教養としての日本仏教④:鎌倉仏教~浄土宗と浄土真宗

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本覚(ほんがく)思想:中期大乗の如来蔵思想・仏性思想が発展し、衆生は誰でも仏になれるという思想。元々、天台宗にあった考えで天台本覚思想と言い、末法思想と共に鎌倉新仏教の思想的背景となります。生も死も絶対の立場から見れば別ではなく「不二」であり、ついには煩悩に迷う凡夫も悟りを得た仏も不二であるとして、凡夫をそのまま肯定することとなりました。

法然:浄土宗、知恩院、『選択本願念仏集(せんじゃくほんがんねんぶつしゅう)』『一枚起請文(いちまいきしょうもん)』。「知恵第一」と讃えられながら学問を捨て、声聞(しょうもん、仏の教えを聞いて悟る)・縁覚(えんがく、一人で悟る)・菩薩(他者を救済して如来となる)などの聖道門(しょうどうもん)は自力救済の難行道であり、末法時代の穢土(えど)においては、難行を行い得ない者の方便として易行道(いぎょうどう)が必要であるとして、ひとまず浄土に生まれようと念仏する他力本願の道を説きました。この観点から見れば、禅宗系が自力志向、浄土系が他力志向、日蓮法華系は共力(自力+他力)志向となります。ちなみに『徒然草』の兼好法師も法然を敬愛し、一休禅師も法然を称えて、『一枚起請文』を奇跡の書だと述べています。

阿弥陀仏の誓願(弥陀の本願):『無量寿経』に、阿弥陀仏がかつて法蔵比丘だった時に立てた四十八の誓願(本願)が説かれており、その中の第十八願に「阿弥陀仏の名を唱える者は全て極楽浄土へ往生させよう」という誓願があり、これが浄土信仰の中心となって「南無阿弥陀仏」の名号を唱える称名念仏が広がりました。

称名念仏:阿弥陀仏の姿を実際に見るかのように思い描く観想念仏に対して、「南無阿弥陀仏」(阿弥陀仏への絶対的帰依)の名号を唱えること。これは「アッラーの他に神はなし、ムハンマドは神の使徒なり」の聖句を唱える、イスラーム教の「信仰告白」(シャハーダ)に相当すると言ってもいいかもしれません。

専修念仏(せんじゅねんぶつ):称名念仏を往生のための唯一の手段とすること。法然の称名念仏・専修念仏の「行」には自力の要素があるとして、内面の「信」を重んじる絶対他力に至ったのが親鸞です。

親鸞:浄土真宗の開祖、本願寺、『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』。法然の他力本願の信仰をさらに進め、絶対他力の考えに到達しました。キリスト教でもローマ=カトリックでは聖職者の妻帯禁止を原則としてきましたが、宗教改革を起こしたルターは禁欲的な人でありながら、かねて聖職者も結婚すべきであり、独身を前提とした修道院も廃止すべきであると主張しており、修道女だったカタリーナ・ボラと結婚して、三男三女をもうけ、結婚を礼賛しています。ルターは信仰義認を強調し、プロテスタント教会における教役者・牧師の結婚という伝統を作ったという点でも親鸞と共通点があり、戦国時代に日本に来たイエズス会の宣教師達が浄土真宗の存在を知って、「日本にルター派の異端がいる」と驚いたのもうなずけます。

自然法爾(じねんほうに):自ら然(しか)らしむるように(自然)、真理としてそうなるがままに(法爾)、作為を捨てて生きる、絶対肯定の境地。「自然にそうなる」という「自発」の言葉を多用する、日本人の感覚に通じます。親鸞は、信心さえも全ては阿弥陀仏のはからいによるものであるとしましたが、これはアウグスティヌスの恩寵説にも通じます。

『教行信証』:『大無量寿経』を根底に念仏の要文を集め、念仏の教・行・信・証を体系化したもの。救世観音の化身とされた聖徳太子の夢告により、法然を訪ね、肉食妻帯に踏み切った親鸞は、自らを非僧非俗の「愚禿(ぐとく)」と呼び、「悲しいことに、この愚禿親鸞は愛欲の広い海に沈み込んでしまい、名利の大きな山に踏み惑って、浄土で仏になることが約束された人々の仲間に入ることをうれしいとも思わないし、真実のさとりに近づくことを快いとも思わない。恥ずかしいことである、悲しいことである」と赤裸々に述べていますが、これはアウグスティヌスの『告白』と共に日本人に好まれている一節です。

