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教養としての日本仏教⑥:鎌倉仏教~日蓮宗と中世文化

日蓮:日蓮宗、久遠寺(くおんじ)、『開目抄(かいもくしょう)』『立正安国論(りっしょうあんこくろん)』。女人を含む万人救済を説く『法華経』に帰依し、「南無妙法蓮華経」と題目を唱えることによって成仏が可能になると説きました。『法華経』には「この経を恨む者が多い」「しばしば追放され」「枕木や瓦石で打擲(ちょうちゃく)されるだろう」などとあることから、迫害がかえってその真実性を証明するとして厳しい迫害に屈せず、四大法難と呼ばれる大弾圧の中でも逆に信仰を確信したと言います。さらに日蓮は『立正安国論』で邪教の蔓延による国家の滅亡を予言し、これに外寇(がいこう、侵略)と内乱の難が加われば七難八苦の仏罰で日本は滅びると警告していますが、元寇で予言を的中させたとして、多くの支持者が生まれました。そして、『法華経』の行者として現実の国土を仏国土にすべく、「われ日本の柱とならん、われ日本の眼目とならん、日本の大船とならん」(『開目抄』)と宣言していますが、京都で有力商人が帰依し、町衆(商工業者)に日蓮宗が広まります。 唱題:「南無妙法蓮華経」(南無=帰依する、妙法蓮華経=法華経の正式名称)という題目を唱えること。これは『法華経』の教えを信じ、実践するという宣言なので、使徒信条やニカイア・コンスタンティノポリス信条などの受け入れを表明する、キリスト教の「信仰告白」(クレド)に相当すると言ってもいいかもしれません。 四箇格言(しかかくげん):念仏無限、禅天魔、真言亡国、律国賊。 明恵(みょうえ):高弁(こうべん)、明恵上人・栂尾(とがのお)上人。旧仏教の法相宗の貞慶や三論宗の明遍と並ぶ学僧とも評され、
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教養としての日本仏教④:鎌倉仏教~浄土宗と浄土真宗

本覚(ほんがく)思想:中期大乗の如来蔵思想・仏性思想が発展し、衆生は誰でも仏になれるという思想。元々、天台宗にあった考えで天台本覚思想と言い、末法思想と共に鎌倉新仏教の思想的背景となります。生も死も絶対の立場から見れば別ではなく「不二」であり、ついには煩悩に迷う凡夫も悟りを得た仏も不二であるとして、凡夫をそのまま肯定することとなりました。 法然:浄土宗、知恩院、『選択本願念仏集(せんじゃくほんがんねんぶつしゅう)』『一枚起請文(いちまいきしょうもん)』。「知恵第一」と讃えられながら学問を捨て、声聞(しょうもん、仏の教えを聞いて悟る)・縁覚(えんがく、一人で悟る)・菩薩(他者を救済して如来となる)などの聖道門(しょうどうもん)は自力救済の難行道であり、末法時代の穢土(えど)においては、難行を行い得ない者の方便として易行道(いぎょうどう)が必要であるとして、ひとまず浄土に生まれようと念仏する他力本願の道を説きました。この観点から見れば、禅宗系が自力志向、浄土系が他力志向、日蓮法華系は共力(自力+他力)志向となります。ちなみに『徒然草』の兼好法師も法然を敬愛し、一休禅師も法然を称えて、『一枚起請文』を奇跡の書だと述べています。 阿弥陀仏の誓願(弥陀の本願):『無量寿経』に、阿弥陀仏がかつて法蔵比丘だった時に立てた四十八の誓願(本願)が説かれており、その中の第十八願に「阿弥陀仏の名を唱える者は全て極楽浄土へ往生させよう」という誓願があり、これが浄土信仰の中心となって「南無阿弥陀仏」の名号を唱える称名念仏が広がりました。 称名念仏:阿弥陀仏の姿を実際に見るかのように思い描く観想念仏に対し
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教養としての日本仏教③:平安仏教~末法思想と浄土信仰

