってきました。「もう大丈夫」と言い合ったあの日の夜、私は本気
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占いと心の距離 ― 優しさのかたちを探して。

あの日、彼女の笑顔を前にしてついた“裏切りの嘘”――。それは私にとって、長いあいだ胸の奥に残る痛みでした。占いとは、人の心に触れること。けれど同時に、占う自分の心もまた、そっと試される瞬間でもあるのだと知りました。泣きながらカードを並べた夜、私は初めて“自分の中の声”と向き合いました。「占いって、なんだろう。」「本当の優しさって、どんな形なんだろう。」何度も何度もシャッフルして、引いて、戻して。そして出てきたカードは「節制」。“心のバランス”“調和”“静かな信頼”を意味するカード。その瞬間、ふっと腑に落ちました。――「相手の心を動かす前に、自分の心を整えなさい」と。それ以来、私は占う前に必ず深呼吸をします。「この人の心に寄り添う覚悟はあるか」と、自分に問いかけながら。占いは、未来を決めるためではなく、今の心をやさしく見つめるための“鏡”だと思うようになりました。だからこそ、私は少し距離を置いています。「占い師」としてではなく、“心をのぞく案内人”として、ただ隣を歩くように。やがて私は大学生になり、時代はバブルの真っただ中。けれど、遊び惚ける暇もなく、アルバイトと学業に追われる毎日でした。地元を離れ、初めての一人暮らし。カードはいつしか、机の引き出しの奥にしまわれたままでした。成人式の頃、久しぶりに帰郷したとき、あの彼女に再会しました。「はくちゃん!! 久しぶり!」彼女は、あの頃よりもずっと綺麗になっていました。懐かしさと、あの日の記憶が胸をざわつかせました。「ごめん。あの時、実は……」私はあのときの占いのことを、正直に打ち明けました。彼女の信頼を裏切ったことを謝りたかったのです
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別れの朝編

あの日は、朝からとても寒い日でした。いつものように、二人に見送ってもらい、仕事へ向かいました。午後に差しかかったころ、スマホが震えました。息子からの着信です。めずらしいな、何か買ってきてほしい物でもあるのかな――そう思って折り返すと、「パパ、救急車で運ばれた。今、ICU。意識はあるから、大丈夫だと思う。」心臓が一瞬止まりました。即タクシーを拾い、病院へ。焦ってはいたけれど、私はどこかで油断していました。「大丈夫、また何日か入院して帰ってくる。」「復帰が少し遅くなるだけ。」そう信じて疑いませんでした。ICUには慣れたもので、看護師さんたちとも顔なじみ。案の定、主人は少しばつの悪そうな顔をして言いました。「ごめん。来てもらって。」先生からは「高熱なので念のためICUで管理します」と説明がありました。「心臓に血栓らしきものもあるので、熱が下がったら処置を検討します。」と。当時はインフルエンザが流行中で、ICUに長く滞在することはできませんでした。「明後日また来てください。」と言われ、主人も「大したことなかったよ」と笑っていました。「んじゃ、帰るね。明後日。」そう言って病室を出たとき、私は少しだけ胸がざわつきました。――あぁ、いけないな。何があるかわからないのに、ちゃんと顔を見て言葉を残せばよかった。次は、ちゃんとしよう。でも、その“次”は、もう永遠に来ることはありませんでした。翌日。LINEでやりとりをしていました。「ごはん、食べれた?」「熱は下がった?」「絶食になってる。手術するかもしれないから。」「熱は下がったよ。退屈だよ。明日、早めに来てね。」そんなやり取りをして、夜の10時。
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