『歎異抄(たんにしょう)』:親鸞の弟子・唯円。師の言葉をまとめた部分と異端の説への批判を加える部分からなります。悪人正機説が説かれています。
悪人正機説:煩悩にとらわれて自らの力では悟りを開くことができない人、自らの罪深さを自覚して阿弥陀仏の他力にすがる人を悪人と呼び、悪人こそ阿弥陀仏の救いの対象であるとしました。

「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」(『歎異抄』):善人でさえ救われるのだから、悪人はなおさら救われるという逆説です。この後に「世の人つねにいわく、悪人なお往生す、いかにいわんや善人をや」と常識論が述べられ、「自力作善(じりきさぜん)の人は、ひとえに他力をたのむ心欠けたる間、弥陀の本願にあらず」としてこれを否定し、自力から他力に転ずることを促して、最初は自力を頼みにしていた善人でも阿弥陀仏の他力にすがれば救われるのだから、善を為そうとして為し得ずに苦しみ、地獄を棲み家と覚悟した煩悩具足(ぼんのうぐそく)の悪人は、最初から阿弥陀仏の慈悲である他力に絶対的にすがるので、必ず救われるのだということです。これはイエスの「山上の垂訓」に出てくる「心の貧しい人は幸いである。天の国はその人たちのものである」(心の貧しい人=自分の心の貧しさを知っている人)という教えや、「放蕩(ほうとう)息子の話」「1匹の迷える羊」などの例え話にも通じます。

「地獄は一定(いちじょう)、すみかぞかし」(『歎異抄』):地獄は自分の堕ちゆく住まいと決まっている、という意味。仮に法然上人にだまされて、念仏して地獄に堕ちたとしても決して後悔はしないだろう、なぜなら、念仏以外の修行に励んで仏になることができる者が念仏によって地獄に堕ちたのなら後悔もあるだろうが、自分はどのような修行も不可能な者であるから、元々、地獄は自分の住処だと決まっているというわけです。これはキリスト教の原罪観にも通じる痛切な自己認識ですが、ここから阿弥陀仏―釈尊―善導―法然へと続く念仏の法統への絶対的信心を打ち出しています。

一遍:鎌倉中期、時宗の開祖。遊行上人(ゆぎょうしょうにん)・捨聖(すてひじり)。南無阿弥陀仏の名号こそが真実であると確信し、自らが持つ全てを捨てて遊行し、ただ1度だけでも名号を称えれば、貴賎を問わず、往生することができると説きました。また、念仏札を配って布教し、念仏を唱えながら踊る踊念仏を広めました。踊念仏は盆踊りの起源ともなりました。一遍製作の算を受け取り勧進帳に記名した入信者数は250万人に達したとされます。

遊行上人(ゆぎょうしょうにん):全国各地を布教して回った一遍に対する称号。

捨聖(すてひじり):一遍は常に臨終の時と心得て、全てを捨てて念仏することを説いたため、捨聖と呼ばれました。

蓮如:浄土真宗中興の祖。村々に結成された講を拠点に、教義を消息(手紙)の形で分かりやすく説いた『御文(おふみ)』で布教し、教勢を一気に拡拡大させます。こうした講は単なる宗教結社の枠を超え、自治単位となり、やがて真宗本願寺派門徒(一向宗)の農民による一向一揆の組織的基盤となって、戦国大名達を恐れさせました。頓智で知られる一休禅師との交流でも知られ、蓮如とは意気投合しつつもかなわないこともあった一休は、蓮如に頼んで親鸞の画像を受け取ると、「襟まきの あたたかそうな黒坊主 こやつの法は天下一品」と詠み、68歳の時にはついに師である大燈国師の頂相(ちんぞう、肖像画)を本寺へ返して念仏宗(浄土真宗)に改宗しています。
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