『日本霊異記(にほんりょういき)』:薬師寺僧景戒(きょうかい)、平安時代前期に成立した日本最初の仏教説話集。因果応報や霊験に関する話などが多数収められています。 因果応報:自分の行為(カルマ)によって運命が決定されるという仏教の考え方。自業自得。 末法思想:ブッダの死後500年または1000年を正法、次の1000年を像法、その後1万年続く乱れた時代を末法と区分する仏教の時代観。日本では1052年より末法の世に入ると信じられたため、極楽浄土への往生を願う浄土信仰が人々の間に広がりました。 (1)正法(しょうぼう):教(仏の教え)・行(修行・修行者)・証(悟り)の3つともある時代。 (2)像法(ぞうほう):教(仏の教え)・行(修行・修行者)の2つがあって、証(悟り)がない時代。 (3)末法:教(仏の教え)しかなく、行(修行・修行者)・証(悟り)の2つがない時代。 空也:平安時代中期、阿弥陀聖(あみだひじり)・市聖(いちのひじり)。比叡山を中心に行われた「山の念仏」に対し、鉦(かね)を叩き鳴らし、数々の社会事業を行いながら、南無阿弥陀仏と死者鎮魂の念仏を唱えながら諸国を遊行し、庶民を中心に浄土信仰を布教しました。時宗の一遍は空也を「わが先達」として敬慕しており、高野聖など中世以降に広まった民間浄土教行者「念仏聖」の先駆となっています。 恵心僧都源信(えしんそうずげんしん):延暦寺中興の祖にして第18代天台座主である元三大師(がんざんだいし)良源の弟子であり、日本浄土教の祖として、親鸞が定めた浄土真宗七高僧のうちの第六祖に挙げられます。様々な経典を参照して、極楽浄土や地獄について述べた
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教養としての日本仏教②:平安仏教~天台宗と真言宗

最澄:伝教大師(でんぎょうだいし)、天台宗、比叡山延暦寺。奈良仏教が能力や資質によって成仏できるかどうかに差が出るとし、仏の教えを聞いて覚る声聞(しょうもん)乗、師無くして一人で悟る縁覚(えんがく、独覚)乗、自分が仏になると共に他をも悟りに至らせる菩薩乗からなる三乗思想を説いたのに対し、仏の教えの本質は一つ(菩薩乗)であるという一乗思想を展開しました。また、鑑真が伝えた上座部仏教系の戒律(具足戒)を授ける東大寺の授戒制度を否定し、大乗菩薩戒を授けて僧とする大乗戒壇設立に尽力しました。さらに四種相承(ししゅそうしょう)・四宗合一の立場から、入唐して円(天台)・密(真言)・禅・戒(律)の四宗を相承・総合し、中国の天台宗とは違う日本独自の天台宗を作り上げたように、総合仏教を目指しました。しかしながら、一時代前の隋代に栄えた初期大乗の天台宗を中心に、中期大乗の仏性思想を取り入れ、仏教の総合化を図った最澄は、唐代最高にして最先端の後期大乗の密教を導入した空海には遠く及ばず、本格的な密教(正純密教)を学ぶために弟子入りします。やがて、比叡山には円仁・円珍といった優れた人材が入唐して天台宗の弱みであった密教を補完して台密を形成して真言宗の東密に対抗し、空也や源信らが浄土信仰を広め、そして、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮といった鎌倉新仏教の祖達が現れて、禅宗系、浄土系、法華系の一宗一派を興していきます。最澄が総合仏教を目指し、最澄を超える多彩な人材が育まれていったという点で、日本仏教の母と言って良いでしょう。 「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」(『涅槃経』):生きとし生け
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教養としての日本仏教➀:奈良仏教

