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第4話「憑依という交われなかった構造との対話」

祈りの儀式を終えてまもなく、スピリチュアル仲間から、突然の連絡が入った。「祈祷師が、あなたの娘さんに ‘‘何体かの存在’’ が憑いていると言っている」「近いうちに娘を連れて来てほしいと伝えている」と。私はその瞬間、娘の中に、見えない ‘‘何か’’ が交差しようとしていることを直感した。一方で、私はとても静かだった。以前の私なら、「除霊しなければ」と思ったかもしれない。でも今の私は、それを ‘‘問題’’ としてではなく、『祈りとしての現れ』として受け止めていた。私はこう問い直した・・『その存在たちは、なぜ ‘‘娘’’ を選んで交差しようとしているのか?』『この ‘‘憑依’’ は、何を語ろうとしているのか?』娘は、自閉症と診断されている。言葉よりも、空気や視線、沈黙に敏感で、世界の中にある ‘‘観点の断絶’’ を、誰よりも先に感じ取っているような存在だ。私は気づき始めていた。【娘は、交われなかった存在たちの祈りを媒介してしまっている】語られなかった痛み。救われなかった叫び。この世に受け止められなかった祈りたちが、‘‘言葉にならない世界’’ に開かれている娘の主観に集まってきているのかもしれない。私はそれを「排除するもの」としてではなく、‘‘交差できなかった愛の痕跡’’ として引き受けたいと思った。だからこそ、祈祷師にこう伝える準備を始めた。『この存在たちは、‘‘悪’’ ではない。ただ交われなかっただけ。だからこそ、祈りとして交差し直すことはできないか』と。私が祈ったように、娘も、そして彼らも、‘‘まだ語られていない祈り’’を抱えて、ここに在る。そして気づく、これは、私自身の過去の姿
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第3話「友人との再会は、祈りの媒介だった」

ある日、3年ぶりに友人と会うことになった。不思議なことに、予定を立てたときは、私が ‘‘祈りの儀式’’ を行うことなど、何も決まっていなかった。けれど、なぜか自然と「祈りの儀式直後」の日に、その再会の日程が定まっていた。いま振り返れば・・あれは偶然ではなく、祈りが呼び寄せた ‘‘交差’’ だったのだと思う。友人と訪れたのは、宗像大社と大島。日本でも有数の ‘‘神と人との交差の構造’’ が体現された場所だ。本土の宗像大社は ‘‘与える’’沖津宮は ‘‘受け取る’’そして、大島の中津宮は、‘‘交わる’’ という第三の主観を象徴している。私たちは、そこで祈り、語り合った。薬では治せなかった過去の現場、娘の沈黙に宿る祈り、自分自身の ‘‘語れなかった痛み’’ について。私が語ると、友人も語り始めた。かつては語らなかった想い。家族のこと、体のこと、夢と挫折のこと。それは、懐かしさを越えて、互いの中にあった ‘‘祈り’’ が交差しはじめた感覚だった。気づけば私は、友人の祈りを媒介していた。何かを癒すでも、導くでもない。ただ、「あなたの中にも祈りがある」と信じて話を聴いていた。そして、こう感じた。『祈りとは、誰かの中にある ‘‘語られていない願い’’ に、自分の主観を重ねて しまうこと。そして、交差が起きてしまうこと』「祈りを媒介する」とは、‘‘相手の痛みをわかる’’ことではない。‘‘交差してしまう構造’’ の中に自分を差し出すことだ。この再会は、まさにその ‘‘はじまり’’ だった。私は、自分の過去と交差し、娘との非言語的祈りと交差し、いま、他者の中の祈りと交差しはじめている。そしてそれは
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第2話:「言葉のない世界で、祈りが起きた」

娘といるとき、私はたびたび言葉を超えた何かに触れていると感じる。それは説明できない。けれど確かに「交差」が起きている瞬間がある。たとえば・・言葉をかけても返ってこない時間。でも、娘の目が私を見つめ返すそのわずかな間に、‘‘なにかが通っている’’ のを感じることがある。笑ったわけでもない。泣いたわけでもない、でも、そこには確かに『私たちはここにいる』という共鳴があった。私たちは会話ではなく、‘‘存在で交差’’ している。昔の私は、「言葉にできない」は「通じていない」と思っていた。でも、いまの私は違う。通じ合うとは、‘‘言葉になる前の主観’’ が、交差してしまうことなんだと感じている。娘はとても素直だ。言葉ではなく、空気・音・表情・場の変化・・あらゆる微細な ‘‘主観の変化’’ をそのまま感じているように見える。彼女の祈りは、「うまく伝えたい」ではなく、‘‘世界と共鳴したい’’ という静かな望みのようだ。先日、自然の中を散歩したとき、娘が黙ったまま、しばらく川を見つめていた。私はその横に、ただ黙って座っていた。やがて娘が、私の手を握った。その手はとてもあたたかくて、柔らかくて、でも何より「交差した」と思えた。言葉はなかった。でもあれは祈りだった。私と娘の、まだ名前のついていない祈りが、その手の中で静かに交わっていた。いま私は、娘との関係を「教える」「育てる」「導く」ものではなく‘‘ともに祈る交差の場’’ として受け取っている。彼女の存在が、「交われなかったまま、ここにある主観」として、今も誰かと世界と、祈りながら交差し続けているように感じる。私はそれを ‘‘祈りを媒介する者’’ と
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第2章:名前のない祈り

