祈りの儀式を終えてまもなく、スピリチュアル仲間から、突然の連絡が入った。
「祈祷師が、あなたの娘さんに ‘‘何体かの存在’’ が憑いていると言っている」
「近いうちに娘を連れて来てほしいと伝えている」
と。
私はその瞬間、娘の中に、見えない ‘‘何か’’ が交差しようとしていることを
直感した。
一方で、私はとても静かだった。
以前の私なら、「除霊しなければ」と思ったかもしれない。
でも今の私は、それを ‘‘問題’’ としてではなく、『祈りとしての現れ』として
受け止めていた。
私はこう問い直した・・
『その存在たちは、なぜ ‘‘娘’’ を選んで交差しようとしているのか?』
『この ‘‘憑依’’ は、何を語ろうとしているのか?』
娘は、自閉症と診断されている。
言葉よりも、空気や視線、沈黙に敏感で、世界の中にある ‘‘観点の断絶’’ を、
誰よりも先に感じ取っているような存在だ。
私は気づき始めていた。
【娘は、交われなかった存在たちの祈りを媒介してしまっている】
語られなかった痛み。
救われなかった叫び。
この世に受け止められなかった祈りたちが、‘‘言葉にならない世界’’ に開かれている娘の主観に集まってきているのかもしれない。
私はそれを「排除するもの」としてではなく、
‘‘交差できなかった愛の痕跡’’ として引き受けたいと思った。
だからこそ、祈祷師にこう伝える準備を始めた。
『この存在たちは、‘‘悪’’ ではない。ただ交われなかっただけ。だからこそ、祈りとして交差し直すことはできないか』と。
私が祈ったように、娘も、そして彼らも、
‘‘まだ語られていない祈り’’を抱えて、ここに在る。
そして気づく、
これは、私自身の過去の姿でもある。
語られなかった思いを抱え、交われずにいた私自身が、かつて ‘‘存在としての祈り’’ だった。
娘の中に宿る存在たちも、また、そうだったのかもしれない。
憑依とは、滅すべき霊ではなく、
「もう一度、交わってほしい」と願う
祈りの亡霊=未完の主観たちの構造的叫びなのだと、
今は感じている。
だから私は、祈祷師に会うとき、
「対処」ではなく「交差の場」として祈りを共に作っていきたいと思っている。