聖徳太子:日本仏教の祖、日本教の原点。十七条憲法、『三経義疏(さんきょうのぎしょ)』。十七条憲法では第一条に和の原理を掲げ、第二条以降に仏教思想や儒教思想を取り入れ、人は皆、煩悩に囚われている「凡夫」であると説きました。三教一致の調和思想はその後の日本文化に多大な影響を与えましたが、韓国仏教の祖元暁(がんぎょう)にも「和諍(わじょう)」思想があり、「和」の思想は共通しています。また、高句麗僧慧慈(えじ)に学び、『三経義疏』で初期大乗の主要経典である『維摩経(ゆいまきょう)』と中期大乗の主要経典である『法華経』『勝鬘経(しょうまんぎょう)』に注釈を加え、法隆寺・四天王寺を建立ました。ちなみに聖徳太子は出家した僧ではなく、あくまで摂政という政治家であり、『維摩経』の主人公維摩居士(ゆいまこじ)も在家の覚者なので、藤原不比等がこれを重視し、藤原氏によって『維摩経』を講ずる法会(ほうえ)である維摩会(ゆいまえ)を興したことは、日本仏教の特徴を考える上で注目されます。聖徳太子は後には救世観音(ぐぜかんのん)の化身とされ、聖徳太子信仰が成立しました。後に親鸞も六角堂への百日参籠の中で95日目に「聖徳太子の夢告」を受けて、肉食妻帯に踏み切りました。冷静に考えれば、政治家である聖徳太子から夢で許可を得て、出家者である親鸞が戒律を破って肉食妻帯に踏み切るわけですから、おかしな話と言えますが、聖徳太子=救世観音という信仰が定着していればこそのことでしょう。 「和をもって貴(とうと)しとし、忤(さから)うことなきを宗(むね)とせよ」(『十七条憲法』第一条) 「篤(あつ)く三宝(仏法僧)を敬え。三宝と
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教養としての日本仏教⑤:鎌倉仏教~臨済宗と曹洞宗

禅宗:禅(ディヤーナ)は八正道の正定、六波羅蜜の禅定に由来し、老荘思想と結びついて、「空」の直接体験を求めるもので、浄土宗と共に中国で誕生した中国的仏教です。中国の有名な禅書『無門関』によれば、「拈華微笑(ねんげみしょう)」の故事として、釈迦が霊鷲山(りょうじゅせん)にいて花を拈(ひね)って大衆に示すと、皆、何を意味するのか分からず黙然としていましたが、ただ摩訶迦葉(まかかしょう、マハーカッサパ)のみが破顔して微笑したので、 釈迦は「吾に、正しき法眼の蔵にして涅槃の妙心(正法眼蔵・涅槃妙心)、実相・無相・微妙の法門有り。文字を立てず教外に別伝し(不立文字・教外別伝)、摩訶迦葉に付嘱す」と言ったとして、禅宗の由来を示しています。第28祖菩提達磨(ぼだいだるま、ボーディダルマ)によって中国に伝わったとされます。そして、達磨を初祖とする中国禅宗では、第五祖弘忍に神秀・慧能という優れた2人の弟子がおり、神秀から修行・努力を重ねて次第に悟りを得ていく「漸悟」の北宗禅が生まれ、慧能から瞬時に悟りを得る「頓悟」の南宗禅が生まれ、慧能が第六祖を継いで、中国禅宗の主流となります。日本では栄西が臨済宗を伝え、道元が曹洞宗を伝えますが、臨済禅では悟りのヒントとなる「公案」を使い、言葉や思考の果てに言葉や思考を超えた悟りを得ようとするので、「超論理」の禅であり、曹洞禅ではひたすら座禅に徹し、言葉ならぬ言葉、思考ならぬ思考によって悟りに至ろうとするので、「非論理」の禅であると言えるでしょう。 不立文字(ふりゅうもんじ)・教外別伝(きょうげべつでん):仏教の真の精髄は言葉によって表現し得るものではないので
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