退職の直前、私はずっと思っていました。せめて関わってきた仲間たちに、「今の医療の在り方について、自分が感じたことを伝えたい」と。でも、あのときの私は「言ってもどうせ理解されない」「もう遅いのかもしれない」と、どこかで諦めていました。今になって思います。たとえ理解されなくても私は『 ‘‘私の主観として’’ 語ればよかったのだ』と。伝えることそのものが、‘‘交差の始まり’’だったかもしれない。それをしなかった私は、自分の祈りを、自分で閉ざしてしまっていたのかもしれません。
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第5話「誰の祈りかわからない。それでも交差したい」

私はこれまで、自分の過去と向き合い、娘の祈りに耳を澄ませ、友人との再会で他者の祈りと交差し、そして、見えない存在との接触を通して‘‘祈りの媒介者’’ としての自分に気づきはじめた。でも今、私はある実感にたどり着いている。『祈りには、もはや ‘‘誰のものか’’ という主語がない』ということ。誰かが言葉にできなかった祈り。誰かがすでに死んでしまった後の祈り。名前もない、感情にもなっていない、ただ ‘‘この世界に残響として漂っている祈り’’。そういうものが、私の中を通って、時折、現実に影を落としてくる。ふいに涙が出るとき。誰かと話していて、意味もなく胸が震えるとき。無関係に思えた出会いが、何かを促してくるとき。そのすべての奥に「まだ語られていない誰かの祈り」があるのかもしれない。それが【 ‘‘誰のものか’’ わからなくても、私はその祈りに交差したいと思ってしまう。】もしかすると、この世のすべての断絶、争い、誤解は、‘‘交差されなかった祈り’’ がすれ違い続けている構造なのかもしれない。だから私はいま、言葉を整えながら、語りの場を開こうと思っている。誰かが、自分の祈りを少しだけ言葉にできるように。あるいは、言葉にならないまでも、「ここにいてよかった」と思えるように。私はもう、‘‘自分の祈りだけ’’ を語っているのではない。この体験のなかで交差してきた祈りたちが、私という器を通して、今も語られ続けている。だからこそ、私は語る。誰の祈りか、わからない。それでも、私は交差したい。それが、私という祈りのかたち。それが、いま私にできる唯一の創造なのだと思う。
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第1話:「娘は ‘‘わたしの祈り’’ ではなかった」

娘が自閉症だと診断されたとき、私はその事実を、すぐには受け入れることができなかった。「なぜ、うちの子が?」「どこで間違えたのか?」「原因は何なんだ?」いろいろな情報を調べるうちに、ワクチンの添加物が発達に影響しているという説にも出会った。私が製薬会社でMRとして働いてきたことを思うと、もしそれが本当なら、なぜ私は ‘‘気づけなかった’’ のか。その瞬間、私は娘の状態を ‘‘自分の罪’’ として背負い込もうとした。「私が与えたものが、娘をこうしたのかもしれない」と。でも、その思いの奥にはもっと深い構造があったと、今は感じている。それは、娘を「私の祈りの結果」として捉えようとしたこと。「何かの意味があるはずだ」「責任をとらねば」そうやって、私は知らず知らずのうちに・・【娘を ‘‘私の物語’’ の中に閉じ込めようとしていた】けれど、娘は違った。彼女は、彼女自身の祈りのかたちを持っていた。私が医療業界を去ったあと、どこにも正解を見つけられずにいた私に‘‘交われなかった構造そのもの’’ を見せてくれた。言葉にならない世界。反応が遅いわけでも、感情が乏しいわけでもない。彼女の祈りは、「世界とどう交わるか」を、最も繊細なかたちで問い直してくる。私はようやく気づき始めている。【娘は、私の祈りではなかった。 彼女自身が、まだ語られていない何かと交差しようとしている。 私はその交差を、祈りとして ‘‘受け取る者’’ でありたい。 そして彼女と共に、‘‘交わらなかった構造を愛に変えていく  ‘‘祈りの媒介者’’ でありたい。】この気づきは、私が「与える主観」として生きてきた過去を、もう一度、神との交
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