禅宗:禅(ディヤーナ)は八正道の正定、六波羅蜜の禅定に由来し、老荘思想と結びついて、「空」の直接体験を求めるもので、浄土宗と共に中国で誕生した中国的仏教です。中国の有名な禅書『無門関』によれば、「拈華微笑(ねんげみしょう)」の故事として、釈迦が霊鷲山(りょうじゅせん)にいて花を拈(ひね)って大衆に示すと、皆、何を意味するのか分からず黙然としていましたが、ただ摩訶迦葉(まかかしょう、マハーカッサパ)のみが破顔して微笑したので、 釈迦は「吾に、正しき法眼の蔵にして涅槃の妙心(正法眼蔵・涅槃妙心)、実相・無相・微妙の法門有り。文字を立てず教外に別伝し(不立文字・教外別伝)、摩訶迦葉に付嘱す」と言ったとして、禅宗の由来を示しています。第28祖菩提達磨(ぼだいだるま、ボーディダルマ)によって中国に伝わったとされます。そして、達磨を初祖とする中国禅宗では、第五祖弘忍に神秀・慧能という優れた2人の弟子がおり、神秀から修行・努力を重ねて次第に悟りを得ていく「漸悟」の北宗禅が生まれ、慧能から瞬時に悟りを得る「頓悟」の南宗禅が生まれ、慧能が第六祖を継いで、中国禅宗の主流となります。日本では栄西が臨済宗を伝え、道元が曹洞宗を伝えますが、臨済禅では悟りのヒントとなる「公案」を使い、言葉や思考の果てに言葉や思考を超えた悟りを得ようとするので、「超論理」の禅であり、曹洞禅ではひたすら座禅に徹し、言葉ならぬ言葉、思考ならぬ思考によって悟りに至ろうとするので、「非論理」の禅であると言えるでしょう。
不立文字(ふりゅうもんじ)・教外別伝(きょうげべつでん):仏教の真の精髄は言葉によって表現し得るものではないので,心から心へと直接伝達されるとする考え方。密教がそれまでの教えは、言葉や文字で表した顕教だとして、真実の教えは秘密に伝えられてきたとしたことに通じます。
直指人心(じきしにんしん)・見性成仏(けんしょうじょうぶつ):真理は自己の外にあるのではなく、自己の心の中にこそ発見され、その自己の本性を見るならば、仏となることができるということ。
栄西:日本臨済宗の開祖、建仁寺、『興禅護国論(こうぜんごこくろん)』『喫茶養生記』。天台宗と密教を学んだ後、2度にわたって入宋し、臨済宗を興します。外には戒律を守り、内には慈悲の心を保って坐禅に打ち込み、悟りに達することによって、自己だけでなく国家をも平安にできると説き、鎌倉幕府からの支持を得ました。栄西は総合的な人格者で、台密に東密を加えた葉上流(ようじょうりゅう)の祖であり、京都に建仁寺を創建して天台・真言・禅の三宗兼学の道場とし、禅宗の拡大に努めたのみならず、東大寺の重源の後を受けて東大寺大仏の再建にも尽力しています。かくして臨済宗は幕府(将軍)の帰依を受け、武士上層部に普及すると共に、五山文化を生み出します。道元の語るところによると、建仁寺に生活に困窮した人が施しを求めに来た時、栄西は薬師如来像の光背を作るために取っておいた銅を困窮者に渡したため、弟子達から「仏物己用の罪」(仏のものの私物化)と非難されますが、栄西は「お前達の言うことはもっともだ。しかし、貧しい人を助けて地獄へ行くのは本望である」と答えたと言います(『正法眼蔵随聞記』)。
道元:日本曹洞宗の開祖、永平寺、『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』。従来、中国に学んだ僧達はたくさんの経典を招来していますが、天童山で座禅に打ち込んだ道元は、当然のことを当然とする「眼横鼻直(がんのうびちょく)」の仏法を体得し、経巻1つも携えずに徒手空拳で帰国しています。純粋で一途な修行者道元は栄西の孫弟子に当たり、栄西を尊敬していますが、栄西とは対照的に一切の権力から遠ざかり、自他に厳しい禅風を打ち立てました。
只管打座(しかんたざ):ひたすら坐禅をすること。
身心脱落(しんじんだつらく):身心を尽くした修行により、一切の束縛・執着から離れた境地に入ること。
修証一等:修行の結果として悟りが得られるのではなく、坐禅の修行がそのまま悟りであるということ。
現成公案(げんじょうこうあん):現象界の全てが活きた仏道だという意味。これは座禅が動禅に変わる契機となり、歩くことも仕事をすることもスポーツをすることも全てそこに意味があり、今を一生懸命生きることに悟りがあるということになります。
『正法眼蔵随聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき)』:道元の弟子・懐奘(えじょう)が師の談話をまとめました。