結婚生活23

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 私は、妊娠している体で子育てし、掃除をし、畑仕事、大姑の世話、姑のご機嫌を取り、毎日が過ぎていった。

妊娠5か月のあたりで成人式のお誘いがきた。
市からの招待状はきていない。
結婚式に来てくれた友達?が私に連絡をくれた。

私の卒業した今はどうなっているかわからないが、昔は卒業した中学校の名簿から招待されるようだ。

私は行く気がなかった。
なにせ、私がいって嬉しい人はいないのだから…。
嫌われ者がいったところでまた嫌な思いをするだけだ…。
そして、なにより成人式の用意などしているわけがなかった。

それをお義母さんから聞いたであろう、また旦那の姉が、口を出してきた。
「成人式、言っておいでよ!妊娠してるからスーツのほうがいいと思うけど!用意はこっちでするから!」
と…。

私の意見など聞くはずもない人たち…
なにかを言おうなどとはもう考えていなかった。

「わかりました。ありがとうございます」

これしか、私が発する言葉の選択肢はない。

スーツは、お姉さんのお下がりだった、

髪型はお姉さんの近くにある美容院…。

私は誘ってくれた、友達と待ち合わせるために会場にいった。

そして久しぶりに会う友達と再会した。
結婚式のお礼を言いながら会場の中に入った

そしたら、その友達の周りには、知らない人たちが取り囲んでいた。

私はあっという間に「孤立」した。

友達は、なんで私を呼んだんだろう…。

終始、私は一人で席に着き、一人で帰った…
周りは成人式のお祭りモード一色だった。

私には思った通りの
「孤独感」
だけが残った。

家に帰れば、またあの生活が戻ってくる。

けれど私には息子がいる!

私には息子しかいなかった。
言葉など通じなくても、息子だけが唯一の心の支えだった。

けれど、その息子も私の思い通りの子育ては出来ないでいた。

離乳食のころには、姑が食べ物を口にいれ、噛み砕いてから息子の口に運んだりもした。
それは、お姉さんが注意してからはしなくなったが、本当に怖かった。

子供に着せる服の色、柄も指定されていた。

私と息子の時間は「寝るとき」だけ。

その数分が幸せの時間だった。

二人目の出産予定日は初夏の予定だった。

その前にGWがある。

出稼ぎに行っていた舅が帰ってくる。

たった数日だが、家の中はピリピリした空気が流れる。

舅が帰ってきたからとて、自分の息子には何も言わない。

まるで息子などいないような空気でGWは過ぎていった。

もちろん結婚相談所に登録していたことなどなかったかのよう。

そして、6月になり、お腹の張りがおかしい、と思い病院にいった。
私は一応出産の準備をして車にのった。

片道40分かけて…

助産婦さんなどが道中などの配慮をしてくれて、そのまま出産することになった。

旦那には病院から連絡してくれるという、もちろん家にも電話をしてくれるという。

そのまま入院となり、出産した。

「女の子」
だった。

私は嬉しかった、息子の時は性別で喜ばれたが、
私はそんなの全く関係がなかった。

母子ともに健康

それを聞いた時、本当にホッとした。

予定日より10日早かったが標準より大きく出産した(笑)

出産を終えてから数時間後、お義母さんたちがきた

「ほう、産まれたか、女の子か、ちょうどいいな」

それだけだった。
ちょうどいい?

自分たちにとってね…。

旦那などもはや来たかどうかも忘れた。
思い出したら書こうと思う。

そうして、母子ともに退院してきたが

布団は何もなかった。

「二人目だからいいでしょ」

とだけ言われた。

妊娠、出産中は借金返済ができなかった。

毎日謝罪の電話をしていたが、お義母さんが電話にでると
私と旦那は「いない」ことにされていた。

それは金融会社だけではない。
仕事で知り合った人にも誰彼構わず…。

そして、私は息子と娘の二人の親になったのである。

お風呂はやはり一か月は入らせてもらえなかった
けれど家事だけはやれ、と言われた。

娘が産まれて喜んだのはお姉さん…。

いつしか
息子の物は「お義母さん」
娘の物は「お姉さん」
と役割分担のようになっていた。

当然、私の意見や思いは全く
無視
である。

息子の時は3年育児しろ、と言われてきたが、娘の場合は1年だそうだ。

そうして、1年の時が流れた








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